2008.11.3

【マスメディアをどう読むか】

関東学院大学教授・日本ジャーナリスト会議
 丸山 重威
目次 連載に当たって

◎「米国型資本主義の終焉」を伝えているか
「これからの世界」への展望を

  9月15日、150年の歴史を持つ米国の投資銀行 「リーマンブラザーズ」 が破綻したことを大きな契機として、米国発の世界金融危機が続いている。 米国は最大7000億ドルの不良資産を買い取る金融救済法を提案したが、下院でいったん否決された。 米国内では、「ウオール街ではなく、われわれれに資金供与を」 と叫ぶデモが続いたりした結果だったが、何とか議員たちを説得した結果、 10月3日、ようやくこれを成立させた。
  しかし、10月6日には、ニューヨーク株式が580ドル以上急落、ダウ式平均株価は1万ドルを割り込み、さらに10日には一時、8000ドルを割り込んだ。 米国は、急遽開いた先進国財務省・中央銀行総裁会議 (G7) や、新興国を加えた 「G20」、24カ国による国際通貨基金 (IMF) 国際通貨金融委員会で、 世界規模の協力を求めるなど、とにかく協調体制をつくることに腐心したが、株安、ドル価値の低下は、世界規模で広がっている。

  当然、日本経済への影響も出てくる事態で、各社社説は、「米は世界経済に責任を」(10月1日 「東京」)、 「協調利下げに続き米欧は資本注入急げ」(10月9日 「日経」) などと主張したが、中には 「日本勢は好機を生かせ」(9月25日)「朝日」)などとも主張、 日本の金融機関は 「サブプライムの傷が浅く、存在感を増している」(10月4日付け 「朝日」) とも解説した。しかし事態はそんなに簡単ではない。
  つまり、当面必要なのは、この影響を直接受けることになりかねない中小企業、自営業の経営と、リストラの中で最初に生活の危機を迎えることになる派遣、 パート、アルバイト労働者や、下請け業者に対する政策と、この危機の根本的な要因をきちんと分析して、こうした状況を生み出した 「新自由主義」 と、 それを具体化した小泉流 「構造改革」 路線 「カジノ資本主義」 の米国追随政策の転換を図らなければならないはずだ。
  しかし、日本の新聞はそのことをきちんと書いているだろうか?

  ▼米国中心では片付かなくなった世界
  私が見る限り、この状況についても、新聞は現象報道に傾き、その本質に触れて行くには時間がかかったように思う。 「米国型資本主義の終焉」 と書いたのは10月10日付 「ワシントンポスト」 だったが、それに引き替え、日本の新聞はいずれも、 「政府の介入を排し市場に任せる」 という市場原理主義が崩壊し、経済のあり方、政治の方向に大きな転機が訪れていることについての感覚が弱かったのではないかと思う。
  具体的には、既に、7月の洞爺湖サミットで、G8だけでは問題解決ができないことを認識し、貧困、環境問題などについて、アフリカ、 新興国など22カ国との拡大会合を開くことになり、そうした会合での協議になったが、今回の 「G20」 開催も、 実はグローバリズムの展開がこれまでのような米国中心主義では片付かなくなったことを示していた。 つまり、今回の危機は、米国中心のすべてを自由競争に任せ、規制を取り去って資本が自由に活動することをよしとする 「市場万能主義」 の世界金融経済が崩壊し、 もうひとつ大きな民衆の幸福が土台になった新しい秩序が求められる状況になっていることをしめしている。しかし、それがどう書かれているのか、それが問題だと思う。

  ▼「政策転換」を求めなくていいのか
  9月25日付で、三菱UFJのモルガン支援を歓迎した 「朝日」 はさすがに、10月5日付で船橋洋一主筆が 「無極化する世界」 「信用再生日中もともに」 との見出しで、 「これは、明らかに何かの終わりと一つの時代の終わりを告げている」 と書き、軌道修正を図ったようにも見えた。 しかし、ここでも、「金融危機の教訓を、反市場主義と反グローバリゼーションへ短絡させてはならない」 「日本は市場開放と自由貿易を維持し、 特にアジア太平洋の経済統合と協力をさらに深めるべきである」 と述べて、政策転換を求める主張ではなかったようだ。

  「朝日」 で言えば、その一方で、10月18日付 「be report」 で山田厚史記者が 「米国に依存する経済は限界を迎え、世界は総決算を迫られている」 と書き、 「カネを国内で使って豊かになる仕組みを考えること、それが課題だ」 「給料を抑え、自国通貨を輸出に頼る 『貧乏輸出』 をやめる」 と主張、 「カネを回すべきところはたくさんある。医療・介護など手厚い社会保障は雇用吸収力がある。高齢社会での安心確保という切実な需要がある。 石油に変わる新エネルギーや環境に負荷のかからない循環システムなど21世紀の課題に国を挙げて取り組めば新しい需要が創造される」 と提案している。

  ▼グリーンスパン証言とサミュエルソン発言
  一方、各紙の報道によれば、10月23日の米議会下院の監視・政府改革委員会で、 1987年から2006年まで約18年にわたって米連邦準備制度理事会 (FRB) 議長を務めたアラン・グリーンスパン氏は、 「FRB史上最長の任期中、金融市場の規制緩和の支持でもっとも影響力があった。あなたは間違っていたか」 との質問に、「部分的には間違いだった」 と答えた、という。
  リーンスパン氏は 「銀行などが利益を追求すれば、結果的に株主や会社の資産が守られると思っていたが、間違いだった」 「私の経験では融資担当者は金融当局よりも、貸し出しリスクや借り手についてはるかによく知っていた。こうした決定的な支柱が崩れてしまい、衝撃を受けている。 なぜそうなったのか、まだ十分理解できない」 などと話し、自由競争主義の考えなどについても 「欠陥をみつけた。それがどのぐらい深刻なものかは分からないが、 非常に悩んでいる」 と率直な発言をしている。
  大切なのは、グリーンスパン氏ですら、複雑な金融商品への規制が後手に回り、政府系住宅金融会社への監督が甘かったことを認めざるを得ない状況だということだ。

    さらに、かつて新古典派とケインズ経済学の総合者として知られたポール・サミュエルソン教授は、10月23日付 「朝日」 のインタビューで、 「今回の危機は1929年から39年まで続いた大恐慌以来最悪の危機であることは間違いない。 そしてこれは避けられたはずの危機だ」 と述べ、原因が規制緩和と金融工学にあることを指摘している。
  サミュエルソン教授によれば、これは、「『悪魔的でフランケンシュタイン的怪物のような金融工学』 が危機を深刻化させた」 「そのもとで、 信じられないくらいの激しい 『レバレッジ (てこの原理を使うように、少ない元手で大きな取引をすること) のやり過ぎ』 が横行した。 そうした中で、人々は自分が何をしているのかがわからなくなってしまっていた」 からで、 「規制緩和をやり過ぎた資本主義は、壊れやすい花のようなもの」 と 「市場への監督と規制を緩くした」 ブッシュ政権の対応を批判している。

  ▼いま、必要なこと
  さて、問題はメディアだ。
  今回の金融危機を、新聞は大見出しで報道し、まさに 「大恐慌再来」 のような紙面を作った。 そして、いくつかの例外的な記事はあるにしても、「資本注入」 も 「銀行救済」 も当然であり、米国の遅れを問題にし、日本はかつてうまく対応できたのに、 米国はそれに学んでいない、というトーンで紙面展開した。そこでは、日本の企業は、慎重であるから大丈夫であり、 むしろこの間に体制を整えて国際競争に立ち向かうべきだ、という発想だった、と見ることができるだろう。

  しかし、本当にそれでいいのだろうか? 
  私はここに落とし穴があると思う。実は、いま起きている事態は、これまで数十年にわたる新自由主義経済の歪み、誤りが極めてわかりやすく現れたもので、 ある意味では 「新自由主義の当然の帰結」 だったのだと思う。
  戦後、荒廃した国土から立ち上がった私たちの先輩たちは、ヨーロッパの 「揺りかごから墓場まで」 の福祉国家を知り、平和と国民生活の充実を第一に、 アジアの片隅で慎ましく生きる国造りを考えた。
  憲法前文で 「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」 と述べ、 「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」 と宣言したのは、 軍事的にはもちろん政治的、経済的にも 「覇権」 を求めるのではなく、あくまで諸国民の民生に少しでも貢献していくことで、 信頼を勝ち得ていこうとする決意の表れだったのではなかったか。
  そしてそのナショナル・ミニマムを宣言したのが、憲法25条の 「健康で文化的な最低限度の生活」 だった、と思う。

  既に日本でも、トヨタは大型車を減産し、既に約八百人の派遣社員の契約を解除。日産も九州や栃木で十二月以降七百八十人の削減。 マツダも減産で派遣社員の一部を削減する方針。中小零細企業には影響を受け、年末に向かう労働者の生活は次第に緊迫している。 九月の消費者物価は前年比で二・三%上昇、失業率は四%、有効求人倍率は〇・八四倍だ。

  この際、政治もメディアも、国民生活の視点から問題を見つめ直すべきではないだろうか。いま必要なのは、あらゆる分野に 「競争」 と 「市場化」 を持ち込み、 日本を 「米国型社会」 へ改造しようとする小泉流 「新自由主義構造改革路線」 との決別である。
  首相は第2次景気対策で、2万円ずつの給付金の支給などを発表したが、一方で消費税増税も発表、「弱者」 への支援の発想とはほど遠く、 「現在の国民生活の危機」 への対応ではない。いま、求められているのは、その 「被害者」 への対応であり、それを通じての政治の変革なのだ。
2008.11.3