シリーズ 原発
NPJ 福島へ 2011.9.11
NPJ代表 梓澤和幸
9月11日1時から福島市のチェンバおおまちで開かれた “放射能から子どもたちを守るネットワーク” (子ども福島)主催の9.11テロ事件と、
福島原発をともに考える集会に出席。終了後のパレードにも参加した。
集会では、はじめ、ニューヨークのテロがあったワールドトレードセンター付近に居住していた日本人女性のスピーチを聞いた。
女性は現場から数百メートルのところのアパートに住んでいた。迫真力のある体験だった。
トリチウムという放射性物質がグランドゼロの現場から発見されたのだという。
ニューヨーク市の行政当局は、安全で健康に問題ないとくり返したところが、福島で起こったのと似ているという叙述が印象的だった。
SAFLAN(福島の子どもたちを救う法律家ネットワーク)から、渡辺彰吾弁護士と梓澤が出席した。
グランドゼロの体験談ののち、分散会方式で6人の女性が私たちのテーブルに座って話を交流した。
この夏、札幌で聞いた福島の母子の悲しい対話を紹介した。札幌へのサマーキャンプにどうしても行こうとしない中学生の娘に、
母親が説得したエピソードである。
「ねえ、せめて夏の間だけでも放射能を避けて札幌に行こう」
「私はね、部活がとっても大事なの。もし放射能被曝の結果、私に障害のある子が生まれても、お母さんには負担をかけないから。私が育てるから……」
こういう話である。
すると、高校生をもつその場にいたある母親が言った。
「みんな、言葉に出さなくても、子どもは子どもで心の底で考えているんですよ」
「私の娘も、部活が大事だからって、どうしても動こうとしなかった。
一時は5マイクロシーベルト/hをこえる状態にもなったという。学校の部活の場所が、……。
先生たちの転校相談への反応はあまり積極的でなかったという。子どもはがんばろうとしているんだから……と。
「避難するのなら、みんなそろっての疎開方式でやってほしいと、子どもは言うのですね。」
家の中で0.7マイクロ、庭では1マイクロをこえる線量はさすがに子供にはよくないと考え住む場所の移転を決断したという。
しかし結局、転校はしないまま 100キロ離れた都市に住み、そこから車で送迎の毎日だという。その肉体的精神的負担、
ガソリン代の経済的負担を考えさせられる。それがごく普通の話としてある。
別の話だが、避難先の地方自治体が福島県当局に連絡を取ると、消極的な対応をする例があるのだという。
静岡県のある自治体がすすめてくれたサマーキャンプの企画は、つぶれてしまったこともあるとか。
大人の政治の都合で、子どもたちの人生が踏みつぶされていく。何だか切実な感情がこみ上げてくるのを抑えられなかった。
関西の枚方市から来ていた女性がいた。
遠く関西にいたのではとても感じ取れない現地の感覚を知ることができてよかったと、体験をかみしめるような表情で語った。
震災後の福島に初めて入った渡辺彰吾弁護士(実務経験21年の弁護士――難民救済の実績でよく知られている)は、こんな風に語った。
「一見、原発から離れて平穏に暮らしているようにも見える広い地域で、人々そして子どもたちが不安を抱えながら生活していることがよくわかった。
その不安の中身を、解決すべく、子ども、そして子どもを抱えている親の視線から具体化していく作業が求められていると痛感した」
3時30分からまちなか広場で開催された 「原発やめろ 9.11福島市民野外集会」 に参加した。
会場の外の水たまりのそばで 「子どもを放射能から守る福島ネットワーク」 の吉野雅裕さんが線量計で測った。
すると、1.4マイクロシーベルト/hの数値が出たと渡辺弁護士から聞いた。
檀上から福島の土地の言葉で話す60代の男性の話が響く。
9月22日、ニューヨークで開催される原発関連の国際閣僚会議へのNGOアクションに子供連れで参加するという子ども福島の母親の話もあった。
よく通るマイクの声は会場の外の市民にも届いているはずだが、それはどう聞かれているのだろうか。
パレードは、福島市内を練り歩いた。(ビデオ参照)
参加者の意気は盛んなものがあったが、一般の市民の人たちから沸き立つような反応がある、という状態でもなかった。
これは現実の一つの側面なのだ、と思う。
いま思春期や青年前期にあって自分たちの人生を一人ひとり構想している福島の子どもたちは、集会やパレードのことをどう見ているのだろう。
そこをわけいって聞いてみたいものだと思った。
最後に一つ感じたことを書いておきたい。
それというのは、子供たちを救い出すため奔走している30代、40代の人々が、以前の集会や東京でお会いするときと違ってどこか違う、
沈み込んだ、大変そうな表情をしていることである。
新聞にでる空中線量でさえ1マイクロシーべルト/hに達する(福島民報9月11日付25ページ)。
地域や場所ごとに線量は違ってもっと高いところもある。この現地で、日々を生き、避難か、とどまるかを悩む父母たちの相談にのり、
方向性を見つけてゆく毎日。それがどれだけの負荷をもたらすのか。
この苦しみに想像を及ぼし、共感を抱くサポートが求められている。それは一刻を争う。
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