2008.9.7

【マスメディアをどう読むか】

関東学院大学教授・日本ジャーナリスト会議
 丸山 重威
目次 連載に当たって

◎中国新聞記者の質問が記者会見を救った!
福田首相辞意表明の記者会見

  「取材」 とは何なのか、「記者会見」 とは何なのか。
  9月1日、福田首相の辞任表明の記者会見で、最後に質問した記者のことが、話題になっている。福田首相とのやりとりが続いた最後、 挙手した一人の記者の 「総理の会見が国民には他人事のように聞こえるんですが…」 という質問だった。
  至極当たり前の質問だったし、まさに国民が聞きたいことだ。しかし、それに対して 「私は自分自身を客観的に見ることができる。あなたとは違うんです」 と答え、 退席時には側近に書類をぽんと放り投げるように渡す首相の態度が、怒りの感情を証明していた。

  しかし、その質問自体が 「朝日」 の社会面の記事になったし、「夕刊フジ」 によると、質問した記者が取材される側になっている、という。
  首相官邸の担当だったことはないが、いくつかの中央官庁を含め、記者クラブと記者会見を経験してきた私から言えば、 この状況はやはり、会見に臨む記者自身の姿勢が次第に変化し、取材側が取材対象である 「会見者」 に圧倒されてしまっていることを示す一つの例であり、 「記者会見」 の性格もいつの間にか変わってしまっていることを示しているのではないか、と思う。

  ▼「取材される」記者
  正確を期すため、日経新聞で 「会見内容」 をたどると、質問の要旨は 「首相の退陣会見を聞いても 『他人事』 のような印象がある。 安倍前首相に続き、このような形で辞めることが自民党を中心とする政権に与える影響をどう考えるか」 というものだ。
  これに対し、首相は 「自民、公明両党の政権が順調にいけば、それに越したことはない。しかし、私の先を見通す目の中には、決して順調ではない可能性がある。 その状況の中で、不測の事態に陥ってはいけないとも考えた。『他人事のように』 と言われたが、私は自分自身を客観的に見ることができる。 あなたとは違う。そういうこともあわせて考えてほしい」 と答えた。

  2日付朝日新聞は、この最後の質問と答弁を 「最後の最後 キレた首相」 との見出しで、社会面で大きく取り上げ、「ふだん感情を表に出すことの少ない福田首相が、 辞任会見の最後の質問で、珍しく気色ばんだ」 と、次のように紹介した。
  「この答えを引き出したのは中国新聞の男性記者。『総理の会見が国民にはひとごとのように聞こえる。辞任会見もそのような印象を持った』 という質問だった。 この記者は、朝日新聞の取材に 『会見での首相の語り口を聞いていたら、まさに 《ひとごと》 という言葉通りだなと感じた』 と明かす。 首相の熱意のなさを批判する時にしばしば聞かれる 『ひとごと』 というキーワードを最後の最後にぶつけてみようと、あえて厳しい質問をしたという」−。

  3日夕発行の4日付 「夕刊フジ」 によると、この記者、つまり中国新聞東京支社報道部の政治担当の記者に、2日朝から取材依頼が殺到し、 報道部長によると、計6社から取材依頼が殺到した、という。
  「フジ」 は 「取材する側から “される側” となったが、政局が続く間は忙殺される日々が続くため、記者本人が取材に応じる時間は全くないという。 東京支社は、記者のコメントとして 『これまでの取材や、会見を聞いていて疑問に思ったことを率直に聞いただけ。 それ以上でもそれ以下でもありません』 と発表している」 と書いている。

  結局、朝日はこの記者に 「なぜそういう質問をしたか」 と 「取材」 したわけだし、「フジ」 にあるように、多くのメディアが同業の仲間に取材しようとしている、 ということになる。
  また、「週刊新潮」 9月11日号では 「『キレた』 首相に面罵された 『中国新聞』 記者の心当たり」 と書き、記者本人にも取材している。

  ▼「記者会見」の性格
かつて 「記者会見」 は、記者にとって重要な 「取材の場」 であり、そこで事実をどう引き出すか、取材対象の本音をしゃべらせるか、という 「真剣勝負」 の場だった。 現在も、普通の取材の延長線上にある 「記者会見」 では、その性格は変わっていないし、そうした局面は数多くあると思う。

  しかし、記者会見がノータイムでテレビに映されるようになり、全文がネットで報道されるようになった現在、記者会見はプロによる 「取材の場」 から、 会見者の 「宣伝の場」 の性格を強めることになった。質問者が予め決められていたり、質問内容が事前に提出されていたりするケースは、 会見者が 「間違った答え」 をしないための準備であり、「記者会見」 の性格を 「宣伝の場」 に近づけることになる。

  しかし、そんなセットされた記者会見でも、一定の質問が終わったあとには自由な質問時間が設けられているのが普通で、今回の質問はそうした中で行われている。 いわば、首相が 「キレた」 とすれば、その質問が鋭かったのであり、「本音」 を引き出した質問だった、ということである。 それを具体的に報じた記事は率直に言って面白かった。

  だが、読者からは 「あれは、『記者会見であんなこと聞くなど、まずいんじゃないか!』 という記者クラブの空気を反映しているんですか、それとも 『いい質問だったね。 ありがとう。僕も絶対聞きたい質問です』 という仲間意識の中での記事なんでしょうか」 と聞かれる。
  私は 「あれは社会面だし、むしろ激励の記事だと思いますよ」 と答える。新聞が 「多様な意見を紹介する場」 なのだとしたら、公式的な記者会見の記事と、 それを批判的に見る記事が同じ紙面に載ることはむしろ歓迎すべきことだ。

  記者に求められるのは、「国民の代表」 だという感覚を常に持ち、その意識を忘れないことではないだろうか。 今回の首相辞任会見で言えば、最後の中国新聞記者の質問こそ、「垂れ流し」 と批判されることが多いテレビ放映の 「記者会見」 を救ったのである。

2008.9.7