ブックレビュー 

書評:東京原爆症認定集団訴訟を記録する会 (編集)
『原爆症認定訴訟が明らかにしたこと
〜被爆者とともに何を勝ち取ったか』 (あけび書房)
木村 朗(鹿児島大学教員、平和学)


  「冷徹な国の論理に立ち向かった被爆者と弁護士たちの魂の記録」
  3・11以降の日本では、政府(政治家・官僚)や電力会社は組織防衛や保身のために平気で嘘をつくということ、 また大手マスコミや学者は必ずしも真相を伝えないということが多くの人々に知られることになった。 そして、「人体に直ちに影響を与えるものではない」 という官僚答弁(東大話法)がいかに欺瞞的であるか、 また 「原子力ムラ」 の存在がいかに強固なものかを私たちはいま思い知らされつつある。

  本書は、2003年5月に提起された東京での集団訴訟を対象としており、5つの座談会、集団訴訟に関わった専門家・学者や医師団、 原告である被爆者・弁護士や支援者たちの手記、集団訴訟原告・遺族の法廷での意見陳述、資料編(詳細な原告一覧表、独自の年表、 判決要旨)などが収められており、まさに歴史の貴重な証言禄・記録集となっている。 原爆の放射線による内部被爆を過小評価し残留放射線の影響を一貫して否定する冷酷な 「国の論理」 と、 原爆症認定のための集団訴訟というかたちで真正面から立ち向かい、長年格闘してきた被爆者と弁護士たちのすさまじい苦闘の記録でもある。

  本書を一読すれば、福島第一原発事故後に急浮上した人体への放射線の影響をめぐる問題が、実は原爆症認定基準をめぐる、 原告の疾病と被爆の因果関係を疫学調査の結果をもとに否定する政府と原告(被爆者・弁護士)との論争とその本質はまったく同じであることが分かるであろう。

  核兵器廃絶を心から願い放射線被害の過酷さを命がけで訴える被爆者の声とそれを支えて公平な裁判を粘り強く求める弁護士たちの姿勢は、 紆余曲折もあったものの司法の場で核兵器の残虐性・非人道性を明らかにして集団訴訟の勝利をもたらした。 それと同時に、集団訴訟は、「原因確立」 を用いた基準や 「放射線起因性」 の厳格な証明、 他原因論・しきい値論などに示される冷酷な 「国の論理」 の欺瞞性と、 それにしがみ付いて内部被曝や低線量被曝を過小評価し、 原爆による放射線と健康被害との関係を頑として認めようとしない政府の姿勢の背景にあるものをあぶりだすことになった。
  すでに破綻しているともいえる認定制度に頑なに固執する政府の姿勢の背後にあるものは、 財政負担の拡大への懸念ばかりではなく核の傘に依存する国の安全保障政策への従属、そして核抑止力に執着するアメリカへの配慮ではなかったのか。 「日米政府は、広島・長崎の被害に関する情報を徹底して管理・隠蔽し、被害を小さく描き出すという一貫した意図」 を持っており、 それこそが 「被爆者切捨ての認定行政」 を行い、「裁判で負けても負けても抵抗を続ける理由」 であるとの指摘(11頁)や、 「核の傘で守られ、原子力発電を推進しているから、国は原爆被害を隠蔽したいんでしょう」(27頁)という証言は、特に肝に銘じる必要がある。

  東京での集団訴訟をはじめとする全国での原爆症認定訴訟での度重なる敗訴にもかかわらず、 政府・厚労省は現在もなお被爆の実相と司法判断を無視した認定行政・運営を続けようとしている。 国民主権と三権分立の建前のなかで、国家意思を決めるのは一体誰なのか。 集団訴訟で提起されたこの重い問いかけに答えることがいまもわたしたちに求められていることだけは確かである。

  被爆者援護法改正による新たな認定制度の創設に向けて、一日でも早く政府が被爆者たちの声に耳を傾けてさらなる政治決断を行うことを強く求めたい。 それがかなりの高齢となられている被爆者だけでなく、福島原発事故の被害者をも救済し、 核兵器廃絶と原発ゼロに向けた社会を築く第一歩となると確信するからである。

  最後に、本書が原爆被害・核兵器廃絶や原発被害・原発ゼロの問題に少しでも関心をもつ多くの人びと、 特にこれから法曹・教育・報道を目指す若者たちに広く読まれることを心から願っている。
(『法と民主主義』 2012年8・9月号掲載)