2009.10.27

憲法9条と日本の安全を考える

弁護士 井上正信
目次  プロフィール

北朝鮮脅威論を批判する

1、 北朝鮮脅威論
  北朝鮮脅威論の議論として、弾道ミサイルが撃ち込まれる脅威、拉致問題の脅威、特殊部隊の侵入への脅威、核開発の脅威、 独裁国家で北朝鮮人民の基本的人権が踏みにじられている脅威、金正日は何をするか分からないという脅威などいくらでも数え上げられます。
  この議論の特徴は、北朝鮮の軍事能力の実態を見ないか誇張した議論であったり、脅威が現実化する場合の全体状況から、 脅威論がたてやすい場面だけを切り取って議論するもの(弾道ミサイルや特殊部隊の脅威など)であると指摘しなければなりません。
  また、北朝鮮の脅威を一方的に強調しながら、自らが北朝鮮にとってどれほど脅威となっているかを見ないというバランス感覚を欠いた議論 となっています。

2、北朝鮮は軍事的脅威か
  北朝鮮人民軍は、2003年当時で約108万人の内95万人が陸軍です。海軍は4.6万人、空軍は8.6万人です (ミリタリーバランスより)。 現代国家の軍事力としては、極めていびつな構成です。北朝鮮人民軍は、朝鮮半島での地上戦を戦うことを主眼として作られていると考えてよいでしょう。 空軍は作戦機の数だけはとても多いのですが、大半は朝鮮戦争当時のもので、航空博物館とも揶揄されています。 爆撃機は双発のプロペラ機で、航続距離も短く、とても現代戦で使える代物とも思えません。 海軍は、1500トンの旧式フリゲート艦三隻、数百トンクラスの小型艇、ミサイル艇で、揚陸艦艇も小型で速度は遅く、 航続距離も限られています (陸自中央資料隊平成16年度北朝鮮軍事便覧より)。空軍、海軍もやはり朝鮮半島での戦闘を想定した装備です。 空軍のパイロットの年間訓練時間は10時間程度と見られており、とうてい実戦で有効な作戦を遂行できる技能を維持できるとは思えません。 おまけに、部品の供給不足から、どれだけの数が実際に飛べるのかも怪しいのです。

  ある国の軍事力が脅威であるというためには、意思と能力が備わっていなければなりませんが、 北朝鮮人民軍の意思 (軍事戦略・作戦) も軍事能力も日本にとって脅威となるものではないと理解できます。 地上軍を日本へ指向させるためには、揚陸艦艇とそれを護衛したり、上陸後の兵站支援のための海軍力、空軍力が必要です。 北朝鮮人民軍には、地上軍を日本に差し向ける能力はないと断言できます。むろん空爆などできません。

  唯一日本にとって軍事的脅威といえるのは、ノドンミサイルとテポドン1号ミサイル、特殊部隊の侵入くらいです。 通常弾頭の弾道ミサイルでは軍事的にはほとんど脅威とはいえません。まず命中精度が悪い。ノドンで CEP5,000、テポドン1号で CEP2,500です(上記便覧)。 CEPとは、標的を円の中心として、その数字を半径とする円を描いた場合、半数がその円の中に入るという数字です。 つまり、半径5キロや2.5キロの円の中のどこかに半数が当たるという確立ですから、狙っても当たらないのです。 標的を破壊しようとすれば、多くのミサイルを撃ち込まなければなりません。

  ミサイルの投射重量 (ペイロード) は、最大でも1000キロですから、大きな被害を与えるとは思えません。 航空自衛隊の戦闘機の方が、4〜5倍の爆撃能力を持っています。私たちが弾道ミサイルを脅威と思えば、北朝鮮はそのことを利用して、 軍事的な意味よりも政治的な道具として使うくらいでしょう。
  湾岸戦争の際、イスラエルはイラクから弾道ミサイル (アル・フセイン) により、延べ18回約40発の攻撃を受けました。 いくらかはパトリオットミサイルで撃ち落としたようですが、実数は少ないと言われています。イスラエルの人的被害は、数人が死亡した程度でした。 人口が密集しているイスラエルでさえその程度ですから、弾道ミサイルの脅威は誇張されていると思います。

  特殊部隊は約10万人を擁していますが、そのほとんどは韓国への潜入作戦に使われます。日本へは漁船などを改造した工作船で少人数を潜入させる程度です。 装備も個人携行火器です。これがどれほどの脅威になるのか疑問です。
  北朝鮮の弾道ミサイルと核開発については、分からないことが多くあります。その中で脅威論を強調すれば、誇張されたり最悪の場合脅威をねつ造するかもしれません。 イラクフセイン政権の脅威を強調して米国はイラク攻撃を始めましたが、その後、脅威とされてことはすべて事実ではないことが明らかとなりました。 ブレア英国首相 (当時) は、イラクは40分で化学兵器攻撃ができると、見てきたような嘘を議会で述べたのです。
  私たちは北朝鮮脅威論に惑わされてはなりません。脅威の実態をしっかり見つめる冷静な目が必要です

3、 非現実的な北朝鮮脅威論
  安倍内閣が設置した 「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」 (安保法制懇と略) の報告書では、北朝鮮の脅威として、 日本海で米海軍イージス艦と海上自衛隊イージス艦が共同作戦を行っている時に、米艦が攻撃を受けた際、自衛艦が防衛すること、 米国へ向かう弾道ミサイルを日本が撃ち落とすことを、9条の解釈を変更して認めるべきであるとしました。 いずれも北朝鮮の弾道ミサイル攻撃を想定しています。これだけを取り出せば、目の前で攻撃を受けている米艦を、集団的自衛権行使が禁止されているから、 見殺しにするなどできっこないという結論になりがちです。米国へ向かう弾道ミサイルを撃ち落とす能力がありながら、見過ごすなどできっこないと思うでしょう。 北朝鮮の軍事的脅威を主張する議論は、このように、いきなり攻撃される事態を想定して議論するという特徴があります。
  しかしこの報告書は大切なことを書き落としています。それは、このような事態はいきなり発生するのではないということです。 北朝鮮が米国や米国艦船を攻撃する事態は、地震とは異なります。地震はいきなり発生しますが、北朝鮮による攻撃は、それに先立つ朝鮮半島での戦争があるはずです。 第二次朝鮮戦争は米韓連合軍による先制攻撃から発生する戦争です。 ブッシュ政権下での2002年に改訂された米韓連合作戦計画5027 (OPLAN5027-02) では米国が先制攻撃を行うことが想定されています。 2000年改訂では、90日間で米軍69万人、海軍艦艇160隻、航空機1600機という戦力を集中します (「OPLAN5027 Major Theater War-West」 グローバル・セキュリティー)。 これは湾岸戦争を上回る規模です。これにより朝鮮半島を武力統一するという作戦です。この戦争では核兵器の使用もあり得ます。

  このような戦争の中で日本が米軍を支援することから、安保法制懇が想定する事態になるのです。この戦争ではどれだけの犠牲者が出るか想像できません。 94年に米国は北朝鮮との戦争を決意しましたが、6月に統合参謀本部は興味深い試算をしました。 北朝鮮との全面戦争になれば、死者は100万人、内米国人は8万から10万人、米国が負担する費用は1000億ドルを超える、 戦争当事国 (朝鮮半島) と近隣諸国 (中国と日本でしょう) の戦争被害は1兆ドルを超えるというものです (ドン・オーバードーファー著 「二つのコリア」 共同通信社)。 この試算は15年前のものであり、イラク・アフガン戦争での戦費を考えれば、1000億ドルは極めて控えめといえますし、1兆ドルも同様でしょう。

  日本防衛のためという名目で日米同盟はフル稼働します。日米共同作戦計画5055が発動されます。 日本の直接負担の戦費は当然のことながら、莫大な戦費の負担を米国から求められます。戦後復興支援も想像を超える金額になるでしょう。 日本の国家財政で負担できる金額ではないでしょう。大増税もあり得ます。こんな戦争を日本が当事国として戦うというのでしょうか。 私にはとうてい考えられない非現実的な想定です。

  安保法制懇は、このような現実を抜きにして (あるいは敢えて伏せて)、いきなり北朝鮮から弾道ミサイル攻撃や米艦への攻撃があると想定するのです。 9条解釈を変更するかしないかを議論する前に、私たちはこのような戦争に協力するのかしないのかをまず考えて判断しなければなりません。 安保法制懇はおそらくこのような戦争に協力すべきであるという考えです。日米同盟が日本の安全保障の基軸だからです。 でも私たちは、この前提を疑ってかからなければなりません。日本が直接武力攻撃を受けたりそのおそれがないにもかかわらず、 日米同盟のため全面的に協力し、その結果弾道ミサイル攻撃や特殊部隊の侵攻を招くことを肯定するのでしょうか。

  9条改憲の是非も、このような現実を前提にして考えなければなりません。

4、 自らが脅威であることを忘れた脅威論
  脅威論は北朝鮮が脅威であることは強調しても、北朝鮮にとって日本が脅威になっていることは絶対に言及しません。 ですから善意の市民には、北朝鮮脅威論が案外受けやすいのでしょう。多くの市民は日本が北朝鮮にとって脅威であるなど考えても見ないからです。 北朝鮮問題を考える際、このことをまず確認しなければなりません。 前号 「北朝鮮脅威論をどのように考えるか」 で述べたように、 北朝鮮と日・米・韓の間には、相互に強い不信と脅威が存在しています。金正日は何をするか分からない、怖い、約束を守らないと私たちが思っていると同じように、 北朝鮮も感じているはずです。 何事かあると必ず登場する、朝鮮中央通信の女性キャスターのおどろおどろしい物言いは、北朝鮮の脅威感情の逆説的な表現ではないでしょうか。

、 米国でも日本でも北朝鮮との合意をこれまで破ってきた歴史があるのです。クリントン政権で約束した毎年50万トンの重油支援を、 議会の抵抗で約束通り進めなかった、ジュネーブ合意により2003年、2004年には軽水炉型原子力発電所が二基完成するはずが、 基礎工事段階で停止してしまった、クリントン政権で緊張緩和が計られ、国交正常化の寸前まで至った米朝関係を、ブッシュ政権はひっくり返し、 一転して 「悪の枢軸」、「金正日は暴君」 と名指しし、ジュネーブ合意も破棄した、 日朝ピョンヤン宣言に反して日本は拉致問題を最優先課題 (国交正常化交渉の入り口問題) とし、宣言を死文化させた、 六者協議で合意された100万トンの重油相当の経済支援を、日本だけが履行しなかったなど、専門家ではない私でも今思いつくだけでこれだけあります。 日本ではいつも北朝鮮が無理難題をふっかけて、それまでの合意を破棄するという印象ばかりが目立ちますが、 北朝鮮から見れば、日本も米国も無理難題をふっかけて、約束を守らない国なのです。

、 このような中で、北朝鮮脅威論が一方的に強調されれば、北朝鮮も身構えることは当然です。 ましてや、敵基地攻撃論や核兵器保有論が有力政治家から主張され、あるいは日本の次期防衛計画大綱へ盛り込まれようとされ、 9条改正 (解釈改憲) で、集団的自衛権行使をしようとすれば、北朝鮮は軍事的対応を考えざるを得ないでしょう。 そうすると日本ではますます北朝鮮脅威論が幅を利かせるようになるでしょう。

  長年にわたり相互に、深い不信と脅威を抱いている日本と北朝鮮との間で、脅威論が相互に増幅すれば、不幸な事態に発展するかもしれません。 いわゆる 「安全保障のジレンマ」 に陥るのです。「安全保障のジレンマ」 とは、自分の国の安全のために執った措置が、逆に緊張を高める結果、 安全を損なうに至る事態のことです。戦争は自然現象のように突然発生するのではありません。 政治家や軍人による政策選択の結果であったり、政策選択の誤りが戦争へと発展するのです。

  次号は、北朝鮮を巡る問題の中で最も重要と思われる核開発問題を取り上げましょう。