2008.5.19更新

日本航空907便ニアミス事故事件
(管制官2名に対する業務上過失傷害事件)
事件名:日本航空907便ニアミス事故事件
      (管制官2名に対する業務上過失傷害事件)
係属機関:最高裁判所
次回期日:未定 (4月11日に1審無罪判決破棄。管制官2名とも上告し
       ました)
紹介者:米倉 勉弁護士
連絡先や事件の詳細な経過等:全運輸労働組合HP 参照


【事件の概要】
  2001年1月31日午後3時頃、焼津上空付近で、日本航空の旅客機同士のニアミス事故が発生し、急降下による回避によって負傷者が生じた。
  事件直後の報道で、管制官が便名を間違えて管制指示を行ったことが大きく取り上げられたために、 あたかもそのためにニアミスが発生したかのような誤解を生じたが、実際の経過はそのような事故ではなかった。

  羽田空港周辺上空の過密な交通量の中、交差する両機の高度を調整するための管制指示が若干遅れたことが、事故の最初のきっかけであった。 しかし、両機の接近に気づいた管制官 (訓練生)は、そのいずれかを降下させて接近を解消することにし、その一方であるJAL958便に指示するつもりで、 誤って他方のJAL907便に降下指示を出した。訓練監督者もこれに気づかなかった。

  しかし、事態がこの管制指示通りに進めば、事故など起きるはずはなかった。どちらかを降下させることで高度差を付けることが出来るので、 907便への降下指示によって、やはり問題なく両機は約1000フィートの高度差をもって安全に通過できる状況だったからである。 ただ、当時の規則 (管制方式基準) では、余裕をもって2000フィートの垂直間隔が要求されていたから、その点では不十分な事態ではあるが、 事故の防止という点では問題なかったのである。

  それにもかかわらず事故が起きたのは、別の理由があった。現在の旅客機には、衝突防止装置(略称TCAS)が搭載されていて、 2機が一定の範囲内に接近すると、レーダーとコンピュータが互いの位置関係を計算して、 一方のパイロットには上昇指示、他方には降下指示を発する仕組みになっている。

  本件でも、907便への管制指示による降下の操作の直後に、このTCASからの指示が出た。その場合、パイロットはTCASに従わなければかえって危険になるが、 本件では、水平飛行中の958便はTCASの降下指示に従って降下したものの、907便の方はTCASの上昇指示とは逆方向に、降下を継続した。 その結果、両機がともに降下して接近していくという異常な事態が生じ、 最後に接触を避けるために907便がさらに急降下による回避操作を行った際に多数の負傷者が生じた。

  このような一連の事態の原因は、旅客機にTCASの搭載が義務づけられてから未だ1ヶ月にもならない時期であったため、 管制指示とTCASの指示が逆だった場合の対応について規程類に明確な記載がなかったことと、 TCASに従った場合にエンジンの上昇性能がこれに応えられる設計になっているかどうかについて、必要な技術情報がパイロットに提供されていなかったことにある。

  つまり、本件はこうしたシステム運用上の不備が生んだ事故なのであって、便名の言い間違いによって生じた事態ではなかったのである。 管制官にもパイロットにも責任はない。

  ところが検察官は、「便名間違い」 をことさらに取り上げ、管制方式基準を満たさないという形式論に依拠して2人の管制官らを起訴した。 他方で、TCASの作動以降の907便の動きの異常さについては黙殺された。

【一審判決】
  1審の東京地裁は、被告人らのなした管制指示は危険のないもので、注意義務違反がないこと、その後の経過は予見可能性がないこと、 相当因果関係がないことを理由に、無罪を言い渡した。これを不服として検察官が控訴して、現在に至っている。

【控訴審】
  控訴審では、電子航法と安全工学の研究者や、両機の機長らに対する証人尋問が行われ、1審判決の正しさが一層明らかになった。

1月22日の弁論期日の内容
(1) 検察官の弁論
  従前とかわらず、なぜ管制方式基準に定める 「管制間隔」 が注意義務違反の基準になるのか、 つまり垂直間隔1000フィートをもって交差する管制指示がなぜ 「危険」 と言えるのかについて、必要な説明はなされなかった。 管制間隔を確保するために 「最良の措置を尽くすこと」 が注意義務の内容だという主張であり、行為の客観的な内容ではなく、 「最良」 を 「尽くした」 という主観的な態度を処罰の基準として強調したが、これを 「客観的注意義務」 と言えるのか、極めて特殊な過失論というべきであろう。

  次に、TCASの作動以降に生じた一連の事情まで危険性の判断に加えることの理由については、TCASを搭載している以上、 これを判断の対象にしないのは仮定の議論だという説明であり、一連の経過が予見不能のことであり、 想定外の異常な事態が介入したことの刑法的考慮はしないという立場である。

[4月11日の控訴審判決について]
  東京高裁第10刑事部 (事件番号 平成18年(う) 第1318号、裁判長須田ッ、裁判官秋吉淳一郎、裁判官横山泰造)

  被告人は2人ともこの不当判決に納得せず、上告する予定である。

  高裁判決は、1審判決が事実関係を精密に分析・評価し、事故の本当の原因を明らかにして無罪の結論に至ったものを、 再び 「便名の言い間違い」 というエラーの存在と事故の発生という 「結論」 だけに着目し、 その間のさまざまな事実経過と不安全要素をすべて被告人の間違いから生じたものであると結論づけた。

  本件事故では、管制官が回避のための指示 (JAL907便への降下指示) を発した後、機上のTCAS (衝突防止装置) が働き、JAL907便には上昇を、 JAL958便には降下の回避指示 (RA) が発せられた。ところが907便は機長の判断でそのまま降下を継続し、他方958便はRAに従って降下をしあっため、 異常接近が生じ、衝突回避ための急降下によって負傷者が生じた。そこで、このRA発出後の予期しない経過こそが事故の原因であり、 これがなぜ生じたのか、つまり管制指示の結果であるといえるのか、またそのような事態が予見可能であったか等が争点となる。

  今回の高裁判決は、いずれも積極に判断し、これらの経過はいずれも管制指示の結果であり、こうした事態は予見できるとした。 また、TCASがなければ進行したであろう経過 (管制指示のとおりに推移した場合の事態) としては、 再接近時に1000フィートという十分安全な垂直間隔をもって交差できるという指摘に対しては、 管制方式基準所定の垂直間隔を確保できなければ原則的に注意義務違反になるという事実認定のもと、 さらには1000フィートとれたというのも空論だという論法で否定した。

  本件を含め、航空事故は個人のエラーから単純に発生することは希有であり、むしろ、他の様々な要因が重なり合うことから生じている。 真の事故原因は個人的エラーとは別の所にあり、これらを的確に捉えて改善しなければ事故は防止できない。 また、「便名間違い」 などのエラーは人間にとって避けられないことであり、そこから逆に、単純なエラーからすぐに事故が生じるようなシステムにはなっていないのである。 便名の言い間違いは、毎日世界中の空で起きている。それで衝突事故が起きるのなら、パイロットも管制官も恐ろしくて仕事に就けない。 本件も、言い間違いだけなら事故は起きなかったのであり、 TCASという安全のための装置が逆に危険 (同方向への回避) を生むという皮肉な事態が生じたことこそが事故の原因であった。 そして、これらを精密に見れば、本件はパイロットも管制官も含めて、個人の責任が問われるような事故ではなかった、というのが1審判決の結論だったのである。

  この判決は、このような航空の安全への歴史的な流れを大きく逆行させてしまった。そして、2人の職業人の人生を困難なものにしようとしている。

  もうひとつ、高裁判決は管制間隔の保持が注意義務の内容をなすという論旨の根拠の一つとして、「社会がこれを求めている」 と述べた。 また、こうした結論を 「健全な社会常識に適う」 とした。管制業務の適切性の評価、高度に技術的な電子装置のメカニズムが関わるこのような論点が、 こうした理由付けで補強されてしまっていいのかどうか。「社会の常識」 や世論は大事なものであっても、これらは限られた情報と限界の中の一般論でしかないことが多い。 刑事司法の運営を、そうした危うい面を持つ 「社会常識」 で左右する態度は、むしろ 「世論」 におもねる姿勢であり、裁判所の責任の放棄であろうと思う。 許し難い誤判である。

文責 弁護士 米倉 勉