国会記者会の専有する国会記者会館の屋上への
立ち入りを求めた仮処分申請について
先日、Our Planet-TV というネット動画メディアとその代表を務める白石草さんが、
国会記者会の専有する国会記者会館の屋上への立ち入りを求めて仮処分を申請しました。
※ 参考記事
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国会記者会館は、国会記者会という記者クラブが衆議院から独占的に管理を委託されています。
それは取材の自由に資するからに他なりません。
記者会や衆議院は別の理由を縷々述べますが、取材の自由以外の目的であれば国有財産の違法使用の疑いが生じます。
しかしながら、国会記者会は、取材の自由に資するか否かを問わず、記者クラブに加入していないメディアには利用させないと拒否しました。
今回の白石さんの使用申請に対して、こんなことを言う人がいました。
『今回の取材を認めれば、有象無象のネットメディアが立ち入りを求めてくる。
そうすると誰に認めて誰に認めないか、どの取材は認めてどの取材は認めないか、判断が難しくなる。管理が大変になる。
だから、気持ちは分かるけど、記者クラブ会員に限定するしかない』 と。
報道の自由・取材の自由の範囲を画するのは誰でしょうか。
裁判所や、政府や、国会でしょうか。
報道は、これまでプロフェッショナルに委ねられてきました。
報道は、国民の知る権利に奉仕することのみを究極的な目的とする特別な職業です。
そこには特別な職業倫理と自治が認められてきました。
だからこそ、国会記者会は国会記者会館の無償使用が認められ、
また、記者には取材源供述の拒否特権などが認められてきたのです。
改めて、報道の自由・取材の自由の範囲を画するのは誰でしょうか。
報道に携わる人々の自治に委ねることが最も適切だと私は思います。
権力に委ねるべきではないと思います。
しかし、まさに報道の自由は誰に認められるべきかを問う Our Planet-TV の申請に対して、
国会記者会は、「自分達では決められない、形式的に決めるしかない」 と宣言したのです。
誰が、どのような目的で、どのような態様で取材をするのか、
取材を希望するものに説明させ、それに対して、記者会が「報道の自由」の名にふさわしいものかを判断すればよいはずです。
もちろん一定の人数制限は必要でしょう。屋上という場所に伴って必要な使用態様の制限も必要でしょう。
また、実質的に判断されてOur Planet-TVが拒絶されたならまだわかります。
しかし、形式的に記者クラブの加盟の有無のみが判断基準とされたのです。
報道の自由とは何かに関する実質的な判断の積み重ねこそが報道の自由の範囲を画することになります。
けれども、国会記者会はその判断を放棄しました。
裁判所に判断してもらえばよい、衆議院に判断してもらえばよい、自分達で判断することはできない、そう述べたのです。
これは、中学生の理論です。
自治を与えられていたけど、自分達で判断するのは大変だから、大人に決めてもらおうというものです。
このような対応を続けていれば、すぐに権力が報道の自由の範囲を画することになります。
そのとき自治は死に絶えます。再び獲得するには死に物狂いの努力が必要になります。
自治を維持するには、不断に実質的な判断を重ねなければなりません。
今回の事件は、報道の自由の範囲を画するものであるとともに、その判断権者のあり方を問うものです。
NPJもネットメディアの一つです。
報道の自由を守るために、報道の自治を守るために、不断な議論を繰り広げることを誓います。
NPJ 編集部 2012.8.3