福島第一原発 フリーランス代表スチール取材報告 第2回

写真家 尾崎孝史 2012.11.2


事故対応の拠点、免震重要棟。奥にはプラントの排気塔が見える


  福島第一原発の中央に位置する免震重要棟。事故後、鉛材によって遮へいされた窓が特徴的だ。
  10月12日の午後、2階にある作業員控え室で会見が行われた。 会場にあらわれたのは、昨年12月吉田所長の後任となった高橋毅氏(55)。
  私は取材で知り合った方の思いを代弁して、真っ先に挙手をして問うた。

フリーランス 尾崎孝史 「ここから3キロ南にある大熊町熊川の方々を取材しています。 原発事故の影響で、津波に流された家族3人の捜索を続けられなかったご遺族。 双葉病院(の付属施設)に入院中の両親が、避難の過程で急死されたご遺族。 皆さん、『家族は東電に息の根を止められたようなものだ』 と訴えています。 その声をどう受け止めますか」

高橋所長 「本当に誠に申し訳ないと思っております。これに対しては全社しっかりと、 誠心誠意対応していただきたいと思っております。それに加えて、そういった方々、 他にも多数の方いらっしゃると思いまして、あとは、この福島第一でできることは、 しっかりと安全を確保して、あのような事態に二度と至らせないことが大事だと思っております。 そこをしっかりとやっていきたいと思っております。」

尾崎 「その2つの家族のケースについて、ご存知だったかどうか、YESかNOでお答え下さい」

高橋所長 「直接、具体的な、いまご指摘の件を直接存じ上げているわけではありませんが、 そういったケースがあったということは承知致しております。」

  私が紹介したご家族は、全国メディアで何度も取り上げられた方だ。 特に1家族目の方の娘さんは、原発所在地・大熊町最後の行方不明者として、 一日も早い発見を願い多くの方が関心を寄せている。 そのことを第一原発のトップが知らなかったこと、そして、通り一遍の回答で済ませてしまったことに虚しさを覚えた。


東京電力福島第一原発 高橋毅所長