韓国の憲法裁判事情に思う
弁護士 澤藤統一郎  目次
(2012年5月20日)

  初めて訪れた韓国は、気候にも天候にも恵まれてさわやかだった。晩春の風はやさしく人々の物腰はおだやかで、 言葉は通じないながらも異郷にあることを忘れ、しみじみと好ましい印象が残った。
  観光ではなく、韓国の憲法裁判事情を知りたいと思っての 「日民協司法制度調査団」 などと大仰な看板を背負っての訪問。 なぜ韓国なのか。そして、なにゆえの彼の地の司法制度調査であったのか。

  きっかけは、昨年8月30日韓国の憲法裁判所が元日本軍慰安婦として被害を受けた韓国女性らの憲法訴願審判請求を認容する決定をしたという報道。 その事件名は、「韓日請求権協定第3条不作為違憲確認請求」、 この事件で憲法裁判所は 「政府の不作為が違憲であることを確認する」 という認容決定を言い渡した。
  主文の内容はやや複雑だが、請求人らの日本に対する損害賠償請求権が存続しているか、 それとも1965年 「日韓請求権協定」 に基づいて消滅したかの解釈上の紛争に関して、 韓国政府は解釈上の疑義を条約に定められた手続きに従って解決すべき義務を負っていると認定した上、その不作為を違憲と判断した。
  条約(第3条)に定められた手続きとは、まずは日本に対して外交努力を尽くすことであるが、 外交努力によって解決できない場合には所定の仲裁委員会を構成して、その決定に付託するというものである。 憲法裁判所の決定のあと、韓国政府は日本政府に申し入れをすることで、8・30決定遵守の姿勢を見せている。
  高邁な憲法理念と高邁ならざる最高裁判決との落差に臍を噛んでばかりの日本の弁護士には、判決文の日本語訳は驚嘆の内容。 行政に対する厳格なこの姿勢はいったいどこから生まれてきたのだろう。どのようにしてこのような 「裁判所」 が実現したのだろうか。
  実は、憲法裁判所の仕組みも、訴願審判請求という制度にもなじみがなくてよくわからない。ともかく現地へ行って、直接お話しを聞いてみようじゃないか。 こうして、晩春のソウル行の日程が決まった。

  ソウル到着の初日に、韓国憲法裁判所を見学した。
  ここでは、見学者に対する応接の親切さと説明の熱意に驚いた。まずは15分ほどの憲法裁判所のプロモーションビデオを見た。 みごとな日本語版であったが、英語、中国語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、ロシア語版まであるという。 そのタイトルが 「社会を変える素晴らしい瞬間のために」 というもの。 憲法裁判所の、国民一人ひとりの幸福に直接つながる活動をしているのだという強い自負が伝わってくる。
  その後、見学者の手許には、案内のリーフレットだけでなく、韓国憲法と憲法裁判所法の全文(英文)の小冊子が配布され、 最高裁調査官にあたる憲法研究員のお二人から2時間にわたる懇切な解説を受けた。 そのうちのお一人は日本語の堪能な方で、無駄のないみごとな通訳もしていただいた。聞けば、東北大学法学部に留学経験があるとのこと。 2時間を超す、説明と質疑のあと、法廷の見学を希望したところ、快く応じていただいた。 青瓦台を望む屋上ガーデンもご案内いただき、その気取らない応対にいたく感心し、 わが国の最高裁のあの権威主義的な横柄な対応との懸隔を嘆かずにはおられない。

  翌日、「民主主義のための弁護士の会」 (民弁)を訪問して交流の機会をもった。こちらは、意識的に憲法裁判所を使いこなそうとする立場にある。
  民弁の会長ご自身と、事前に文書で回答をお願いしていた各質問事項を分担して4人の方から丁寧な説明をいただいた。 いくつものお話を伺ったが、司法制度委員会の委員長が次のような印象に深いエビソードを語られた。

  2008年の反BSE運動盛り上がりの中で、民弁の運動として憲法裁判所への10万人提訴に取り組んだ。 憲法裁判所の利用(憲法訴願審判の申立)には補充性の要件が必要だが、工夫次第で憲法判断を内容とする直接の申立が可能。 BSE問題についての集団提訴はその典型的な活用例だという。 輸入規制緩和の政府方針を国民の憲法上の権利侵害と構成する憲法訴願審判の申立人を募集したところ、 民弁の呼び掛けに応じた市民の数は10万3000人となった。10万人を超える名簿作りだけでもたいへんな作業で、関係弁護士と全職員だけでは足りず、 アルバイトも動員して訴状を作りあげ、提訴に漕ぎつけた。
  この提訴は、判決では勝てなかったが、政治的インパクトとしてはたいへんに大きいものがあった、とのこと。

  実は、少し似た経験がある。
  1991年に湾岸戦争が起きた際、日本政府(海部内閣)は、戦地に掃海部隊を派遣し、90億ドル(1兆2000億円)の戦費を支出しようとした。 平和的生存権に基づいて、これを差し止めようと 「市民平和訴訟」 と名付けた集団訴訟が実現した。 1万人規模の原告団結成を目標にしたが、東京では1100人ほどの規模にとどまった。予想外に少数だった理由は訴訟費用の負担にあった。
  東京地裁に訴状提出後、担当裁判長(後に最高裁裁判官となった涌井紀夫判事)から 「訴状に貼付すべき印紙が不足しているのではないか。 手数料の計算方法に疑義がある」 という指摘を受けた。裁判所の考え方を文書で示していただきたいと要望したところ、ファクスが届いた。 本件の係争にかかる経済的利益を差し止め対象の支出金額・1兆2000億円とし、これを訴額として1人あたりの手数料を算出して、 原告の人数を乗ずるという算定をすべきだという。

  驚くなかれ、この算定方法では訴状に貼付すべき印紙額は3兆4000億円(当時の司法総予算の15年分)になる。 最高額の印紙で貼付して、東京ドームの天井にも貼りきれない。さっそく記者会見を開き、これは当時格好の話題となった。

  翻って、韓国憲法裁判所の利用は、訴訟費用ゼロである。実感として、このことは国民の裁判所利用意欲に大きな影響を持つ。 敷居を低くして 「ぜひ積極的に裁判所の利用を」 と国民に呼び掛ける韓国憲法裁判所に比較して、 「できるだけ来るな。面倒な裁判を持ち込むんじゃない」 という日本の裁判所の大きな落差をあらためて見た思いだった。

  本来あるべき 「人権の砦」 としての裁判所は、横暴な多数派が議会と行政を占拠している時代にこそ、その人権救済の本領を発揮しなければならない。 世論に迎合せず、社会的には評判の悪い判決を書くのが、裁判所の本来的な使命であろう。 しかし、現実には世論に不評な判決は裁判所はなかなか書けない。 超長期保守政権によって任命された日本の最高裁裁判官は事実上違憲審査権を放棄したに等しく、民主化以前の韓国も同様であった。

  しかしいま、日本の裁判所は旧態依然であるのに対して、韓国憲法裁判所は極めて活発に違憲判断を下している。 韓国憲法裁判所の創設と運用とは、韓国の民主化の大いなる結実と言えよう。 しかし、課題は政権の民主度如何にかかわらず、人権を擁護する司法をどう作っていくことができるか、ではないだろうか。 「所詮司法のレベルは社会の民主化の反映に過ぎない」 とすれば、日本で憲法が想定する裁判所を持つことは、百年河清を待つに等しい。 少なくとも、「公権力から独立した判断のできる司法」 「逃げずに違憲判断をする気概ある裁判所」 を作るにはどうしたらよいのか。 そのヒントが欲しい。そのために、今後とも韓国の司法には大いに注目し学びたい。