2008.10

格差社会の最先端・夕張から

机上の空論、人権侵害の再建計画の違憲・違法性

ジャーナリスト 本田雅和

  いま全国で唯一の財政再建団体・北海道夕張市の市民は、再建団体入りして二度目の厳しい冬を前に、不安におののいている。 353億円の借金を18年間で返すという、夕張市が事実上国から強いられた財政再建計画は、 住民に 「全国最高の負担と最低の行政サービス」 を強いるものとも言われているが、計画導入から1年半を経てその矛盾が次々と露呈しているのだ。

  まず、計画の想定を超える人口減少――自然減ではなく、若年・勤労者層を中心とする転出による社会減、つまり人口流出だ。 再建団体入りしてちょうど1年たった今年4月で1万1998人、ついに1万2千人台を割り、日本の戦後復興を支えた炭都としての最盛期、 1960年代初頭の人口約12万人の1割弱の人口となった。

  その後も、もちろん流出を留める要因はなく、今年9月末の人口は1万1847人で、 再建団体入りを表明した06年6月からでも二年余りで1割の人々が街から姿を消したことになる。 再建計画では、国立社会保障・人口問題研究所の将来推計人口に基づいて税収などを算定して作っているが、 再建団体入りに伴う社会要因などは一切勘案されておらず、現状で計画の二倍近い減少率となっており、 このままのペースで減少が進むと夕張市は再建計画を終える前に消滅することになる。

  もちろん、札幌圏など都市部に頼れる親族がいたり、転居の資金と元気があったりして街を出ていける人の多くは既に出ているから一定の歩留まりはあるが、 計画終了時の人口7300人という大甘の計画上の想定を下回ることはほぼ確実だろう。

  この街に残っている人たちは様々な事情 (「生まれ育った街だから」 「すばらしい自然と人情があるから」 「心がつながっている友がいて土地がある」 等々) で、 不安の中にも 「ここに残る」 「ここで生きる」 と覚悟を決めた人たちと、「どんなことがあってもここで死にたい」 というふるさと意識をもつお年寄り、 病気や障がいのある家族がいて、医療福祉サービスが低下しても他所に行けない人、この地に家を建ててしまって売るにも売れない人……等々だ。

  こういう格差社会の最先端ともいえる日本の辺境で、もっとも社会的に弱い階層の人たちともに懸命に生きている人たちに、法令上の上限の税率を課し、 公的施設の使用料も下水道料も、上げられるものはすべて上げて、1円でも搾り取ろうというのが再建計画だ。 ここで暮らす今の住民たちに、いったい市を財政破綻させた、いかほどの責任があるというのだろうか。

  このずさんな計画の結果、再建初年度07年度決算だけでも地方税収が8100万円も不足していることが分かり、すでに計画修正を余儀なくされている。 今後、人口が減り続ければ交付税も減額されていき、計画上の歳入目算に次々と綻びが出てくることになる。

  一方、計画上の歳出では市職員の給与削減を手始めに、行政の行う事業として 「法律に根拠のあるもの以外はすべて削除」 したとされる。 再建計画作りを指導するために北海道庁から市に派遣されてきた幹部は 「命にかかわるもの (事業) 以外はすべて削れ」 と指示し、 「敬老パスがなくなったって年寄りが死ぬわけではない」 などと暴言を吐いたという。

  その結果、図書館や市民会館、地区集会所から公衆便所まで閉鎖され、美術館や老人福祉会館は閉鎖の危機の中で民間委託され、病院は廃止されて診療所になった。 かつての炭鉱ごとに集落が散らばる広大な夕張市内にあって、7校あった小学校と3校あった中学校は各1校ずつに統合されることになり、 「財政破綻のA級戦犯」 と言われた故中田鉄治市長が始めた国際映画祭はもちろん、音楽会や市民文化祭、子育て支援事業にいたるまで、 あらゆる社会教育・文化事業が次々と補助金を打ち切られて中止に追い込まれていった。

  いまや夕張市民は図書コーナー (図書館閉鎖のあと、保健福祉センターの一角に本棚が作られ、子どもたち向けなど一部の本が集められた) で新刊本を読みたければ、 全国に寄付や献本を募るか募金を呼びかけるしかなく、文化行事は純然たる市民ボランティアが手弁当で担っている。 これらは 「全国最低の行政サービス」 の実態のほんの一端である。再建計画は医療・福祉・教育・文化予算からズタズタにしていったのである。 私はこれらはすべて 「人間としてのいのち」 にかかわる事業だと思っている。

  再建計画作成当時の菅総務相は 「高齢者や子どもたちには特に配慮していきたい」 と夕張市民に約束している。 しかし、いま再建計画のしわ寄せを最も受けているのは、この地に残った 「高齢者や子ども」 である。 この街では必要な教育や医療や福祉は得られないと、家族の中の年寄り、子ども、障がい者のために断腸の思いで離郷した人は多い。

  私はこれは、国が地方財政緊縮化の 「見せしめ」 にするために、夕張という地を舞台に選んだ 「憲法違反の実験」 (格差社会の最先端で、 どこまで憲法を骨抜きにできるか) だと思っている。自民党を中心とした改憲勢力が9条改憲と並んで全面入れ替えを狙っている第8章92条 「地方自治の本旨」 とは、 「主権者としての住民が地域的規模での政治を実施する住民自治と、自治体が地域に関する事柄について住民の人権を実現するために、 必要な限りにおいて中央政府から独立して決定し、活動する団体自治」 (小林武・愛知大法科大学院教授) を意味する。

  財政再建計画下の夕張市には事実上 「地方自治などない」 (再建計画作成時の道庁幹部の発言) とまで言われ、 その所以は、総務大臣の同意なしに再建計画の変更は認められない、つまり国の許可なしに、新規事業や独自事業はありえず、というところにあるが、 だからといって地方から地方自治を奪ってよいいわれはない。国は憲法に縛られている。 財政再建下といえども、いや、そういうときにこそ、住民自治や団体自治を保障する義務がある。 一方、夕張市側には 「国民一般」 に解消されない格差社会に生きる夕張市民の生活利益を擁護し、実現するために 「中央政府の権力を抑制して住民、 特に少数者や個人を守る」 (小林教授) ことが求められる。そのための財源がなければ、国に求める権利が自治体にはある。

  憲法25条のいう生存権、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」 は果たして夕張市民に保障されているのか。 障がい者の夫をもつ50代後半の女性はいう。「ただ食べていくだけなら、あと17年間 (再建計画期間の残りのこと) 何とかなるかもしれない。 でも炭鉱があったころの半分でもいいから、たまには趣味のサークルで集まれる集会所がほしいし、絵を見にいったり、 仲間のコーラスの演奏会を聴きに行ったりすることさえ、再建団体の市民には贅沢なのか……」。 彼女は夕張が 「ふつうの人が住めなくなる街」 になりつつあるのを恐れているのだ。

  自治体は住民の単なる 「生命維持装置」 ではない。先の道庁幹部の暴言は 「動物として」 ではなく 「人間として生きる権利」 を保障した憲法上の生存権の否定である。

  こんな事態に対し、なぜ夕張市役所は無力なのか。彼ら自身がもはや、住民のために立ち上がって闘えないほど疲弊しているからだ。

  再建団体入りする前にいた一般行政職員260人は、再建団体入りと同時に127人に半減させられ、さらに待遇悪化で現在は108人にまで減っている。 計画では、2010年度にはさらに20人ほど削減することを求めている。

  根拠は、人口規模が同程度の自治体で全国最低の職員数のところを探してきて 「類似団体」 と呼び、そこに合わせたという。 それが岡山県里庄町だとされているが、同町は独自の消防はもたずに広域組合で対処しており、雪も降らない温暖な気候だから年間数億円の除雪費用もかからない。 東京都23区の総面積より一回り大きい763平方`の夕張市の面積は、12平方`の里庄町の62倍だ。 職員が税の滞納者に徴税に行くにも車で半日がかりのところと職員数を同じにしろ、と指導して、夕張市役所を疲弊させている総務省と北海道庁の責任は重い。 霞ヶ関の官僚がエアコンの効いた部屋で、夕張の現場も見ないで電卓をはじいて押し付けた数値満載の再建計画、これを 「机上の空論」 と言わずして何というのか。

  財政再建計画では市役所職員の給与は月収で30%減、年収にして40%カットされている。これが18年間続くのだ。生活設計も何もあったものではない。 これは一般公務員の処分限界を超えた事実上の 「処分」 であり、違法性の極めて強い 「理由なき不利益処分」 にあたるのではないか。 自治労がきちんとしていれば当然、提訴して法廷闘争をしてもいいはずのものである。 故中田市長や 「粉飾決算」 を繰り返してきた市の元財政担当幹部 (彼らは既に全員退職している)、それを容認した市会議員らには大きな責任があるだろうが、 職員激減の中で残ってがんばっている一般職員に責任はなく、こんな 「処分」 を受けなければならないいわれはないはずだ。

  昨年7月、3人の子持ちの30代の中堅職員が生活苦から市を退職した。手取り約18万円では、将来長女の高校進学もあきらめさせねばならないと判断、 札幌に職を探しに転出していった。夕張市福祉課は、彼に車や預金があることを除けば、収入は生活保護水準にあることを認めていた。 公務員に生活保護レベルの給与を強いる再建計画は、やはり違憲違法ではないのか。

  それだけではない。人件費削減のために再建計画は時間外手当 (残業手当) の上限を給与総額の2・5%内と決めたために、 初年度から9割近い職員が 「サービス残業」 による 「ただ働き」 を強いられた。朝日新聞などの報道により現在では一定の改善はされているが、 職員を半減したうえで、こうした賃金支払いまで許す構造の計画自体、やはり違法と言わざるを得ない。 そもそも厚生労働省は2001年4月、「労働者の労働時間の適正な申告を阻害する目的で時間外労働時間数の上限を設定するなどの措置を講じないこと」 とする 「サービス残業防止」 通達を出しており、ここでは職場単位毎の残業手当の予算枠や残業時間の目安の設定による 「不利益取り扱い」 (それ以上は賃金を支払わないなど) も禁じているが、その通達違反為そのものが昨年、夕張市役所では行われていた。

  そんな中、産業衛生学会などの調査で過労死が心配される月100時間以上の残業を強いられている職員が何人もいる。 ある課長は 「ただ働きになるのは分かっているので、私から残業を指示することはできない。皆、自主的にやってくれているが、健康が心配。 再建計画の見直しは困難だし、総務省には他の自治体はもっと少ない人数でやっている。 そんなに残業しなければならないのは職員が無能だからだと言われるので黙るしかない」 と話していた。

  森岡孝二・関西大教授 (企業社会論) は昨年6月時点での私の取材に対し、「財政再建計画下であろうがなかろうが、 これは賃金と割増賃金の不払いという二つの労働基準法違反で二重の犯罪。強制はしていないとの釈明が予想されるが、 職員が急減した中で残業しなければ住民サービスが滞るのだから使用者側は安全配慮義務違反を問われるだろう。 日本に蔓延するサービス残業の類型だが、きちんと法的措置を取るべきだろう」 と語っていた。

  しかし、こうした自体にも自治労傘下の夕張市職労は法的措置をとらなかった。いぶかる私に組合幹部は 「炭鉱という基幹産業を失って以来、 夕張には失業者も多く、企業誘致もままならない中で、市職員への世間の目は厳しい。 一ヶ月分ちょっとの夏の期末手当をもらうだけで、再建団体の職員はいいなあと批判がくる」 という。

  格差社会の最先端で、貧者が貧者の足を引っ張る構造が作られている。これは小泉政権の新自由主義政策の中で顕著になった傾向だが、 実は80年代からマスコミがその世論づくりに加担してきた労働運動への、就中(なかんずく)、公務員労働運動への敵視策の一つの結末ではなかったか、と自責の念にさいなまれる。

  「自分たちの生活や健康を守れない市職員に、どうして市民の命や生活が守れるか」 と私は声を荒げたが、公務員としてのプライドを国から打ち砕かれ、 そして本来、基礎自治体 (市町村) の側に立って地方搾取の防波堤になってくれるはずの道までが、国の側に立って市を非難する構造の中で、 彼らは無力感にうちひしがれている。

  市の職員不足の訴えに対して国や道は、市への 「人材派遣による支援」 実績を強調する。

  確かに現在、総務省から1人 (形式的には同道を経由してだが)、道からの7人、他市町村や民間企業 (銀行) も含めると計13人派遣職員が市役所で働いており、 これは一般行政職員全体の1割以上を占める。これは、これだけの職員の応援がなければ行政が立ちいかないことの裏返しであり、 地方自治体としては極めていびつな構造である。

  しかも、彼らは管理職全体の32%を占め、中枢的立場から事実上、夕張市行政を差配しており、単なる 「監視」 や 「お目付役」 ではなく、 これによって市は国や道から 「植民地支配」 を受けているともいえる。 「道が人件費を負担しての支援だ」 というが、夕張市職員が年収4割カットで全国最低の給与水準に甘んじているときに、違う給与体系を持ち込むこと自体、 近代雇用原則である 「同一価値労働・同一賃金」 に反し、職員のモラールにも関わることだが、こんな差別待遇の中で一般市職員は黙々と働いている。

  法を守り、法を実現するはずの公務員の給与締め付け・待遇悪化が、 民間の賃金水準押さえ込みや非正規労働・違法労働を許してしまう環境作りを担う構造ができあがっていると私は思う。 2008年度決算からは自治体財政健全化法が適用され、「第2の夕張」 を作るなと、全国の自治体は 「健全化指標」 の数字合わせに懸命だ。

  しかし、その努力の中で 「夕張並み」 の人件費削減をめざせとばかり、給与と職員の削減、民間の効率主義導入によるリストラ・合理化の中で、 公務員のさらなる人権侵害が進めば、それは地方住民への行政サービス低下、地方自治の崩壊につながると私は懸念する。 当たり前の話だが、人間生活に不可欠な医療・福祉、教育などの公共部門は本来、不採算部門であり、だからこそ地方公共団体が担わなければならないものだ。 夕張の厳しさを報道すればするほど、それが 「見せしめ」 になり、全国の他の自治体へのさらなる 「締め付け」 になり、地方の疲弊につながるとしたら本末転倒だ。 どうか 「夕張の教訓」 を正しく理解してほしい。

  こうした現状にもかかわらず、しかし、それでも私は希望を失ってはいない。この街に人間が住み続ける限り、 いかなるものも人間の尊厳を奪い去ることはできないからだ。この街に日々暮らしていると、少しの空いた土地に野菜を植え、山で採ってきた山菜を交換し、 車のないお年寄りを交代で診療所に送っていく工夫をする人々に、小さな身の丈に合った実態経済の大切さを実感する。 もはや大きな企業がこの街に来ることは難しいが、日本の少子高齢化を先取りしたこの地域社会が、農業と、自然を大切にした観光と、福祉産業の街として、 今後は若い農業労働者と福祉労働者を引きつけ、生き延びていけると信じている。ここに残って暮らす決意をした人々は、そんな人間としての誇りをまだ失っていない。

 本田雅和 朝日新聞夕張支局記者

参考文献
・ 「憲法と地方自治」 小林武・渡名喜庸安著/小林直樹監修・現代憲法体系L
・ 「憲法 『改正』 と地方自治」 (小林武著)

「法と民主主義」 2008.10月号 寄稿論文