2008.9.28

【マスメディアをどう読むか】

関東学院大学教授・日本ジャーナリスト会議
 丸山 重威
目次 連載に当たって

◎「中山発言」と「失言」「放言」


  もともと危ない人物だと思っていたが、果たして中山成彬国交相が、相次ぐ発言で、辞任に追い込まれた。麻生内閣が発足してわずか5日。 麻生首相はニューヨークに飛んで、国連演説をこなしたが、各社の調査による内閣支持率が、朝日48%、毎日45%、読売49.5%、共同通信48.6%、 フジ・産経44.6%と、福田内閣の発足時を下回る状況と、この 「暴言辞任騒ぎ」 で、早期解散をもくろんでいた麻生政権も、 解散時期に迷わなければならない事態になっている。
  麻生首相は中山氏に 「まことに残念だ」 と言ったそうだが、その発言内容も含めて、首相や閣僚のこうした 「政治感覚」 を直さない限り、国民の信頼は勝ち取れない。

  経過を簡単に振り返ってみよう。
  中山国交相は、就任直後に行われた25日の報道各社との会見で、3つの問題発言を披露した。@ 成田空港問題では、「『ごね得』 というか、 戦後教育が悪かったと思うが、公のためにはある程度自分を犠牲にしてでもというのがなくて、自分さえよければという風潮の中で、なかなか空港拡張もできなかった」、 A 観光事業をめぐって 「日本はずいぶん内向きな、『単一民族』 といいますか、世界とのあれがないものだから内向きになりがち」、 B それに、日教組について 「日教組の子どもなんて成績が悪くても先生になる。だから大分県の学力は低い。なぜ全国学力テストを提唱したかと言えば、 日教組の強いところは学力が低いのではないかと思ったから。現にそうだ」―。

  いずれも不正確どころか、これまでの政府の施策を全く否定するような 「言いたい放題」 の発言だった。 あとで事務局を通じてあわてて取り消したが、千葉県知事から、アイヌの組織、日教組が抗議し、野党だけでなく公明党からも批判が出た。 成田空港の建設過程にしても、「ごね得」 ではないし、「単一民族」 説は、既に完全に否定され、国会でもアイヌを先住民族と認める決議が採択された。 日教組と学テの成績についていえば、事実とは完全に違っている。
  批判を受けたあと、辞めないにしても、少し自重するかと思いきや、全く懲りず、今度は地元・宮崎に帰って、また問題発言を繰り返した。
  同党宮崎県連の会合で27日、「日教組については私も言いたいことがある。日本の教育のがんは日教組だ。日教組は民主党の最大の支持母体で、 解体しなければいけない。小泉さん流に言えば日教組をぶっつぶす運動の先頭に立つ」 と改めて日教組を批判した。 報道によれば、会場で県連会長に 「選挙の足を引っ張るような発言は慎んでほしい」 と言われ、「不愉快な思いをさせて申し訳ない」 と謝った後の発言だった。
  記者団には、「国会審議に影響が出るならば、地位にきゅうきゅうとはしない。教育改革、地方に必要な道路づくりはやりたいが、 『絶対に辞めない』 としがみつくつもりもない。推移を見守りたい」 とすましていたが、28日午前、辞表を提出。 しかし、中山氏は辞任後も 「政治家としての発言を撤回するつもりはない」 と発言した。

  もともと、公職にある人物の発言が重いことは言うまでもない。しかしこうなってくると、この発言はうっかり、 自分が必ずしも考えていなかったことを言ってしまった 「失言」 ではなく、「確信犯」 で、自らの信念に基づいた 「放言」 だ。
  もしかしたら、閣僚にはなりたくなかったのではないか、とさえ疑われるのだが、やっぱり事態は、辞めて済むものではない。
  そもそも、どの発言も、差別と偏見に満ち、他人の発言や人権、行動を無視し、日本国憲法の 「法の下の平等」 や 「結社の自由」 を否定したもので、 憲法遵守義務を持ち出すまでもなく、政治家の資質すら疑わせるものである。野党が 「首相の任命責任」 を問題にするのは当然だ。
  中山氏は以前、文部科学相を務めているが、そのころも、歴史教科書の記述について 「きわめて自虐的」 (2004年11月)、 「自虐的な教科書はいっぱいある」 (2005年1月) と発言したことがある。いわば典型的な 「右派政治家」 で、首相の 「任命責任」 が問われるのは、 それをわかって麻生氏が1本釣り的に指名して任命した人だからだ。

  それにしても、人間だれでも、言葉は常に、聞いている人を相手を意識し、影響を考えて発言し、誇張して話すときもあれば、逆に自重して話すときもある。 もっと言えば、「思っても言わない」 こともある。
  政治家の発言は、地元の仲間内の会合や支持者が多い講演会などで、思わず出た言葉が問題になることが少なくない。 その発言をきちんと聞いている記者がいるかどうか、その発言に問題意識を持つか、が大きな焦点になり、 一緒に聞いていた他の記者が書かなくても 「問題だ」 と思った記者が記事を書いて、思わぬスクープになることも少なくない。
  しかし、記者会見といういわば 「公式」 の場。結局、こんな具合にべらべらやられるのは、メディアも国民もなめられていることを示している。
  小泉元首相の憲法無視発言など、近年、政治家の言動が軽くなった、と言われている。政治家に舌禍は付き物。 だが、「政治」 が、共に生きている人々との関わりである以上、すべてはコミュニケーション、つまり 「言葉」 から始まる。
  「言葉の重み」 は、いくら強調してもしすぎることはないだろう。
2008.9.28