2009.5.3

  この童話は、肉親を失った子どもの痛みがあまりに強く、何とかその心をあたためてあげたいと思った母親が初めて書いた物語です。
  5月3日は憲法記念日。
  この日にちなんで、掲載させて頂きます。

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お も い で パ ン

野口 由香
  ちゃっちゃんのパパは死んでしまいました。ガンという病気でした。ちゃっちゃんは悲しくて悲しくて、なみだをこぼしながら、ずっとずっと泣いていました。

  パパ パパ
  なおるまで
  だっこも
  おひざでごはんを食べるのも
  いっしょにねんねも
  がまんしてたのに
  なおるまで なおるまでって
  がまんしてたのに
  まってたのに
  なんでいなくなっちゃうの
  パパ パパ
  バパに会いたい

  「もしもし、あなた」
  トゲトゲした声がして、ちゃっちゃんは顔を上げました。
  野ネズミでした。野ネズミは、足を広げて手を腰にあてて、こっちをにらんでいます。エプロンをつけているからネズミ母さんでしょうか。
  「あんたがそんなに泣くから、わたしたちの家がしずんでしまったじゃあないの」
  見ると、ちゃっちゃんの足元からずっと向うまで、なみだがたまって池ができています。
  野ネズミ父さんもおじいちゃんもおばあちゃんもたくさんの子どもたちも、水びたしになった家具や食べものを巣穴から運び出しています。 ちゃっちゃんに向かって野ネズミたちは口ぐせにキィキィと怒ったような声をたてました。
  「だって、しようがないじゃないの」
  ちゃっちゃんは困ったようなかおをしました。
  「パパが死んじゃったんだもん」
  「それがうちと何の関係があるというのかね」
  野ネズミ父さんがちょっと太い声でいいました。
  「いくら泣いたって、死んだものはもう帰ってこんさ」
  ちゃっちゃんはドキッとして、のどがひっくひっくしてきたので、うしろを向いてかけ出しました。
  野ネズミの子どもたちがはやしたてるのが耳に届きました。

  シンダ シンダ
  モウカエラナイ
  ナイタッテ
  カエラナイ

  「もしもし、あなた」
  こんどは甘ったるい声によびとめられました。ふり向くと、レースのぼうしをかぶったヘビでした。同じくレースの日がさを、長いからだで器用に巻いて持っています。 ちゃっちゃんの涙のあとをたどってきたのです。
  「聞きましたわよ。おきのどくにねえ。さぞ悲しいでしょうねえ。ええ、ええ、よくわかりますよ。わたしにはわかりますよ、あなたの気もち」
  ヘビのおばさんはやさしく抱きしめるように、ふわりとしっぽをちゃっちゃんに巻きつけました。
  「だからそんなに泣くんじゃないのよ。パパはあなたの心の中に生きているんですからね」
  ちゃっちゃんはなぜかカチンときて、ヘビのしっぽをふりほどいてさけびました。
  「そんなの、わかってる」

  うす暗い林のなかを通っていると、ちゃっちゃんは、何かやわらかいものにぶつかってそのままうごけなくなりました。 もがいていると、つうっと、上の方から何かがおりてきました。白衣をきたクモでした。クモの糸ががんじがらめにちゃっちゃんをつかまえていたのです。
  「こりやあ、こりやあ、大きなえものがかかったものじゃ」
  舌なめずりしながら、しわがれた声でクモはいいました。が、ふと顔をしかめると、
  「どうやらこいつは病気だな。このまま喰ったらこっちまで病気になっちまう。いかん、まずは治療じゃ」
  クモはするするとちゃっちゃんに近づくと、胸のあたりに手をかざして何やらとなえ、ボンと何かをとり出しました。
  「わしゃあ、ちょっと名の知れた医者でな。なに、医者じゃって腹はへるさ。じやが病気のものを食べるようなバカはせん」
  ひとりぶつぶつ言いながらも手をうごかして、ぼんぼんと何かをとり出しています。
  「ふむふむ、こりやあつまっとるわい。これじゃあ苦しくて病気になるわけじゃ」
  クモの医者がとり出したのは、ちゃっちゃんのパパのおもいででした。
  抱っこでほおずりしてくれたパパ。頭をなでてくれたパパ。ゆっくりなんども本をよんでくれたパパ。こもりうたをうたいながら、ずうっとうでまくらでねかせてくれたパパ。 病衣のパパ。管を鼻につけてか細く笑っているパパ。お棺のなかのパパ。
  「ようし、こいつをまとめて、パンとわってしまえばもう大丈夫。のこるは元気なからだだけ。安心して食べられるぞい」
  クモの医者は、手のするどいツメをかまえました。
  「だめえっ」
  ちゃっちゃんは必死にもがきました。ありったけのちからをこめて引っばったら、手足がうごくようになりました。 ちゃっちゃんはクモがとり出したパパのおもいでのかたまりにとびつき、かかえて走りだしました。
  「あっ、しまった。ごちそう、まてえ」
  わめくクモの声がやがてきこえなくなるまで走りつづけました。

  一軒の小屋の近くにきていました。
  中からはパンの焼けるいいにおいと、ときどき明るい笑い声がします。ちゃっちゃんはドアのすきまからそうっと中をのぞきました。
  白い帽子、白いエプロン姿のリスがふたりみえました。ちょっと小柄な方のリスがちゃっちゃんに気づき、にこつと笑いかけました。
  「ああ、やっと来てくれたのね。どうぞ」
  歯切れのいい明るい声につられて、ちゃっちゃんは前へ進みました。するとそのリスの顔色がさっと変わりました。
  「トリス、トリス、ちょっと来て。あの子、たいへんだわ」
  呼ばれたもうひとりのリスは、もうそばに来ていました。
  「ええ、そうね、アリス」
  つつむようなゆったりとした声で、ちゃっちゃんのかかえているものをみていいました。
  「たいせつなものをぬきとられてしまったのね」
  ちゃっちゃんは心があたたかくなって、涙があふれてきました。アリスと呼ばれたリスが、さっとちゃっちゃんの肩を抱きしめていいました。
  「だいじょうぶよ。わたしたち、これをもとに戻す方法を知っているの。わたしたちがあなたの涙の池の水でパンを作るのよ」
  「わたしの涙の池の水で?」
  ちゃっちゃんはびっくりしてきき返しました。
  「そうよ。わたしたちの得意なフランスパンにうってつけ。それはそれはおいしくできるのよ。わたしたち、早くあなたにお礼がいいたくて、待っていたのよ」
  「わたし、泣いてて悪かったんだって思ってたの」
  ちゃっちゃんがかなしそうにつぶやくと、トリスがやさしくほほえんでいいました。
  「どこまでも透明な、とてもきれいな心の水よ。だからできるのよ、戻すことが。おいしいだけじゃないんですもの」

  アリスとトリスは、パパのおもいでのかたまりをパン生地でていねいに包み込んで、かまどで香ばしく焼きあげました。
  「おもいでが充分しみこんで、しっかりふくらんだわ。とてもいい具合よ」
  「さあ、これを召し上がれ。だいじょうぶよ。おいしいだけではないっていったでしょう。このパンはね、心にとどくのよ」
  ちゃっちゃんはうなずいて食べはじめました。かみしめると、パパのおもいでがうかんできて、のみこむとすうっと心の中にとけこんでゆきます。 ちゃっちゃんはいっしょうけんめい、大切に食べました。なかには思い出したくない辛いおもいでもありましたが、やっぱりのみこむことにしました。 ぜんぶ食べおわると、目の前にパパがいました。
  「ありがとう、ちゃっちゃん。ずっとずっとだいすきだよ」
  パパはちゃっちゃんをぎゅうっと抱きしめてくれました。うれしくて幸せで、でも少し心がいたい気がしました。

  ふと気がつくと、リスたちはいなくて、ちゃっちゃんは自分の家のソファの上でお母さんにだっこされていました。 ふりほどいて起きようとしましたが、ふと見るとお母さんの方がねていました。
  ちゃっちゃんは、もう少しそのままでいてあげることにしました。