2009.5.30

憲法9条と日本の安全を考える

弁護士 井上正信
目次  プロフィール

「敵基地攻撃論」 が狙う9条改憲

1、 5月25日、26日の新聞に、自民党防衛政策検討小委員会で、年内に見直される新防衛計画大綱へ盛り込まれるべき提言案が概ね了解されたとの記事が出ていました。 提言案の内容は、「敵基地攻撃能力」 の保有 (巡航ミサイル、情報収集衛星、通信衛星など)、宇宙の軍事利用とミサイル防衛、 自衛隊の憲法上の位置づけの明確化 (自衛軍化のこと) と軍事裁判所設置などの早急の憲法改正、武器輸出三原則見直しなどです。 最近の低調な改憲論議の状況から、なぜ今このような提言案が了解されたのか疑問を持たれた方もいるでしょう。

2、 2004年12月閣議決定された新防衛計画大綱は、向こう10年間の我が国の防衛政策を定めたものですが、この中で、5年後に見直すということも含まれていました。 今年がその5年目に当たることから、政府は防衛問題懇談会を設置して、見直し内容を答申させようとしています。 提言はこの見直し作業や、見直しの閣議決定へ影響力を行使しようとするものです。

3、 「敵基地攻撃論」 と言っても、何のことかよく分からない方もいるかもしれません。事の発端は、昭和31年鳩山一郎首相 (民主党党首の鳩山氏の祖父) が国会で、 「座して死を待つことが憲法の趣旨ではない、誘導弾 (弾道ミサイルのこと) 等による攻撃を防御するのに、他に手段がない場合、誘導弾等の基地を叩くことは、 法理的には自衛の範囲に含まれる」 と、「法理的」 にはという限定付きで容認する答弁をしたことです。この答弁が現在までの政府統一見解となっています。 読めばお解りのように、9条のもとでの自衛権行使がどこまで許されるのかという問題なのです。 弾道ミサイルが発射されれば防ぎようがないため、発射前に叩くことは軍事的にも 「一見」 合理的で、自衛権の範囲に含まれるように思えます。 カギ括弧を付けたのは、「敵基地攻撃論」 ほど軍事的に幼稚でリアリティーのない、且つ極めて無責任な議論はないと考えているからです。このことは後で述べます。

  「敵基地攻撃論」 は、北朝鮮脅威論が高まるたびに、タカ派改憲論者の政治家から主張されてきたものです。
  02年10月から始まった北朝鮮第二次核危機 (ウラン濃縮による核開発疑惑を米国から指摘され、北朝鮮がNPT脱退宣言しました) に際し、 03年1月、国会で石破防衛庁長官は、法理上可能と答弁し、その後自民・民主の札付きの改憲論者 (前原、安倍、額賀) が 「敵基地攻撃論」 を打ち上げ、 自民・民主を中心とする超党派の 「新世紀の安全保障体制を確立する若手議員の会」 が緊急声明で提言しました。
  06年7月、北朝鮮の弾道ミサイル発射実験に際し、安倍官房長官、額賀防衛庁長官が 「敵基地攻撃論」 を打ち上げました。 このときは政府高官の発言であったため、アジア諸国から重大な懸念が表明されています。
  そして、09年4月5日の北朝鮮による人工衛星打ち上げ以降、またぞろ自民山本一太、民主前原、自民安倍、民主浅生慶一郎議員が声高く主張したのです。

  03年や06年当時の 「敵基地攻撃論」 は、改憲・タカ派議員によるはねた議論であり、自民・公明与党内では慎重意見が強かったのですが、 今回のものはこれまでと明らかに様相を事にし、自民党国防部会の正式機関の提言ですし、新防衛計画大綱見直しの閣議決定へ影響力を行使し、 憲法改正へ結びつけようとする明確な戦略が見え隠れしています。 北朝鮮脅威論が高まったこの機会を千載一遇のチャンスとして、自民党新憲法草案に沿った憲法改悪を進めようというのでしょう。 有力な民主党議員も 「敵基地攻撃論」 の合唱に加わっている事は、今後の政権交代が予想されるだけに重大です。 9条改憲を阻止する立場からは、政権交代へいささかでも期待することは、墓穴を掘ることになりかねないのです。

  「敵基地攻撃論」がいかに幼稚で、軍事的リアリティーを欠いているかを考えてみましょう。 彼等は、このような議論をすること、敵基地攻撃能力を持つことが抑止力になると考えます。果たして北朝鮮に対して抑止力が働くでしょうか。 北朝鮮の核開発問題が起きた93年から現在までの16年間の歴史を振り返れば、北朝鮮という国が、米国や日本、韓国で北朝鮮に対する軍事的圧力が強まるたびに、 軍事的強硬路線による瀬戸際政策を採ってきたことが分かるはずです。おとなしくなるどころか事態は一層危険な状況になったのです。 核爆発実験や弾道ミサイル発射実験は常にこのような状況下で行われています。「敵基地攻撃論」 は北朝鮮との極めて危険なパワーゲームになるのです。

  安全保障政策としても、最悪です。我が国が敵基地攻撃能力を持とうとして軍事力拡大路線を選択すれば、周辺諸国は我が国に対する警戒心を強め、 我が国に対する脅威に備えるため軍拡に走るでしょう。その結果わが国の安全は危うくなるかもしれません。これを 「安全保障のジレンマ」 といいます。

4、 「敵基地攻撃論」 は、軍事戦略・戦術から見ても、およそ検討にも値しないものです。 なぜなら、本当に先制的な攻撃 (敵基地攻撃論は先制攻撃です) を仕掛けたらどうなるか考えてみたらよいでしょう。 北朝鮮は本格的な戦争として軍事行動をとるはずです。しかし、北朝鮮は日本への本格的な攻撃能力はほとんどありません。 むしろ、朝鮮半島で第二次朝鮮戦争となることは確実です。先制的に敵基地攻撃を日本が行っておきながら、 その後に続く重大な事態に対するコントロール能力は我が国には全くありませんし、この論者からは、攻撃の後どうするのか聞かされたことはありません。 国際紛争に際し武力を行使しようとする場合、明確な戦略 (武力行使により何を獲得するのか、どれだけの兵力・時間・軍事費を要するのか、 国際社会の支持をいかにして得るのか、戦争のどの局面で武力攻撃を停止するのかなど)、 戦術 (作戦構想と兵力の配置、領土の防衛態勢、後方支援など) が不可欠なのです。単に弾道ミサイル基地を叩けば終わるような脳天気な問題ではありません。

5、 しかも、そのミサイルを叩くことがいかに困難なことか彼等は理解しているとは思えないのです。 発射台に据えてから液体燃料を何時間もかけて注入するテポドンが標的なら可能でしょう。 しかし、北朝鮮がその様な悠長な攻撃をすると考えるのは、軍事のイロハを知らない人だけでしょう。軍事的に有効な弾道ミサイルは、車載移動式ミサイルです。 ノドンは移動式ランチャーから発射されるといわれています。湾岸戦争において、イラク軍の弾道ミサイル (移動式ランチャーで発射されるスカッドミサイル) 攻撃を防ぐため、 米英軍は圧倒的な空軍力と特殊部隊によりスカッドハンティングを必死で行いましたが、ほとんど効果はなかったという戦訓があるのです。 巡航ミサイルで標的を定めて攻撃しても、到着する頃には標的は移動しています。たかだか数十メートル移動しただけで、巡航ミサイルでは破壊できないでしょう。 偵察機がランチャーを発見して地上攻撃機に知らせ、攻撃機が目標付近へ到着しても、既にそこへはいません。 攻撃機で探しながら攻撃するためには、北朝鮮上空に完全な制空権を確保しなければなりません。 実はこの条件下でも、湾岸戦争ではスカッドハンティングは成功していないのです。

  我が国の愚かな政治家や軍人が敵基地攻撃を行ったとしましょう。その結果、第二次朝鮮戦争となり、この戦争では米軍が核兵器を使用する計画もあり、 朝鮮半島は南北とも甚大な被害を受けるでしょう。94年に実際に戦争の瀬戸際までに至った際、米統合参謀本部は、韓国の犠牲者だけでも100万人と推計し、 クリントン大統領 (当時) は愕然としたといいます。我が国の軍事的冒険主義が引き起こす戦争被害の責任を誰が負うというのでしょうか。 日本に肩代わりを要求される戦費と戦後復興の費用は、イラク戦争やアフガン戦争に費やされた戦費を考えれば、私たちにはとうてい負えるものではありません。 その挙げ句に、このような軍事的冒険主義を犯したとして国際的に孤立するかもしれません。

6、 実は 「敵基地攻撃論」 は、専守防衛政策を否定するものです。専守防衛政策とは、昭和56年防衛白書において、 我が国の軍事政策の基本として明確に概念化されました。その内容は、(1) 相手から武力攻撃を受けたときに初めて防衛力を行使  (2) その態様は自衛のための必要最小限度 (3) 保持する自衛力も必要最小限度とするというものです。 この内容は、9条のもとでの自衛権行使の三要件と同じです。自衛権行使の三要件とは、(1) 急迫不正の侵害行為 (武力攻撃) の存在  (2) 自衛のための必要最小限度の反撃行為 (3) 他に方法がないというものです。 自衛権行使の三要件は、自衛隊が9条2項の戦力にあらざる自衛力であり、9条に違反しないという政府解釈の不可欠の要素です。 つまり専守防衛政策は、9条に関する政府解釈から必然的に導かれる防衛政策なのです。

7、 また専守防衛政策は、日本の侵略の歴史から、周辺諸国へ脅威を与えないという意味を持つ重要な政策でもあります。 そのために、専守防衛政策のもとで、我が国は他国へ脅威を与えるような攻撃的兵器を保有しないという、これまた9条に関する政府解釈にもなるのです。 敵基地攻撃能力は他国へ脅威を与えるので、これを保有しないという政策にもなります。

8、 「敵基地攻撃論」 は先制攻撃を容認する議論です。これは明確に9条に違反します。「敵基地攻撃論」 は北朝鮮脅威論の高まりという風を受けて、 世論の支持を獲得しながら、9条改憲を一気に進めようとするのです。私たちは9条改憲への警戒を強めなければなりません。 マスコミの最大の関心事は政権交代にあります。しかし民主党の中にも 「敵基地攻撃論」 が浸透していることは間違いありません。 政権交代ブームの陰で進められる9条改憲の策動を阻止しするためにも、「敵基地攻撃論」 のまやかしを暴かなければなりません。
2009.5.30