シリーズ 原発
NPJ 福島へ ──その5──
放射線量
NPJ代表 梓澤和幸
いわきから北茨城にかけて半日かかった車での動きは、夕方北茨城で終わった。
前回書いたようにこの一帯の人々の暮らしを支えてきたのは間違いなく漁業である。それとともに電力産業がある。
広野町と勿来(なこそ)で二つの火力発電所の脇を通った際、広田弁護士が説明してくれたが、この一帯のもう一つの地場産業は電力であるということであった。
福島第一、第二原発もこの一つであった。広田弁護士によれば、福島第一原発の事故の後、
原発作業の下請け労働者に累積被曝線量が多いため働けないという相談や、
ゴルフ場の顧客が減少したためにキャディーさんなどゴルフ場の労働者の解雇問題が出ているとか、
いわきの町の極端な売上げの落ち込みがあるなど電力という地場産業の影響の深刻さが伺われた。
同弁護士には原発 30キロのところで仕事を続けていくことから感じさせる悲壮感や気負いというものを感じなかったので確かめてみた。
そうするとこのようなことで落ち込むというよりは、もう一度自らを奮い立たせてこの危機からどうやって人々の脱出口を探すのか、
若手の弁護士と繰り返し討論を重ねているとのことで、自分に置き換えて随分たいしたものだなと思わされた。近くインタビューを載せたいと思う。
北茨城で別れて郡山に向かう。車で1時間の行程である。
郡山インターチェンジに近づくと手元の線量計の数字がぐーんと上がってきた。いわきでは 0.2マイクロシーベルトだったが、
郡山東インターでは 0.4マイクロシーベルト、同インターをおりると 1.47マイクロシーベルトとなる。
そうかとおもうと郡山大町では 0.5マイクロ、郡山第一生命前では 0.34、次の交差点では 1.28となった。
いわきより第一原発から遠い郡山でこれだけの数字が出るのはなぜなのか気になった。
あらかじめ約束した和田賢一さんの事務所に行く。ここは郡山市鶴見壇3丁目である。
前の駐車場の地面に線量計を置くと 3.67マイクロシーベルトを示したので、同行の者はお互いに顔を見合わせた。
和田さんからお話しを伺った。この郡山ですでに35年一級建築士としてお仕事を蓄積されている方である。
特に耐震診断については独特の方法をお持ちとのことであり、随分依頼が殺到しているようであった。
同居のご家族の多くはすでに関西の伊丹市に一時避難をされているとのことであった。
この高い放射線量のもとでは小さい子供に長く住まわせるリスクを負担させるわけにはいかない、というお話しには頷けるところがあった。
ご案内を受けて、近くの薫小学校の校庭に行く。業者が表土をかきとることによって地面から受ける被曝を避ける措置を取った。
そのかきとった土を移動させる箇所で住民の反対があり、校庭に盛土がそのまま積まれていた。
行ってみると1メートルほどの高さで黒い土が5メートル四方くらいの広さに積まれている。
5月4日の時点では、表面にブルーシーとなどかけられておらず、そのまんま暴露されていた。その上に線量計を置いてみると 5.5マイクロと出た。
年間に換算すると約 44ミリシーベルト/年となる。これは今問題になっている 20ミリシーベルト/年の倍になる数値で、
確かに表土のかきとりは必要だと言うことになる。しかし、かきとった後の校庭の表土に線量計を置いてもなお2マイクロシーベルト/時、
すなわち約 16ミリシーベルト/年と出た。これもかなりの放射線量である。
この小学校から車に乗り飲食街に夕食に出た。あるビルの物陰で計ると4マイクロシーベルト/時を超えるところがあった。
同行の小坂和輝小児科医師は正確にはもっと専門的な放射線医学の医師の測定と提言が必要になると前置きしながら、
これだけの線量のところで子供を遊ばせておく訳にはいかない、疎開が必要になるのではと強調された。
新聞ではより低い線量が報道されているがなぜか。
公的な線量の数字は郡山市役所前で計られているという。そこが他よりも低いので、我々の実体験と違っているのではないかと思われた。
そこで翌日である5月5日、郡山ビッグパレットの訪問の後、市役所とその付近の公園の線量を計ってみることにした。
確かに郡山市役所の前(コンクリートの上)で計ると 1.4マイクロと新聞の報道に近い。
しかし、そこからせいぜい 200メートルほどよった開成山公園では3マイクロをこえる数値が出た。
線量計の警告音がなり続けていささか気持ちが悪かった。ここからいえることは、新聞に出る数値は郡山市の線量というよりは、
郡山市役所前と特定されて報道されるべきでいうことである。
市民、特に放射線に感受性の強い幼い子供達を守るという立場に立つのであれば、郡山市内のいくつかのポイントで、
また、地上からの高さも1メートル地上だけでなく、地表面、または、地上1センチメートル、
または、50センチメートルといった子供の呼吸する場所の線量が測定され、それが市民に提供されるべきなのである。
この役割を果たさないマスメディアの報道は正されなければならない。
真実が提供されなければならない。
メディア論の中で 「メディアは環境の監視役」 とか 「人民の斥候兵」 という言葉がある。
財政が困難になるのではとか、人々に混乱が起こるとか、いう配慮は事実の前に降伏すべきであろう。
メディアの経営陣、前線の記者とこのことを議論してみたい。
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