2008.8.2

憲法9条と日本の安全を考える

弁護士 井上正信
目次  プロフィール

自衛隊海外派兵恒久法と9条改憲

  前回原稿がアップされてから、約2ヶ月がたちました。本業以外にも日弁連人権大会の基調報告書原稿書き、 広島弁護士会主催の9条シンポの準備などで忙しくしていたことで、つい間延びしてしまいました。

  最近では、自衛隊海外派兵恒久法についての学習会に呼ばれる機会が増えてきました。9条に関する学習会でも、恒久法に必ず言及しています。 6月2日には愛知県弁護士会主催、7月13日には福山南九条の会主催、8月1日には埼玉弁護士会主催の学習会がありました。 そこで今回は、自衛隊海外派兵恒久法と9条改憲について書くことにしました。

  自衛隊海外派兵恒久法制定の意図は、ケース毎に派遣地域や任務、活動内容などを規定する特別措置法を制定するのでは、迅速な派兵ができず、 法案審議という政治的リスクが大きいこと、特措法は有効期限が決められており (時限立法といいます)、特措法延長の都度、 法案修正のための国会審議が必要になるという政治的リスクが大きいことから、与党内で検討されています。 テロ特措法延長問題で安倍首相が政権を放り投げたように、リスクは私たちが考えている以上に大きいのでしょう。

  なぜ今恒久法制定なのでしょうか。これはその背景を分析しなければわかりません。詳しいことは書けませんが、自衛隊の海外任務の本来任務化が直接の背景でしょう。 ではなぜ自衛隊の海外活動を本来任務にするのでしょうか。それは、2004年12月に閣議決定された新防衛計画大綱が打ち出した 「新しい安全保障政策」 から発するものです。

  「新しい安全保障政策」 とは、国家間の武力紛争ではなく、大量破壊兵器と弾道ミサイルの拡散、これで武装した非国家的主体 (テロ組織など) や、 国内の民族・宗教紛争やこれに伴う破綻国家などを冷戦終結後の新しい脅威 (非対照的脅威とも称する) とし、これが登場する国際情勢を 「新しい安全保障環境」 と称し、 これに対処するための安全保障政策です。

  その内容は、@ わが国の防衛と A 国際的安全保障環境の改善を戦略目標にし、それを実現するため、@ わが国自身の努力 A 同盟国 (米国) との協力  B 国際社会との協力という三つのアプローチを統合するというもので、「統合的安全保障戦略」 と呼ばれています。 一言で表現すれば、日本の安全のために軍事力である自衛隊を有効に活用しようという内容に外ありません。 新しい安全保障政策の安全保障環境認識や脅威認識は、米国の国家安全保障戦略 (ブッシュ戦略) とほとんど同じ内容です。

  むろん、「新しい安全保障政策」 では在来型の脅威 (中国・北朝鮮の脅威など) も想定しています。「新たな脅威」 に対しては、日米同盟のグローバル化で、 在来型の脅威には日米安保条約により対処するというように、日米同盟と日米安保体制をはっきり区別して考えます。

  自衛隊の海外活動は、これまでは国際貢献と称していわばサービス活動であったのが、「新しい安全保障政策」 では、 日本の国益のための活動として新たな位置づけをしますので、海外活動を自衛隊の本来の任務に格上げしなければなりません。 また、自衛隊を日本の安全保障政策遂行のために活用するのですから、防衛庁は安全保障政策を主管する官庁として、防衛省へ格上げしなければなりません。 この二つを実現するものが2006年12月の防衛庁設置法改正と自衛隊法改正でした。

  ではなぜこのような 「新しい安全保障政策」 が打ち出されたのでしょうか。最大の要因は、ブッシュ政権下で進められた米国の安全保障政策と軍事政策、 これを実行するための軍の改革 (トランスフォーメーション)、同盟国をこれに巻き込む政策でした。 日米同盟の変革もこの文脈から進められました。新防衛計画大綱も、新しい安全保障政策も、日米合作の日米同盟変革プロセスから生み出されたものです。

  恒久法制定については、米国は日本へ強い圧力をかけています。アーミテージレポートK (2007年2月) は、日本への勧告として恒久法制定を要求しています。 今年6月の末に国防総省高官が密かに来日し、自民党安全保障政策関係の有力者へ、恒久法制定の圧力をかけたそうです。

  では、恒久法制定は9条改正にどのような影響を与えるのでしょうか。 恒久法制定の狙いには、これまでの海外派兵法制で自衛隊ができなかった活動を盛り込むことがあります。 具体的には、安全確保活動・警護活動・船舶検査活動といった前線での活動です。これまでは後方支援活動に限定していました。 なぜなら、自衛隊は海外で武力行使ができないし、他国軍隊の武力行使と一体化した活動もできないという政府解釈があるからです。 また任務遂行のための武器使用、対人殺傷行為に刑法第36条、37条 (正当防衛、緊急避難) の要件をはずすことも検討しています。

  これまでは、自衛隊は個々の自衛官が自分や側の隊員、任務遂行の過程で自衛隊の保護下に入った者の生命身体や、武器防護のため以外には武器使用はできず、 使用する場合でも威嚇射撃までで、正当防衛・緊急避難の場合だけ対人殺傷ができるというものです。自衛隊は9条で武力行使が禁止されているからです。 武器使用に課せられた制約は、警察官職務執行法第7条が任務遂行のための武器使用を認めていることと比較しても厳しいもので、 自衛隊員は海外での武器使用に関しては、警察官よりも武器使用権限が制約されていると言えるのです。

  さて、自衛隊が海外において前線での活動を可能にすれば、これまでのような武器使用の制約では、前線での活動自体が困難になるのは当然です。 そこで、恒久法では武器使用権限の拡大を規定しようとするのです。

  これまでの自衛隊海外派兵は、そのたびに任務遂行意識の高い精鋭を集めた特別な部隊を編成していましたから、 イラクへ派兵された陸上自衛隊は一発の弾丸も発射しないで活動を終了しました。 自衛隊海外活動が増加し、迅速に部隊を派兵するためには、これまでのような特別部隊の編成を行っていたのでは間に合いません。 そこで、常時編成されている部隊の中から、部隊ごと派兵できれような体制を検討しなければなりません。

  陸上自衛隊の中に編成された中央即応軍という部隊があります。中央即応軍司令部の隷下には、国際活動教育隊があります。 今後陸自の各方面隊隷下の師団・旅団に対して、国際活動教育隊が海外任務のための教育を進めて、部隊ごとに迅速に派兵できるよう変革することでしょう。 来年通常国会へ提出されるといわれている防衛省改革法案は、防衛省全体の体制を、制服と文官の混合にし、制服組優位の意思決定を迅速に行うことが目的と思われますが、 これなども恒久法制定をにらんだ改革でしょう。

  必ずしも精鋭ばかりとはいえない在来編成部隊をそのまま派遣し、且つ軍事的にも危険で厳しい前線の活動を行わせるとなると、 自衛官の中には必ず不祥事を起こす者が出ます。命令に従わなかったり、離脱したり、任務を懈怠したり、交戦規則に違反するなどが考えられます。 現行自衛隊法では、このような隊員の行動に対しては、防衛出動、同待機命令、治安出動、同待機命令の下では、罰則があります。 しかし、海外活動では仮に隊員が無断で離脱 (自衛隊では脱柵と言うようです) して帰国しても、懲戒処分は別にして、処罰はできません。 交戦規則に違反して、他国の非武装の市民を射殺すれば、これは刑法の殺人罪 (傷害致死罪) として国外犯規定があるので、処罰は可能です。 しかしその場合、隊員が所属する部隊の所在地の日本の警察検察が捜査をし、その所在地の裁判所が審理をして判決を出すのです。 参考人として、部隊指揮官や仲間の自衛隊員、ひょっとして射殺された人物の側にいた他国の市民からも事情を聞かなければなりません。

  裁判で起訴された自衛隊員が、罪状を否認すれば、公判で部隊指揮官や他の自衛隊員などが証人として証言を求められます。 海外へ派遣された部隊の指揮官が空席になるのでは、任務遂行に大きな障害が出ます。判決が出るまでにも何年もかかるかもしれません。 それまでの間、どのような武器使用が交戦規則に違反するのか、判決が確定するまでは裁判所の公権解釈が示されないので、自衛隊の活動は萎縮するかもしれません。

  これでは、自衛隊は海外で前線の活動を安心して迅速にできないでしょう。ではどうするのか。新しい軍刑法の制定や、軍事裁判所設置が必ず必要となるのです。 軍事裁判所といっても、日本国内で開いていたのでは十分機能しません。海外の駐屯地で開きたいでしょう。 命のやり取りをする厳しい戦闘場面での軍刑法違反では、軍事活動に素人の職業裁判官では、それを理解してくれないかもしれません。 現地部隊の指揮官が裁判官役となって、迅速に裁くことが望ましいのです。このような軍事裁判所の設置は、憲法を改正しなければ実現できません。

  私が勝手に想像し書いているのではありません。実は制服組の自衛官がこのような議論をしながら、憲法改正を要求している事実があるのです。 自衛隊海外派兵恒久法はそれ自体が、国会の多数を利用して制定される立法による憲法の事実上の改正 (立法改憲) です。 恒久法を制定することにより、更に憲法改正 (明文改憲) の圧力が強まることにもなるのです。

  9条改正反対運動の中で、自衛隊海外派兵恒久法制定について反対運動が徐々に強まっています。 先の臨時国会終盤で、与党プロジェクトチームは、臨時国会終了までに法案要綱作成までこぎつけようと、週二回のペースで検討していましたが、 結局A4一枚の中間報告しか作れませんでした。しかも重要な論点はすべて今後の検討課題に先送りしています。 国民の強い懸念と私たちの反対運動が反映したものでしょう。遅くとも来年の通常国会へは提案されると見られていますので、 法案提出までにそれを断念させる運動を今から強めなければなりません。

  資料 自民党防衛政策検討小委員会国際平和協力法案
     (自衛隊海外派兵恒久法案)
    (引用元:関組長の東京・永田町ロビー活動日記 blog 版 海外
     派兵を恒久的に自衛隊の本来任務とする国際平和協力法案)

  資料 自由法曹団の恒久法に対する意見書
2008.8.2