2008.4.29更新

【マスメディアをどう読むか】

関東学院大学教授・日本ジャーナリスト会議
 丸山 重威
連載に当たって


◎なぜ、「原告敗訴」「裁判長退官」なのか
イラク派遣違憲判決に問われる立憲政治とメディア(下)

  それにしても、イラクの実態を審理し、政府の9条解釈と法律を点検した判決が、「伊達、福島判決以来の九条判断」 といわれたが、 原告をほんの一部でも勝たせるのではなく、全面的に請求を退けて国に控訴させないようにしてしか、 憲法違反の判断を示すことができなくなっている 「憲法のいま」 を考えざるを得ない。
  そして、その判決がこんなに無視され、ないがしろにされて平気な政治状況…。これで 「日本は立憲主義国家」 だ、と言えるのだろうか。

  ▼「違憲」判断の「難しさ」
  伊達秋雄裁判長も福島重雄裁判長も、その時代、違憲判断とともに、原告を勝たせることで 「勇気」 を示した。しかし、いまはどうも事情が違っている。
  「良心」 に基づいて独立して判断するはずの裁判官だ。まっすぐ考えれば、こうならざるを得なかったのだ、と信じたいし、 そう受け取らなければならないのだが、「傍論批判」 の一方には、今回も、岩手靖国訴訟、福岡靖国訴訟などと同様、 裁判官が違憲の判断を残すためには、結論は請求を棄却しなければならなかったのではないか、という推測が付いて離れない。 しかも、退官の直前の判決である。判決については 「勇気ある判決」 だったという評価の一方で、そうした判決のあり方を批判する声も後を絶たない。

  今回の判決は、 @ 「自衛のため必要最小限の武力行使は許され」、 A 自衛隊の海外での行動も、輸送や補給などの協力は、 他国による武力行使と一体とならないものは許されている、とする政府の九条解釈を基に、 B その法律に基づいて作られた特措法では、 武力による威嚇または武力の行使ではなく、戦闘行為が行われることがない地域で活動することになっているが、 C 「認定できる事実」 によると、 「多国籍軍の活動は単なる治安活動の域を越え」、イラクはいまも 「国際的な武力紛争」 が行われており、 D 安全確保支援活動を名目とした空自の活動も 「現代戦では輸送なども戦闘行為の重要な要素」 で、 「多国籍軍の戦闘行為にとって必要不可欠な軍事上の後方支援」 となっており、 E 「少なくとも多国籍軍の武装兵員を、 戦闘地域のバグダッドへ空輸するもの」 は 「他国による武力行使と一体化した行動で、自らも武力の行使を行ったとの評価を受けざるを得ない」 −という論理構成になっている。つまり、現在のイラクと空自の活動の事実認定を詳細にした上での判決である。

  従って、例えば、自衛官自身が訴えていたら、「平和的生存権」 から賠償を認めることが可能だったかもしれない、ともいえるのだが、 それにしても、最高裁に行けばまず無理だろう、というのはかなり常識的な判断になってしまっている。

  朝日の社説の最後に、次のような一節がある。
  「日本の裁判所は憲法判断を避ける傾向が強く、行政追認との批判がある。それだけにこの判決に新鮮な驚きを感じた人も少なくあるまい。 本来、政府や国会をチェックするのは裁判所の仕事だ。 その役割を果たそうとした高裁判決が国民の驚きを呼ぶという現実を、憲法の番人であるはずの最高裁は重く受け止めるべきだ」 ―。
  私の理解によれば、朝日は 「この判決も、もし原告を勝たせてしまえば、政府側が最高裁に上告し、最高裁では違憲判決は出なかった可能性が強い。 最高裁がいま、結局、政府の行為を司法的に追認するだけの機関になってしまっている状況は、それでいいのか、反省しなければならないのではないか」 と、 言いたかったのではないかと思う。

  本当にこんな状況でいいのだろうか? 司法が三権分立の一権力として、十分な機能を発揮していないことが、政治家が憲法をバカにし、 自衛隊幹部に、司法判断を 「そんなの関係ねえ」 と言わせてしまう原因の一つにもなっているように思えるのだが、どうだろうか。 そして、その司法の機能を果たさせるために、憲法学や公法学、政治学に責任はないのか、と思うのは、私だけではないだろう。

  ▼憲法解釈と歴史的責任
  今回の判決は、前述したように、基本的に 「自衛隊の海外活動に関する憲法9条の政府解釈は、自衛のため必要最小限の武力行使は許されるとし、 武力の行使とは、わが国の物的 ・ 人的組織体による国際的な武力紛争の一環としての戦闘行為をいうことを前提としている」 と、政府の解釈をそのまま使った。
  これは、裁判所自身がそう解釈しているということではないようだし、政府解釈に乗ることで、それを 「歯止め」 にしようと考えるのはひとつの選択であり、 「それにもかかわらず、実態は違憲だ」 という言い方には説得力があり、日本を戦争の道に引き入れさせないための最も現実的な方策だと思う。

  しかし、憲法九条の解釈がそれでいいかどうか、という点では、やはり違和感を感じる人が多いことも事実だろう。 「自衛隊違憲論」 がその一つだし、逆に 「自衛隊はこのままでは違憲だから、改憲が必要だ」 という論拠は、 肥大化する自衛隊の状況を何とか合憲化したいという改憲論の論拠のひとつにもなっている。 そして、内閣法制局が、自衛隊の現状と憲法の矛盾を埋めるために、「専守防衛」 や 「集団的自衛権の否定」 で論理を構成し、 それがいまの憲法9条を支えていることも事実だろう。
  私自身、憲法学的な理論展開と、政治学的な論理とをどう噛み合わせていくべきかについて、そんなに確信があるわけではない。
  しかし、学問というものが、常に 「時代」 と切り結んで、新たな真理と人類の未来に向けての展望を示すものだとするならば、 かつてなく悲惨な戦争を経験し、地球を全滅させかねない兵器を手にした人類が、再び戦争をしないと誓って、戦争違法化への道に歩み出し、 その成果として生まれた日本国憲法9条を、定着させ、力にしていくための理論構成と実践は、むしろこの時代に生きるわれわれの任務であり、責任と言うべきだろう。

  いまの自衛隊は、政府が言う 「必要最小限の戦力」 からいっても、限りなく違憲に近い状況だ、と私は思う。 政治的には、地雷だのクラスター爆弾はもちろん、攻撃的兵器を順次廃棄し、名実ともに憲法9条を持つ国の実力部隊にする程度まで縮小すべきだと思う。 そうした中でこそ、現在の政府解釈も、国民の多くの支持を得るだろうし、アジアをはじめ世界の人々の共感を得て、日本が評価され、理解されるのだと思う。

  18世紀の終わりに 「永遠平和のために」 で 「常備軍はときとともに全廃させなければならない」 と書いたイマニュエル・カントや、 1927年のパリ不戦条約を持ち出すまでもなく、また、1999年のハーグ世界平和市民会議や、 最近の GPPAC (Global Partnership for the Prevention of Armed Conflict =武力紛争予防のためのグローバルパートナーシップ) の決議を持ち出すまでもなく、 憲法9条の国際的実現は、いまの時代に生きるわれわれの課題であり、次代への責任である。 5月4日、5日の 「9条世界会議」 もそんな自覚の上に立って開かれるはずである。

  裁判官は歴史に残る判決をひとつぐらい書きたいと考えているものだ、と聞いたことがある。 しかし、その機会は求めて得られるものではないし、今回も選んでそうしたわけはなかろう。新聞記者も同じで、大きな舞台でいい仕事をしたいと考える。 しかし、どこでどんな事件にぶつかるかわからないし、逆に、重要な事件にぶつかっていながら見過ごしたり、手が回らなかったりして終わってしまう場合も少なくない。

  今回の判決は、「確定」 を導いたことで、裁判長本人に対する誹謗、中傷に近い批判が聞かれる。 読売、産経だけでなく、北國新聞も 「イラク派遣差し止めや慰謝料請求など原告の訴えを退け、控訴を棄却しながら、 あえて憲法判断に踏み込む必要があったのかどうか」 「バグダッドへの輸送活動は、憲法と特措法上のいわば 『グレーゾーン』 にあって、 それを実行するかどうかは最高度の政治判断にゆだねるほかない」 などと言っている。

  しかし、果たしてそういう問題なのだろうか?
  退官しても 「裁判官は弁明せず」 かもしれない。しかし、青山裁判官は、歴史の中に生きる法律家として何を考えたか、 そのことと、政府解釈の採用とどう関わりがあったのか。私は、裁判長の胸の内をいつかじっくり聞いてみたい気がしている。                                 
(了) 2008.4.29



◎判決の「重み」から、「見直し」「撤退」へ
イラク派遣違憲判決に問われる立憲政治とメディア(中)

  「傍論だからそのままでいい」 とする政府の主張が罷り通り、中央のメディアがそれこそ 「暴論」 を広げる中で、地方紙が健全な主張をしているのは、今回も同様だ。 全国の県紙レベルの全紙をチェックすることはできなかったが、ネットで調べた限り、全国の新聞の論調は、北國新聞を例外として、 「この判決を真面目に受け止め、対応していくべきだ」 と、至極当たり前の主張から、「論議」 を呼び掛け、「撤退」 に傾いている。
  北國新聞だけが 「『違憲』 判断には違和感」 として、判決批判をし、「イラク派遣は政治の決定において実施されており、 今回の司法判断をもってイラクでの活動がすべて違憲のごとく叫ぶのは的はずれ」 と述べている。

  ▼重く、真面目に受け止めよ −論点その1
  「この重み受け止めなくては」 と題した河北新報は 「司法のメッセージの重みを、はぐらかすことなく、きちんと受け止めて、今後の道筋を考えたい」 と述べたし、 「重く受け止めたい司法判断」 とする熊本日日新聞は 「違憲判断は判決そのものではないとはいえ、政府は重く受け止めるべきだ。 原則をあいまいにしたまま、既成事実だけを積み上げるべきではない」、 「明快な違憲の判断だ」 と評価した高知新聞も 「高裁レベルであっても 『違憲確定』 の影響は大きい」 と指摘している。ごく普通に考えて常識的な議論だろう。

  そしてこのことは、まず政府にきちんとした説明を求め、「イラク派遣の再検討」 を求める論調になる。
  「政府は活動の法的根拠示せ」 と題した宮崎日日新聞は 「政府は判決に対して 『納得できない。自衛隊活動は継続する』 との見解を示している。 しかし、そうであるなら自衛隊活動に関する情報公開を進め、法的根拠をあらためて国民にしっかりと説明するべきだ」 と述べたし、 南日本新聞も 「高裁の判断基準に照らして空自派遣の根拠をしっかりと説明すべきである。もはや詭弁 (きべん) は通用しない」 と主張した。
  また、ここでは、自衛隊の活動が秘密主義に覆われていて、全体像が見えないことへの批判が強い。

  西日本新聞は 「自衛隊が現地でどのような活動をしているのか、よく分からないという点だ。政府は 『作戦上、支障がある』 『隊員の安全のため』 などとして、 詳しい情報を開示しようとしない」 と指摘、「戦争の 『大義』 が崩れた以上、開戦を支持した当時の政府の判断を検証すべきだ。 その上で、派遣継続の是非を論議するのが筋ではないか」 と述べている。
  また、茨城新聞は 「自衛隊派遣恒久法の早期成立を目指す前に、特措法に基づく自衛隊の一連の活動を検証し、その全体像を国民の前に明らかにすべきだ」 と主張。 「イラク派遣をめぐる裁判で初めての違憲判断であり、極めて重い意味を持つ」 とする神戸新聞も、「『違憲』 とされた実情について国民にきちんと説明できなければ、 空自は撤収するしかない」 と主張した。 「イラクでの航空、陸上自衛隊の活動だけでなく、新旧テロ対策特別措置法に基づくインド洋での海上自衛隊の給油活動など不透明な部分が多い。 政府は恒久法制定を急ぐ前に、一連の活動を検証して、全体像を明らかにすべきである」 (南日本) というのはもっともだろう。

  さらに、通信社の資料の指摘に基づくのかもしれないが、「『あいまいさ』 の克服が必要」 と題した福島民友新聞、 「国民に活動の全体像示せ」 とした岐阜新聞が共通して、「3自衛隊による一連の海外活動について (1) 武力行使との一体化 (2) 戦闘地域か非戦闘地域か  (3) 国際的な戦闘か否か─―など判決に示された判断基準に沿って説得力のある説明が必要」 と主張している。

  ▼「見直し」から「撤退」論議へ −論点2
  朝日が 「判決を踏まえ、野党は撤収に向けてすぐにも真剣な論議を」 と書き、東京は 「撤退も視野に入れた検討」 を主張したことは既に述べたが、 判決を機に再検討を求める声も大きい。

  「違憲判決機に問い直しを」 と題した東奥日報は、「自衛隊の活動が海外に広がり続けているあり方や、 開戦から六年目の今も出口が見えないイラク戦争を問い直すことだ」 「判決を手がかりに、そうした流れでいいか、と立ち止まって考えてはどうか」 と述べたし、 岩手日報は、小笠原裕の署名入り 「論説」 で、「海外派遣を問い直す時」 とし、 「今回の判決で言及のなかった陸自と海自を含めて特措法に基づく自衛隊の一連の活動を検証し全体像を国民の前に明らかにする必要がある。 その上で日本の国際貢献の在り方や集団的自衛権問題を含めて海外派遣を問い直し、国民の判断を仰ぐべきだ」 との主張を展開した。

  前述のように、「自衛隊の海外 『派兵』 への歯止め」 と受け止める中日・東京は、「名古屋高裁が示した司法判断は、空自の早期撤退を促すもの」 とし、 「高裁が違憲とした以上、空自の輸送活動をこのまま継続することは難しく、撤退も視野に入れた検討が必要ではないか」 と述べた。 琉球新報も 「撤退を迫る画期的な判断」 と指摘している。

  「まだ派遣を継続するのか」 と題した北海道新聞も 「ここはいったん空自を撤退させ、自衛隊の海外活動のあり方を根本から論議し直すべきだ」 としたし、 新潟日報は 「高裁判断を無視するのか」 と題して、「憲法は国の根幹を支える大原則だ。空自活動が違憲と判断されたからには、イラクからの撤退が筋である」、 信濃毎日新聞は 「政府は重く受け止め、イラクからの撤収に向けた準備を急がなければならない」、 山陽新聞も 「イラク派遣を合憲だとしてきた政府の論拠をことごとく否定する内容である。判決を受け政府は、空輸活動継続を表明したが、引き延ばせば危険がつきまとう。 十分な情報開示も行われておらず、空自の引き揚げを検討すべき時ではないか」 と指摘、「今後も日本の国際社会で担う役割は、 非軍事を重視した平和貢献であるべきだ」 と主張した。

  そして神奈川新聞は 「空自部隊は直ちに撤収を」 の見出しで 「平和憲法を持つ日本が、侵略戦争に加担することなどは許せない。 まして、自衛隊を海外派兵してそれを支援することなどは論外ではないか。自衛隊派遣違憲訴訟は、そのような素朴な国民感情から全国各地で起こされた。 この訴訟と判決は、そうした国民の声の正当性と平和憲法の意義を国内のみならず世界にも示している。 憲法を生かすのは、国民の努力にあることをあらためて強調したい」 と世論喚起をも促した。

  見出しに 「派遣の正当性が揺らいでいる」 とした愛媛新聞は、「政府などからは活動継続の声が相次いでいる。だがそんな司法軽視が許されるのか。 ここで立ち止まり、撤退の選択肢を含めて国際貢献のありようを問い直すことこそ責務のはず」 と論を進めている。
  「政府はバグダッド空港だけを非戦闘地域とする論法で活動を正当化してきた。ただ防衛相が離着陸に危険が伴うと認めるなど、主張には無理があった。 現に三年前には英空軍の輸送機が離陸後に撃墜されている」 「補給の重要性も現代戦では常識といえる。 陸自と比べ、より違憲の疑いが濃いという指摘もあった空自は飛行範囲を拡大したほか、任務を復興支援から多国籍軍や国連の人員、物資の輸送へと変質させてきた。 こうしたなし崩しの既成事実化の法的根拠がいかにもろいものか、判決は警告している」 「イラク派遣に踏み切った当時の小泉純一郎首相の国会答弁も思い出したい。 『自衛隊が活動している地域は非戦闘地域だ』 といった開き直りが真剣な論議を弛緩 (しかん) させた。政府にはツケが回ってきた形だろう」 と、論調は厳しい。

  ▼重要な「平和的生存権」 −論点3
  もう一つ指摘しておかなければならないのは、判決が 「平和的生存権」 について踏み込んだ言及をしていることを各紙が評価している点だ。

  河北新報は 「高裁判決でもう1つぜひ注目したいのは、『平和的生存権』 の位置付けである。『平和的生存権はすべての基本的人権の基礎にある。 単に憲法の基本的精神や理念を表明したにとどまらず、憲法上の法的な権利として認められるべきだ』 『その保護・救済を求め、 裁判所に違憲行為の差し止めなど法的強制措置の発動を請求できる場合がある』。 政府に向けてのみならず、司法もまた憲法判断にかかわる自らの役割をきちんと認識し直そうとする宣言と受け止めよう」 と述べた。

  また、北海道新聞も 「判決が示した重要な判断がある。平和的生存権を 『憲法上の法的権利』 と認めたことだ。 自衛隊のイラク派遣によってこの権利が侵害されたとはいえないとしながらも、『基本的人権は平和の基盤なしには存立し得ない』 と明言した。 平和は何にもまして大切だという指摘だ。近年、この当たり前のことが置き去りにされてきた。 政府・与党のみならず、すべての国民が、じっくりとかみしめてみる必要のある判決だ」と評価した。

  愛媛新聞はこうした判断を前提に、「憲法前文の 『平和的生存権』 を法的に保護される具体的権利と認めた点でも画期的だ。 判決はその権利侵害があったかどうかを判断する前提として、まず空自の活動の違憲性を検討したのであって、 違憲判断を 『結論に関係ない傍論』 と切り捨てる政府の姿勢は疑問だ」 と批判している。

つづく 2008.4.28



◎「傍論」批判、判決無視でいいのか
イラク派遣違憲判決に問われる立憲政治とメディア(上)

  自衛隊のイラク派遣の差し止めなどを求めた訴訟で、名古屋高裁・青山邦夫裁判長は、17日、イラクでの航空自衛隊の行動について、 「憲法9条1項に違反する内容を含んでいる」 と、9条をめぐる裁判所の判断では砂川事件の伊達判決、 長沼事件の福島判決以来になる実質的な違憲判決を下した。

  原告は、違憲の確認や派遣の差し止め、さらに平和的生存権に基づく損害賠償などを求めていたが、これらの請求はいずれも棄却、 国側勝訴としたため、国が控訴することはできず、原告が控訴しないとしているため、確定することになった。
  そして、平和的生存権について、「平和的生存権はすべての基本的人権の基礎にあり、単に憲法の基本的精神や理念を表明したにとどまらず、 憲法上の法的な権利として認められる」 と述べたり、イラクの現実について、「イラク、特にバグダッドは国際的な武力紛争が行われており、 特措法にいう 『戦闘地域』 に該当する」 とし、「現在イラクにおいて行われている空自の空輸活動は、政府と同じ憲法解釈に立ち、 イラク特措法を合憲とした場合であっても、武力行使を禁止したイラク特措法2条2項、活動地域を非戦闘地域に限定した同条3項に違反し、 かつ、憲法9条1項に違反する活動を含んでいることが認められる」 と判断しており、重要な内容をはらんでいる。

  これに対し、政府はこの判決を全く無視し、中央のメディアはそれに対し及び腰だったことが目立っている。 しかし、地方紙の新聞論調を細かく当たってみると、「この判決を真摯に受け止め、論議を始めよ」 「それを押して活動を継続するなら十分な説明がまず必要だ」 「司法判断は思い。直ちに撤退するべきだ」 とまっとうに受け止めてることがわかる。順次見ていくことにしよう。

  ▼「判決無視」の政府、在京メディアも批判に及び腰
  まず、政府の姿勢だが、判決を受けて福田首相はすぐ、「違憲判断」 について 「傍論でしょ? 脇の判断…」 と述べ、 「判決は国が勝った」 として自衛隊の行動についても 「特別どうこうすることはない」 と切り捨てた。 町村官房長官は 「傍論を認めるものではない」 と、判決に不服を表明した。

  改めて中学の社会科のおさらいをするつもりはないが、三権分立の日本社会で、裁判所は違憲判断をすることができ、 その判断は立法や行政に対するチェックの役割を果たすものだ。 その意味で、9条の政府解釈から説き起こし、イラク特措法についてもそれを認めた上で、自衛隊が実施している行動について判断した名古屋高裁の判決は、 まさに真摯に受け止めなければならないものだ。この点から言って、違憲判断を 「傍論でしょ? 脇の論…」 という福田首相の人を馬鹿にしたような姿勢は、 内容以前に、まずその点において責められるべきであり、第一、教育上よろしくない。

  18日付の新聞各社の社説は、朝日新聞はさすがに 「判決を踏まえ、野党は撤収に向けてすぐにも真剣な論議を始めるべきだ」 と書き、 東京新聞も 「撤退も視野に入れた検討が必要ではないか」 と書いたが、毎日新聞は 「活動地域が非戦闘地域であると主張するなら、 その根拠を国民に丁寧に説明する責務がある」 「輸送の具体的な内容についても国民に明らかにすべきである」 としか言わなかった。 判決を一切無視する政府の姿勢を批判する主張は、少なくとも在京紙のこの日の社説には見られなかった。

  19日になると、判決を受けて防衛省の田母神俊雄航空幕僚長の 「私が心境を代弁すれば大多数は 『そんなの関係ねえ』 という状況だ」 という発言が報道された。 判決が現地で活動する隊員に与える影響を問われて答えたものだが、「司法判断をやゆしたと取られかねない発言に批判が出そう」 (産経新聞) と書きながら、 その発言を問題にする論評はない。さすがにこれについては、原告団が抗議するなど問題になった。

  石破防衛相も22日午前の参院外交防衛委員会で、民主党議員の 「責任ある立場の人間の発言としていかがか」 という質問に、 「大変人気ある芸能人の発言 (決まり文句) を引用して述べたことが適切だったかどうか、やや違和感を持つ」 と述べながら、 「現場の隊員に迷いが出るとすれば、政府の立場に変わりはないということを述べたものだ。 気持ちを引き締める心情においては理解できる」 と答えたとのことで、憲法判断がこうも蔑ろにされていることをどう考えるか、重要だと思う。

  ▼「傍論批判」露骨な読売、産経
  その中で結局目立つのは、この判決が、国を勝たせる中で議論を展開したことへの露骨な批判だ。 読売新聞は社説で 「兵輸送は武力行使ではない」 との見出しで 「自衛隊の活動などに対する事実誤認や法解釈の誤りがある。 極めて問題の多い判決文だ」 と主張する一方で、「傍論で違憲 問題判決」 と1面で書いた。

  日経新聞は 「違憲判断を機に集団的自衛権論議を」 として、「集団的自衛権を巡る政府の憲法解釈の無理を浮かび上がらせたものとして注目したい」 と述べ、 自衛隊は 「戦闘活動には参加すべきでないが、後方支援には幅広く参加すべきであると考えてきた」 立場から、 「集団的自衛権をめぐる憲法解釈の変更が必要となる」 と言い、安倍政権が作った懇談会について、福田内閣が消極的なことを突き、 「名古屋高裁の判断は、福田政権のちぐはぐな姿勢に対する批判のようにも見える」 と結んでいる。

  産経新聞は社説に当たる 「主張」 では 「イラクでの航空自衛隊の平和構築や復興支援活動を貶める極めて問題ある高裁判断」 と言い、 「政府は空自の活動を継続すると表明している。当然のことだ」 と、違憲判決など一顧だにしない姿勢を示し、 3面でも 「『蛇足判決こそ違憲』 最高裁判断封じる」 という見出しで、批判を集めた記事を載せた。
  そこでは、「司法のしゃべりすぎ」 の新書で知られる井上薫氏や、映画 「靖国」 への助成金を問題にした稲田明美議員を登場させ、 「1審で訴えが退けられ、控訴が棄却されたのだから、違憲かどうかを判断する必要はなく、裁判所の越権行為」 (井上氏)、 「非常に高度な政治的判断について、上告を封じ、最高裁判断を封じることは憲法に違反しているまさに 『蛇足』 の判決だ」 (稲田氏) などの発言を紹介した。

  もう一つ指摘しておきたいのは、産経の1面トップ記事の異様さだ。
  この記事は、「空自イラク活動違憲判決」 「派遣継続国益に直結」 という見出しだが、判決内容を報じる 「本記」 的な約600字の原稿がリードのように扱われたあと、 「空自がイラクから引くようなことになれば、活動は対米支援の一環でもあるため、 日米同盟の価値を下げるのは間違いない」 という約 100行の解説風の記事がついた形になっている。
  別段、「事実報道と解説は常に峻別されなければならない」 などと主張したいわけではない。 しかし、この1面トップ記事は、本記と解説がごちゃ混ぜになった記事で、内容はともかくとして、これまでの新聞の常識から見ると、相当変わっている。 産経はことばや文章を大事にする新聞社だったはずだった。一体どうしたのだろうか?  伝えられる 「データ」 と 「意見」 を読み間違えるな、と指導している立場からみると、気になるトップ記事だった。

つづく 2008.4.27



◎「事件を見る目」、「足で稼いだ」取材
事件報道はどうあるべきか

  どうにもわからなかったのは、八戸で仲良しに見えた母と子の間に起きた 「子殺し」 だった。 報道によれば、殺された息子の小学4年生、西山拓海君は、「お母さん大好き」 の詩を書いていた子供だったというし、母親が虐待していた様子もなかった、 ということだったから、「なぜ?」 の疑問が広がった。

  恐らく母親に、自分を失わせるような悩みがあり、瞬間的に世をはかなんで、衝動的に起きた犯行だったのではないか、と想像した。 地元紙がどうだったか検証する暇はなかったが、その後、少なくとも東京で見ている限り、報道はなかった。

  ▼「ガーデニング王子」殺しの背景
  毎日新聞が4月6日付のトップとして掲載した 「荒れた入植地 『生活苦しい』 過疎の一軒家 孤立感」 の記事は、まさにその背景に肉薄しようとした記事だった、 といっていい。毎日はこれから 「ニッポン密着」 というルポ風の記事を随時掲載するという。

  記事によると、惨事のあった地域は、八戸のはずれ、美保野地区という入植地だったという。拓海君の母親は、戦後まもなく、祖父母の時代に入植。 彼女はこの村で育ち、高校に進学した。しかし、食糧増産のために、と原野を切り開いて始めた農業も、高度成長期に入って立ちゆかなくなっていったのだろう。 高校卒業後、村を出て結婚するがうまくいかなくなって離婚、生まれた拓海君と一緒に村に戻った。 近所の人が語っている。「この辺はいま、ほとんど農業をやっていない。作っても安くて食えない」。 西山家も開墾した300坪以上の農地も一部しか使われていなかったという。

  拓海君は、その一部の土地で野菜や花を育て、楽しんでいた。自分のことを 「僕はガーデニング王子」 と呼び、 「畑から命がぴょこんと生まれます」 と書いていた子ども…。 「おかあさんはとってもやわらかい/ぼくがさわったら/あたたかい きもちちいい/ベッドになってくれる」 という詩も書いた。
  容疑者となった母親が、この拓海君の 「土」 や 「いのち」 への喜びと、希望を共有することができていたら、それを、育てる見つめる余裕を持っていたら、 こんな惨事は引き起こさなかったに違いない。

  毎日新聞は 「明るかった彼女が、こんなに暗かったかなと思うようになった」、「数年前から精神安定剤を飲むようになった」 という知人や親類の話を取材している。 母親の精神状態、心理状態は分からないが、ひどい 「うつ」 が隠れていたのかもしれないし、精神障害かもしれない。そんな 「何か」 が事件を起こしてしまった。

  ▼「農業では食えない」
  私はかつて、直接この地域とさほど遠くない 「むつ小川原」 を訪ねたことがある。もともと 「ヤマセ」 と呼ばれる東からの冷たい潮風で米作りが難しいところだった。 改良に改良を重ねて、やっと米が作れるようになり、入植したが、石油コンビナートの計画が持ち上がり、農地は切り売りされた。 「減反政策」 の中で地域は荒み、大きな家は次々できたが、国策に翻弄された人々の働き口はなく、出稼ぎしか方法が無くなった。

  そのコンビナート計画もやがて消え、次はむつの原子力船。それも挫折し、続いて六ヶ所村の原子力燃料の再処理施設や、 放射能廃棄物の処分や保管場が建設された。しかし、「開発」 の陰で、その周辺地域の農業をめぐる状況が改善されたようには聞かない。

  美保野地区を六カ所と結びつけるつもりはない。しかし、いま、食糧自給率が40%を切る状況の下で、全国の農村で 「農業では食えない」 状況が進み、 後継者難と離農が広がり、似たような悲劇と、それに近い状況が生まれているのではないだろうか。 「ガーデニング王子」 の悲劇は、そういういまの日本社会の病弊が引き起こしたものではないのか。

  ▼遺体が語る「リンチ」の証拠
  もう一つ、あげておきたいのは、同じ 「毎日」 だが、4月3日付の 「記者の目」。 相撲部屋のリンチ殺人を取材した新潟支局の岡田英記者の 「前親方、公判で告白せよ」 と題する記事だ。

  岡田記者は事件を聞いてすぐ、亡くなった斎藤さんの自宅に駆けつけ、父親の正人さんに遺体と対面させてもらった。
  「『記者さん、見てください。これがけいこでつく傷ですか』。正人さんは私に声を震わせて訴えた。居間の布団に横たえられた遺体には紫色のあざが無数にあった。 右脚にはたばこを押し付けたような跡が2カ所。顔ははれあがり、割れた額に赤黒い血が固まっていた」 と書く。 岡田記者は 「リンチではないか」 と直感し、実家を訪れた前親方に玄関先で疑問をぶつけたが、彼は否定するだけだったという。

  よく知られた通り、警察が検視もしないですませた 「相撲部屋の犯罪」 は、納得できない父親によって行われた大学病院の遺体解剖で、明らかにされた。 しかし、その前段階で、現場を訪ねた前田記者の行動が、父親を励まし、真相を明らかにすることに役立ったことは想像に難くない。 

  ▼「足で稼いだ記事」ということ
  言いたいのは、この2つの記事は、ともに 「足で稼いだ」 記事だということだ。

  八戸署で警察に密着すれば、母親の供述は警察経由で得られるだろう。しかし、この現場に行かなければ、土地の歴史も人々の暮らしも分からない。 「ガーデニング王子」 の幼い命も、その母親も、日本を蝕んでいる、何か大きな流れの犠牲者だったのではないか。

  八戸の記事には3人の記者の署名がある。記者たちが、背景を見通す力を持って現地に行ったのかどうかはわかならない。 新潟の岡田記者の場合も単なる談話取材のつもりだったのかも分からない。 しかし、この 「足で稼ぐ」 取材こそが、「ジャーナリズムの価値」 を支えていることを、忘れてはならない。

  いま、社会の歪みが深刻になる中で、さまざまな犯罪事件が続発し、メディアもこぞってこれを取り上げ、「事件報道花盛り」 の感を呈している。 しかしいま、そこで問題なのは、この 「花盛り」 の事件報道が、警察取材に偏り、警察の情報を流すことだけに勢力が注がれる傾向が強いことだ。
  しかも、報道だけではなく、裁判までもが、ともすれば被害者の声に耳を傾けるあまり、ただ加害者を糾弾し、 「報復」 を求める被害者の家族の声が声高に報道される傾向が強まっている。しかし、本当にこれで良いのだろうか。

  微に入り細に入り、事実に肉薄し、それを報道する。ジャーナリズムはまずこのことが基本だ。 しかし、「なぜそんなことが起きたのか」 を考えるとき、犯罪事件は社会的な環境や条件を抜きに論じることはできないだろう。 そこには、「いまの社会」 の歪みをまっすぐに見る目と、事態に対する想像力が求められ、人間に対する信頼や、深い 「洞察力」 が求められる。

  「事件報道」 とは、人々の単なる 「知りたい」 という願望=興味にこたえるためのものではない。 問題はその事件の 「社会性」 であり 「公共性」 であり、「なぜそんなことになってしまったのか。 その事件は、われわれの社会の歪みの反映でしかないのではないか」 という問題意識こそ求められているものではないのか。 「事件報道」 とは本来、私たちが生きている共通の社会への 「教訓」 や 「警告」 のためのものでしかないのではないか。

  その意味で、この2つの記事は、「警察取材ではない事件報道」 の可能性を示している。

×           ×

  「事件報道花盛り」 と書いた。しかし、一方で事件の取材がさまざまな形で制限される危険も広がっている。
裁判員制度に関わって、事件報道についての見解を新聞協会、民放連、雑誌協会などが発表した。 これについて、日弁連人権委員会からニュースへの寄稿を求められ、私の 「懸念」 をそこに書いた。 ニュース3月1日号に掲載されているが、
日本民主法律家協会のサイト に転載したので、併せて読んでいただきたい。
2008.4.8



◎メディアの姿勢と「集団自決」
問題にすべきことは何だったのか?

  ▼際だつ読売、産経の主張

  こんなことまで問題にするメディアは、本当にそれでいいと思っているのだろうか。
  「『軍命令』 は認定されなかった」 と書く読売の社説、「論点ぼかした問題判決だ」 と書く、産経の 「主張」 だ。
  沖縄戦での 「集団自決」 について、軍の関与があることを明らかにした大江健三郎氏の 「沖縄ノート」、家永三郎氏の 「太平洋戦争」 に対して、 その当事者とされた元軍人らが名誉棄損だ、と訴えた裁判の判決に対する考え方だ。
  各社のタイトルでわかるように、この判決を妥当とするものが多いのだが、この2紙だけは違っている。
  例えば読売は、判決が 「旧日本軍が集団自決に 『深く関与』 していた」 と認定した部分より、 「自決命令それ自体まで認定することには躊躇 (ちゅうちょ) を禁じ得ない」 とした部分を評価し、その 「命令」 がわからないことを、 「軍の 『強制』 の有無については必ずしも明らかではない」 と読んで、「(教科書の) 『日本軍による集団自決の強制』 の記述は認めないという検定意見の立場は、 妥当なものということになるだろう」 と結論づける。
  ※ 参照

  まるで安倍首相の 「間接的な強制はあったかもしれないが、直接的な強制はなかった」 と言ってのけた慰安婦問題での答弁を聞くようだ。
  また産経は、「教科書などで誤り伝えられている “日本軍強制” 説を追認しかねない残念な判決である」 とし、 「最大の論点は、沖縄県の渡嘉敷・座間味両島に駐屯した日本軍の隊長が住民に集団自決を命じたか否かだった。 だが、判決はその点をあいまいにしたまま、『集団自決に日本軍が深くかかわったと認められる』 『隊長が関与したことは十分に推認できる』 などとした」 と述べ、 「日本軍の関与の有無は、訴訟の大きな争点ではない。軍命令の有無という肝心な論点をぼかした分かりにくい判決といえる」 と書いている。

  読売も 「集団自決の背景に多かれ少なかれ軍の 『関与』 があったということ自体を否定する議論は、これまでもない。 この裁判でも原告が争っている核心は 『命令』 の有無である」 としているが、「軍の関与は否定できない」 としながらの議論は奇妙である。

  ▼判断の起訴は名誉棄損の要件

  しかし、そもそもこの判決で明快に言い切っているのは、この2つの著書がともに、「公共の利害に関する事実に係り、 もっぱら公益を図る目的で出版された」 と認められるものであり、原告らが 「自決命令を発したことを直ちに真実であると断定できないとしても、 その事実については合理的資料もしくは根拠がある」 と評価し、著者らが 「真実であるとと信じるについて相当の理由があった」 と認めた、ということである。
  すでに判例で確定されているように、メディアが名誉棄損に問われるのは、公共性や公益性を欠くような恣意的な論調や報道をされ、 それが事実に基づいておらず、しかも真実と信じる 「相当の理由」 が欠けているような場合である。
  その意味で、資料調査と聞き取りに十分な時間と労力をかけて書かれ、既に歴史的文献となっている大江さんや家永さんの著書を、 名誉棄損で訴えることなど、相当の無理がある。裁判の中で原告はふたりとも、裁判になって初めて 「沖縄ノート」 を読んだことや、 他人に勧められて訴えたことを告白せざるをえなかった。むしろ彼らを使って政治キャンペーンしようと考えた人たちに責任があることは明らかだろう。

  ▼沖縄2紙が訴えていること

  「史実に沿う穏当な判断」 と書く沖縄タイムスは、同様に沖縄で起きた日本軍の住民殺害に触れ、「『集団自決』 と 『日本軍による住民殺害』 は、 実は、同じ一つの根から出たものだ」 と指摘し、最後に 「ところで、名誉回復を求めて提訴した元戦隊長や遺族は、 黙して語らない 『集団自決』 の犠牲者にどのように向き合おうとしているのだろうか。今回の訴訟で気になるのはその点である」 と問いかけている。
  また、「体験者の証言は重い 教科書検定意見も撤回を」 と主張した琉球新報は、「ここで問題にすべきは、大江さんの言うように 『個人の犯罪』 ではなく、 『太平洋戦争下の日本国、日本軍、現地の第32軍、島の守備隊をつらぬくタテの構造の力』 による強制であろう」 と書き、 「この裁判によって、沖縄戦史実継承の重要性がいっそう増した。生き残った体験者の証言は何物にも替え難い。 生の声として録音し、さらに文字として記録することがいかに重要であるか。つらい体験であろう。しかし、語ってもらわねばならない。 『人が人でなくなる』 むごたらしい戦争を二度と起こさないために」 と、沖縄のジャーナリズムらしい決意を述べている。

  一方、読売新聞は、「原告は控訴する構えだ。上級審での審理を見守りたい」 と書く。メディアの役割は、現場に行って証言を集め、事実を解明することではないのか?

  ▼「集団自決」ということば

  私は実は、ちょうど大江・岩波裁判の判決が出る日、沖縄にいた。沖縄で憲法を考えるツアーに参加し、高江、辺野古といった基地闘争の現場や、 嘉手納、普天間の現場、そして沖縄戦の 「ガマ」 などをめぐっていたためだ。

     ハワイ帰りの男性が米軍と交渉し、
全員を納得させて約1000人の人が助かったという 「シムクガマ」(読谷村)

  旅行最終日の28日、「ひめゆりの塔」 を訪ね、那覇に戻る途中のバスの中で、携帯のネットで速報を見た仲間が 「大江・岩波裁判は、 原告の請求を棄却」 と大声を上げた。最後の予定していた訪問先は琉球新報社だったため、琉球新報の夕刊の刷り出しを現場で見学し、 同社の新聞博物館で、沖縄の新聞の歴史を改めて学んだ。
  今回の裁判でも、沖縄2紙の用語は、本土の新聞と違っている。琉球新報は、「沖縄戦中、座間味・渡嘉敷両島で起きた 『集団自決』 (強制集団死) をめぐり…」 と書き、 沖縄タイムスは、「沖縄戦時に座間味、渡嘉敷島で起きた 『集団自決 (強制集団死)』 は…」 と書く。 つまり、沖縄戦の中で、ガマで手榴弾や毒物、あるいは鎌で傷つけあって多くの犠牲者を出した事件は、「生きて虜囚の辱めを受けるな」 と教え、 「軍民共生共死」 と言って 「軍民は一体だ」 と教えた結果の集団死は、「強制集団死」 であり、「自決」 とは明らかに違う、という表現だ。


自決を主張する男性と、それを逡巡する住民と2派に分かれて議論したあげく、
決行者が出て、140人中、83人が集団死した 「チビチリガマ」 の碑。 集団自決とは、
「皇民化教育、軍国主義教育による強制された死のことである」 と書かれている。

  琉球新報の新聞博物館には、サンフランシスコ講和条約の発効で 「うるま新報」 から 「琉球新報」 に戻った日の新聞が展示されていた。 「沖縄は沖縄で着実なあゆみを続けなければならない」 という趣旨の社説しか書かれていないところに、そこで闘ったジャーナリストの無念さを改めて思った。 沖縄はこの日、本土と切り離されたのである。
  その後、闘いの結果、本土復帰は果たしたが、復帰後も基地は残り、いま 「一部返還」 という名の機能強化が進んでいる。
  高江でも辺野古でも、「沖縄基地が強化されていくことは、われわれが加害者になること。ファルージャには沖縄の海兵隊部隊が行った」 と聞いた。 死者が出ると、基地には半旗が翻るという。
  沖縄のことを書けばいいのではない。メディアはもっと 「原点」 にかえらなければいけないのではないか。そんなことを改めて考えている。

2008.4.1



◎後期高齢者医療制度と憲法的観点
メディアの「鈍感さ」が事態を悪化させている

  朝日新聞は、3月27日の生活面と28日の総合面で、4月1日からの後期高齢者医療制度を大きく取り上げ、その制度の問題点にも触れながら、新制度を解説した。 「どうしていまごろ?」 と思わせる記事だが、それなりに、「野党などからは早くも 『うば捨て山だ』 という批判にさらされている」 と書いて、 「お年寄りが受ける医療サービスの行方」 からの 「心配」 を紹介している。
  新年度に入って、この制度が実施され、70−74歳の病院窓口負担は現行の1割負担から2割へ、65−74歳の国民健康保険料は年金から天引きされることになったが、 この問題、メディアの取り上げ方の 「鈍感さ」 が、ここまで事態を悪化させてしまったように思えてならない。

  率直に言って、私自身、この問題に気づかされたのは、そんなに古い話ではなかったのだが、2006年5月の法律の成立以来、 この問題がどう書かれてきたかをトレースしてみると、いかに新聞がこの問題について冷淡だったか、憲法的視点を欠いていたか、 その結果、問題の本質を捉えていなかったか、がよく分かる。
  早い話、憲法14条は 「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、 差別されない」 と規定し、「法の下の平等」 を決めている。確かにこの条項には 「年齢」 は例示されていないが、欧米の多くの国で雇用についてさえ、 年齢による差別が禁止されていることを考えると、何の合理的な理由もなく、ただ年齢だけで75歳から一般の健康保険から切り離し、ほかの制度に移すことなど、 憲法的視点から考えれば、全くおかしなことである。まして、問題は 「健康で文化的な生活」、「生きる権利」 に関することである。

  この制度は、2005年10月の厚労省の試案に始まり、2006年2月の閣議決定、5月の 「医療改革法」 成立で決定された。
  この経過の中で新聞は、少なくともいくつかのデータベースや縮刷版で調べた限りでは、「後期高齢者医療制度を新設」 と書いてはいるが、 その内容については、ほとんど報道しないままだった。 社説でも、何回か取り上げているが、結局、議論は財政負担の問題に流れ、最も本質的な 「75歳以上の高齢者を別制度に移行させる」 ということが、 どういう意味を持つのかについては、全く論じられていないようだ。
  昨年来、「見直し」 が論じられるようになり、投書欄でも論じられたり、地方での動きが報じられたりしているが、 社説に関して言えば、地方紙の一部が論じているほか、東京新聞が3月29日に 「高齢者医療制度 見直しをためらうな」 と題する社説を掲げたのが目立つ程度で、 大手紙の社説には登場しないままだった。
  とくに、2月28日、4野党がこの制度自身を廃止する法案を提出しているが、これについても、一般紙には東京新聞で26行、朝日が15行、 毎日が7行のベタ記事がある程度で、報じられず、法案は店ざらしのままになっている。
  見直しを求める地方議会の決議は、「しんぶん赤旗」 3月23日付によれば、530議会、 署名も中央社会保障推進協議会や日本高齢 ・ 退職者団体連合などの分を合わせてると、500万人分を超えたという。 3月23日、東京・井の頭公園で12000人が集まった集会が開かれ、参加者たちは 「いのち」 と書かれた黄色のプログラムを一斉に掲げて抗議したが、 一般紙に報道は全くなかった。27日には、4野党による集会が開かれ、これも赤旗の報道では400人が集まり、民主党の菅直人代表代行、共産党の志位委員長、 社民党の福島みずほ党首、国民新党の自見庄三郎副代表、新党日本の田中康夫代表があいさつしたというが、この報道も一般紙にはなかった。


後期高齢者集会 井の頭公園で開かれた集会には、12000人が集まった 2008.3.23



後期高齢者集会 「いのち」 を掲げて訴える参加者たち 2008.3.23

  他の学問領域でも同様なことはあるだろうが、マスメディア研究をする中で、あるテーマについて、報じられていること、論じられていることの是非は、さほど難しくないが、 最も困難なのは、「報じられていないこと」 「論じられていないこと」 を実証し、「なぜか」 をさぐることである。 この作業には、そのテーマについてのそれぞれの専門家や、現場のジャーナリストの協力がどうしても必要だ。 そして、その作業自体がジャーナリズム活動だろう、と私は思う。

  日本ジャーナリスト会議 (JCJ) と、日本マスコミ文化情報労組会議 (MIC) による 「憲法メディアフォーラム」 は、 4月19日 (土) 午後、東京・両国のKFCホールで、「憲法25条・生存権とメディア」 について、都留文化大学の後藤道夫教授、首都圏青年ユニオンの河添誠書記長、 NHKスペシャル 「ワーキングプア」 の取材班の板垣淑子ディレクターをパネリストに、シンポジウムを開く。
  改めて、生存権とメディアの責任を考えてみたい。

2008.4.1



◎求められる「事実」の報道
日経はなぜ統幕長、海幕長更迭を主張したか
  友人たちの間で、イージス艦・漁船衝突事件に関連して、興味深い討論が始まっている。 メディア関係者は一人もいない。みんなビジネス現場で働いて来た人たち。しかし、いかにこの事件への関心が高く、メディアが注目されていることを示している。

  ▼「腐ったリンゴ」 社説への反響

  口火となったのは、日経2月28日付の社説で、「無責任体質の一例」 として、イージス艦情報漏れ事件で責任を取らなかった斎藤隆統合幕僚長 (前海上幕僚長)、 吉川栄治海幕長の実名を挙げ、「両氏を腐ったリンゴに例えるのは不適切だが、石破氏が直ちに彼らを更迭すれば、海自の全組織に緊張が走る。 それが最も効果的な再発防止策である」 と主張したことからだ。 同紙は1日付でも 「私たちは石破氏に対し、斎藤隆統合幕僚長 (前海上幕僚長)、吉川栄治海幕長を直ちに更迭するよう求めた。 海自の全組織が緊張を取り戻すには、機敏で厳正な処分が必要と考えたからだ」 と重ねて書いた。

  これを取り上げて問題提起してくれたのは、闘病生活を続けながら仕事を続けている I 君。日経も隅から隅まで読んでいる。 28日の社説のあと、「現役を名指し公表です。相当の確証と覚悟でしょう」 と注目してメールをくれた。 確かに珍しい書き方だ、と思ったが、1日付で、それが繰り返されたため、彼はさらに不審を深め、 1.日経だけが 「海自の無責任体質の元凶」 とか、 「腐ったリンゴ」 と書くのは、海自と日経の間に何かあるのか  2.他の新聞がこの問題で現役幹部を名指ししないのはなぜか−との疑問を呈してきた。

  彼は、「みんなそう思っているが、他社は名誉毀損を恐れて書かなかったのではないか」 と思ったらしい。私は、「日経と海自の関係に何かあるのかは知らない。 しかし、彼らは公人であり、この書き方が名誉毀損だとは言えないだろう」 と答えた。 既に 「一般読者」 は、メディアについてそんなふうに考えてしまう。「メディア不信」 は、実に根深い。

  ▼航海長の名前はなぜ出ない?

  しかし、なぜこんなことになるのだろうか。よく考えてみると、今回の事故で問題なのは、基本的な 「事実」 についての報道が、 実に不十分であることに原因があるのではないだろうか。
  普通なら、現場で操船の指揮を執っていた責任士官は誰々で、どこどこのセクションのウオッチに当たっていた誰々から何時何分にどういう連絡が入った。 このスタッフは何時何分に誰々と交代し、こう引き継いだ…、といった具合に、固有名詞が入った事故発生のドキュメントが明らかにされる。 発表では固有名詞があっても、下級の艦員については、階級だけしか報道されないかもしれない。 しかし、飛行機であろうが、列車であろうが、まして大きな客船ででもあれば、まず間違いなくそうした報道がされるであろう。
  ところが、今回の事故では、そうした事実が、非常に抽象的で、具体性に乏しい。それは、「何分前に発見」 とか、それを 「どう訂正した」、ということより以前の問題である。 事件発生当初には「一般例」として見張りの体制が報じられているが、発見や引き継ぎの状況がきちんと報道されているようには見えない。
  また、まとまった報道として、地方紙の2月26日付 (共同配信) とか、毎日3月2日付 「特集」 などがあるが、そこでも艦側の固有名詞は艦長以外ない。 第一、防衛省が呼び寄せ、問題になった 「あたご」 の航海長についてさえ、彼が当時の責任士官だったらしいことが明らかになり、 8日付毎日によれば、書類送検されるというのに、「3等海佐」 というだけで、名前は伏せられたままだ。これで良いのだろうか?

  友人たちのメールの議論では、「海保が何も発表していないのはおかしい」 「『あたご』 の内火艇が何時に何隻、何人乗り組んで降りたのか」 「ダイバーが居たのか、 ヘリはどういう機器を使って捜索したか」 「『あたご』 の潜水艦探知機器は海底を捜査したか」 「自衛隊は潜水艇を出動させて調査させるべきではないか」 などの疑問が一杯出されている。
  この中で報道されているのは、14分後に内火艇2隻を降ろし、あとで 1隻を追加したことくらいだ。
  そうした中では、テレビ報道についても批判が出ている。「テレビでは、女性アナがヘリに乗って画像を見れば分かることをくどくど話させるのではなく、 アナでなくとも、船の構造に通じているものを乗せ、現場の水深、海流の方向、速度などはすぐわかるのだから、エンジン部分等の着地点概算くらいはできたはずだ」

    ▼「責任論」にすり替えるな

  新聞はこういう疑問にどう答えるのか?
  横浜の第3管区海上保安本部が当面の取材先の中心なのだろうが、この取材に十分な体制が取られているのかどうかは疑問だ。 今回の取材で言えば、まさに警察取材同様の緻密さが求められているのだが、これには日頃の取材体制が反映される。
  いま、現場が、発表中心の取材しか事実上できていないとすれば、この 「事実」 の押さえが弱くなるのは当然である。
もともと、今回の取材先は、防衛省や永田町の動きも併せて取材しなければならない点で、いかに問題意識を鮮明にし、一致・連携して取り組めるか、が課題だ。 この点でも、政治部、社会部、支局など、呼吸が合っているのかどうか?

  問題なのは、こんな事件があると、新聞も政治も早走りして、飛行機事故でも同じだが、「事故原因」 の究明を急ぎ、「責任」 を明らかにし、 それを早く明らかにさせようとすることである。そして、原因はよく分からなくても、「私の責任」 と最高幹部に言わせ、クビをすげ替え 「一件落着」 となって、 事件報道が終わりを告げられてしまうのは、結構よくあるケースだ。
  こんな 「すり替え報道」 に支えられ、いい加減な事実取材でお茶を濁している結果、「事実」 の追求が弱くなっているのではないか。 今回の話で言えば、漁協の人達の堂々たる証言で防衛省のウソが次々と暴露された。「海保発表頼り」 の取材だけでは、事実は明らかにされないのだ。
  その状況に、例えばここに書かれたような疑問を持ったまま、次の話題に流れていく報道に、読者は疑問を持つ。「次々流れているが、 もう嫌になってしまう…」 という感想は、極めて率直なメディア批判でもある。

  私は1983年から85年にかけて、共同通信横浜支局のデスクとして、海保の取材にも間接的だが、関わったことがある。
  当時、共同はこの本部を担当する海事記者クラブに、横浜らしい話題を拾う遊軍的な動きを求めながら、記者一人を配置していた。 彼は他社があまり報道しない海難審判なども熱心に傍聴し、関係者を取材し、ある海難事故が静電気が原因だった、との審判結果を他社に先駆けて報道し、 神戸新聞などのトップを飾ったこともあった。
  しかし、「合理化」 の中で、横浜支局の記者も大幅に削減されている。それでも今回の事故報道で、共同の速報は午前6時前だったそうだ。

  共同だけの問題ではない。報道の原点は、あくまでも 「事実」 である。記者たちの奮起が求められている。

2008.3.9



◎閣僚の「憲法擁護義務」違反をメディアは放置するのか?
「九条の会に対抗」する「改憲議連」の動き

  4日付の朝日、毎日夕刊は、「与野党改憲派がタック 鳩山由、前原氏ら役員に」 (朝日)、 「新憲法制定議員同盟 自・民同舟 鳩山由氏らが初の役員入り」 (毎日) と報じた。
  1955年以来の 「自主憲法既成議員同盟」 が、昨年、中曽根元首相が会長になったのを契機に動き出し、昨年四月、 名称を 「新憲法制定議員同盟」 と改称して動き出した。 昨年末には、「憲法審査会」 を始動させないのは問題だとして、衆院議員の過半数の245人、参院議員73人の計318人 (自民党が279人、民主党24人、 公明党5人、その他10人) の署名を、衆参両院議長に提出している。

  この時期になって、新年度の活動を本格的に始めようということだろう。民主党と国民新党を巻き込んで、組織と活動の強化を図ったわけだ。
  問題なのは、その役員体制で、会長代理は中山太郎氏、副会長に町村信孝官房長官、高村正彦外相、額賀福志郎財務相、鳩山邦夫法相の4閣僚と、 前原誠司前民主党代表らが加わり、顧問には鳩山由紀夫民主党幹事長、綿貫民輔国民新党代表がそろって入っていること。 まさに 「タッグ」 であって、毎日も 「同舟」 と書きながら 「呉越」 とは書かなかった。「自・民」 は 「呉・越」 ではないのだ。
  しかし問題なのはこの報道、朝日は2面の右下3段格、毎日は6面左の4段格の囲みで、 朝日には中曽根氏の 「改憲のような国家的大問題は超党派で決めていかなければならない」、安倍前首相の 「改憲は私のライフワーク」、 民主党の田名部匡省参院議員の 「改憲はここ数年で決着すると決めてやらないと」 との発言を紹介しているが、 少なくとも違憲の疑いがある町村官房長官以下4閣僚が、幹部として名前を連ねていることについては、全く言及がなかった。
  事実、昨年10月、この 「新憲法制定議員同盟」 は緊急総会で、安倍退陣後の改憲運動の 「立て直し」 に、福田首相を 「副会長」 としたが、 「しんぶん赤旗」 によれば、同紙は緊急総会後、福田首相の事務所と同議員同盟に問い合わせた結果、 福田事務所が首相が同議員同盟を退会したことを明らかにした、とのことだ。(2007年11月13日付)

  「しんぶん赤旗」 はさすが5日付トップでこれを報じ、「憲法99条の公務員の憲法擁護義務に触れる」 と指摘したが、 この扱い、両紙の扱いはあまりにも鈍感ではないのか。
  同紙によれば、活動方針には 「民主、公明両党の議員を中心に会員の増強を強める」 「『九条の会』 に対抗していくため地方の拠点作りを進める」 などが確認され、 愛知和男幹事長の活動方針の説明では、「われわれと正反対の勢力、『九条の会』 と称する勢力が、全国に細かく組織作りができており、 それに対抗していくにはよほどこちらも地方に拠点を作っていかなければならない」 とされ、中曽根会長も 「各党の府県支部に憲法改正の委員会を作り、 全国的な網を張っていくことが私たちの次の目標」 と述べた、と報じられている。

  朝日も、毎日もその前日には 「せんたく議連107人で発足」 と北川正恭元三重県知事、佐々木毅元東大総長、 松沢・神奈川、東国原・宮崎県知事らの動きを大きく報じているが、それと比較しても、看過できない動きではないのだろうか。

  こうした事実が、一般のメディアでは報じられないことことが、そのまま 「九条の会」 やさまざまな民衆の運動について冷淡な 「メディアの問題」 につながっている。
 NPJ (「民衆のためのニュース」) のサイトが繁栄することを、既成メディアは恥じなければならない。
2008.3.5 (3.7 訂正)



◎法の支配にも「そこのけそこのけ」
「軍法」 「軍事裁判」の先取りを許すな
  「やっぱり出てきた!」 というのが実感だ。
  産経新聞28日付朝刊は1面トップで、 「航海長聴取 問題か」 と題する記事を掲載し、 防衛省が海上保安庁の捜査前に 「あたご」 の航海長を省内に呼んで聴取したことについて論じた。
  記事では、「軍事組織が、早い段階で状況把握することは鉄則」 とし、これが問題になったことについて、『航海長への聴取が問題となることは、 日本が 『普通の国』 でないことに起因する。実はこちらの方が格段に深刻だ」 と述べ、「軍隊における捜査・裁判権の独立は国際的な常識」 「司法警察が事実上の国軍を取り調べる、国際的にはほぼ考えられない構図を、国民も政治家も奇異に思っていない」 「軍事法廷のない自衛隊は、 世界有数の装備を有する 『警察』 の道を歩み続けるのだろうか…」 と主張した。

  自衛隊と漁船の衝突、2時間も3時間も報告を放置するといった独善的な対応、それに対して、「迅速だった」 と評された海上保安庁の捜査活動…。 既に一般には、海保が自衛艦の捜索に入ったことを驚きを持って迎えた向きもあっただろう。
  しかし、犯罪や重過失の事故があったとき、自衛隊が海保や警察の捜査を受けるのは、当然のことであり、「専守防衛」 の組織である以上、自衛隊は、 産経が書くとおり、「世界有数の装備」 を有していても、「歩み続ける」 のは 「『警察』 の道」 でしかありえない。
  かろうじて保たれている 「法の支配」 のもとでの自衛隊が「そこのけそこのけ」の行動を取ることを許されてはならない。

  自民党の 「新憲法草案」 では、第76条3項で、「軍事に関する裁判を行うため、法律の定めるところにより、下級裁判所として、軍事裁判所を設置する」 とし、 「自衛軍」 に関わる問題を 「軍事裁判所」 で扱うことを想定している。「自衛軍」 が名実ともに 「軍隊」 であるためには、昔と同じように、 軍隊内については 「シャバ」 とは違って、一般の法律の手が届かない場所でなければならない。 そのためには、「軍法」 が作られ 「軍事裁判」 が行われるようにしなければ、論理は貫徹しないのである。
  産経の記事では、医療事故でも病院が事情を聞くし、新聞記者が交通事故を起こせば社の幹部が事情を聞く、などと、組織の対応の問題にすり替えているが、 今回の航海長の防衛省呼び戻しhさ、既に組織内の問題ではなく、警察権が行使されている中での話なのだ。

  既に、自衛隊法には、一般の法律が介入しない問題がいくつかある。今回のような事故についても、自衛隊は第一次警察権を持ちたいと考えるだろうが、 それは自衛隊の性格を大きく変えることになる。以前から 「改憲」 を掲げている産経が、こうした論調の記事を掲げるのは、当然かもしれない。 しかし、こうした記事が 「呼び水」 になって、自衛隊が 「そこのけそこのけ」 路線を、法制度にまで進めていくことを許すわけにはいかない。
  海上自衛隊と海上保安庁の間には、以前から縄張り争いにも似た軋轢がある。そこに目をやる議論も出てきかねない。 しかし、そうしたことに惑わされるわけにはいかない。

  問題の本質はどこにあるのか。「あたご」 は7750トン、全長 165メ ートル、「清徳丸」 は、7.3トン全長 12メートル。 「道路で言えば子どもの三輪車を大型トレーラーが押しつぶしたようなもの」 とでもいえばいいだろうか。 最新型の戦闘艦船が、海の男たちの神聖で平穏な職場に、自動操縦で突き進み、船をまっぷたつにし、その命も身体も奪い去った。
  もう一度考えてみよう。約 1500億円といわれるイージス艦は本当に必要な装備なのか? ミサイル防衛のために、ということになっているが、 一体どこからどんなミサイルが飛んできて、どう撃ち落とすというのだろうか。
  これを税金の無駄遣いといわずして、何を無駄遣いというのだろうか。
2008.2.28



◎「三浦逮捕」のニュースバリュー
「沖縄」はどうなっているか? イージス艦事故は? 国会は?

  「ロス市警三浦元被告逮捕 一美さん殺害容疑」 (毎日) 「三浦和義元社長逮捕 81年、妻殺害容疑」 (朝日)−2月24日(日)朝、 各紙は、かつて 「ロス疑惑」 で大きな問題になり、結局無罪が確定した三浦和義氏の逮捕を、トップやそれに準ずる扱いで報じた。 サイパンで22日に出国しようとして逮捕され、23日に当局が発表したものだ。

  ▼憲法の原則に立った報道姿勢を

  日本では、一審では実行犯もわからないまま殺人罪で有罪になったが、さすがに、これでは犯罪の証明がないとされた。 それなのに、同じ容疑でなぜ? というのは、誰もが持つ疑問だろう。
  メディアでは、1.米国では重大犯罪について事項の規定がない 2.日本で無罪になっても、外国では関係がない 3.属人主義の日本と属地主義の米国は違う──など、 いかにも、仕方がなかったかのような 「解説」 が流れ、政府も 「国内の法律、日米間の条約もあるので、それに従って対処する。 日本で無罪になったからといって、捜査協力ができないことはない」 (町村官房長官) などと述べている。

  しかし、憲法39条は 「何人も実行のときに適法であった行為または既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問われない。 また、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問われない」と決めている。
  かりに、「彼が本当の犯人だったとしても…」 ということ自体不謹慎で、弘中惇一郎弁護士が言う通り、少なくとも、 「一美さん銃撃事件」 という決着済みの同一の事件について、「自国民保護」 の立場だけでなく、憲法の規定から言っても、日本政府が捜査協力すべきでないのは当然。 メディアはそうした原則に立って書くべきだ。

  「ロス疑惑」 というのは、80年代のメディアで大問題になった事件だった。それだけに、新聞だけでなく、テレビのワイドショーが大騒ぎを始めている。 しかし、事件が騒がれてから既に20数年。多くの現場記者は、当時の混乱やマスコミの経験、反省も実感できなくなっている。 行きすぎた報道にならないことがまず重要だが、司法と人権の原則から考える姿勢がまず重要ではないだろうか。

  ▼どちらが重要か…沖縄、イージス艦

  もう一つ、センセーショナルなニュースは、必ずその陰に隠れてしまうニュースがある。 ここで改めて確認しておきたいのは、この 「三浦逮捕ニュース」 で 「消えてしまったニュース」 がないのか、ということだ。

  この数日間の問題としてあげておきたいのは、沖縄の米兵による少女暴行事件だった。事件が起きたのは2月10日午後10時半ごろ。 沖縄県警は11日、在沖米海兵隊の2等軍曹タイロン・ルーサー・ハドナット容疑者(38)を婦女暴行の疑いで緊急逮捕。 沖縄2紙は号外を発行するなど、大騒ぎになった。シーファー駐日米大使と在日米軍のライト司令官は13日沖縄県を訪れ、仲井真弘多知事に謝罪。綱紀粛正を約束した。
  ところが、その舌の根も乾かない17日には沖縄市内で海兵隊員(22) が酒酔い運転容疑で逮捕、 18日には、酒に酔って民家に入り込んで寝ていたキャンプ・シュワブ所属の米海兵隊伍長(21)が住居侵入の現行犯で逮捕され、 19日には、別の海兵隊員が偽の20ドル札を偽造して、使った疑いも明らかになった。
そして、19日深夜、在沖米海兵隊報道部は、「空軍と海軍、陸軍を含む四軍全体の構成員に対し、20日朝から無期限の外出禁止を命じた。 兵士は任務以外は基地内か、自宅にとどまることが義務付けられる」 と発表した。在沖米軍トップのリチャード・ジルマー四軍調整官 (中将) の命令で、 全構成員は、任務や病院の受診など必要な用件がある時だけ、軍用車や私有車、タクシーによる民間地域の移動が認められる、とのことだった。

  なぜ、深夜にこんな発表があったのか。「何かあったに違いない」 と沖縄の担当記者は直感したそうだが、果たして、実は全軍への綱紀粛正を命じた後の18日、 新しい婦女暴行事件が起きていた。事件を起こしたのは在沖縄陸軍の伍長で、沖縄市内のホテルで、フィリピン人女性を暴行、けがをさせ、 女性から被害届が出されていた。
  沖縄県内では、女子中学生暴行事件以後、県市議会議長会が事件への抗議のための会合を開いたり、平和団体の緊急声明が出されたりし、 騒然とした空気に包まれている。2月28日までには県内の全市町村議会で暴行事件への抗議決議が可決される見通しで、 3月23日午後2時から北谷町の北谷公園で県民大会が開かれることになっている。

  そんな中で、19日の夕刊に大きく掲載されたのが、 同日午前4時過ぎに起きた自衛隊のイージス護衛艦 「あたご」 と千葉県勝浦市のマグロはえ縄漁船清徳丸の衝突である。 清徳丸の船体は二つに折れ、乗り込んでいた吉清 (きちせい) 治夫さん (58) と長男哲大 (てつひろ) さん (23) が行方不明。 第3管区海上保安本部は同日夜、業務上過失往来危険の疑いであたご艦内を家宅捜索するという異例の事態にもなった。
  自衛隊はまだ暗い早朝の近海を自動操縦で 「そこのけそこのけ」 とばかり通っていたもので、その責任やイージス感じたい野問題に波及していくのを避けようと、 漁船発見の時間をごまかしたり、発表や報告の時間を遅らせたりした。

  三浦和義氏の逮捕は、結果的に、こうした状況に 「水」 を掛けることになった。
  テレビのワイドショーは競ってサイパンに記者やカメラを派遣し、現場中継して 「いま三浦元社長はこの囲いに中にいるわけですが…」 などと報じ、 当時の警視庁捜査一課長や 「アメリカの法律に詳しい弁護士」 を登場させて詳しく報じた。
  しかし、ワイドショーがもっと取り組まなければならないのは、沖縄基地や基地被害の実態であり、日米安保や地位協定の問題ではなかったのか。 メディアは問題を矮小化し、国民が 「いま」 を判断する材料が正しく提供されなかったのではないか、ということを考えてみなければならないと思えてならない。

  私は、テレビにおけるワイドショーの役割を全面的に否定するものではない。しかし、この 「三浦逮捕」 の陰で、日本の将来にとって、重要ないくつかの 「ニュース」 が、 小さく扱われたり、掲載されなかったりし、その問題の読者に与える印象が薄れてしまったりするとすれば、日本の世論を左右してしまうことになる。
  さらに進んで、そうしたことを意図して、発表の日時を決めたり、操作が加えられたりしたとすれば、それはまた問題である。
  もう一つ、付け加えよう。2008年度の通常国会の衆院段階での予算審議は、ヤマ場を迎え、焦点になっている特定道路財源問題、消費税問題、 後期高齢者医療問題をはじめとした医療制度など予算関連の多くの問題がすっかり後景に退いてしまったのではないだろうか。

  サイパンの司法当局も、三浦氏を入国時ではなく帰国時に逮捕したは、こうした他のニュースを 「抹殺」 する意図があったのではないか、 というのは確かに勘ぐりすぎだろう。
  しかしそれだけに、「ニュース判断」 が 「読者・視聴者が興味を持つニュース」 に流れ、「面白ければ、そちらが先」 となっている状況をどうしていくか、 考えなければならないのではないだろうか。
2008.2.28 (3.4 訂正)



◎「分断政策」に負けた地域・国民
続・国民意識と岩国市民の選択

  岩国市民は、艦載機受け入れに拒否反応を示しながら、とにかく自民党、公明党が支持した福田良彦市長を当選させた。 この結果、このいままで行けば、岩国が「極東最大」と言われる基地になっていくことは、避けられない情勢になってきた。
  しかし、よく考えてみると、この問題、日本最初の国立公園のひとつである瀬戸内海の西北側一帯の環境がすっかり変わってしまうことなのだ、 ということについて、あまりに想像力がなかったのではないか。 新聞、テレビなど各メディアも、こうした問題を指摘する点であまりに呑気だったのではないか、と思えてならない。 山口県の東端に位置し、広島経済圏の一部になっている岩国市の特殊な位置から、問題を岩国に限定し、 地域を分断する政府・与党の戦略にまんまとはめられてしまったのが、今回の選挙ではなかっただろうか。

  広島市立大学の広島平和研究所所長、浅井基文氏は、岩国の結果について、沖縄の2紙を見ながら、 「地元の中国新聞を上回る」 積極的な報道ぶりに、広島の関心の低さを嘆いている。 ※参照
  浅井氏はこの中で、「広島には核問題にはかろうじてまだ関心があるが、憲法問題、9条にはほとんど関心がない。 岩国市長選挙に対する広島の無関心のほどには深刻な気持ちにすらなる。 日本の平和を真剣に考えるならば、岩国市長選挙に対してもこれほど無関心でいられるはずはなかろう」 という趣旨の発言を記者会見でしたことを明らかにした。
  さらに浅井氏は、「広島市が岩国市長選挙に対して明確なメッセージを発していたならば、2000票弱で負けた選挙はひっくり返せたはずです。 足下から平和が突き崩されていくのを黙って見過ごしている今の広島には、つくづく 『沖縄の問題意識に近づく志をもってほしい』 と思わざるを得ませんでした」 と書いている。

    つまり、浅井氏の指摘は、最初の原爆被爆地・広島が、実際に被害を受ける艦載機の岩国移駐問題について態度表明しなかったことを批判したものだったが、 多数の艦載機が移駐して来る結果、影響を受けるのは単に岩国市だけではないことについて、周辺の自治体や市民団体が気づき、動いたかどうかは、 大いに気になるところだ。
  しかし、岩国市の周辺では、早々と補助金目当てに受け入れを支持した自治体の動きが誇張して宣伝されていたが、 これに反対する周辺自治体や市民団体の動きは、活発だったようにはみえなかった。
  だが事実は、今回やってくる艦載機も、日本製紙 (元山陽パルプ)、東洋紡績、三井石油化学などによるコンビナートの上を飛び、 世界遺産・宮島の厳島神社の上を飛ぶことは間違いない。もちろんその上に墜落出もしたら大惨事だが、実際の飛行空域は、 広島から岩国、柳井にかけての山陽道と屋代島、東西能美島、江田島などに囲まれる安芸灘から広島湾地域一帯に広がっていくだろう。 日本最初の国立公園のひとつである瀬戸内海・西北部の静けさが、どう変わっていくのか、を考えただけでも、考えなければならないことは多い。

  大阪府知事に当選した橋下徹氏は、岩国市長選で福田良彦氏の応援ビデオに出演、「国政の防衛政策に関し、地方自治体が異議を差し挟むべきではない」 と発言した。 井原氏が 「国政にものを言うのは当然」 と反論したのは当然で、「それなら基地は大阪にお願いしよう」 と決めても問題はないのかもしれない。
  しかしいま、日本は米軍基地の75%を沖縄に置き、沖縄県はその19%の面積を基地に提供している状況を、万遍なく全国にばらまけば、 公平になってそれでいい、と言ってすまされない問題があることは間違いないだろう。
  政府・自民党と米軍の再編計画は、せいぜい 「基地被害のたらい回し」 でしかない。 他の土地の被害について 「自分のところでなくてよかった」 というのでは、地方自治も連帯も成り立たない。 岩国市長選の直後、沖縄で女子中学生が暴行される事件が起き、続いて酒に酔った米兵が民家に入り込んでいた事件も起きた。 女子中学生の事件は、全国の衝撃を与え、「もし1日早かったら、岩国の選挙結果も変わっていたかもしれない」 とさえ言われた。 米軍は 「外出禁止」 でトラブル防止に躍起だが、そんな問題ではないはずだ。

  「地位協定」 の見直しは最低のことで、要するに、そもそも外国に異国の軍隊、それも現に戦争している国の部隊を 「英気を養う」 基地として野放し的に駐留させ、 自衛隊と一体化させて世界を支配しようとしていることに問題があるのではないだろうか。
  はっきりしていることは、メディアと政治が論じていかなければならないのは、本当に米軍基地が必要なのかどうか? 何のための基地なのか?  それを考え、少しでも事態を動かしていくことではないのだろうか?
2008.2.21



◎国民意識と岩国市民の選択
岩国市民は何に負けたのか
  岩国市長選は、1800票足らずの差で、艦載機移駐に反対し続けてきた井原勝介前市長が敗北、自民、公明が押した移駐容認派の福田良彦候補が勝利した。 政府・自民党は 「米軍再編が着実に進む環境ができたのかな、という意味で大変歓迎している」 (町村官房長官)、 「対外的なアピール度が非常に大きい」 (伊吹自民党幹事長)、「普天間問題でも、前向きな考え方が出てきており、その背中を押す」 (古賀自民党選対委員長) と歓迎している。一般的には、朝日が書くとおり 「膠着していた移転計画が進むのは確実で、当初の予定通り14年までに完了する可能性が高まった」 ということだろう。

  しかし問題は、この基地問題が焦点でありながら、それがそのまま票に結びつかなかったことだ。 中国新聞の出口調査によると、米空母艦載機移転について 「反対」 は46%、「賛成」 は 8・4%、「どちらかといえば」 を加えると、「反対」 は市民の65.7%、 「賛成」 は24.0%、朝日の調査では、「反対」 47%、「賛成」 18%だった。また、毎日の出口調査では、「移転反対」 は41%、「反対だが仕方がない」 20%、 「条件付き賛成」 33%、「無条件で賛成」 2%で、この「移転反対」 の人のうち、11%が福田氏に、「仕方がない」 の82%が福田氏に投票した、という。 朝日の調査では、福田氏に投票した人でも 「賛成」 は30%しかなかったそうだ。

  この選挙で福田陣営は、地盤と締め付け、デマ宣伝に頼り、焦点をそらす昔ながらの選挙戦を展開したことは、選挙前の 「ルポ」 で書いたとおりだったが、 これは、選挙中も踏襲されたようで、13日付の東京新聞 「こちら特報部」 は 「『失政』 ビラで移駐隠し 補助金 『兵糧攻め』 奏功」 と、次のような事実を紹介している。

  −井原市政のままでは財政破綻すると強調するビラが何種類も作られ、大量にまかれた。結果的にはこれが効いた。

−ファミリーレストランや美容室では、声高に井原氏を批判する女性グループが活躍したとの証言もある。

  −福田氏は一昨年合併した山間部でも票を集めたが、市の中心部との格差に加え、騒音があまりないため移転問題にも温度差があった。

  そして、「お金の力に負けるのはしゃくだったが、税金が上がる話が気になってすごく迷った。主人は勤め先の会社が押す福田さんに投票。 夫婦で口げんかになった」 という主婦 (49) の話を紹介している。

  ここに紹介されたビラは、選挙前に少なくとも3種類あり、私も見ているし、 女性グループが 「もう今度は福田さんね」 とバスの中などで声高に話しているという戦略も聞いた。

  「移転反対」 でも、「政府がこんな形でやってくれば、やっぱり無理なんじゃないか」 という意識が、福田候補を勝たせたのではないかと思えてならない。

  つまり、「長いものには巻かれろ」 「お上に逆らってもいいことはない」 「うまく世渡りしていくしかない」 「政治は理屈じゃない。生活が先なんだよ」 といった、 「前近代的」 といってもいいような意識である。実は、「生活」 をも危うくするのが、そうした問題なのだが、これを論理として理解しようとはしないのである。

  米軍基地再編をはじめとする現在の自民党政治を支えているこうした国民意識をどう変えていけばいいのか。 岩国の選挙が突きつけている問題は、考えてみれば深刻である。

  東京新聞は 「反対派の市議」 の次のような言葉を伝えている。「三十五億円の補助金カットのときから財政問題を争点にする作戦に乗せられていた。 今回、(容認派が) 勝ったことで、国は他の地方自治体にもこういうやり方をしかねない」

  艦載機岩国移転後の基地の状況が、「しんぶん赤旗」 6日付に載っている。それによると、再編後の岩国は、「アジア最大の基地」 になり、 米軍と自衛隊を合わせると、現在の沖縄・嘉手納の100機をも超える142機の航空機が配備され、年間離着陸は嘉手納の約7万回を遙かに超える約10万回に、 米兵・軍属・家族は嘉手納の約9700人を超す1万0300人になるはずだという。

  「基地はどこかが負担しなければならない 『受苦』 だ」 といって、すますことができるのだろうか? メディアはそのことを十分伝えてきたのだろうか?  われわれはそのことを真剣に考えてきたのだろうか? 

  こんなことをしていると、本当に、もっともっと 「おかしな国」 になっていく。岩国市民とともに、われわれみんなが問われている。
2008.2.14


【ルポ・岩国市長選】 丸山 重威

◎国の政策に、自治体は反対できないのか
艦載機移駐、米軍再編に揺れる観光の街
  米軍再編に伴い厚木の米艦載機を移駐させる問題の是非をめぐって、市長と市議会が対立、市長辞任から出直し市長選となった山口県岩国市は、 2月3日の公示を前に既に騒然とした雰囲気に包まれている。

  「錦帯橋に艦載機は似つかわしくない。子や孫に恥ずかしくない選択を」 「『金で言うことを聞け』 という国のやり方はやっぱり許せない」 と前市長の井原勝介派がのぼりを立てれば、「『岩国財政丸』 SOS沈没」 「国や県から孤立した関係を修復し、失われた9年間を取り戻す」 と、 自民党、公明党が支援する艦載機移駐容認の福田良彦前衆院議員派。

  中央紙の配布エリアから言えば、すぐ隣の広島県が大阪本社管内であるのと違って、山口県は九州で編集 ・ 印刷する西部本社版。 このため、全国的な問題なのに、地元や九州地区以外のメディアでの扱いが小さく、注目を集めにくい。 だが、争点の拡散や地縁を頼った古い締め付けも出て、民主主義と日本の政治自体が問われる状況になっている。

▼争点は何なのか?
  「いま相手方は、井原にやらせれば岩国は夕張のようになってしまう、とデマを飛ばしています。しかし、そんなことはありません。 借金はもちろんありますが、財政破綻など起きることはありません」−2月28日朝、市内・川西地区で開かれたミニ集会で井原市長は、約30人の住民の前で、 相手方の主張への反論から話を始めた。「問題は艦載機です。私は、試験飛行の実施、騒音調査、埋め立てについての問題、日米基地協定の見直し、 NLPの恒久基地の明確化、海上自衛隊の残留など、市民の生活と安全を守るために、国に話し合いを求めています。 いま、彼らはデマを振りまいて、艦載機問題をそらし、反対する市民を諦めさせようとしているのです」


小集会で住民と対話する井原勝介前市長。1月28日、岩国市川西供用会館

  米軍艦載機の移駐が焦点のはずの選挙だが、福田陣営の作戦なのか、争点は財政問題や 「国や県との関係」 にそらされてきている。

  「艦載機移駐は焦点ではないですよ」 と断言するのは、福田良彦連合後援会の隅喜彦事務局長。「マスコミは艦載機のことばかりいっている。情報が歪んでいる。 反対しても、来るものは来る。しかし、問題は財政で、このままでは財政破綻は目に見えている」 「岩国が革新の町になったら一生後悔する」

  福田氏のパンフレットには、「もちろん 『艦載機』 は来ない方がいいに決まっていますいまそこだけが争点になっていますが、 安心・安全な市民生活の確保のためには、医療、福祉、教育、育児、産業など、さまざまな課題が山積しています」 とし、 「その中で、岩国市民にとってベストな政策を実行しなければなりません」と、艦載機問題を焦点にするのを避ける姿勢が明確だ。 そして、「国や県から孤立した関係を修復し、失われた9年間を取り戻すことを誓います」 といい、 「笑顔があふれ、活力のある岩国市へ」 「ワクワクするまちづくり」 などの言葉が踊る。

  しかし、財政難は、艦載機を受け入れれば解決するのかどうか。その解明はない。

  ▼「話を聞くな」 の電話と、「バスもつぶれる」 キャンペーン
  日本の選挙戦は、まだ 「村八分」 と 「怪文書」 の世界なのだろうか。今回の岩国の選挙戦には、一世代前に語られた 「村の選挙」 を思わせる話があった。 地域の有力者による集会妨害や、根拠が疑わしい内容の宣伝ビラだ。

  「旧郡部のミニ集会に行ったのですが、3人しか来てくれなかった。おかしいと思って、あとで聞いて回ったら、 私の支持者が付けている黄色いリボンを持っている人が出てきて、『2日前に、地元の有力者から、井原さんの会があるが出ないように、という電話があったんです。 近所付き合いもあって出られませんでした』 という話だった。きのうは別のところでしたが、ここも4人。自治会長から 『出ないように』 ということだった、というんです。 いま、権力の締め付けがすごい」−井原陣営の話だ。「街頭に出れば、こっそり家の中から演説を聴いてくれる人はいると思うけれど、 井原を支持するのだったら仕事を回さないとか、息子の就職に差し支えるとか、いろいろしがらみがあるんですよ…」

  そして、「井原候補が当選したら大変なことになる」 という宣伝も活発だ。

  「今のままの市政が続いたら、岩国はどうなる?? 愛宕山の問題解決ができず、80億円の精算をしなければなりません。 そのお金は借り入れができず、岩国は倒産します」 と書かれた 「岩国の明るい未来を創る会 女性部会」 のビラは、白、黄色、ピンクの3種類が出されていて、 「救急医療、地域医療が受けられなくなる」 「学校は統廃合される」 「市立保育園がなくなる」 「市営バスがつぶれる」 などと 「危機」 を訴え、 「いま変えなければなりません」 と宣伝している。「愛宕山問題」 とは、市と県の協力で山口県住宅供給公社が造成した土地の問題。 これには、「艦載機が来れば、そこに米軍住宅が来るのではないか」 という不安も出されているが、その負担金が問題にされている。

  いずれにしても、井原陣営からは 「デマばかりで、ばかばかしいが、反論に時間を取ってしまう」 というぼやきも出るほどだ。

  こうした中で、「艦載機問題が焦点であることは確かだが、基地によって経済が潤うなどということは、ほとんどない。 実は今回の選挙は、地元の一握りの経済界が持ってきた利権構造を井原氏が斬ってきたことへの報復です。 井原さんは取っつきは悪いけど、クリーンだったですからね」 という解説もある。「だから、権力者たちは、自分たちの言うことを聞く若い市長を据えたいんです。 それは中央も同じじゃないですか…」

  「理不尽な国+一部の利権を期待する人たち vs 岩国市民+公正な政治を求める県民・国民」 が 「対決の構図」だとするニュース (「住民投票を力にする会」)もあった。

  ▼国の政策押しつけと違約
  確かに、今回の選挙は、どうみてもあまりに理不尽な国の政策に端を発している。

  2005年明らかになった在日米軍の再編成計画では、神奈川県・厚木にある空母艦載機EA−6Bなど59機をここに移動させる計画が含まれていた。 戦前も海軍の基地だった岩国市は、現在の米軍と自衛隊基地について、その存在を容認し、協力の姿勢を示してきた。 しかし、地元との話し合いもないままの計画発表に、反対運動が巻き起こった。

  元労働官僚の井原勝介市長が反対を表明、2005年6月には市議会も反対を決議した。しかし、市議会の一部から 「受け入れ容認」 の声も出たため、 市長の発議で2006年3月、住民投票が行われた。地元では 「国政に関わることに住民投票はなじまない」 とボイコットする動きもあったが、 投票率は条例の要件である50%を超え、58.68%、「受け入れ反対」 は87.42%で、全有権者に換算しても51.3%に達した。

  本来ならこうした民意が示された以上、計画の再検討が行われる、というのが民主主義というべきだろう。 「それでも在日米軍再編は必要だ」 (読売) とか 「国の安全はどうするのか」 (産経) と書いた新聞もあったが、「あらゆる可能性を視野に、 再編問題を見直すことを求めたい」 (新潟日報)、「計画を根本的に練り直す姿勢が日米両政府に求められている」 (琉球新報)、 「もっと大幅な海外移転こそ検討すべきだ」 (南日本新聞) などの主張もあった。

  しかし、そうはいかなかった。「国政に住民は口を出すな」 である。

  小泉首相が 「移転計画に変更はない」 と明言した政府は、アメとムチの政策さながら、昨年5月成立した米軍再編推進特措法でも、 名護、座間と併せ岩国への再編交付金の支出を凍結。そればかりでなく、既に支出してきた新市庁舎建築のための補助金のうち、2007年度分35億円を支出しない、 という 「報復手段」 に出た。もともとこの補助金は、1996年の日米合意で、 沖縄・普天間基地からの空中給油機KC130部隊12機を岩国が受け入れることに伴って支出されてきた補助金で、今回の艦載機受け入れとは無関係のはずだ。

  住民投票のとき、「地元無視のツケだ」 と住民説得を問題にした朝日も、今回はさすがに 「補助金の名目を一方的に変え、 新たに艦載機を受け入れなければ打ち切るのはあまりに乱暴ではないか」 (1月22日社説 「問われる 『アメとムチ』」) と書いた。

  しかし、総事業費の約半分に当たる総額49億円のうち、35億円のカットは、当然市財政をピンチに陥れる。 合併で広域に広がった市議会には、「いくら反対しても艦載機は来るのだから、反対などするより、早く決めて有利な条件を取った方がいい」 という議員も増え、 当初拮抗していた反対派、容認派の色分けは、公明党が容認に傾いたため、容認派が多数になった。 その結果、市長が提出する予算は、4度にわたって否決。井原市長は2007年12月、自らの辞任と引き替えに、 周辺の7町村の合併で認められた合併特例債を使っての予算承認を求め、5度目の提案が修正されてやっと成立した。 市庁舎はまもなく竣工するが、市長の辞任で、その主はまだ決まらない。

▼問われるメディア、地方自治…
  岩国は人口約15万。山口県の最東部に位置し、広島県と接している。経済圏は実質的に広島に属している。 「宮島から少し足を伸ばして、錦帯橋観光を」 という期待もあるが、今ひとつ客足は延びない。

  そんな町だから、新聞でいえば、広島で発行されている中国新聞が大きなシェアを持っており、朝日、毎日、読売などの全国紙や、山口新聞の部数は劣勢。 特に、全国紙3紙の場合、山口県は伝統的に九州に本拠を持つ西部本社のエリアで、ニュースが直接東京に上がってこないこともあって、岩国問題が広がりにくい。 「同じ基地問題でも、全国的に注目される沖縄や、厚木、横須賀とは違っている」 と悩みを漏らす活動家もいる。

しかしそれだけに、狭い町で、新聞がどう報じたかは、両陣営から注目されている。 「同じ行数で、同じように並べないと文句が来る」 と語るのは地域紙 「日刊いわくに」 の藤井淳史氏。 報道への注文は、地域紙に限ったことではなく、ほかのメディアでも同じで、「自由な報道」 も容易ではないようだ。

岩国が突きつけられた問題は、実は、全国どこの自治体でも起こりうることである。 国のやり方は正しいのか、それに住民はどう対応すべきか、地方自治とはどういうことか。

  2月3日からの市長選の投票は10日。問題は岩国市民だけのことではない。
2008.1.31


◎税金の 「使い道」 と国民の感覚
「脱税摘発」 の季節 (下)

  かつてよく言われたのは、日本人が政治について発言しないのは、サラリーマンが源泉徴収で税金を天引きされており、自分で納めているという感覚に乏しいから、 その使い道についても鈍感になってしまうのではないか、という議論だった。 一種内向きの反省論だが、実際、「税金の使い道」 の議論はもっとされなければいけないはずだ。

  例えば国家予算。いま国会に提出されている2008年度政府予算案は、83兆0613億4000万円。前年度から 0.2%の伸び率だが、 構成比で見ると、歳入では64.5%が租税などの収入、30.5%が国債費で占められている。一方、歳出では、一般歳出が56.9%、国債の償還が24.3%、 地方交付税などが18.8%と、前年とあまり変わっていない。歳出の中身を見ると、社会保障関係費が21兆7824億3400万円で26.2%、公共事業費が 8.1%だ。

  問題の防衛関係費は 5.8%で、4兆7796億5000万円。昨年から見れば少し減ってはいるが、それでも、進行中の中期防衛力整備計画で、 後年度負担が見込まれている。この中期防で見込まれているのは、2005年から2009年にかけて、24兆2400億円に上っている。 そのうちどの程度が、憲法の 「戦力」 に抵触しない 「専守防衛」 に本当に必要な装備なのだろうか。

  例えばいま、国際的にクラスター爆弾を禁止しようという動きが進んでいるが、日本の自衛隊も、 「攻撃用ではなく専守防衛の手段として海岸線から進入した敵を撃退するために使う」 のだそうで、4種類のクラスター爆弾を持っている、という。 「購入費用は158億円だったから、クラスター爆弾は約9000発になるはずだ」 ともいわれている。

  生活保護の問題や、医療、年金問題についても、もっと詳細に検討しなければならないことは多いはずだが、その支出については、 抑制の話しかニュースになってこない。

  もう一つ付け加えれば、いま問題になっている消費税。政府税調は昨年11月、「社会保障制度を支えるため、 安定的な歳入構造の確立が課題」 だとし 「財源としての消費税が重要な役割を果たすべきだ」 と述べ、消費税を社会保障税に変えて税率アップを、 というすり替え論が始まっている。つまり、消費税は、現在5%で、2007年度予算の見込みは、10兆6450億円。 従ってこれを10%にアップすれば、約20兆になり、21兆円あまりの社会保障費をほぼ賄える、と見て、消費税の増税を構想するわけだ。

  しかし、考えてみなければならない。税金とは、一体何のためのものなのだろう。 社会保障のほとんどを、消費税という負担の逆進性が強い間接税で賄おうという発想は、「格差是正」 どころか、 税による 「富の再配分機能」 を図る政府の責任を放棄したものと言わざるを得ないだろう。

  新聞の経済記事に問題があるといわれるようになってから、もう長い年月を経ている。経済面というのは、誰に向かって、どういうメッセージを発しているのか、 という問題だ。株や商品取引の情報がまさにそういわれる要因だった。近年、各紙に 「暮らし」 などという欄が出来て、生活経済への視点が出て、 少し変わってきたとも言えるだろうが、いわゆる経済面は、相変わらずだ。

  「経済問題は難しい」 ではすまされない。求められているのは、庶民の立場に立った 「視点」 をはっきりさせた記事ではないだろうか。
(了)
2008.1.30


◎税金問題の3つの焦点
「脱税摘発」 の季節 (中)

  確定申告のキャンペーンは、もちろん 「脱税摘発」 だけではない。自治体の広報紙だったり、申告書の郵送だったりで、国民各層に知らされる。 新聞もまた税金を取り上げるニュースが増える。

  国会で問題になっているガソリン税の特別措置をどうするか、といった問題も大きいが、本質的には、国が必要とする公共的な仕事をみんなでどう賄っていくか、 という問題であることに気づく。そして、その原則は、「能力に応じて負担し、必要に応じて支出する」 というものでなければならないことも当たり前だ。 だが、いまの税制と国家財政の運用を考えると、その点でどうにも納得できないことが多いことにも気づく。

  先に 「国税当局はこれまで数十年にわたって、国民各層を分断し、反目させて、その矛盾を利用しながら、結局、広く厳しく、 税金を取り立てるという戦略を進めてきた」 と書いた。どういうことか。簡単に紹介しよう。
  例えば、かつて 「クロヨン」 とか 「トーゴーサン」 とかいう言葉が言われた。税金の捕捉率の話だが、簡単にいえば、会社勤めなどの給与所得者は、 源泉徴収制度で、会社が給与から天引きする方式をとっているので、実際の所得の9割は捕捉できるが、自営業者の場合は6割、 農業・林業・水産業者など第一次産業の場合は4割しか捕捉できない、と宣伝された。「サラリーマンに過酷で、自営業や一次産業優遇の税制」 というわけだ。

  実際にどうなのか? いまは決してそんなことはない、というより、いかにして必要経費を捻り出すかが大変なのだ、といわれるくらい、 自営業も第一次産業も大変で、税務署はそうした人たちからの徴税を強化した。

  「直間比率の適正化」 という話もあった。消費税を引き出し、さらにそれを強化するためのキャンペーンといってもいい。 直接税は、高額所得者には高い税率、所得が少ない人には低い税率で課税するから、一応 「能力に応じた課税」 つまり 「応能主義」 に近い形になっている。 しかし、消費税など、高額所得者でも低所得者でも同じように使うものに掛けられる間接税は一律にならざるを得ないから、これに多くの負担を掛けると、 低所得者は負担能力が低いにも拘わらず、高額所得者に比べ重い負担を掛けることになる。

  消費税の増額が語られているが、既に日本の直間比率は、国税ベースでいうと、1965年には72.8対21.2で直接税が多かったものが、 1999年には、57.2対42.8になり、2004年には、58.2対41.8になる。
  そして現在、2007年度では、62.4対37.6。直間比率が少し戻してきているから消費税を、という考え方もあるに違いない。つまり 「薄く広く負担」 の戦略だと言っていい。

  そして、問題なのは 「累進課税の緩和」 である。
  1970年当時、私は社会部記者として国税庁を担当していたが、このころ広報課がしきりに言っていたのは、累進の緩和だった。 当時の高額所得者は長島茂雄氏や松本清張氏。広報課長は 「長島さんは高額所得者だけど、70%は税金に持っていかれる。 松本さんが書く原稿は400字詰め原稿用紙で300字までは税金に持っていかれるんですよ」 ということだった。 当時の累進税率は確かに、所得に応じて19段階に刻まれ、最高の8000万円の課税所得者には、75%だったのである。
  しかし、2007年で見ると、1800万円以上は刻みが無くなって4段階。最高の1800万円に上が37%、2008年分からは40%と半減されてしまっている。 高所得者はますます自分の懐に富を蓄積できて優遇されるが、低所得者の負担税率は変わらない。

  これで 「格差」 が是正できるというのだろうか。
  ついでに書こう。住民税も以前は累進課税だったが、2007年分から一律10% (道府県税4%、市町村税6%) となるのだそうだ。
2008.1.26


◎所得税確定申告に向けたリーク?
「脱税摘発」 の季節 (上)

  「歯科医ら1700万円脱税か 寄付を偽装、強制捜査」−そんなニュースが流れたのは、1月18日夕刊段階である。 歯科医を希望する学生に学費を貸していた埼玉県所沢市の財団法人を舞台に、法人の元理事長(79)や歯科医師ら計24人が、 協会への寄付を偽装し所得税計約1700万円を脱税した疑いで、さいたま地検と関東信越国税局が強制捜査に入った、というニュースだ。
  翌19日には、さいたま地検特別刑事部が発表、「歯科医集団脱税疑い 財団元理事長ら逮捕 埼玉地検 2億4000万円不明」 となり、 「同協会では少なくとも2億4000万円の支出先がわからなくなっており、特別刑事部は財団法人を利用した集団での脱税行為の全容解明を目指す」 という。

  毎年1月、お正月気分が抜けると、決まってあるのは、所得税の確定申告に向けての「脱税摘発」のニュースだ。
  所得税の確定申告は、毎年2月中旬から3月中旬が申告期間。ことしは2月18日(月)から3月17日(月)までだそうだが、 自治体の広報紙やテレビで 「医療費が戻ります」 「電子申告が出来ます」 などと案内を流し、 「確定申告を致しました」 と笑顔の女優さんを使った最初の日のキャンペーンが用意される一方で、「ごまかしはひどいことになるよ」 と、 「脱税摘発」 がリークされる。「業界ぐるみ」 だったり、有名人だったり、その年によってまちまちだが、国税手持ちのネタがメディアに提供される。 国税庁や国税局は 「守秘義務」 を理由にして 「発表」 はしないが、積極的に内容を教えてくれる。うまく記者にささやくのも広報の大事な仕事だからだ。

  会社の法人税などでは、「見解の違いだ」 との 「言い分」 があるケースも多いが、所得税は個人だけに、せいぜい 「申告漏れだった」 という言い分しかないし、 最近は、今回の場合のように検察庁が一緒に動いていることも多く、まさに 「威嚇効果十分」 だ。
  ここ数年、新春の 「脱税」 や 「申告漏れ」 のニュースだけ見ても、昨年1月には、新宿歌舞伎町のホストクラブ経営者、2月には、札幌の有名ジンギスカン店、 新宿の有名画廊経営者、1昨年の06年2月には、大手建設会社元会長の遺産、有名私立高校の理事長、05年1月には、整形手術で知られるクリニックの総院長、 出会い系サイトの運営者、2月には、健康食品販売会社、有名アクセサリー会社の経営者などの摘発が報じられている。
  過去には、斬新な手法で知られた華道の家元や、有名なバイオリニストなど国際的にも知られた有名人も 「摘発」 されニュースになった。 今回も 「元環境庁長官も理事だった」 とニュースバリューのアップを図っている。

  税金をどうやってうまく徴収するか? 国税当局はこれまで数十年にわたって、国民各層を分断し、反目させて、その矛盾を利用しながら、 結局、広く厳しく、税金を取り立てるという戦略を進めてきた。「税金を正しく納めるのは当然」 という国民意識に乗ってのことだから、あまり文句は出ない。
  「脱税」 も 「申告漏れ」 も、擁護するつもりはない。ただ、「ニュースの効果」 を考えると、どんなものかなあ、と考えてしまうのだ。
2008.1.25


◎薬害C型肝炎解決への政策決定
日本型問題解決のメカニズム

  7日付の朝日と毎日に、読ませる記事が載った。朝日のコラムニスト早野透記者の 「ポリティカにっぽん」 の 「急転劇生んだ自民の奥行き」 と題する記事と、 毎日の総合面 「風知草」 の 「薬害と与謝野馨の助太刀」 という総合編集委員・山田孝男記者の記事だ。

  2つの記事とも、薬害C型肝炎被害者の救済問題で、裁判の和解交渉が決裂した中で自民党の政治家が動いた経過をレポートした。 「同じ病気の仲間を切り捨てるわけにはいかない」 と和解交渉をきっぱりと拒否した原告団の爽やかさが光っていただけに、 自民党が議員立法で解決しようとしたことでほっとした人は多かったに違いない。だから、「なぜそれができたか」 を紹介した2つの記事は、 さすがベテラン政治記者と思わせた。

  早野記者は、民主党や川田龍平議員の動きも含め野田毅氏、山田記者は与謝野馨氏にポイントを置き、 早野記者はこれを「自民党という政党の意外な懐の深さ」と書き、山田記者は、与謝野氏の 「官僚は誠実だった。あとは政治家が動くしかない」 という言葉を紹介し、 福田首相の決断へのメカニズムを書いている。何が一番大きな力になったかはわからないにしても、 日本の 「政策決定」 がこういう形で動いていることを伝える意味は大きい。

  ところで、2つの記事で紹介されているのが、「このままでは福田が危ない! …自民党ハト派がひそかに反転工作に乗り出した様相が見える」 (朝日) 「与謝野が動く直前、政府・与党は悲壮感に包まれていた。… 『官僚に硬直と福田の無能』 というイメージが広がっていた」 (毎日) という政府・自民党の危機感である。

  ことし2008年は、非常に大きな意味で、日本の政治も、経済も、社会も、大反転していかなければいけない年ではないかと思う。 そして、決して 「豊か」 とはいえないかもしれない、しかし、本当に落ち着いた幸せな生活を求める国民の声がいままでになく高まり、それが実を結ぶかどうか、 というところまで来た年ではないかと思う。残留孤児問題を含め、既に、裁判闘争で闘われた問題が政治的に解決されている事実がいくつかあるし、 障害者支援法や高齢者医療についての問題は政府・与党でも検討されている、という。 (なお、
「新しい年、『憲法を取り戻す年』にしよう」 =参照)

  今回の 「解決」も、「小さな声」 を勇気を持って大きく広げ、裁判闘争を闘ってきた原告団のせっぱ詰まった思いと闘いの結果で、 自民党議員や政権のお手柄では全くない。

  こんな風にならない前に 「解決」 するのが本当の政治だし、メディアはそうした「弱い声」をもっと早く伝え、広げていく役割を果たさなければならない。 政治の場に来る前に、法廷に来る前に、どう問題提起し仕組みを変えていくか。それが 「報道」 の仕事である。

  その意味では、今回の2つの記事は 「自民党よいしょの記事だ」 と読む人もあるだろう。だが、具体的な政策決定に至る経緯を、 「事実」 を押さえて字にしたことに意味があった。

  しかし、いまマスメディアに期待されるのは、広がっているいろんな 「弱者」 の実態であり、そこでの要求と運動だ。 その運動や要求の中に潜む 「事実」 を、民衆により近い場で取材し、運動に寄り添って考える若い記者たちがどんどん書き出していくことだ。

  記者にとって 「記者冥利に尽きる」 ときは、いままでわからなかった 「事実」 をつかみ、その意味を解明し、「よし、これで行こう」 とパソコンに向かうときだ。 2人のベテラン政治記者と同じように、人々のこころを動かす、現場のレポートを期待したい。
2008.1.9


◎食い物にされた「戦争責任」
「遺棄兵器処理」水増し請求とは何か

  防衛省の疑惑で、大手コンサルタント会社の 「遺棄兵器処理の水増し請求」 という話が浮上している。 「遺棄兵器処理」 とは、旧日本軍が廃棄した毒ガスの処理のことだ。日本政府は、その処理をしないまま被害を出し、いくつもの訴訟が起きているのに、 一方で、これを食い物にして、利益をむさぼっていた企業があった、という話。問われる 「戦争責任」 を 「カネ」に変える 「軍需会社」 …。とても許せる構造ではない。

  1日付読売新聞は、東京地検が 「パシフィックコンサルタンツインターナショナル」 (PCI ) を、事業費水増しの詐欺容疑で立件する方針を固めた、と報じた。 地検は既に10月中旬、同本社などを家宅捜索、報道もされているが、経済上のリスクを一切負わず、 遺棄兵器処理事業を独占受注していた同社首脳らの詐欺罪が成立すると判断した、という。 (http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080101i101.htm)

  かつての戦争で、日本は1907年のハーグ陸戦規約で禁じられている毒ガス兵器を大量に製造し、中国全土でこれを使った。 1945年、国民軍、人民解放軍、それに北からのソ連の進攻で負け戦になった日本軍は、これが問題にされるのを恐れ、 細菌兵器とともに残った化学兵器を地中に埋めたり、川に流したり、爆破したりして隠した。

  遺棄されたのは、中国側の推計では200万発、日本の調査でも70万発。ところが、戦後まもなくから現在に至るまで、 こうした毒ガスが建設工事中に掘り返されたりして出土し、知らずにそれを扱って被害に遭う新たな被害が各地で続発した。

  一方、国際的には1993年に署名された化学兵器禁止条約 (1995年批准) で、かつての化学兵器について、調査・処理し、無害化する義務を負い、 この 「遺棄化学兵器処理事業」 も始まった。今回の事件は、この毒ガス処理のために数百億円の 「処理費」 を受け取った会社が、 実はその日本人の血税を横取りしていた、という犯罪だ。

  問題は、日本政府が、毒ガスによる新たな被害者に対してまで、「日中共同声明で処理済みだ」 として、何の謝罪も賠償もせず、 被害者たちは裁判で争うことを余儀なくされていることだ。裁判所の判断も分かれているが、「戦争責任」 を回避しようとする政府に、 「遺棄化学兵器被害者対策」 に手をつけようという発想はない。

  1つだけ例を挙げると、2003年8月、チチハル市の団地の地下駐車場建設現場から、5つのドラム缶が掘り出され、中から漏れた液体が吹き出し、 周辺の土に浸み込んだ。何の液体なのかわからなかったが、旧日本軍で「きい剤」と呼ばれたマスタードとルイサイトの混合物。 作業員や、ドラム缶や土壌が持ち込まれた廃品回収所や学校で液体や土に触れた人たち、少なくとも44人が被害を受け、1人が亡くなった。 日本政府は3億円を「遺棄化学処理事業にかかわる費用」として支払ったが、この新たな被害者に、謝罪や賠償がされたわけではない。 いま裁判が進行中だ。
  [参考] チチハル8・4被害者を支援する会
  [参考] NPJ 「訟廷日誌」 チチハル毒ガス事件
  昨年夏、私はチチハルの現場を訪れ、被害者たちにも会った。この事件を知り、今回の 「水増し事件」 を知り、「申し訳ない」 と言う以前に 「恥ずかしい」 と思ってしまう。

  「戦争責任」とは、そんな「恥を知る精神」なのではないか、とも思っている。 (了)

 ◎参考:中国での旧日本軍の行為をめぐる裁判の関連サイト。
2008.1.3



◎「総選挙」 か、「強い政治姿勢」 か
2008年 新聞は何を訴えようとしているか
── 元旦の社説を読む (上)

  年の終わりにはその年の 「総まとめ」 を、そして年の初めには、1年間にするべき課題や、それに対する方針、決意を書く。 多くの人が日記や手帳に書き込むことを、新聞は年末年始の紙面に込める。とりわけ、元旦の社説は重要な意味を持つ。 それは、それぞれの新聞──それは論説担当者だけの場合があるのかもしれないが──が、今年、何を大切に考え、何を伝え、何を訴えようとしているか、 を示すものだからだ。元旦の各新聞の社説をざっとリサーチしてみよう。

  「穏やかならぬ」 と朝日
  まず、3大紙の社説のタイトルは、「平成20年の意味―歴史に刻む総選挙の年に」 (朝日)、「08年を考える 責任感を取り戻そう」 (毎日)、 「多極化世界への変動に備えよ 外交力に必要な国内体制の再構築」 (読売) というものだった。

  いずれも政治の方向について述べたものだが、例によって、朝日、毎日と読売とは全く違っていた。端的に言って、「総選挙」 なのか、福田政権の 「強い姿勢」 かである。

  朝日は、イラク戦争前夜の5年前に 「穏やかならぬ年明けだ」 と書いたことを思い起こし、現在の日本について、「外から押し寄せる脅威よりも前に、 中から崩れてはしまわないか」 と表明、その要因は 「ねじれ時代」 など 「政治の混迷」 にあるとし、「改めて総選挙に問うしかあるまい」 とした。 「今年、政治の歴史に大きな節目を刻みたい」。

  毎日は、世界情勢から説き起こした。サブプライムローン問題を例に、米国の責任を追及、「世界のリーダーとしての責任放棄だ」 と指摘、 「『平和と安定』 という世界のための公共財を提供すること」 が 「超大国としての役割」 なのに、イラク戦争でも地球環境問題でも、 米国が 「世界をリードするのが難しくなった」 とその責任放棄を批判した。そして、「無責任では日本も同断」 と、「対立したまま合意から遠い」 与野党や、 「偽装」 続発の企業などを批判、「復古的な国家優先主義」 ではない、「公」 の回復が必要だと論じている。 そして、「ねじれの解消も民意、つまり選挙にゆだねるべきだ」 と言う。

  首相に 「強い姿勢」 求める読売
  これに対して読売は、日本外交にとって、基軸を日米関係に置きながら、中国との関係が、「もっとも難しい重要な課題となる」 とし、 「戦略的互恵関係」 を維持するためにも、「国内政治の安定」 が必要で、福田政権は、「内外に強い政治意思を示すこと」 が必要だとした。 そして、消費税の引き上げなど 「新テロ特措法案に限らず、外交上、財政上、あるいは国民生活上必要な政策・法案は、 憲法に定められる 『3分の2』 再可決条項を適用して、遅滞なく次々と断行していくべきである」 と要求、「問責決議を恐れる理由は、 まったくない」 「解散・総選挙を急ぐ必要はない」 と言い切っている。

  政治への発言を重要だと考える大手各紙は、元旦にはどうしても政治動向を主体とした社説を掲げることになりやすい。 「国の在り方」 は確かに、主権者として関わらなければならない重要な問題だ。それを論じるのもメディアの使命だ。

  しかし、生活者としての国民からは、まだまだ政治は遠い。一体どこに問題があるのか。つまり、「民意」 をどう読みとるか。そこに焦点があるのは確かだろう。 (つづく)



◎「環境の年」 にリーダーシップを
2008年 新聞は何を訴えようとしているか
──元旦の社説を読む (中)

  いま世界で最も重要な問題は何か、と聞かれたとき、貧困や飢餓、平和の問題と同時にあげられるのは、地球温暖化の問題である。 2008年と決められていた京都議定書の最初の約束の期間を迎えるが、ことし北海道の洞爺湖サミットを前にしても、問題は残されたままだ。 元旦社説には、さすがに、この問題について論じたものも少なくなかった。

  温暖化対策の制度設計に言及
  日経は 「国益と地球益を満たす制度設計を」 と題して、京都議定書の目標は、「本当にささやかな1歩でしかない。 ただ、それは文明史上画期的な意味を持つ1歩」 と指摘した。そして、「日本は一連の国際舞台でその覚悟と政策能力を試される」 「経済社会の中に、環境という価値をきっちり組み込まない限り、ことは成就しない」 「制度設計では残念ながら欧州が断然、先行している」 として、 さまざまな排出権取引のタイプを含め、「どんな制度を選び、どう使いこなすかが世界の関心事」 「制度設計に背を向けてきた日本は、 特殊な国というレッテルをはられつつある。洞爺湖サミットが不安だ」 と結んでいる。

  北海道新聞も 「サミットの年に考える 瀬戸際の地球をどう守る」 と題してこの問題を取り上げた。「今世紀半ばまでに、環境は激変する。 このままだと人類が生き延びられるかどうかの瀬戸際にさしかかるのは、ほぼ間違いない」 と述べ、「『自然を守れ』 という言い方は人間のおごりかもしれない」 と、 「人間も自然の一部」 だとするアイヌ民族などの思想を思いをいたした。そして、近代の工業・都市文明の 「消費をあおり、 資源をムダ遣いして顧みない経済・社会の構造」 に問題があると指摘した。

  日・米の責任と世界の運動
  そして、「国境を越えた投機的なカネの動き」 が個別の利益優先のため、全体の利益を考慮しない傾向に拍車をかけ、 「各国の中でも、世界的にも経済格差を広げている」 として 「これ自体がサミットの大きな課題だ」 と取り組みを求めた。 そして、温暖化対策の 「背中を押すのは世論」 だとし、「各国の世論が連帯し、国家の利害を超えた、地球民主主義とも言うべき考え方が求められる」 と、 家庭のごみを減らし、地産地消を広げ、環境問題に不熱心な企業の製品は買わないなど、「脱温暖化の住民運動」 に期待を表明した。

  このほか、「京都議定書元年 目標実現へ決意を新たにしたい」 と書いたのは愛媛新聞。昨年夏の記録的な猛暑に触れ、極地の状況を紹介、 「これらはまさに地球への警鐘」 「危機に見舞われているのは極地の動物だけではなく、人類と現代文明そのもの」 と強調した。 「民生部門を含めた一層の削減努力」 を訴え、「本県も温室効果ガスの削減目標は九〇年度比で6%減だが、〇五年度の排出量は23%増」 と取り組み強化を求めた。

  同紙はさらに、バリ島での 「COP13」で、米国が消極的で、日本がそれに同調したことに 「疑問が残る」 と指摘し、サミットでは、「米国追随でなく、 毅然 (きぜん) としたリーダーシップを発揮できるかどうか、日本にとっても正念場となろう」と結んだ。

  サミットでは、飢餓や貧困をはじめとする新自由主義がもたらした社会問題について、先進国の責任を問うNGOの運動も企画されている。 メディアに求められるのは、こうした面にも視野を広げた報道や論評である。 (つづく)



◎「社会」を変える
2008年 新聞は何を訴えようとしているか
──元旦の社説を読む (下)

  ここ数年、小泉──安倍政権下で、ただ騒がしく、あわただしく、立ち止まって考えることがしにくかった政治状況が続いた。 しかしその中で、足下の地域社会は一体どうなっているのか。新年に、社会と地域を考えた社説は多かった。ここでは2つを紹介しよう。

  「貧困」 に立ち上がれ
  まず紹介したいのは、「『反貧困』 に希望が見える 年のはじめに考える」 という中日・東京の社説だ。「グローバル化のなかで貧困層の増加に歯止めがかかりません。 貧困問題に向き合い、若年層への有効な手だてを講じないかぎり、日本の未来が語れません」 と書き出す社説は、「反貧困たすけあいネットワーク」 を取り上げ、 社会の状況を紹介した。

  「パートやアルバイト、派遣の低賃金長時間労働に疲れ果て、体を壊したり、一日の生活費を二百円に限定したり、 『ケーキを食べること』 や 『アパートを借りること』 が夢の若者」 「ワーキングプア層とも呼べる年収二百万円以下が千二十三万人 (〇六年)」 「相対的貧困率 (平均所得の半分に満たない人の比率) はOECD諸国中、米国に次いで世界二位」 「生活保護受給者の百五十一万人と国民健康保険の滞納は四百八十万世帯」 「若年層に絞ると、四人に一人が非正社員で、 三人に一人は年収は百二十万円ほど」 「パート・アルバイト男性の四人に三人が親元に身を寄せて、結婚は極めてまれ」 …。

  そして、この反面、一部の大企業が 「勝者」 となり、全産業の利益は10年前の倍。社説は 「不正や理不尽な扱いには抗議の声を上げ、 時には法律を武器にした法廷での闘いも必要」 と書き、「最後には社会を変えたい。 いくら働いても暮らしが成り立たないような社会はどうかしている」 と言う代表運営委員・湯浅誠さんの言葉を紹介した。

  「コミュニティーの再生」 説く

  もうひとつ、西日本新聞の社説は 「コミュニティー再生が必要だ」 と、昨年、国民の信頼を裏切る事件が続発したことから、 「今年は社会をつなぐ信頼の糸を紡ぎ直すことから始めねばならない」 と強調した。 「信頼が揺らぐと人は不安になり、トラブルにつながる。貧困は生活をすさませ、格差は人間関係をぎくしゃくしたものにする」 という視点だ。

  そして、「利益競争は人から余裕を奪い、他者や社会への気遣いを失わせる。倫理感や道徳性は二の次となる」 と述べ、同紙が取り上げてきた過疎の辺地や離島、 住民の高齢化が進む福岡市の都心や郊外の団地など九州各地の状況から、「コミュニティーの再構築に乗り出すときである。 効率化一辺倒の流れに歯止めをかけ、人が支え合い、認め合う社会を取り戻すのだ」 と主張。 国には、権限と税財源の地方移譲を要求し、同時に 「貧困、高齢化に対処する労働法制や社会保障制度の拡充」 を求めた。 そして、「日本社会には弱者への配慮や競争の敗者への共感があり、企業にもその役割と機能があった」 と 「従業員の暮らし、地域への配慮を忘れない企業へと、 軸足を戻してほしい」 と要望した。

  政治、環境、社会…、そう続けて読んでみると、いまの日本が鮮やかに浮かび上がる。

  問題は、日本自身の在り方の問題である。「大国」 でなくても、他国と肩を並べなくてもいい。本当に大切なのは、地域で、職場で、 人々がみんな幸せに暮らしていける条件をつくること以外にないのではないか。

  2008年、多くの新聞はそう語っているように思えてならない。 (了)
2008.1.2