2008.12.31

【マスメディアをどう読むか】

関東学院大学教授・日本ジャーナリスト会議
 丸山 重威
目次 連載に当たって

◎いま大切なことをどう書くのか
2008年から2009年へ

  「米国型資本主義の終焉」 といわれた2008年を送り、2009年を迎える。
  いま、この原稿がアップされるときにも、東京・日比谷公園では、この日で職と家を追い出された人たちへの相談会と炊き出しが行われている。 新年を迎える時期に、職と住み家を失って、寒空に放り出される若者が続出し、多数の人たちが、個人加盟の組合と貧困対策のネットワークによる公園の炊き出しで、 正月を迎える、などということがニュースになるなど、いつあっただろうか。
  しかも、それにもかかわらず、実際に彼らを放り出した大企業が平然とし、その企業の労組まで会社に異議申し立てや質問をしたのかどうかさえ定かでなく、 つまり傍観を決めこみ、一般国民もそうした人たちを顧みる余裕を示さない。戦前ならともかく、このところ語られてきた「品格」に関わることではないのか。
  鎌田 慧氏が30日付東京新聞の 「本音のコラム」 で 「ついこの間まで、日本の経営者は解雇を恥と考え、『生首は飛ばさない』 といっていた」 と指摘、 「株主も想像力が必要だ。人間的な感性が問われている」 と書いているが、全く同感。 大体、こんな風にしても平気な社会を造ってしまった責任は、一義的には政府と政治家に、そし着々と進んだ労働法の改悪を止めきれなかったメディアや法律家にもある。

  ▼労働法の原則を骨抜きにした派遣法
  今さら、このサイトで、改めて書くまでもないが、基本的なことが大切だと思うので書くのだが、もともと、憲法は27条、28条で 「働く権利」 と団結、交渉、 争議の 「労働基本権」 を決め、それに基づいて、労働基準法が出来ている。 労働基準法では、第1条で 「労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきもの」 とされ、しかも基準法で決めるものは 「最低」 なので、 「向上を図るように努める」 ことも決められている。さらに、「労働条件の労使対等決定」 や 「均等待遇」 が決められているほか、 第6条には、「何人も、法律に基いて許される場合の外、業として他人の就業に介入して利益を得てはならない」 と 「中間搾取」 を禁止し、 職業安定法44条は、「労働者供給事業」 を基本的に禁止している。

  これは、まさにことし話題になった 「蟹工船」 や、かつての炭坑や鉄道敷設事業などのように、口入れ屋が労働者を 「供給」 してピンハネする仕組みを禁じたものだった。 だから、かつては、これに類するものは、下請けの専門職か、紹介されるのは、家政婦や看護婦くらいしかなかったはずだが、 政府、財界の 「労働力流動化計画」 と法改正がこの労働法の基本を骨抜きにしてしまった。

  つまり、1970年代以降、民放、映画などいろんな分野の労働者が一緒に働く部門から、港湾、空港などの運送、警備、ビルメンテナンス部門、情報処理、 事務処理などで、一種脱法的な 「下請け化」、「間接雇用」 の携帯が広がるようになってきた。 実態に即してチェックすれば、違反だったものも多いはずだが、米国の 「マンパワー」 が上陸、やがて、石油ショック前後に 「テンプスタッフ」 とか、 「パソナ」 の前身、「テンポラリーセンター」 などが生まれると、「新しい自由な働き方」 などと言われて、「派遣」 の解禁が語られるようになったからだ。
  やがて、1985年には労働者派遣法ができた。このときには、当初16業種に限って、許可または届出によって 「労働者派遣」 を合法化したのだが、 これが99年には、それまで、拡大されて26業種に限って認められていた派遣が、逆に明記された除外職種以外は原則的に全部許可されることになり、 さらに、2004年には、それまで認められなかった製造業への労働者の派遣が認められるようになったことが、今日の結果を招いている。 実は、これに期間の制限の問題が絡み、さらに短期雇用制度や、労働時間法制の規制緩和が拍車を掛けている。
  労働弁護団や多くの労組、革新政党が、「せめて派遣法を99年以前に戻せ」 と要求しているのは、こういう背景があるからだ。 こうした状況を解決するには、いまクビを切られて困っている人たちを助けると同時に、派遣法の抜本改正を早急にするしかない。

  ▼新しい「国造り」の方向を
  この暮れ、厚生労働省ですら、「2008年10月から09年3月までに職を失う非正社員は、全国で8万5000人に上る」 といっている。 しかし、これは全国のハローワークなどで確認された数字だけだというから、本当のところは、一体この何倍になるかは予測も付かない。 11月の労働力調査では、完全失業率は悪化に転じても、3.9%だが、有効求人倍率は、とうとう0.76倍になり、なんと求職者の4分の1は、 職にありつけないことが数字的にも明らかになってしまった。

  正社員にとっても、製造業の残業は前年比で20%も減っているから、残業料をあてにして生活している日本の労働者にとっては、上がりつつある物価の中で、 危機が迫っている。いやはや、大変な年の暮れだ。
もう一度、東京新聞を引く。「危機を転機にしたい−大晦日に考える」 と題する31日付社説では、 「唖然とした二つの新聞記事があります」 と米国の金融機関の経営陣の話と共に、日本の経営者に苦言を呈している。
  「もう一つは、トヨタ自動車やキヤノンなど日本を代表する大手製造業十六社が計四万人の人員削減を進める一方で、 利益から税金や配当金などを引いた内部留保の合計額が三十三兆六千億円にも積み上がったとの記事です」。 そして、「そんなに余裕があるなら、なぜ従業員の雇用確保に使えないのでしょうか。従業員の生活安定を図るのは企業市民の責務です。 人間は機械でもなければコストでもありません。切れば赤い血が噴き出ます。企業も人間の集まりです。 人間を尊敬する経営、人間の集団としてのモラール (士気) を高め、経営の効率性を上昇させていくことこそが、企業人の使命ではありませんか。 『不義にして富まず』。ある老舗の社訓です」 と書いている。
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  何も日本は 「経済大国」 「政治大国」 にならなくてもいいではないか。世界中を日本製品で覆ってしまおう、などと考えなくてもいいではないか。 必要なものを必要なだけ、できれば自給自足できる、みんなが 「欠乏」 を免れ心豊かに幸せに暮らす 「国造り」 ができればいいではないか。 それが、「日本国憲法が考える日本」 ではないのだろうか。
2008.12.31