2009.5.3
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書評 「小林多喜二」 ノーマ・フィールド著
(2009年1月 岩波新書)

弁護士 梓澤 和幸

  アメリカ人を父に、日本人を母とする日本文化論の専門家による小林多喜二の評伝である。 作者は、東京経済大学に招かれ、徐京植氏とともに 「教養」 を論じたことがある。 そのきっかけにこういうことがあった。
  イラク戦争開戦に抗議する全世界的な規模の一千万人の大デモンストレーションがあり、シカゴ大学の構内でも学生、教員らが熱心に立ち上がった。 しかし戦争は止められなかった。 無力感におちいっていて気がすすまなかった彼女に徐京植がこういった。「ブッシュの開戦を止められなかったのは、アメリカの教養教育の限界を示しているのではないか。」 (加藤周一 徐京植 ノーマ・フィールド 「教養の再生のために」 影書房)


  一瞬彼女はとまどいを覚えた。
  しかしこの問いは、どこか根底をつくものだったようだ。
  教養、それは、その人が生涯の生活、労働、運動の実践、読書、雑談、討議をかけてつくってきた日々の集積といってよいだろう。つまり、その人の全てである。
  ノーマ・フィールドはその全てを動員して、多喜二の文学、生涯、性格、家族、交遊に至るまで調査し、自らの 「すべて」 に照らし合わせた。 多喜二が育ち、愛した街小樽に、「蟹工船」 がブームを呼ぶ前から一年も住み込んで多喜二を追憶する人々と交流しつつ本書を完成させた。 この時代に生きる人々の魂を揺さぶる作品を残した死者小林多喜二と、生存する個人である彼女が向き合うように対話している。
  多喜二の作品、人物論、そして思想について彼女一流のひらめき、発見があって、一冊の多喜二論の力強い魅力を構成している。 まず、多喜二が他者を見る目の寛 (ひろ) さである。プロレタリア文学の一頭抜きん出た作家であるとともに、左翼文化運動の指導者であり、 活動家だった多喜二のこの広い許容性の発見は、見落とせない。運動に加えられる弾圧は暴力的であるだけでなく、家族、一族の職まで奪った。 スパイも潜入し (多喜二もスパイの手引きで逮捕、虐殺された) 運動内部の角逐も厳しい。その厳しさはごく近しい仲間の評価にも及ぶ。 「あいつは……」 と切り捨てがちだ。だが、多喜二は違った。
  本書は数ある作品の登場人物ほとんどすべてが作者によって人間として認められていることを指摘し、作家高井有一の言葉を借りて、 多喜二の感受性の豊かさと 「人間への信頼感」 をあげている。冷笑主義ではないのだ。そして、この寛さを、作家としても、運動家としても大切な資質だとする。

  青年多喜二を知るのにこんなエピソードはどうだろう。
  たくさんの聴衆がいる会場で著名な権威の論者にまだ学生風の若者が議論をしかけて論争となり、座がちょっと白けるという光景は、 ときに私たちの体験するところである。
  当時、一世を風靡していた人口論の論者に多喜二がある会場で挑みかかった。それは、公平にみても対等の論争となった。 しかし、なにか気まずい雰囲気となったのであろう。多喜二は友人と帰路についた。そのときのことである。多喜二は、突然、悔しそうに号泣した。 友人は、マントをかぶせて多喜二を思いきり泣かせた。「強くなるんだ。もっと強くなれ。」 と、 多喜二は自分に向かって叫んでいたのだろうとノーマ・フィールドは多喜二の内面に想像を働かせている (本書63ページ)。
  その風貌を伝えるのに、右肩がちょっといかったようなという表現があるが、このエピソードや特徴ある後ろ姿は、多喜二の独特の内面を語っているように思える。

  「蟹工船」 について本書はどう言及しているか。
  「地獄さえぐんだで」 にはじまる有名な冒頭や、映画の場面のように現実を映し出してゆく斬新な手法にふれつつ、 多喜二が目の当たりの現実の背後にあるものを見よと訴えていると説く。
  著名な文芸評論家であり文学運動の指導者でもあった蔵原惟人は個人が埋没してしまった作品だと評価したという。 しかし、本書はたった一回しか小説に登場しない男の、「どきっどきっという心臓の音がたまならくて甲板にあがってきた」 という表現や、 「どもり」 の男が船中の虐待で死んでしまった男性を悼むところで吃音でなくなってしまう場面を引用しつつ、一人ひとりの人間を鮮やかに描きつつ、 普通はなかなかできない 「いかにして団結してゆくか」 という集団の感性を描きだすことに成功したと評価する。 抑圧があまりに厳しいと自分が見えなくなる。そうした人々を社会の構造と他者の鏡に映し出し、しかも人と人がつながり、 立ちあがってゆく内面を理屈でなく物語のデイテールを通して叙述することに成功した作品だというのである。「おれたちのことが書いてある」 と感じさせる作品なのだ。

  こういう達成があればこそ、いま日本の2009年の現実を把握するためにこの作品は共感をもって読まれているのだ。
  さらには韓国の反軍事政権の闘争の中でも読みつがれ翻訳されたのだという紹介もある。
  「蟹工船」 の作品論として本書の重要なテーマである政治と芸術という論争的な問題にも関連させた言及がある。
  そして、この箇所では政治と芸術をそれぞれの既成概念から解き放つべきだとして、本格的な掘り下げを 「党生活者」 の作品論に譲っている。

  文芸理論を専門とする彼女は、本書で多喜二の人物と作品論を通して政治と芸術、あるいは文学に関する永遠の問いに挑んだ。
  「蟹工船」 で得た評価を無にしかねない 「党生活者」 という作品。 ──彼女はこう問題を立てる。政治と文学という問題では、文学は文学それ自体のために独立しているべきであって、政治目的 (多喜二で言えば、 天皇制打倒、革命の実現) のために利用されるような文学は、一級下の下等品であるというような論が一方にある。
  戦後、「党生活者」 という作品が広く読まれるようになって後、文芸評論家たちはこういう論理で多喜二文学の総体としての評価に辛い点を付けた。 だが彼女は、多喜二自体が政治と文学とを全くの別物とする問いの立て方に挑戦していたと推測するかのようである。 多喜二はこの二つをひとつにする実験に挑んでいたのではないか。しかも自分の業績のためでなく人一倍感受性豊かなかれが共感する、 虐げられた女性や子供や労働者のために。本書はそう主張したいようだ。ここが難所でもあり、本書成功のポイントでもある。

  特高警察の弾圧を受ければ直ちに中断を余儀なくされるために仕事をやめ、家族との連絡を絶つ。それが非公然活動の生活だ。 多喜二自身が外界との連絡を絶って「党生活者」 の主人公のような生活をしていた。それがどんな質の犠牲を伴うものか、繊細な、 非常に繊細な想像と筆致によって本書はそれを表現している。
  それを前提にした上で、「党生活者」 という政治的文学の到達したところに評価を加えているのである。
  すなわち、犠牲を伴う日々の末に到達しようとする崇高な目的、それを実現するために日々を費やす人間を表現しようとする文学が持つ価値である。

  本書のとる評価を受け入れるかどうかにも意見の分岐はあるだろう。しかしながら、ノーマ・フィールドのあげるエピソードは胸をうつ。
  一つは、地下活動にはいった多喜二が日比谷公会堂で弟三吾とともにシゲティの弾くバイオリン協奏曲を聴き、 多喜二が目に涙を浮かべて 「生きる喜びが湧いてきた」 と語ったという話である。公会堂の情景が目に浮かぶ。
  もうひとつは、非公然ゆえに人と話す三〇分さえもの雑談に、多喜二が飢えてあこがれていたという話である。30分の雑談にも飢えるという生活!
  誰かの個人的利益のためでなく、自分の業績のためでもなく、国家に戦争をさせないため、つまりは中国の大地に生きる人々や送り出される兵士と家族に死や別離、 貧困という不幸をもたらさないための犠牲の日々なのだ。
  こうした忍耐と緊張の中で、多喜二の胸の中にあった切ないほどの人々への愛と、平等が実現される社会への理想の炎を想像するとき、 「党生活者」 という形で多喜二が表現し、伝えたかったものを私たちは新しく受けとめられるように思う。 この延長線上に拷問虐殺死の最後をもう一度思い浮かべればなおさらのことではないか。

  ノーマ・フィールドは、多喜二の拷問の場面を描くのに、つとめて抑制的であるが、しかし拷問者たちは即座に命を奪うはずなのに、 「三時間という時間が必要だったのだ」 というところ、そして、もう決して 「書くことのない指を逆向きに折った」 という叙述は、命を奪ったものの卑劣さ、 残忍さをかえってフォルティシモにひびかせる。
  多喜二の誰にも好かれたという開放性、家族と恋人を愛し続けたやさしさ、一点の光さえ持つことを許されなかった働く人々、とくに女性たちに、 つながっていこうとするあたたかさ、それが発揮しつくされていった人生の豊かさを思うとき、 それを中断された多喜二の肉体の痛みと精神の痛み──無念が胸にしみいってくる。

  最後に、ノーマ・フィールドは虐殺のあとを想起させる遺体写真が小樽市立文学館から撤去されたことに関連して 「感覚力の鈍磨」 という大切な問いかけをしている。
  家族はいまでも見たくない、なれることのできない写真なのだ。「あの写真か」 というような反応をしてしまうことがあってはならないだろう。
  それは本書の作者が自分にも課した誠実な問いであり、読者も忘れてはならない問題なのだと思う。 ノーマ・フィールドは、多喜二を英雄としてではなく、愛すべき一人の友人として私たちの眼前に生き返らせた。 だからこそ切実なものとしてこの問いを投げかけたのだと思う。

  母タキさんは、友人たちが目を背けるとき凄みをもって無惨な姿になった息子の襟を開いて、集まった人々に傷跡をみよ、といったという (本書240ページ)。 そして涙でほほをぬらしながら遺体をだきかかえ 「これ。あんちゃん。もう一度たてえ。みなさんの見ている前でもう一度立てえ。たってみせろ。」 と全身の力をふりしぼるような声でさけんだ」という (江口喚 『闘いの作家同盟記』 下)。
  母タキさんと多喜二の苦難をしのぼう。その共感の中からわきたつ情熱をだきしめたい。
  そうすれば多喜二はもう一度たちあがり、私たちのそばにたって歩んでくれるだろう。

  多喜二の生涯と作者の努力に熱い心で感謝をささげたい。