2009.5.27

カルデロン・ノリコ事件が語るもの

弁護士 渡辺彰悟

1 事案の概要
  カルデロン一家の問題は既にご存知とは思うが、簡単に紹介する。
  92年・93年にそれぞれ他人名義のパスポートで不法入国したフィリピン人男女が日本で結婚して、95年にノリコが誕生した。 2006年、ノリコの小学校5年生のときに母サラが職務質問で逮捕され、その後退去強制手続が始まり、2006年11月には一家全員に対して退去強制令書が発付された。
  これまで退去強制手続上、裁決の時点で中学生ということであれば、在留が認められていた同種事案が存在した。 同様に小学校高学年にまで枠を広げよと主張することの困難さは感じていたものの、中学と小学校高学年の子どもがどれほど違うのか、 私にはノリコの最善の利益を考えれば、既にこの年まで到達している子どもを日本で受け入れることが、もっともノリコの利益に適うものと考えていた。

2 敗訴確定後でも在留を求めた理由
(1) 私が今回のこの事件を大きく問題化したことには一つの教訓があったからである。2003年10月から2004年3月に至るまで、私はキンマウンラ一家の事件にかかわった。 難民申請者であった夫と、フィリピン国籍の妻子とがそれぞれ国籍国へ送還されてしまうかもしれないという 「家族離散」 という事態に、メディアも取り上げ、 今回と同じように国会議員も関心を寄せてくれた。
  ところが、そのときには、かたやキンマウンラ家族を巡る環境が順調に推移する中で、これとほぼ同様の状況にある、 クルド人夫とフィリピン人妻子という家族に対して、両親を収容するということを入管はやってのけていた。
  つまり、キンマウンラ事件の解決は、他の同種事案の解決に役に立たなかった。 だからカルデロン事件を扱うときに常に意識していたのは、他事件への影響だった。 これまで退去強制手続上、裁決のときに中学生ということであれば在留が認められていた同種事案との対比において、 小学校高学年となった子どもについてどこが変わるのかという思いはあった。

(2) もう一つ、最高裁で敗訴が確定したからといっても、このような事件についての現段階の裁判所見解は間違っているという判断が私たち弁護士にはある。
  現在の裁判所は、1978年10月4日の最高裁判決 (いわゆるマクリーン判決)、いまから30年前の判決の枠組みに固執している。 外国人の人権は、「特別の条約のない限り」 「在留資格の範囲内で」 保障されるというのである。
  なぜ、この30年前の論理に組み込まれたままでいるのか。1978年以後、日本は1979年自由権規約・社会権規約、1981年難民条約、1994年児童の権利条約、 1995年人種差別撤廃条約、1999年拷問等禁止条約、等々様々な条約を受容してきた。国際人権法の分野の進展はまさに目覚しい勢いで進展をしている。
  日本の裁判所は30年以上前の判決に胡坐をかいている状態だと言われてもやむを得ない 。ただ、その状況を変えられない私たちであることも事実であって、 いつかこのような事件をもっと大きく問題提起したい、マクリーン判決を乗り越えたいと思い続けている。裁判所の見解は歴史的には変化を迫られているのである。

3 本件の問題の本質について
  確かに、裁判では全く相手にされていないのが、子どもの権利条約に基づく 「子どもの最善の利益」 (同条約3条)、 自由権規約17条・23条に規定される家族の保護・恣意的干渉の禁止等の条約上の価値である。
  なによりも重要なのは、ノリコの権利である。児童の権利に関する条約 (以下 「子どもの権利条約」) 12条の意見表明権に基づいて、 3条に規定する 「児童の最善の利益」 を確保することだった。
  ノリコは日本で勉強を続けたいという強固な意思を表明していたし、家族もノリコの希望をかなえたいと願っていた。 ノリコと両親が家族として日本において保護されることが、そのままノリコの最善の利益につながるし、家族を守ることにもなる。問題の本質は簡明なことだった。

4 今回の事件の流れ
  昨年9月に最高裁での判断が下され、その後の仮放免出頭のときから帰国を促されるようになる。
  (※ 但し、マクリーン判決を乗り越えようと試みた判決がなかったわけではない。東京地裁平成15年9月19日付判決 (判例時報1836号46頁) は、 イラン人家族について子どもの権利の観点から比例原則に則って退去強制処分の取消しを認めた判決であり、画期的な内容を持っている (但し高裁で逆転敗訴)。 同じ部では韓国人家族についても同年10月17日に取消認容判決がなされている。)

  しかし、ノリコは在留して学業を継続することを希望した。 日本語で育ち、小中学校で友だちに囲まれて育ったノリコがこれからも友人達とともに日本で勉強していきたい、自分の夢を日本でかなえたいと考えるのは当然である。
  いくつかのメディアがこの問題をとりあげるようになり、まもなく国内のほとんどのメディアが何らかの形で取り上げるようになった。
  与野党の議員もこの問題に取り組んでくれた。早い時期からノリコ一人の在留を認める方向が打ち出されたのは、このような取組みが影響していたと思う。
  2月13日、外国人記者クラブにおける記者会見でのノリコの訴えは大きなインパクトをもった。 AFP通信による配信記事がBBCで流れ、これを人権理事会の特別報告者が取り上げて、2月19日には日本政府に以下の項目の照会をするに至ったのである。

  特別報告者から日本政府に対する照会内容は以下の点が中心であった。
  「カルデロン・ノリコの教育の権利は貴政府によりどのように保障されているのか、情報を提供されたい」 に続いて、 「(日本) 政府は、子どもの最善の利益という法的原則の実施、ひいては少女カルデロン・ノリコが家族とともに過ごせ、 学校に通い続け同世代の子ども達と社会的関係を発展させ、さらに彼女の両親の (入管法上の違法な) 状態に基づいた差別から保護されるため、 何らかの方策を講じたか。それらの方策の実施につき、詳細及び可能であればその結果を教示されたい。 もし何の方策も採られていないなら、その理由を説明されたい」 と。

  この照会そのものに、特別報告者の子どもの権利や家族保護の見識が含まれていた。
  日本政府がこの照会に正面から答えたくなかったことははっきりしている。日本政府がやろうとしていたことは、これらの見識に真っ向から対立するものだったからである。 「彼女の両親の (入管法上の違法な) 状態に基づいた差別」 は当然だと思っていたのが法務省である。 法務省の判断の根拠にどれほど “両親の不法入国” が援用されたことか。 また、家族三人での帰国を迫れば、「学校に通い続け同世代の子ども達と社会的関係を発展させ」 ることはもちろんできない。 法務省にとってとるべき道は、特別報告者に対する回答期限以前に、両親の 「自主的帰国」 を表明させることだった。

  3月9日までに結論を出さない家族に対して、法務省は父アランを収容し、3月13日までにいずれかの道を選択しなければ、3月16日に母とノリコを収容し、 17日に全員を国費送還すると迫った。父を収容し、母子の収容、全員送還を突きつけておいて、そして “自主的帰国” を促したのである。
  (※ 実際には毎年の在留特別許可1万件前後のうち、4分の1程度の案件は不法入国案件であり、 入国管理局そのものが “不法入国” を気に留めていないことがわかるのである。)

  3月13日朝まで家族は決断に至らなかった。13日朝の面会室での家族とのやりとりで、16日の朝まで結論を保留するという案も検討された。 しかし、その場合に可能性としてあり得る 【ノリコ収容】 という事態を絶対に避けたいというのが両親の気持ちであったし、それが決定的となった。 結果として法務省の脅しに屈する結果となった。代理人として彼らを守れなかったことをいまも本当に残念に思う。
 
5 今回の取組みの中で
  今回の取組みは、大きな成果として残ることはなかった。しかし、既述のとおり、私としては、次につなげたいという意識はあったし、 実際に次につなげる成果もあったとは思っている。
  第1に、本件のような問題が日本にあるのだということを広く知らしめたことそのものに意味はあったと思う。
  第2に、多くの全国紙・地方紙が社説で本件を取り上げ、一部を除けば、基本的に家族の在留を求めていた。 そこには人道的な見地から語るものも多かったが、子どもの権利を指摘していたものもあった。地方紙は約20社、さらに、3月11日朝日新聞、 3月13日の日経・毎日の社説がそれぞれ、説得的に家族の在留を求めたことは今後の力となった。特に地方紙は、通信社による配信の力の大きさを感じた。
  第3に、議員の力の重要性である。与野党を問わずに取り組んでくれた背景には、私たちのみならず、 子どもの権利に関する NGO 等の皆さんの協力に依拠するところも大きかった。
  第4に、やはり国際機関の動きの重要さである。人権理事会特別報告者の照会のインパクトはあまりに大きかった。 私たちは今後もこの国際機関の動きに注視したいと思う (なお、この6月に今回の件の政府報告が明らかになるはずである)。

  事件は一区切りがついた。しかし、まだ終わったわけではない。今後、両親の来日と将来の在留に向けた取組みが必要となってくる。 同種事案の子どもたちの不安も取り除きたい。少しずつ彼ら非正規滞在家族に対する日本における環境を変えていかなければならない。

移住労働者と連帯する全国ネットワーク発行
 「Mネット」 5月号掲載予定