PEOPLE’S PRESS (NPJ) 応援メッセージ
2008年1月17日

  2008年12月1日に一般社団法人
  News for the People in Japan (NPJ) として登記いたしました。


NPO法人マスコミ市民フォーラム理事長  安孫子誠人
月刊 「マスコミ市民」 編集長  石塚さとし

  NPJ設立記念の会に際し、心より祝福のメッセージをお送りいたします。法律を職業とする皆様方を中心に、市民メディアを牽引していく決意をされたことは、 日本の民主主義の進展のため、とても有意義なことだと敬意を表します。昨年も、多くのえん罪事件や人権を無視した行政の行為や司法の判断がなされましたが、 これらのことは既存のマスメディアにも、大きな責任があります。当局の言いなりに情報を垂れ流すだけのメディアであれば、 それはすでに権力のウォッチドッグではありません。いまこそ市民の力で、メディアの再生を果たすときだと思います。 日本は、韓国やアメリカに比べ、まだまだ市民メディアの成熟が遅れています。誰もがまともな情報にアクセスでき、 だれもが多様な情報を発信できるようにならねばなりません。そうした意味で、私どもはNPJの目指すユニークな活躍に期待しております。 大幅に後退してしまった日本の民主主義を、少しでも前進させていくため、ともに連帯してがんばりましょう。


   「憲法と人権に 『かたよる』 メディア」 に期待

法学館憲法研究所所長 伊藤塾塾長  伊藤 真

  ピープルズ・プレスの代表・梓澤和幸弁護士は、私が所長を務める法学館憲法研究所のWebサイトで、 「NPJ」 は 「憲法と人権に 『かたよる』 メディア」 だと語られました。大変心強く感じます。人権を守るために権力を監視することはメディアに課せられた重要な使命です。 メディアは、その点では、権力を制限する規範である憲法の精神が最も発揮される場でもあるでしょう。 メディアが憲法と人権の重要性を唱えることは決して偏向などではなく、むしろ立憲民主主義国家における本来的な役割であるはずです。
  私は 「NPJ」 の情報発信はメディアのあるべき姿を追求するものであり、むしろ今日の多くのマスメディアの方が憲法と人権という考え方が希薄で、 それこそ偏った状況にあるのだと思います。この状況に警鐘を発するだけでなく、自らが情報発信を担っていこうという 「NPJ」 の発展を心から期待します。
  私は、日々、法律家を志して勉強している受験生に法律を教えていますが、「訟廷日誌」 など弁護士による情報発信には特に期待しています。 ぜひ受験生たちに法律家の仕事と役割を伝えるために活用させていただきます。
  また、私は、いまこそ裁判や法律についての情報、特に市民の視線からの情報がもっと早く、もっと多く社会に伝えられるべきだと考えています。 近く裁判員制度が導入され、これからは市民が司法も担っていこうという時代です。弁護士による情報発信活動が、 市民がより主体的に社会にかかわっていくことに繋がることも期待しています。


  NPJへのメッセージ

メディア総合研究所事務局長  岩崎 貞明

  このたびは 「PEOPLE’S PRESS」 の 「News for the People in Japan」 正式発足、誠におめでとうございます。 私も準備段階のホームページから、ほぼ毎日アクセスして拝見しております。メディア関連の内容が豊富で、マスメディアでの報道はもちろん、 新聞・テレビではなかなか接することができない情報や、メディア関連の裁判の判決理由、メディア関係団体の声明文などの資料もたくさんアーカイブされていて、 実に便利に利用させていただいています。これだけ充実したページを毎日更新して、それを維持していくのはたいへんな労力が必要かと存じますが、 「PEOPLE’S PRESS」 に集った皆様のご努力には心から敬意を表したいと思います。
  私どもメディア総合研究所も、メディアで働く関係者と研究者、ジャーナリスト、市民をつなぐ研究機関として微力を尽くしているつもりですが、 インターネット方面の充実がかなり遅れており、そういう意味では僭越ながら「先を越された」という感慨もあります。
  いま、さまざまな立場から社会のあり方を問う声が日増しに高まっていることを感じます。この 「News for the People in Japan」 が、 それぞれの立場の違いを超えて、市民運動の「ポータルサイト」的な役割を果たすことを期待いたします。


  ネット新聞のためのメッセージ

9条の会呼びかけ人 憲法研究者  奥平康弘

  「言論」 は、この世の中を 「生き生きとさせるものである」からこそ、憲法が保障しているのだと、アメリカの法学者のホワイトは言っています。
  でも、ホワイトが糾弾しているように、いま此の世にはびこっているのは、 「クリシェ (陳腐な決まり文句) とスローガン (決め付けがましいキャッチフレーズ) からなる言論」なのであって、われわれを、けっして生き生きとさせてくれないのです。
  池澤夏樹が「今のわれわれの言語生活」を、次のように捉えているのに、似たものを感じます。 「ある程度の嘘を含み、大袈裟で、見た目には派手で魅力的だけれども、しかし信用のならない言葉」。
  生き生きとした 「言論」 を取り戻そうではありませんか。


  底辺でたたかう人たちの希望のネットワークを

河添 誠 (首都圏青年ユニオン書記長)

  いま、この日本では、おそるべき勢いで貧困が拡大しています。 20代の若者からの相談で 「この2週間何も食べていない」 「この先、どうなるかわからない・・・」 などなど、こんな相談が珍しくなくなっています。 この日本では希望を語ることがむつかしくなっています。普通に生きるという単純なことがおそろしく困難になってしまっている・・・。 絶望ということばがしか浮かばない。世界中に目を見渡せば、こうした現実が日本だけではないことも明らかです。 ナイロビのスラムに行ったときに、そこではジュース1本の値段で売春がおこなわれ、エイズがもっとも多い死因だと聞いて、衝撃を受けました。 私たちは、もっと知らなければいけないと思います。底辺の人たちの生活と苦しみと困難を知らなければならないと思います。 日本と世界に絶望ではなく希望のネットワークを! NPJの発足に期待いたします。



『週刊金曜日』 編集長  北村 肇

  伝えるべきことを伝えず、伝えなくてもいいことを伝えるマスコミ。摘発すべき案件を摘発せず、摘発しなくてもいい案件を摘発する警察。 裁くべき相手を裁かず、裁かなくてもいい相手を裁く裁判所。もういい加減にしてよ〜とイライラしていたら、やるべきことをやる弁護士さんたちが颯爽と登場。 かっこいいよ〜。


  NPJの発足にあたり、       
心からお祝いと連帯のメッセージを送ります。

青年法律家協会弁護士学者合同部会 事務局長
  笹山 尚人

  私たち民衆の法律家は、日々、スポンサーにとらわれない、真実の報道の必要性を感じています。 力はないけれど、理不尽な目に遭い正義を貫こうとする民衆とその活動を、できるだけ多くの人に知ってもらうことが、世の中をよくしていくことに不可欠だと感じます。 NPJがスポンサーにとらわれず、真実の報道を貫く民衆のメディアとして活動されることは、世の中を明るく照らすことにつながっていくでしょう。 私たちも事件の紹介などを通じNPJと連携して、がんばっていきたいと思います。



人材育成コンサルタント  辛淑玉

  HPをあけて、絶句した。
  なんじゃこりゃ。
  この中から、情報を探せというのかぁ
  よくぞ、ここまでごちゃごちゃしたものを作りあげたものだ。
  宝探しじゃないんだからと、ぶちぶち言いながらあちこち検索していると
  ふーむ、なかなか読ませるねぇ。
  まさに、美しい日本の対極にある、ぐちゃぐちゃ、どろどろ、がやがやの世界。
  お世辞にもインテリが作ったとは思えない。
  でも、そう、人間の世界なんてそんなに簡単に割り切れない。世の中なんてこんなものなのよ。
  被害者と加害者にキレイに分けられない。どちらにもならなかったのは、運でしかない。
  だからちゃんと考えて行動しないと。その一歩がこのHP。
  現場の人間がニュースの送り手になるとき、お上の呪縛が解ける。アルジャジーラを見てご覧。
  だまされたくなかったら、参加してみないか?
  私も、ため息をつきながら、お宝情報を探し続けています。
  発足おめでとう。


  NPJの誕生を祝う!

日本インターネット新聞社 『JanJan』 代表取締役社長
 竹内 謙 (たけうち・けん)

  新しい市民メディア 『NPJ』 の誕生を、市民メディアの同志として、心からお祝い申し上げます。
  いま日本の社会でもっとも民主化から取り残されているのは、司法と報道の世界である、と私は常日頃から思っております。 国民の多くは最後の拠り所として裁判所への提訴に期待しますが、実際に裁判を経験してみると、裁判官のあまりの形式主義、 社会の実情を知ろうとしないあまりの非常識に、幻滅を感じ、絶望します。マスコミは記者クラブという談合機関を通じて検察官僚の手のひらの上で踊らされているばかりで、 被告が公判で主張する訴えなどは無視したまま報道しないのが実情です。
  若い弁護士の人たちが中心になって、良識あるジャーナリストや研究者、学生や市民が司法の世界に渦巻く問題を自ら発信しようとする 『NPJ』 の企てに、 心からのエールを送りたいと思います。
  市民メディアはいまだ黎明期にあります。この5年間、手探りしながら市民メディア 『JanJan』 を運営してきた立場から一言申し上げれば、 「市民メディアの成否は連携にあり」 と思っております。1つのサイトだけでは大きな力は発揮できません。 いろいろな立場の市民メディアが立ち上がり、お互いに連携することで全体としてマスコミを凌駕する影響力を持つ存在になる、 そんな時代がもうすぐそこに来ています。お互いに切磋琢磨しながら、この国に市民社会の時代を築き上げましょう。


  ピープルズ・プレスに寄せて

田島泰彦 (上智大学教授)

  未曾有の言論・メディア統制が進行している。個人情報保護法に象徴されているような、いわゆるメディア規制三法の進展や裁判員制度下の報道規制の企て、 メディアも指定公共機関に組み組む有事法制の成立、イラク自衛隊に対する取材ルールの合意、果ては憲法改正による表現の自由の改変など、 この国の言論の自由とメディアの独立は一体どうなってしまったのか、大変気になる。
  しかし、こうした権力や支配者によるむき出しの暴走もさることながら、もっと心配なのは、日本のメインストリームのメディアがこうした危機的な事態に敢然と対峙し、 市民の立場から権力を監視しチェックするジャーナリズムの役割を果たすのではなく、ますますこれから遠ざかり、 ジャーナリズムの最大の砦となるべき言論の自由とメディアの独立を手放しつつある現状である。
  このようなメディアを市民に取り戻し、ジャーナリズムの再生を実現するためには何が必要なのか。一つは、既存メディアの変革の課題である。 メディアの現場の人たちと連帯し、言論・表現の自由とメディアの独立の擁護、ジャーナリズムから遠ざかるメディアのあり方に本質的な批判を強め、 特にメディアへの市民のアクセスと参加を拡大していくことが重要である。
  もう一つは、既存メディアの情報を批判的に吟味評価し、主体的市民の立場からこれを批判的に読み取り、再構成するとともに、 問題の議題設定自体も新たに生み出すメディアリテラシーの能力を鍛え上げ、これを通して特にインターネットを舞台に市民が発信者として新しいメディアを立ち上げ、 広げていく課題がある。
  日本でも様々な運動が始まりつつあるが、今回のピープルズ・プレスの立ち上げもその意欲的な試みに他ならない。 既存メディアの改革とともに、メディア変革の有力なオルタナティブとして市民メディアの可能性に期待したい。



立命館大学、市民とメディア研究会・あくせす  津田正夫

  新しい時代に向かう新しいメディア「NPJ」の発足、おめでとうございます。
  画面からは、企業メディアの政治部あたりが隠してしまう権力の深部の情報や、多様な立場の人たちからの情報があふれてくるようで、わくわくします。
1 マス・メディア情報を分析・検討する。
2 マス・メディアで取り上げない情報を流通させる。
3 私たち自身が発信者になる。という3つの目的と、
そのために 「メディア・リテラシー」 を育てること、
  その成果としての政策提言を行っていくことというNPJの宣言は、私たちの社会にとって、非常に重要で有益なものだと思います。 いうまでもなく現在の政治/経済の情報支配や文化的な価値の形成は、主としてマスメディアを介して行われているからです。
  もともと政治家や大企業の情報や、エリート記者の特ダネ競争などから生まれてきたジャーナリズムやメディア商売は “胡散くさい” ものです。 「大量破壊兵器」 や 「復興支援」 のためのイラク戦争という日米政府のプロパガンダに利用されたことを、どれだけのメディアが反省しているでしょうか?
  「あるある大事典事件」 や 「亀田親子報道」 から、テレビは変わったのでしょうか? 受信料や広告費を払っている私たち自身が、異議を唱え、 別の見方を創りだしていかなくてはメディアは変わらないでしょう。
  また現代のメディアのゆがみは、ジャーナリストの過剰な競争やテレビマンの取材力の低下だけで起こるのではないところが重要です。 弱者を “お笑い” の対象にしたり、単純な愛国心を求める私たち視聴者・市民の意識に迎合して、メディアは商売しています。 政治家や大企業はここに巧みにつけこんでくるという構造を見抜き、変えていくことがとても重要だと思います。 その意味で、市民メディアNPJの 「メディア・リテラシー」 の仕事にも強く期待したいと思います。
  全国各地に、いま多様な市民メディアが芽生えています。NPOのラジオ局も10箇所になりました。こうした “草の根の公共放送” や、 メディア内部で闘っている人たち、さらにオルタナティブなジャーナリズムとも手をも携えて、がんばっていただきたくエールをお送りします。



日刊ベリタ編集長  永井 浩

  マスメディアにジャーナリズムとしての役割をあまり期待できなくなってきているのは、世界的な状況であって日本だけではない。 しかし、ジャーナリストとはメディア企業に属する記者だけを指すのではないし、ニュースとはかれらの提供する情報だけを意味するものではない。 いまや、一人ひとりの市民が記者となって市民の視点からニュースを発信していくことが大切である。 わたしたち 「日刊ベリタ」 は、そのような志を共有する者たちが先陣を切ったささやかなインターネット・ニュースサイトである。 NPJが新たな仲間に加わってくれることはとても心強い。とくに法曹関係者が中心メンバーになっていることは、市民メディアの多様化の現れとして期待したい。
  前途は平坦ではないが、平和と民主主義を基調とした社会の健全な発展をめざして、 お互いの連携を強めながら活発なオルタナティブ・メディア活動を繰り広げようではないか。


  頑張れNPJ

JCLU (社団法人自由人権協会) 代表理事
  弁護士 庭山正一郎

  JCLUは、昨年創立60周年を迎えました。憲法とともに歩んできたのが当協会の歴史です。 日頃から、尊敬すべき行動力で人権問題に取り組んできている弁護士が、憲法その他の分野でインターネットを利用した情報ネットを作成するとのお話に接し、 こんなにうれしいことはありません。JCLUの会員にもNPJに積極的に参加することを促します。インターネットは、情報伝達手段として500年に一度の大革命です。 このツールを有効に利用することが、これからの世論の動向を大きく変えるかもしれません。どうぞ、着実に発展していただきたいと心より念願します。



立教大学社会学部メディア社会学科教授  服部孝章

  昨年10月24日、神奈川県情報保護審査会は、県教育委員会が県立高校の入学式、 卒業式での君が代斉唱時に起立しなかった教職員の氏名を収集していることをめぐって、是正を求める答申を行った。 こうした氏名収集は思想信条の自由に抵触すると判断であった。それでもなお、県教委は 「国歌斉唱時の規律は社会的マナーで、 教職員の不規律は職務上不適切」 であり 「不起立教職員を指導していくためには氏名の把握は必要である」 と主張している。
  この答申をめぐって、毎日新聞や地元の神奈川新聞は一面トップで伝えたが、その他の新聞の扱いは小さく、なかには県版のみで報じた新聞もあった。
  この事例は、新聞報道やテレビニュースだけでは、追跡できないことが多く存在することを教えてくれる。 関連するホームページや執拗に伝え続けるニュースサイトでフォローしなければ、動向を把握できないことを示している。
  NPJが、その間隙を埋める役割を担うことはもちろん大切だが、新聞・テレビの報道の問題点を糾弾するだけでなく、 先にあげた毎日新聞や神奈川新聞に見る報道姿勢やその内容を評価する機能も持つことになるよう期待する。
  国会やNHK経営委員会などの審議や意思決定プロセスにおける 「少数」 に耳を傾けない多数決原理依存は未来を切り拓くことはできないことを、 この新しく出発するNPJが地道に立証していくに違いない。
  NPJの試みそして弛まぬ実践が、参加するすべての人に息吹を伝え、この国の情報・報道環境を根底から変革していくだろう。


  マスコミへの挑戦

ジャーナリスト  原 寿雄

  私は共同通信社のOBだが、インターネット時代とは、志さえあれば誰もが通信社になれる時代です。 NPJは、今のマスメディアが取り挙げようとしないものを報じることで、日本社会に対する人々の見方に新しい視点を提示しようとしています。
  新聞・放送のニュースは、政党や財界をはじめ全国に700ほどある、官庁や警察中心の記者クラブで発表される情報が中心です。 生活者の視点から報道するよう心がけていても、全体としては統治者の視点から必要な情報が大きく取上げられ、民衆の視点は薄れがちです。 世の中の動きを、いつも勤労者、弱者の目線で観察し判断しているとは言えません。
  発表中心のジャーナリズムは、日本社会が今何を議論すべきかという議題設定の主導権が発表当局者に握られてしまう点でも大きな問題です。 このピープルズ・プレスはマスコミへの挑戦です。「こんなメディアも可能なのか」 を人々に知らせることで、何よりのメディアリテラシーになる日を期待したい。



OurPlanet-TV (アワープラネット・ティービー) 理事
 ピーター・バラカン

  「CBSドキュメント」 を担当することになった20年前から、ぼくは報道番組に携わることによって、時事問題をできるだけ正確に、分かりやすく、簡潔に、 そして自分の価値観を曲げない程度に客観的に(ここにいくらか矛盾があるかも知れません)伝えることの大切さを感じています。
  「CBSドキュメント」 の主な素材となるアメリカの 「60 Minutes」 のレポートは多くの場合、ある問題を二つの観点から捉え、 最終的に視聴者の判断にゆだねるという姿勢で作られています。製作者の意図はもちろんあるはずですが、それを無理やり押し付けないところに好感が持てます。
  それにしても、マス・メディアから伝わってくる情報を鵜呑みにしてはならないことも確かです。 スポンサーに対する配慮、政治的な圧力、社会的なタブーなどによって事実が曲げられないにしても、伝わってこない知るべき事実が必ずあるでしょう。 また、悪意はなくても間違った印象を与えることがあります。つい最近、僕自身がちょっとした事件に巻き込まれた時、警察と報道陣に詳細を説明したにもかかわらず、 各媒体が読者や視聴者に 「分かりやすく」 報道したためにそういった間違った印象が生じました。 大きな問題ではなかったとはいえ、そんな間違いがどれだけ簡単に起きるかを痛感しました。
  メディアは誰のためにあるか。その問いを常に念頭に置かなければならないと思います。そういう意味でNPJの試みを支持します。 情報の海に溺れそうな感じも否めませんが、徐々にサイトのデザインに工夫を加え、読者が圧倒されないための整理も期待したいです。


  響き合う議論を

元新聞労連委員長  藤森 研

  “News for the People in Japan” を設立された皆さまに、お祝いと感謝を申し上げます。 参加・連帯を通じて、一人ひとりの People が、社会の本当の主人公となる 「市民社会化」 を進める上で、新しい市民メディアが生まれた意味は大きいと思います。 とくに日本の戦後社会の針路が問われるいま、こうした新たな 「集まりの場」 が用意されたことに、私は強い期待と感謝の気持ちを抱きます。
  「元新聞労連委員長として書くように」 との指示をいただき、新聞労連の専従だった1995年、つまり 「戦後50年」 の当時を思い出しました。 その後の13年間に、日本の社会は相当に大きな変動を経験したように感じます。
  1995年当時、「植民地支配と侵略」 を謝罪した村山首相の戦後50年談話を、多くの日本人は当然のことと受け止めました。 前年秋に出された読売新聞の改憲提言にも一般的な反響は小さいように感じました。 新聞労連では、全国の記者たち120人でソウルを訪ね、韓国言論労連と 「戦後 (解放) 50年」 の日韓共同シンポジウムを開催しました。 翌96年には新潟県巻町で、原発をめぐる初の住民投票が行われ、市民主権の時代の到来を印象づけました。
  そのような戦後民主主義の進展に対する反作用のように、逆行の動きが生まれます。「新しい歴史教科書をつくる会」 や、 「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」 が動き出すのは97年。 99年には国旗・国歌法が成立し、「神の国」 発言の森首相に続いて小泉首相は靖国参拝を強行します。 9・11以後は米国のアフガン、イラクでの戦争に追随し、国内では憲法改正意見が60パーセントを超えて増え続けました。 極めつけは、「戦後レジームからの脱却」 を揚言し、改憲を正面に掲げる安倍政権の誕生でした。
  しかし、そんな政治の軽躁への市民の巻き返しも強靱でした。04年に生まれた 「9条の会」 は津々浦々に広がり、改憲世論は確実に変化しています。 07年3月の読売新聞世論調査で憲法改正意見はついに50パーセントを切りました。そして昨夏の参院選で、人々は安倍政権を完膚無きまでノックアウトしました。
  今のところ、言論の自由市場や民主主義の原理は、機能しているように見えます。健全な社会を保つのは、やはり自由で冷静な議論の機会の保障だと思われます。
  まずはマス・メディアが、そうした社会のフォーラム機能をきちんと果たすべきであることを、改めて自覚したいと思います。 と同時に、双方向のネットを活用した市民メディア的な言論の場も大切に思います。そしてその相互に闊達なやりとりが起きれば最高だと考えます。 さまざまな立場の市民が、重層的な議論を響き合わせる中から、新しい社会を生み出していければいいですね。


  NPJの船出を祝う

自由法曹団団長  弁護士 松 井 繁 明

  NPJが昨年11月に無事出帆し、順調に航路をたどっているということ自体が大衆のためのニュースとして、意義のある、うれしい情報です。
  関係者の皆さんの努力に感謝します。
  裁判、人権、憲法そして民主主義などに関する昨今のマスメディアの報道・評論には、危うさともどかしさを感じることが多い。 なかには凶悪な犯罪を弁護すること自体を非難するものさえあります。新テロ特措法についても、与野党のかけひきは報じても、 これがアフガンの非武装住民を虐殺するアメリカ軍への支援=違憲行為であることは書かない。「なんとかしなければ」 という思いを、多くの人が感じているはずです。 そのなかにあって、NPJの発足は大いなる希望であり、自由法曹団としても必要なお手伝いをしてゆくつもりです。
  おめでとう。そしてガンバレ、NPJ!


  NPJ/PPの設立、おめでとうございます。

「オーマイニュース・インターナショナル」 代表取締役社長
  元木昌彦

    NPJのホームページは、私も一読者として、いつも読ませていただいています。梓澤様の弁護士活動と同じ、「平和への熱い思い」 が詰まった、 素晴らしいコンテンツばかりで、時間を忘れて読み耽ることもしばしばです。
  中でも、「プロフィール」 は、何度も読み返し、一つ一つに頷き、反芻しながら、私も頑張らねばと、自らを鼓舞しています。
  「インターネットによる新しいメディアで市民社会を活性化」することは、私のいる「オーマイニュース」の原点でもあります。
  約8年前、韓国で誕生した市民参加型メディアは、それまで権力と癒着していたマス・メディアを痛烈に批判し、大きなムーブメントを起こし、 第四のメディアといわれるまでになりました。
  その日本版が、一昨年の夏、日本に上陸しました。まだまだよちよち歩きですが、「全国津々浦々からマス・メディアを圧倒する市民の声を発信し、 日本の未来をつくっていきたい」 という思いは同じです。
  市民による、市民のためのメディアとして、お互いに手を携えて、危うい日本の流れを堰き止め、変革していきましょう。