ブックレビュー 


『国分一太郎 ─抵抗としての生活綴方運動─』 津田道夫著
社会評論社 2010.1 刊行 

2010.2.4 藤田勝久

    いつまで青い渋柿ぞ
    わがふるさとの ふところの
    頑固な町に 生をうけ
    時世にそむく 道をきて
    はるけき道を ふりかえり
    なお故郷は 恋しとや

  国分一太郎は、終生青い渋柿であった。
  その律儀さ、その純情さにおいて・・・。

  昭和恐慌下のふるさと、山形県北村山郡東根町。

  …午後の学校には児童の姿見えず…この凶作のために、一家総動員で毎日のごとく木の実雑草等を代理食となすため躍起となって山野を集め廻っている。…

    子守する子は すぐわかる
    「きをつけ」 かければ すぐわかる
    せなかが まるくて すぐわかる

と、国分が詠った北方の子どもの一人、秋田の4年生の男の子は、「汽てき」 という詩を書いた。

    あの汽てき
    たんぼにもきこえただろう
    もう、あば帰るよ。
    八重蔵コ
    泣くなよ。

  今また、恐慌の嵐が襲っている。
  時代が二重写しとなってきた。
  国分を検束した、特高・砂田周蔵は次のように言う。
  「君たちのやったことは、ほんとうは民主主義のためのこころみだったんだよ、ね。
  けれども、いまは、その “民主主義” が、国体の上からいっていけないということなんだから、どうにも、しかたがないね。」
  「…今は、治安維持法の規定があり、それに合致するから罰をくわえる。
  そういう時代ではなくなったんですよ。
  日本の肇国の精神に反する思想を持っていたから、つよく反省する。
  こうなってもらわなくてはいけないんだよ。・・・」

  どう反省すれば許されるというのであろうか。
  精神を折られた人の一人は、「自宅に神棚をそなえ、それに朝夕礼拝してい」 たという。

  現在、都教委は次のように言うのであろう。
  「…いまは、通達の上からいっていけないということなんだから、命令に背いたんだから、しかたがないね。」
  「…日本の精神に反する行為をしたのだから、つよく反省する。こうなってもらわなくてはいけないんだよ。…」

  これにどう対処すべきか。
  真っ当に闘うものは不起立を貫け!
  踏み絵を踏んだ者も、精神は敢然として譲るな!
  偽装転向おおいに結構! ふてぶてしく生きよ!
  間違っても、鬱になったり、気弱になったりして、己を反省したり、逆に権力にすりよったりするな!
  それが、昭和前期の 「転向」 の歴史を無にしないということである。

  現在の都教委の指導主事、校長、副校長らは、まさに戦後の砂田周蔵と言うほかない。
  「不起立教員」 とは、彼らにとっては戦前の 「赤化教員」 である。
  蛇蝎のごとき存在である。 戒告、減給、停職の処分をする。
  再発防止研修と称して、反省文を命ずる。 自己申告書を強制する。
  遠路に異動さす。 人事考課を最低にして、給料を減らす。 さらには、懲戒・分限免職をねらう。
  本人を、職場では次第に白眼視されるように追い込んでいく。

  1941年の 「治安維持法」 の 「改正」 では、あらたに 「国体ヲ否定シ」 という文言がつけ加えられた。

  奥平康弘は言っている。
  「…私は 『国体否定』 という法文の異常さ・異例さを強調しておきたい。
  全く観念の世界にとどまる人間の精神活動そのものに標的を合わせているのである。

  ここで 『国体』 という魔物のことは、とやかくいうまい。
  それにしても 『否定』 すなわち 『承認しないこと』 が、罪だというのだから、おそろしいではないか」 (『治安維持法小史』)

  「学問の自由」 ・ 「教授の自由」 がもっとも必要なのは、小学校の教師である。
  軍国主義教育で小学校から洗脳された時代の人々の悲惨を思えば、ことは自ずから明らかであろう。
  それゆえにこそ、国分一太郎の時代、小学校教師がひどい弾圧を受けたのである。
  彼は、『小学教師の有罪』 という奇妙な題の著作を書いている。

  時代は、ぐるっと回って昭和十年代中葉に還ってきた。
  都立板橋高校の前を流れていた千川の蛍が、警官に 「灯火管制、灯を消せ!」 と怒鳴られていたという歴史を繰り返してはならない。