2010.12.3

内田雅敏の 「君たち、戦争ぼけしていないか?」

弁護士 内田雅敏
目次 プロフィール

特捜検察の暴走を許してきたのは誰か
――調書の捏造から証拠物の改ざんまでは一瀉千里――

  山に登って地図と地形が違っていたときに、普通の人なら <この地図は間違っている。> と言う。 しかし、稀ではあるが、<この地形は間違っている。> と言う人もいるようだ。しかし、さすがに地図に合わせて地形を変えようとする人まではいない。
  ところがそれをした人物がいた。先頃無罪判決が下された郵便不正事件の捜査を主任検事として担当した大阪地検特捜部の前田恒彦検事だ。 障害者団体を装って郵便割引制度を悪用し、利益を得た郵便法違法事件で偽の証明書を発行した厚労省の上村勉元係長が逮捕された(現在公判中)後、 上司であった村木元局長が民主党の石井代議士の依頼を受け、上村元係長に偽の証明書発行を指示したとされ逮捕され、起訴された。

  起訴状によると、村木元局長が上村元係長に前記指示をなしたのは2004年6月上旬とされていた。 ところが偽証明書のデータが入っている上村元係長のフロッピーディスク(FD)の最終的な更新日時が2004年6月1日となっていた。 上村元係長は6月以前に偽証明書を作成していたことになり、もし検察側が主張するように、 村木元局長の上村元係長への指示が2004年6月上旬ということならば、上村元係長は村木元局長の指示以前にすでに偽証明書を作成していたことになり、 つじつまが合わなくなる。

  村木元局長の上村元係長に対する偽証明書発行の指示がいつなされたかは、 公訴事実(起訴された犯罪を構成する具体的な事実)の根幹をなす重要部分である。この根幹となる事実に食い違いのあったことを知った前田検事は、 上村元係長から押収していたFDの最終更新日時を2004年6月1日から同年6月8日に改ざんし、公訴事実とつじつまを合わせようとした。
  主任検事が被告の無罪を証明する証拠物の内容を有罪を証明するように改ざんした。しかも彼はこのFDを早々と上村被告側に返した。 通常は公判が終るまで返さないのが検察側のやり方だ。上村被告側から証拠として提出させようとしたのではないかとも疑われる。 事実前田検事は、同僚からこのFDのことを聞かれたときに 「時限爆弾を仕掛けた」 と口走ったともいう。とんでもない行為だ。 前代未聞の行為として、さすがに最高検も動き出し、直ちに証拠隠滅の容疑で同検事を逮捕し、 同検事の上司らの関与があったか否かを含めて捜査を開始した。

  その後、2010年2月頃には、当時の本件FD改ざんについて大阪地検特捜部長、次席、 検事正らの幹部が前田主任検事によるこのFDの改ざんという犯罪事実の報告を受けながら、これを放置していたことなどが明らかになった。
  恐るべき検察の暴走、恐るべき組織の隠蔽体質である。本件については身内の最高検だけによるのでなく、弁護士会など第三者も加えた委員会において、 何故このような事態が発生したかが徹底的に解明されなければならない。

  村木元局長側にとって改ざん前の最終的更新日時等を記録した捜査報告書の存在は、無罪に向っての決定的な役割を果したことは間違いない。
  前田検事は、特捜部から公判部へ証拠資料が移管された際に、 前記FDの最終更新日時の改ざん前の内容が記録されたこの捜査報告書も一緒に移管されていたことを知らなかったとのことである。
  もし前田同検事がこの捜査報告書の内容をも改ざんしていたらどうなっていただろうか。あるいは捜査報告書の内容を改ざんしないまでも前田検事らが、 この捜査報告書を公判部に移管しなかったならば、どうなっていたであろうか。 あるいは、一番可能性のあったことだが、公判部の担当検事がこの捜査報告書の記載内容が公訴事実と矛盾することに気付き、 この捜査報告書の存在を弁護側に明らか(開示)にしなかったならば、どうであっただろうか。

  特捜部の捜査官らが捜索場所に向う場面がしばしばニュースなどで報道されるが、彼らは強力な国家権力を背景として、大人数の捜査官を用意して、 あらゆる 「証拠資料」 をごっそりと持ち去ってしまい、しかも公判終了後までなかなかこれを返さない。 この持ち去った資料のなかに被疑者・被告人側に有利なものが存在することは当然あり得る。
  しかし、検察側はこれを提示せず隠してしまう。これは本件のような証拠資料の改ざんではない。 しかし被疑者・被告側に有利な証拠があるにもかかわらず、冒頭に述べたように<この地形は間違っている>すなわち、 この証拠資料は間違っているとして隠されるとするならば、それは証拠資料の改ざんとどれ程の違いがあろうか。

  具体的な事例について語ろう。戦後間もない頃の謀略事件として知られる、列車転覆事件、松川事件(1949年8月17日)についてである。 この事件は共産党員の仕業として、国鉄労組や東芝の労働組合員らが多数、逮捕され起訴された。
  そして年少の国鉄組合員赤間被告が列車転覆の共同謀議を認めた。「自白」 をなしたのを契機として次々と虚偽の 「供述調書」 が作られ、 一審判決は、死刑5名、無期5名、その他有期刑、二審判決は、死刑4名、無期2名、その他有期刑。最高裁大法廷判決は、有罪判決差戻し(7対5)、 差戻し審(仙台高裁)判決は、全員無罪、その後検察官が上告したが、最高裁第一小法廷は上告棄却という経緯をたどった。

  最高裁大法廷で、仙台高裁の有罪判決の破棄差戻しがなされるに際し、大きな役割を果したのが、1949年8月15日、東芝松川工場の団体交渉記録メモ、 いわゆる 「諏訪メモ」 であった。
  この 「諏訪メモ」 に、赤間自白で列車転覆の共同謀議に参加していたとされる東芝の佐藤一氏が当日、団交に出席していたことが記されており、 佐藤氏のアリバイ立証、すなわち、赤間被告 「自白」 の虚偽なことが立証されたのである。
  検察庁は長い間、この 「諏訪メモ」 の存在を被告・弁護側に秘匿し、その存在が明らかになってからも、これを証拠として提出せず、 遂には被告・弁護側に連絡することもせずに、密かに東芝側に戻してしまっていた。
  結局、最高裁の提出命令により、この 「諏訪メモ」 が証拠として法廷に提出され、 そのことが契機となって捜査段階で取られた各被告人らの供述調書の内容(自白)の信憑性に疑いがもたれた結果、全員無罪の判決が勝ち取られたのである。

  その後も検察庁によるこのような証拠の隠蔽行為は後を断たない。本件村木元局長の事件でも取調の経緯を知る上で、 参考となるべき取調メモが破棄されてしまっていた。 検察庁は公益の代表者として強大な国家権力を背景として事件に関する証拠資料をかき集めて持ち去るのであるから、 その中にある被告側に有利なものについても当然に法廷に提出すべきである。 そして、それをしないまでも少なくともどのようなものを証拠資料として持っているかを被告・弁護側に開示、それも全面開示すべきである。 この開示によって冤罪を防ぐことが随分と可能となる。
  しかし、検察庁はこの開示に決して積極的でない。

  本件、村木元局長のケースで、検察側が開示した証拠資料の中に、前記FDの正確な最終更新日の記載された証拠資料が含まれていたことは、 被告・弁護側にとって本当に幸いであった。前述したように、その内容の改ざん、 あるいは改ざんはなされないにしてもその存在を知らせ(開示)しないということは検察庁の体質として十分考えられることだからである。

  前田検事による本件FD改ざんの事実が明らかになる前の2010年9月14日付、朝日新聞朝刊欄で、朝日新聞編集委員村山治記者が、 村木元局長の無罪判決に触れて 「第三者による検証必要」 として以下のように述べている。
  「郵便不正事件で、村木厚子・厚生労働省元局長に言渡された大阪地裁の無罪判決。 明らかになったのは、特捜検察の捜査に対する裁判所の驚くほど冷めた視線だった。……
  捜査に携わった検察幹部は嘆く。「5年前なら調書を含め、有罪を期待できた捜査だ。裁判所が変わってしまった」 ……裁判所は、 違法な取調べが明白でない限り検事調書を信頼し、検察側に軍配を上げ続けた。 それが特捜検察を支えてきた。背景には、同じ官僚の法曹家である検事への裁判官の信頼感があったとみられる。
  その 「蜜月の構造」 が壊れたのは、司法制度改革がきっかけだ。特に、昨年から国民参加の裁判員裁判が導入された影響が大きい。
  検察と被告側の主張を公平に聞き判決を下すことを義務づけられている裁判所が 「訴訟指揮に対する国民の目を強く意識するようになった」 と法務省幹部。 結果として、検察側の証拠への裁判所の見方は、以前よりも厳しくなる。それが象徴的に表われたのが今回の無罪判決だったのではないか。
  しかし、これは決して悪いことではない。むしろこれまで裁判所が特捜検察に甘すぎたと考えるべきなのだ。 無罪判決は特捜検察の捜査のあり方を根本から見直せ、とのサインである。」
  私たち弁護士からすれば、極めて当たり前、まだまだ甘すぎる見解であるが、記者(おそらく司法記者であった)が、 村木元局長の無罪判決を機に書いているところに意味がある。

  特捜検察の 「国策捜査」 として逮捕・取調を受けた多くの体験者が異口同音に語るのが、その取調べの苛酷さである。 検察官の描いた筋書とおりの調書を取るためなら、連日深夜10時、11時に及ぶ取調べはザラ、人権を否定する罵詈雑言、机上叩き、 座っている椅子を蹴飛ばす、長時間にわたって壁に向って立たせる、具体的に身体に手を下さない限り、何でもありの世界だ。
  憲法13条が 「すべて国民は個人として尊重される。生命、自由、幸福追求に対する国民の権利は、 公共の福祉に反しない限り立法その他国政の上で最大の尊重を必要とする。」 と規定しているのは、建前に過ぎないのか。
  同じく、憲法38条が 「何人も自己に不利益な供述を強要されない」 「強制、 拷問著しくは脅迫による自白又は不当に長き抑留もしくは拘禁された後の自白はこれを証拠とすることができない」 とあるのも建前にすぎないのか。

  あれはリクルート事件の時だったか、具体的に被告の身体に手を出して暴行罪で逮捕された検事がいた。 これが 「公益」 「正義」 を背景になされるのだから始末が悪い。犯罪事実を認めず、否認し続けていると保釈に反対し、 ずっと出られなくなるぞという脅しも常套手段だ。いわゆる人質司法の弊である。数年前に全員無罪となった鹿児島の県議選買収事件では、 捜査段階では買収したとされる県議被疑者以外の他の被疑者が皆、買収されたことを認める供述をして、ようやく保釈され、その後全員が否認に転じ、 裁判でもそれが認められた。捜査段階で何故やってもいないことをやったというのであろうか。この人質司法の弊こそ理解されなければならない。

  村山記者の指摘にもあるように、裁判所は 「違法な取調べが明白でない限り検事調書を信頼し」、「特捜検察に甘すぎた」 態度をとってきた。 裁判所が 「違法な取調べが明白」 とするのは、前述したリクルート事件の際の被疑者の身体に直接手をかけたようなケースだけだ。 しかしそれも本当のところはなかなか分らない。

  密室での連日にわたる深夜までに渡る長時間の取調べや、人格を否定するような取調べに、人がいかに弱いか、 それほど想像力を働かせる必要はないであろう。
  刑訴法319条1項の 「強制・拷問又は強迫による自白、 不当に長く抑留又は拘禁された後の自白その他任意になされたものでない疑いのある自白はこれを証拠とすることはできない」 というのは死文ではないはずだ。 裁判所にはそれがなかなか分らない。「同じ官僚の法曹家である検事への信頼感」 があるからなのだろうか。 俗に言う 「検事調書」 は、正確には 「検察官面前供述録取書」 すなわち検察官の前で、 検察官の質問に対して被疑者が答えたことを記録したものであるはずである。しかしながら、実情は、検察官が自ら作り上げた筋書きに添って、 被疑者の供述をねじ曲げて作った文字どおりの検事調書である。
  特捜検察による供述調書の捏造を許してきたのは、「特捜検察に甘すぎた」 裁判所の態度であることは明らかである。 検察官による供述調書の捏造が日常的になされるという 「特捜検察に甘すぎた」 状態が続けば、 本件のような証拠物に対する改ざんがなされてもなんら不思議ではない。

  今般の前田主任検事によるFDの最終更新日の改ざんについて、多くの人々が論評したが、 その中に 「これまで警察による証拠の変造――例えばもともと付いていなかった、 押収した被疑者の衣服に被疑者の血痕を付けるなど――等はあったがまさか検察官がそれをやるとは……」 といったものがあった。 警察がやって検察がやらない理由は一体どこにあるのか。むしろ今回の件は発覚したのがたまたまであって、決して初めてでないと見るのが自然ではないか。

  前田主任検事による本件FD改ざんの事実は、すでに今年の2月の時点で前田主任検事の上司である大阪地検の特捜部長、次席検事、 検事正に伝わっていたにもかかわらず、彼らはこの犯罪を握り潰していたという事実がそのことを物語っている。 今回の件を前田恒彦という特異な人物の個人的犯罪として終らせてはならない。上司達の関与も厳しく追及されなければならない。

  今回のこのような検察官による証拠物の改ざんという犯罪の再発を防ぐためには、何をなすべきか。 それはまず検察庁など捜査機関が憲法、刑事訴訟法などの規定を遵守した捜査(ルールオブロウ)をすることであり、 それをチェックする裁判所の機能の強化である。 次に、認めない限り、保釈を認めないとする人質司法の解消である。そして供述調書の捏造の温床である取調べの可視化が不可欠である。
  さらに検察官の役割が公益のために真実を明らかにするところにあるとすれば、強制力によって集めた全ての証拠を被告・弁護人側に開示する、 すなわち、全面的な証拠開示がなされなければならない。 そして根本的には法曹一元、すなわち裁判官、検察官に任官する前に弁護士としての経験を積ませ、 そこから判・検事を選任するという基本ルールを作りあげることである。検事総長も選挙で選ぶということを考えてもいいかもしれない。