ニューヨークより、弁護士の猿田佐世です。


目次  2007.11.24

ニューヨークより


  日本では、ついにこの5月、改憲手続法 (国民投票法) が成立してしまいました。 私は、つい先日まで、日本で、国会審議を続けて傍聴し、国会議員ロビーイングに足を運ぶ日々を過ごしていましたが、改憲手続法成立後の現在、 その悔しさから立ち直るべく (?)、ロースクールで学び直そうと、2年間のNY生活を開始しました。

  米国はイラク戦争を続けており許しがたい国ではあるけれども、その他方で、多民族の共生を認め、意見の多様性を認める国でもあります。 市民社会が活発に動き、デモがあれば数10万人が街に繰り出します。今、私は、マンハッタン北部に住んでいますが、 ここは、電信柱にドミニカ共和国大統領選挙の候補者ポスターが貼ってあるような、スペイン語しか話さない人ばかりが住んでいる地域です。
  在米中に大統領選挙もあります。選挙1年前にして、既にテレビで大統領選の話を聞かない日はなく、連日、大統領候補者の討論番組が流れています。

  安倍元首相は、米国を民主主義の友人の国と豪語して疑わなかったけれど、それはいったいどんな国なのか。
  これからしばらくの間、肌で感じたことをお伝えします。

■原爆記念日をNYで過ごす


  8月、NYで原爆投下祈念日を迎えたが、色々な新しい動きがあった。まず、被爆者の記録映画、「WHITE LIGHT, BLACK RAIN (邦訳「ヒロシマナガサキ」): スティーブン・オカザキ監督」 が、テレビ放映された点があげられるだろう。 被爆証言と、爆撃に関与したアメリカ人の証言を軸にする記録映画であるが、こちらの人から聞くには、制作費を出し映画を放映したのは、 4000万世帯の加盟するケーブル局だそう。NYタイムズでも紹介され、反響を呼んでいる。

  日本でも、東京・岩波ホールで9月末まで上映されているが、同監督は日系3世で、「はだしのゲン」 に刺激を受け、広島・長崎の取材を続け、 日系人強制収容所を描いた作品 「待ちわびる日々」 (91) ではアカデミー賞ドキュメンタリー映画賞受賞、 胎内被爆の現実にも迫った 「マッシュルーム・クラブ」 (05) ではアカデミー賞にノミネートされている (岩波ホールHP)。

  1995年、スミソニアン協会で開催予定だった原爆展が、米国内の猛反発で中止になったことはあまりに有名だが、その際、彼の映画展示も中止となっている。 そんな中で、今回、この映画がテレビで放映されたという事実は、大きな一歩であったろう。(その後、この映画がアカデミー賞にノミネートされるかも、との話を耳にした)

  他にも、私の知る限り、NYで原爆や戦争をテーマにした映画や音楽・舞踊などの平和映画祭が行われ、 長崎市と姉妹都市であるセントポール市で長崎の女子高校生らを招いた平和祈念式典が初めて開かれるなど、各地で、それぞれの取り組みがなされていた。


  私は、8月9日、NYの国連近くで開かれたNGOピースボート主催のイベントに足を運んだ。ARTICLE9 (9条) の文字が掲げられ、 続々と9条を守ろう! という署名が集まる中、日本政府国連代表部の公使が平和を誓い、長崎市長からの手紙が読み上げられ、 多くの日本の若者がNY市民の前で平和を願って踊るそのイベントは、大変印象深い光景であった。


  日本では、私は、いわゆる 「護憲運動」 の端っこにいたのだが、そこでは、常に、どうやって運動を盛り上げるか、ということがテーマになっていた。 そのため、渡米前の私は、迫力ある米国の平和運動に期待をし、学び取ってこようと勇んでいた・・・が、その日、集まった多くのアメリカ人に、 「今の米国の平和運動はどうなっているの?」 と聞いたところ、逆に、口々に、「日本はすばらしい! 核廃絶の分野で、圧倒的に世界を引っ張っている!」 と絶賛され、 うれしいような、歯がゆいような。ついでに書けば、「アメリカでの平和運動は若者離れが進んで、なかなか広がらない」 というセリフを多くの人から聞いた。 どこもみな同じなんでしょうかね。

  とはいえ、一つイベントをやるにもスケールが違うし、そもそもNYで誰に話しかけても、政治問題について賛否いずれにせよ意見がしっかり返ってくる……など、 やっぱり日本とは違う側面もたくさん。これから、しっかりと、その違いを見て、盗めるところは盗み取ってきたいと思う。


■序 〜NYに出発するまでのわたし

  さて、今回は、自己紹介がてら、この間の改憲手続法について動いてきた体験と、私の憲法運動についての考え方とをご紹介したい。

  2007年前半、私は、毎日のように、国会に足を運び、改憲手続法 (国民投票法) の審議速報をメルマガで流し続けた。 半年前まで、国会傍聴の方法も知らなかった私であったが、終に、改憲が政治日程に上がってきてしまったという焦りと情報不足の焦りから、 これは、もう自分で傍聴して発信するしかない、と、国会に足を運んで傍聴し、その様子をメルマガやU−TUBEでネットに流した。 傍聴では、あまりの 「国会常識」 の非常識さに、何度も腰を抜かしそうになった。詳細はメルマガをご覧頂きたい。 (全文はHP 「News for the People in Japan」 に掲載)。

  日本国憲法は、改正について、96条で国民投票での過半数の賛成を必要としているが、これまでその具体的手続が決まっていなかった。 そこで、今回、手続きの制定が憲法改正派から求められ、法案が提出された。

  改憲派の改憲の主たる理由は、戦争および武力の放棄を謳った9条を変えるところにある。 また、「今の憲法には権利ばかりが書いてあって、義務がほとんど無い。 だから我が侭な国民が増えて凶悪事件が起きるんだ」 と政治家が平然と述べる極論に象徴される権利の制限と責務の創設である。

  しかし、憲法とは、国民から権力を預かってその国を治める者たちの、その権力が濫用されぬよう縛るために存在する。 従って、権利ばかりが規定されていて当然である。

  にもかかわらず、現在の改憲議論は、憲法がいかなる存在であるかを理解しない権力者によりリードされており、その議論の中心に国民はいない。

  そして、今回の改憲手続法の審議も、「国民不在」 のものであった。

  慎重審議を求める野党を尻目に、安倍首相の 「なんとしてでも5月3日までに」 とのかけ声の下、大変短い審議だけで、公聴会も十分に行わずに、 怒号が飛び交う中 (衆議院)、強行採決がなされた。裁決時には、その傍若無人さに泣いている傍聴者も少なくなかったが、 他方、議場の少なくない議員は、裁決直前まで、おしゃべりを楽しみながら、議長に求められた瞬間、採決に必要な3回の起立を繰り返して、 その後、次の用事に足早に去っていった。

  国会素人、政治素人の、私には全く理解できない、国会であった。強硬に進められたこの審議からは、 このままでは憲法そのものの議論も 「国民不在」 でなされるに違いないことを確信する。

  成立した法律には、大きな欠陥がある。

  一番の問題は、「最低投票率」 の規定がないことである。例えば、投票率が40%であれば、全有権者の21%で憲法が変わってしまう。 憲法96条は改正に国民の承認を経ることとしているが、国民の21パーセントの賛成では国民の 「承認」 とは言えない。

  また、テレビ・ラジオの有料広告が垂れ流しになって、金のある者の誘導で 「憲法を金で買う」 ことになってしまう (投票前14日以外は完全にCM自由)。

  また、公務員・教員の表現の自由が規制されている。君が代斉唱時の不起立で処分され続ける教師達は憲法について発言することでさらに処分が続くだろうし、 さらには大学の憲法学者までも処分の可能性が出て来た。萎縮効果も著しい。

  他にも、広報を担当する広報協議会が改憲派ばかりで占められる、発議からたった60日後には投票させられてしまうかもしれない、など、 多くの問題を含んだ法律が成立してしまった。

  このままでは、偏った情報だけが一部の国民に流されて、反対する者は職場解雇されたりしながら、憲法があっという間に変わってしまう、 ということになりかねない。まさに 「国民不在」 である。

  さて、これから、どうするか、である。
  まずは、国民主権を取り戻すべく、手続法の修正を求めなければならない。

  第2には、国会に新設される憲法審査会を監視し、多くの先延ばしにされた論点、〜例えば、公務員・教育者が行えない活動の定義、 一票の投票対象となる 「関連する事項」 とはどのようなくくりなのか、という点〜などについて、公正な議論がなされるか注視せねばならない。

  第3には、国会に憲法改悪発議をさせてはならない。各議院の3分の2が賛成しなければ発議はできない。 自分の一票が憲法改正に影響を与える一票であるときちんと理解をして投票をしたい。

  最後に、仮に国民投票が実施された場合、過半数を確保するだけの声を作るということである。 公平な法制度が整っていない以上、国民投票をする日が来ることは望ましいことではないが、仮にそうなった際のために、国民の声を盛り上げていかねばならない。

  中心には、憲法を変える必要はない、憲法を活かすことこそ必要だ、という世論作りがある。 今動かなければ、この国の、民主主義も立憲主義もみんな破壊されてしまう。とにかく皆、声を上げよう。

  この間メルマガを流し続けたが、多くの方に 「貴重な情報をありがとう」 と言って頂き、国会には、毎日、「メルマガを見て来ました!」 という方が大勢いらしていた。 私がしていたのは、国会を傍聴してその様子をメルマガで流したことだけである。 にもかかわらず、そんな言葉を頂けるのだから、私たち1人ひとりがやれることは、山のようにある。

■これから

  とまあ、このような感じで、動き続けた日本の生活であった。

  アメリカでは、自主的に動くのは、知り合いも少なく、地理にも不案内でなかなか難しい。 しかし、民主主義の生まれた国アメリカで、腰を据えて憲法や国際人権法を学びながら、あちこちに顔を出して、色々体験してみたい。

  出国間際、先輩弁護士から、「日本で活動するより、アメリカで政府が動かす方が9条を守る近道かも・・・」 とまで冗談交じりに言われた。超大国アメリカ。

  憲法問題が、一番大事な局面にあるこの時点で2年間も日本を空けることは一面歯がゆいが、憲法・人権・民主主義の視点から、 日本に一番の影響を与えるこの国が、どんな姿を持っているのか、自分なりに見て、聞いて、感じて、発信を続けて行きたい。

(2007年 「まなぶ」 11月号掲載)