2009.2.25

内田雅敏の 「君たち、戦争ぼけしていないか?」

弁護士 内田雅敏
目次 プロフィール

非暴力直接行動
―市民によるネオナチ集会実力粉砕に見るドイツの闘う民主主義―

1.闘う民主主義
  2008年9月24日付東京新聞朝刊 「ニュースの追跡」 欄は、ケルン発三浦耕喜特派員電として、「ネオナチ計画国際会議ドイツ市民ら実力粉砕」 「極右に居場所を与えない」 という見出し、
  「極右に居場所は与えない。これが過去のナチス台頭から学んだドイツ社会の民主主義だ。社会を分断する言論は民主主義の敵だというのがその理由。 ドイツ西部ケルンでネオナチ勢力らが計画した 「反イスラム化国際会議」 は、市民の実力行使により粉砕された。」
 というリードで、ケルン市内でネオナチグループが反イスラム化の国際会議を開こうとしたところ、これに反対する市民らが会場入口を封鎖し、実力で妨害し、 遂には警察の中止命令により集会が中止になったことを2枚の写真付きで報じている。

  同記事によれば、集会を企画したのは、ネオナチ政党ドイツ国家民主党 (NPD) の流れをくむケルン市議会の極右会派 「親ケルン」 で、 市内で2010年に完成予定のイスラムモスク建設に異を唱え、オーストリアの自由党、イタリアの北部同盟、フランスの国民戦線などに呼びかけ、 1500人規模の反イスラム化の国際集会をケルン市内で開くことを計画した。
  これに対して、他の政党、労組、左翼グループは対抗デモを組織し、4万人が会場周辺に集まり、会場入口を封鎖するとともに、 空港からの鉄道線路にも入って欧州各地から集まって来た極右グループを空港に足止めした。バスやタクシーも関係者の乗車拒否。 各ホテルも宿泊を断った。レストランも予約を受け付けないなどボイコットは一般にも拡がり、結局会場にたどり着いたのは50名程度。 警察は市民の安全を優先するとして集会の中止を命令し、フリッツ・シュラマー市長は 「この街の民主主義の力だ」 と市民の勝利を宣言したという。

  よく知られているように、ドイツの民主主義はワイマール共和国からナチスが生れたという苦い経験から、 ナチスを称揚することを犯罪として罰する 「闘う民主主義」 であると言われている。 ドイツ基本法 (憲法) の保障する自由は、基本法を破壊しようとする自由までも包含するものではないとしている。 ――この点、日本の憲法は、憲法を破壊しようとする言論も、それが言論の段階に留まっている限りにおいては表現の自由として保障している。

  ところが今回 「親ケルン」 が企画した国際集会は、ナチスの称揚ではなく、反イスラム化の集会であり、集会自体は合法である。 この合法集会を市民が実力行使という 「非合法」 な手段によって粉砕し、警察が集会の中止命令を発し、市長が市民の勝利宣言したというのだから驚いた。
  《極右に居場所を与えない》 としてネオナチの国際会議を実力で粉砕したドイツ市民達に拍手を送りながらも、しかし他方で、これがもし逆の方向に働いた場合、 すなわち今回のような反イスラム化という人種差別の集会でなく、 「真っ当」 な合法集会が市民の実力で粉砕されるような危険性があることにも思いをいたさないわけにはいかない。

  「表現の自由の核心は、「(既存秩序に) 挑戦する自由」、「トゲのある言説を唱える自由」 「異論を述べる自由」 であって、 そういうものとして本来的に 「少数者の権利」 たる性格を宿命的に帯びている。……一般大衆受けの 「当たり障りのない日常生活に関わる情報」 などなどは、 あえてわざわざ憲法によって保護されるまでもなく、事実上ほぼ完璧なまでに自由に流布される。その自由は、憲法21条の規定と無縁だ、とさえ言いたいぐらいである。
  表現の自由がその意義を発揮するのは、世のなかの周辺に追いやられようとするメッセージに、当該個人の存在をかけた主張として、 また、私たちの政治的な共同体が活発化するのに価値のある情報として、最大限必要な保障を与える局面においてなのである。」
(「トゲのある言説を唱える自由」 奥平康弘・東京大学名誉教授)

  という見解を基本的に支持したい。
  わが国において右翼の抗議でプリンスホテルが日教組の会場使用を取消したり、 映画 「靖国」 の上映が右翼の抗議で中止――その後市民の決起で上映されるようになったが――になったことはまだ記憶に新しい。

2.ドイツ国内での反応
  そこで、ベルリン在住の友人、ジャーナリストの梶村太一郎氏にメールで問い合せたところ、早速以下のような返信があった。

  「内田雅敏さま、
  お尋ねの件ですが、三浦記者の記事にある、左翼から市民まで一体になった圧力により、会場にたどり着いたのは五十人ほど。 警察は 「市民の安全を優先する」 として集会の中止を命令し、とどめを刺したとの記述は極めて正確です。
  詳しい事情と反応を地元紙などから見ると、
  「ケルンの警察はこの日、空港に足止めされている150人の会議参加者 (市電も妨害で止まっている) を市内の会議場まで警察力で守ってエスコートするとなると、 1万5000人の座り込みなどで平和的に抗議しているデモ隊を実力で排除せざるを得ず、彼らの安全が脅かされると判断して、会議の集会を禁止した。」
  この 「親ケルン」 禁止の件を鑑定した結果は、「公共の安全が脅かされる時にのみ集会を禁止できる」。土曜日にはオートノーメ (左翼急進の若者の集団で、 彼らが突出して衝突が起こるのが普通) が刑法違反行為を繰り返しており、警察は 「公共の安全を回復するために、 『親ケルン』 の集会の自由に関する基本権を剥奪した」。
  これをボンの憲法学者 Josef Isensee は 『ディ・ヴェルト』 紙で批判し 「この禁止は左派オウトノーメの暴力に対する警察の降伏だ」、 「治安機関は対立する意見の両者の集会を同時に可能にし,両者の権利を保障する努力をすべきだ」
  「親ケルン」 のスポークスマンは警察を冷酷さと無能であると非難し、署長の辞任を要求した。集会の禁止に対し、行政裁判所へ提訴し、会議の再開をするつもりだ。
  ケルンの憲法学者 Wolfram Höfling はこの禁止に 「苦い思い」 を感じざるを得ない。……国家は許可されたデモを実現する権利を保護する義務があるからだ。 しかしながら彼はこの件の禁止は容認できるとする。
報道によれば大体以上が禁止の根拠のようです。
 つまり、警察は武闘派と右翼の間にいる数万の市民の安全を保障するためには、警察力ではどうにもならず、右翼の集会を禁止するしかないと判断したのです。 上述のように法的には問題がありますが、行政裁判所はおそらく 「禁止は違法ではない」 と判断するのではないかと、わたしは推定します。
  したがって、三浦記者の 「ドイツ市民ら実力粉砕」 との見出しはその通りです。なにしろ圧倒的な数ですからどうにもなりません。 飲み屋の親父も右翼にはビールを売らず連帯したそうです。右翼は船でライン河まで逃げまわり、かなり殴られたようです。 どだい、ケルンでこんな国際会議を開催しようとする右翼が甘いのです。ドイツの民主主義をなめています。
  なお、ケルンの市長が集会の演説で 「彼らは便所に流すべき茶色 (ナチ) の排泄物だ云々」 と述べたことに対し、 「親ケルン」 は名誉毀損で告訴するとも言っているようです。以上です。よろしく 梶村拝」

  梶村氏の紹介を受けて三浦耕喜記者 (東京新聞ベルリン支局特派員) からも以下のようなメールが来た。

  「内田様
  東京新聞ベルリン支局の三浦です。このたびは拙稿にご注目頂き、ありがとうございます。
  ケルンでの極右集会を市民が実力阻止した件で危険な側面もあるのではとのご指摘、まさにその通りだと思います。 ですが、その危険を犯しても、それ以上に極右の芽は摘むべきだという社会的コンセンサスがドイツにはあるように思えます。
  「暴力」 と言うことで言えば、むしろ左翼の暴力の方が深刻です。ハイリゲンダム・サミットではロストックで左翼グループが抗議デモに便乗して暴徒化し、 車に放火するなどしました。ですが、彼らの動きを身を張って阻止しようと言う動きは市民の側からは起こりません。 「暴力」 ということで言えば、左翼の暴力にはある意味で寛容ですが、極右は平和的な集会であっても粉砕するという姿勢は一貫しています。 記事中でも指摘しましたが、むしろ極右の方が合法路線であり、それをつぶす市民の方が非合法手段でこれを弾圧しています。 法律論で言えば、あきらかに極右の方に理はありますが、合法云々は市民側を納得させる材料にはなっていないようです。
  歴史的な経緯からは、極右を弾圧することには十分な理由があると考えます。いったん極右が市民権を持てば、それが台頭しかねないという不安を感じているからです。 先日、オーストリアの総選挙が行われ、極右の2政党が計3割の勢力を獲得しました。もはや若者はリベラルには魅力を感じません。 30歳以下では極右自由党が支持率ナンバーワンです。
  放っておけば、右に流れる重力がここにはあります。それは意識的に阻止し、歯止めをかけていくというのが、この国の民主主義にとって死活問題なのだと思います。
  昨日も梶村さんとビールを飲みながらお話ししました。極右に対しては暴力をもってしてでも排除するというのは、法律を超えた価値観であるように思います。 ヒトラーを爆殺未遂したシュタウフェンベルク大佐は、爆弾テロでもって暗殺を謀った人物ですが、 彼が決行した毎年7月20日には連邦三軍の兵士が彼に感謝と追悼の誠を捧げます。ナチスは合法の体裁を取って権力を握りました。 合法であることが正義の証明ではないという教訓でしょうか。
  では
    三浦耕喜」

3.非暴力直接行動
  前記報道及び梶村・三浦氏らからのメールを読みながら、「非暴力直接行動」 という言葉を思い出した。1970年代、ベトナム反戦運動が米国だけでなく、 世界的拡がりを見せた頃、盛んに語られた言葉だ。
  「非暴力」 とは 「非合法」 なことは一切しないという意味ではない。 正義を実現するためには、例え非合法であっても暴力の行使には至らない範囲で市民が自らの体を張って不正義を阻止し、 これを排除しようとすることは正当であるとする考え方だ。非合法、即不当でなく、非合法であってもそれが権力側の行為でなく、 市民の体を張った行為であり、かつ、その程度が暴力の行使に至らない程度場合には、正当なものとして是認される場合があるということであろう。

  そもそも合法、非合法という区別についても流動的であり、今日合法とされる行為が権力側によって明日は非合法なものとされることがあり得る。
  ベトナム戦争の頃、神奈川県相模原の三菱の工場で修理された米軍戦車の運び出しを市民が道路を占拠して、これを阻止したことがあったが、 これなども市民による典型的な非暴力直接行動として是認されるべきものであろう。

  今、あることを思い出した。2000年7月20日、沖縄嘉手納の米軍基地を人間の鎖で包囲する行動に参加したときのことだ。 炎天下、基地のゲート前を除き、市民が互いに手をつなぎ基地を包囲する行動を3回ほどした。 ところが、そこに参加していたプエルトリコで米軍の射爆場を閉鎖に追い込んだ経験を有するグループが 「基地内に突入しないこの行動は一体何だ。 これでは米軍基地は撤去できない。このような行動なら俺達はもう帰る。」 と怒り出したことがあった。突入云々はともかく、もっともな話である。

  非暴力を直接行動というのは、何もしないでただ抗議の声を挙げているだけとは異なるものである。1950年代の砂川基地拡張阻止闘争をはじめとした反基地闘争は、 基本的に非暴力直接行動で闘われて来た。現在、沖縄辺野古で展開されている米軍ヘリ基地反対・測量阻止の闘いもそうである。
  この国における昨今のイラク反戦デモ、歌やパフォーマンスもあり、デモでなく、パレードと呼んでいるようだが、 多くの人が気軽に参加できるということが大切なことは分るが、しかし、やはりデモには抗議、プロテストという厳しい内容を含むものであることを忘れてはならないだろう。 そんなことを考えていたら、何の脈絡もなく、昔、1960年代初め頃だったと思うが、 モスクワに留学 (?) していた日本の全学連の幹部3名くらいが赤の広場でソ連の核実験に反対するデモ (?) を敢行し、 直ちに拘束された出来事があったことを思い出した。

  今日は 〈10.8〉。1967年10月8日、ベトナム戦争の最中、佐藤栄作首相の南ベトナム (米国の傀儡政権・当時) 訪問を阻止するための学生・市民らによる非暴力直接行動 (?) としての羽田闘争が行われ、京大生の山崎博昭君が殺された。 41年前の出来事だが現場にいた一員として、このことを忘却してはいけないと思う。

  【追伸】
  2008年10月20日付東京新聞、ベルリン三浦耕喜電は、 飲酒により自動車事故死したオーストリアの排外主義を唱える極右政治家ハイダー氏の葬儀に国軍兵士が隊列を組み、 棺は砲車に載せられ大統領、首相も出席し、国葬級の扱いがなされたことを写真付きで報じている。
  欧州における排外主義の台頭は深刻なものがある。 この文脈の中で、前記ケルンにおけるネオナチ国際会議の市民による実力粉砕の持つ意味を考えてみることが必要であろう。
  三浦記者もその後メールで、「欧州極右の動きはEU全体の方向をも左右しかねない問題です。 今は各国国内で動いていますが、EU拡大と共に極右勢力もEU規模での連携を図ろうとしています。すでにEU議会にも議席を持っています。 その意味で言えば、ケルンの会議は極右国際化への初めてとなる取り組みでした。その中軸にオ−ストリアが台頭していく流れが見えつつあります。 砲車に載せられたハイダー氏の棺は、その未来を暗示するかのようでした。砲車に載せるというのは国家に功績があった者としての扱いです。 ダイアナ妃の葬儀の時ですら可否の議論があった形式です。酔っ払い運転で猛スピードで運転し、事故死した男です。 政治家の風上にもおけないはずですが、オーストリアは大統領をして弔慰を表させたのです。注意して見ていかねばなりません。」 と危惧の念を表明している。
2008.10.8