ニューヨークより、弁護士の猿田佐世です。


目次  2009.1.26

アメリカ合衆国大統領選挙・当日の様子


  2008年11月4日。ついに大統領選挙当日。こんな歴史的な選挙、体験し尽くせるだけ体験しないと一生後悔する!!と、急遽、 投票所の監視ボランティア (オバマ陣営からの派遣) に参加することとする。目指すは、もちろんスイングステート (激戦区)。 私は3日前にオバマ・キャンペーンを体験した同じペンシルバニア州の、今回は州都のフィラデルフィア市に行くことにした。


フィラデルフィア市内で。道路脇のOBAMAの看板。 選挙戦の最後には資金面で
圧倒的にオバマが上回り、マケインの看板よりオバマの看板が圧倒的に多かった

  しっかし、「選挙監視」 って言ったって、発展途上国じゃないんだから選挙妨害なんてあるはずもないし、一日中ただ投票所で暇なだけかも、と思いながらだったが、 ・・・いやはや、投票所には検察官までやってきる騒ぎになり、なんとも面白いものを見ることができた。民主主義の母国アメリカ恐るべし。


投票所の中学校

■始まってすぐに混乱・・・
  ペンシルバニア州の投票時間は午前7時から午後8時 (州によって様々)。ちょっと遅刻して7時過ぎに着いた会場は、 市内の公立グローバー・ワシントン・ジュニア中学校。校舎の入り口ロビーが投票所であったが、着いた時には、既に会場は混乱に陥っていた。
  投票所には出勤前に投票したい人が30人くらいの列。2台ある投票機械のうち1台が壊れて動かない (投票はタッチパネル式の機械 (銀行のATMのようなもの) で行う)。 動いている機械についても、使い方の分からない人が会場のスタッフに使い方を聞くが、慣れないスタッフもよく分からない・・・。 列はなかなか短くならず、仕事に遅れそうな人がスタッフに文句を言い、しまいには、投票をあきらめて会場を後にせざるを得ない・・・等々。 結局人々は1時間弱待たされたのではないだろうか。


タッチパネル式の機械で投票する人々

  選挙裁判官 (electoral judge) と呼ばれる現場の最高判断権者の女性が右へ左へ走り回り、機械を直す人を呼んだり、対応を図りかねて本部に電話したり。 そして機械を直す技術者や選挙本部の人がわらわらと会場に押しかけたり。日本の整然とした投票所しか知らない私は、着いたとたんにあっけにとられた。 混乱が落ち着き、人がスムーズに流れ出したのは午前9時頃だったろうか。

■投 票
  さて、投票。今回の選挙は大統領だけを選ぶのではない。会場の前には、選挙ルールの説明と共に、 それぞれの選挙の候補者の一覧が掲示してあった (英語とスペイン語で)。 上院議員 (国会議員) 他、Attorney General (司法長官) や、Auditor General (会計監査) など計7職種を選ばなければならない。 ボランティア仲間に聞いてみたが、大統領と上院議員ぐらいしか候補者を知らず、それ以外は政党で選ぶしかないとのこと。 この壁の表は、タッチパネルの投票機械で投票者がまさに投票するときの画面と同じ表である。 それぞれ縦列で政党ごとに候補者が分かれており、民主党だけを支持したい人は、 一括して縦の列を選択することで全て民主党の候補者だけに投票できる仕組みになっている。



今回の選挙は大統領以外にも、上院議員(国会議員)、司法長官、会計監査役など
計7職種を選ぶ(フィラデルフィアでは)。 ボランティア仲間に聞いてみたが、大統領
と上院議員ぐらいしか候補者を知らず、それ以外は政党で選ぶしかないとのこと


■監視ボランティア
  会場には、オバマ陣営からの監視ボランティア (以下 「オバマ陣営監視団」 とします。)が、私を入れて計6人 (一日長いので入れ替わりも含め)。 マケイン側からはゼロ。
  ボランティアといっても間違ったことが起こらないようそこに存在していることが一番重要。 会場の中には基本的には入れず、入り口で投票を終えた人に 「何か問題はありませんでしたか?」 と聞いて、問題があれば対応する。 また、問題があったと話す人には事件報告書 (Incident Report) を書いてもらう。 「自分の名前がリストになく、投票ができなかった」 「仮投票は手書きで受付のテーブルでやらされ、プライバシーが全くなかった」 「スタッフが3人しかいなくて投票所が回っていなかった」 などなど。
  なお、ボランティアにはここ数十年も参加しているという人もおり、ある程度のプロ意識が見られるところもあった。 その日の夕方、「私も監視ボランティアをしたくて来ました」 という人が遅れてNYからやってきたが、「ちゃんとボランティア本部に登録し、 マニュアルを読んでトレーニングを受けていますか? そうでなければ、お引き取りください」 と、その彼は答えて、NYから2時間以上かけて来た彼女を追い返した。
  ボランティア・トレーニングは選対本部で受けるか、ネット上でも受講可能。マニュアルは登録するとインターネット上で見られるようになる。 国民は選挙に際しどんな権利があるのか、投票の制限がなされるのはいかなる場合か、問題が生じた場合にはどう対応するのか・・・ 50ページにもわたる厚いマニュアルであった。
  なお、ペンシルバニア自体は激戦区ではあるものの、私が監視ボランティアをしたエリアは黒人エリアで、もっぱらオバマが強いエリアであったようだ。 オバマ陣営監視団の一人が、さっそく OBAMA の旗を投票所の入り口の真ん前に立て、「民主党のこの人たちに投票を! (大統領及びその他の役職)」 とのチラシを選挙に来た人たちに入り口で渡し始めたが、一日中、誰に文句をいわれることもなかった。


オバマ陣営監視団の仲間。にこにこと、さっそくオバマの旗を立てる。
奥のドアが、投票所への入り口


■ボランティアだけに支えられる投票所・選挙裁判官
  監視だけでなく、選挙の運営自体がボランティアだけによるものであった。「まさに普通の市民が手伝ってます」 という素人くさい雰囲気が漂う会場で、 受付に3人程と一人のスペイン語通訳、そして本日の主役 (?) の選挙裁判官が一人。
  選挙裁判官 (electoral judge) とは、各投票所に一人以上置かれ、何か問題が起きた際に、その投票所の最終決定権者として判断を行う者。 ジャッジと呼ばれていても法曹資格を持つ者ではなく、半分ボランティアのような市民の協力によりなりたっているポジションであり、 各投票所に民主党・共和党のいずれかから送り込まれる (!)。 政争が激しく問題が多く生じそうな投票所には、民主・共和両陣営から各一名ずつ選挙裁判官が送り込まれ、それぞれが話し合って結論を決めるという。
  私の行った投票所は黒人地域で民主党が強い地域だったからか、選挙裁判官は共和党からの人で、40代後半の女性であった。 本職はバーテンダーとのこと。まさに見た目もバーテンダー、一息つきながらタバコを斜めにくわえている姿も大変さまになるかっこいい女性であった。 上記した早朝におきた問題以外にも、リストに名前がない人、どこで投票したらいいか分からない人などはたくさんおり、 その都度、選挙裁判官がこの投票所で選挙することを認めるか否か判断するので、選挙裁判官は結構忙しい。 私のいた投票所の選挙裁判官は何回か経験があるとのことで手慣れており、後述の問題が起きるまでは、 オバマ陣営監視団も彼女なら安心できると言っていたほどであった。 なお、選挙裁判官には一日100ドル (約1万円)、他のボランティアには95ドル (9500円) が支給されるとのこと (作業時間としては午前6時前から午後10時頃までか)。 選挙裁判官役は、年に計3ヶ月だけこういった選挙関係の仕事をやるパートタイムの職だということであった。



ボランティアによる受付。立ちながら机に肘をついている女性が選挙裁判官。
その右隣が、選挙裁判官の母親

  しかしそれにしても、政党の公的役割は日本でも小さくはないが、あくまでも私的存在であるはずの政党が、ここまで公的機関同様の役割を果たしている状況は、 私には、まったく理解困難であった。選挙裁判官を送れない民主・共和以外の政党はどうなるのだろうとも思うし、そもそも、そんな資格も知識もない人が、 選挙という統治の最重要場面、そして、選挙権の行使という国民の権利行使の最重要場面で、強力な決定権を握っているということに、全く理解がついていかない。
  私がそれを話すと、みな 「公務員の数が少なくてね、政府は財政も苦しいしね」 との回答。 「ここにいる人はみんなボランティアなんですか?」 と選挙裁判官に聞くと 「そうそう。あそこにいるのは、私の母親!」 と、 彼女は80も近いだろう老婦人 (3人のスタッフの一人) を指さした。

  途中、その選挙裁判官が自分の選挙に行ってくると言っていなくなり、その間、オバマ陣営監視団の経験豊かなボランティアが、突然、選挙裁判官役を任されていた。 選挙裁判官は、2時間くらい戻ってこず、その間ずっと、私たちの監視仲間が選挙裁判官の役をやっていたのである。

■投票を認めない?
  夕刻、投票に来る人がごくまばらとなったため、私は少し仮眠を取った。そして仮眠から戻ったところ、オバマ陣営監視団と選挙裁判官がもめている!
  「何事?!」 と聞くと、「投票できるはずの人が、投票させてもらえていないことが分かった」 とのこと。 本来のルールとしては、ある投票所で自己の名前が見つからなかった者も、他の場所で投票できれば良いが、他の場所で投票できる見込みもなく、 現住所地などからその投票所で名前が見つかってしかるべき場合には、その場所で 「仮投票」 が許されねばならないということになっている。 しかし、この投票所の選挙裁判官は異なった理解をしており、もっぱらそういったケースに仮投票を許していなかった (なお、仮投票 (provisional vote) とは、 正式の投票ではなく、接戦になったときに初めて票の有効無効の判断が行われ、有効であると判断された際に初めて数えられる票である。)。
  そこで、オバマ陣営監視団が物申し、投票を断られた人たちの仮投票を認めるように求めたのである。 しかし、選挙裁判官も譲らない。振り返れば、昼以降、10人弱の人々が投票できずに 「他に当てもないけれど、他を当たってみる」 とその場を去らざるを得なかった。 例えば、昼過ぎには、18才で初投票に勇んでやってきた若者が、その場で自分の名前が見つからずに追い返されており、 オバマ陣営監視団は彼に 「事件報告」 を書いてもらい、「他に投票するところが見つからなかったら戻ってくるんだよ」 と告げると、彼は頷いて投票所を後にしていた。
  オバマ陣営監視団から選挙裁判官に物申してから、それまでは全体的に協力的だった投票所の空気が対立でピリピリし始めた。 繰り返しになるが、選挙裁判官は共和党からの派遣である (投票率が低いと共和党有利、投票率が高いと民主党有利という歴史的背景がある)。
  オバマ陣営監視団の電話で、地区の民主党本部から 「それは選挙裁判官の理解が違う!」 と偉い人がやってきて、選挙裁判官に根拠を示して投票を許すよう求めた。 しばらくの議論の後、選挙裁判官は折れ、その後同じ事例があったら仮投票を認めることを約束した。
  ふう、と私たちが胸をなで下ろしていたとき、さらに、その場に物々しい雰囲気で検察官までやってきた。 3人してやってきたその一行はその場の全体状況を確認し、選挙裁判官に、二度と間違いをしないように、と規則の確認をし、注意をして去っていった。
  投票所に検察官まで来るなんて! 恐ろしや、アメリカの選挙。

  選挙終了の午後8時直前、先ほど、自分の名前が見つからずに投票ができなかった18才の若者が、叔父に連れられて再びやってきた。 裁判官も今度は彼に仮投票を許す。仮投票ではあったけれど、良かったね! と私たちが話しかけると、はにかみながら笑顔を見せた。

  終了時刻。終了時刻に投票所に並んでいる人には投票を認めなければならないことになっているが、終了時刻以降は一切させない、という投票妨害もあるようで、 マニュアルでも注意を喚起されていたが、私たちの投票所は、最後の投票者はその18才の彼であり、午後8時には静かに会場は幕を閉じた。

■投票率・事前登録制度
  私たちの投票所では、選挙登録人が540人のところ、375人が投票し、他、仮投票が10票だった。それからすると71%の投票率で、 会場の皆は 「良い投票率だ!」 と喜んでいたが、しかし、そもそも登録していない人がたくさんいるだろうから、一概にその数字を喜んで良いのだろうか、 とこれまたすっきりしない。

  そもそも、アメリカの選挙と日本と決定的に違うのが、投票するために 「事前登録」 しなければならないということ。 したがって、自分の支持者が事前登録をしてくれなければ困るため、オバマ・マケインそれぞれの陣営は、登録促進のキャンペーンも展開する。 NYでは選挙一ヶ月前に登録を締め切っていたが、登録最終日には、私のコロンビア大学の校門前でも、 オバマ陣営がテーブルを出し 「登録はしましたか?」 と登録用紙を配布して、登録を皆に勧めていた。 各選挙陣営が、一般選挙の登録用紙を配布して登録を求めている、ということ自体、私には驚くべき事実である。
  さらに驚くべきは、その事前登録において、人々が自分の支持政党まで登録することである (もちろん登録しなくてもいいが)。 早めに登録をし 「民主党 (あるいは共和党)」 と登録すれば、1月から6月の予備選挙 ((ヒラリー・クリントンかオバマかを選んだ選挙。) でも各党の党員として投票ができる。 しかし、大統領選という国政選挙一般についての登録と政党内の選挙の登録が同じ一枚の紙でできてしまうというこのシステムは、私の理解能力を超えている。

  いずれにせよ、この登録制度の一番の問題は、自分の名前が投票所まで行ったのに見つからない、ということが恐ろしく頻繁に起きるということである。 私のいた投票所でも10人以上が名前を見つけられず、選挙裁判官に 「前の選挙から引っ越してもいないし登録もちゃんとしたのに、 なんで今回は僕の名前が無いんだ!」 と怒っている人もみた。私の大学の友人でも 「ちゃんと登録したのに、まだ登録確認の葉書が届かない。 まあNYはオバマが勝つからいいけどさ・・・」 と、選挙1週間前に言っていた人がいた。
  日本的感覚からすると、とにかくはちゃめちゃ。2000年のブッシュとゴアの選挙のようなことが起きるのも何の不思議もない。
  私の卒業したロースクールにも “中立な選挙を実現するための学生サークル” があって、常に活動を行っており、 当時、私は 「なんでそんなサークルが必要なんだろう・・・?」 と思っていたが、ようやく意味が分かった。
  なお、今回の選挙は、一般的には投票率が63.8%という数字になっているようであるが、そもそも、分母を何とするか、 正確な投票率の計算にはアメリカの中にも争いがあるらしく、日本とどのように比較して良いのか不明である (調べても、いまいちすっきりとは分からなかった)。

■平日の選挙
  ちなみに、大統領選挙は常に火曜日で、祝日ではない。職場が休みになっているところもあるが、私の職場のようになっていないところも多い。 私の働くNGOでは、「2時間抜けて投票に行くことを認める」 というメールがスタッフに回ったが、職場の友人は、投票所で待たされ2時間では戻れないかもしれないから、 仕事を早く切り上げて行くことにすると言っていた。「投票所で待たされる」 ということがこの国ではよくあることのようである。 なお、ニュージャージー州ニューアーク市の公務員の友人は、投票日は組合で交渉して休みにしたと話していた。

■OBAMA! OBAMA!


オバマ当選決定直後、NY一番の繁華街タイムズ・スクエアで

  さて、開票速報のラジオを聞きながら2時間のドライブでNYへ戻る。私の電話にも、ハンドルを握る私の友人の電話にも、 あちこちから 「オハイオでオバマが優勢!」 「バージニアでオバマが勝った!」 と情報が寄せられる。 3日前に一緒にオバマ・ボランティアをした仲間に電話すると、興奮しながら電話に出て、一人は今日はニュージャージー州のキャンペーン本部で、 電話かけを行っていたとのこと (当日に!)。
  徐々に激戦区がオバマで固められ、興奮の中、NYのお隣ニュージャージーに着き、地下鉄に乗り換えてマンハッタンに向かうと、 その地下鉄の車内放送で、車掌の声が 「私たちの大統領はオバマ!!!」 と、響き渡った!!!!OBAMA当選決定!
  地下鉄の中でも駅構内でもみな興奮して 「OBAMA!OBAMA!」と叫びあう! そして、マンハッタン中心の広場という広場に人々が、続々と詰めかけ、 もう12時を回ろうとしているのに街はお祭り騒ぎ。中心部の広場の一つユニオン・スクエアでは、何千という若者が集まり 「YES, WE CAN! (私たちにはできる!)」 「YES, WE DID! (私たちはやったぜ!)」 の大合唱。NYの顔でもある一番の繁華街タイムズスクエアでは、数ある電光スクリーンが一斉に選挙の様子を映し出す。 シカゴでのオバマの勝利演説や、未だ続けられている開票速報が、多くのスクリーンで映し出される中、みんなが 「OBAMA! OBAMA!」 と叫び、旗を振り、 オバマのスクリーンと写真をとり、通りすがる車は皆クラクションをならして街の声援に呼応して興奮に加わっていた。


NY一の繁華街タイムズスクエアで。皆が集まり、叫び、興奮し、勝利に酔いしれていた


「OBAMA!!!」みなが興奮し叫んでいた!!!

  そのマンハッタンの街全体の興奮は、誰かが事前に計画してというのではなく、単に興奮していてもたってもいられない個々人が広場を目指して家を飛び出し、 街にあふれ出、とにかく興奮で叫び続けるといった様子であり、まさに圧巻であった。興奮して街灯に登る者もあり、 知らぬ者と肩を組んで歌う者有り・・・街が喜びであふれていた。


「New York for OBAMA!!!」 初めてあった人でも、肩を組み、一緒に踊り、写真を撮る!

  そこにいる皆は何をするでもなく、うれしくてたまらない、興奮を分かち合いたい、と、集まり、ただただ喜びを分かち合っていた。 警察も出ていたが、多少の交通妨害であれば規制することもなく、見守っているようであった。
  街のあちこちでパーティも開催されており、私も友達の開催した3ヶ所くらいから誘われたけれど、 街の興奮を感じている間にあっという間に午前2時半過ぎでパーティには行けずじまいであった。

■最後に 〜これから
  一年半に渡って色々なアメリカを見ることのできた大統領選挙であった。民主主義の母国アメリカの投票制度の決定的な問題点も、 全国から続々ボランティアが集まる熱いアメリカも。
  さてこれから。
  NYに住むある友人 (日本人) の話では、彼のルームメイトの黒人が、オバマ当選が決まった瞬間に感極まって泣き出した、とのこと。 奴隷として扱われ、その後も差別に苦しんできた歴史がこれで終わる、と。NYの黒人街であるハーレムでは、興奮のあまり発砲する人もいたとのことで、 街が混乱に陥り、友人は眉をひそめていた。
  このオバマの当選が、歴史上の大きな第一歩であることは間違いなかろう。 しかし、一つの歴史を作り出したアメリカ人たちは、これからどうするか、という重大な任務を負っている。 オバマファンが100人いれば100人が勝手な期待をオバマに抱き、自分の期待をオバマがあたかも実現してくれるかのように夢見ている嫌いもある。 また、オバマの政策は完全でも何でもない。このアメリカの新しい展開を再び新しい気持ちで、体験し続けていきたい。


オバマ当選翌日のシカゴトリビューン紙一面。
シカゴトリビューンは、保守的傾向があるとされており、創立後の161年間で
今回初めて、 民主党の大統領候補者を支持していた。オバマはシカゴ出身