2010.7.29

憲法9条と日本の安全を考える

弁護士 井上正信
目次  プロフィール

新しい時代の安全保障と防衛力に関する懇談会報告書1

1.7/27の朝日新聞に、「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」 (以下懇談会)報告書案の内容が報道されています。 今年策定予定の防衛計画大綱の基本的な内容を形成するものという位置づけです。 2009年8月に麻生内閣の下で、「安全保障と防衛力に関する懇談会」 報告書が作成され、 その年の末までには麻生内閣が防衛計画大綱を策定する予定でした。 しかし、政権交代でペンディングされて、鳩山内閣で新しく懇談会を立ち上げたいきさつがあります。 平成16大綱が10年間の防衛政策を策定しながら、5年後には見直すとしていたのを受けて、麻生内閣が取り組んだものですが、 1年遅れて管内閣(?)が策定しようとしているのです。

2.報告書の内容は、公表されてから詳細に分析しないと正確な評価や言及はできませんので、現時点では、朝日新聞の記事から暫定的な評価、 意見とならざるを得ません。しかし、民主党政権下でどのような安全保障、防衛政策を採ろうとしているのか、 それが憲法9条などの平和原則とどのような関係になるのかという視点で、朝日新聞の記事を見ると、極めて重大な関心を持たざるを得ません。 8月上旬に報告書が公表される予定のようなので、公表されれば報告書を詳細に分析する予定です。
  なお、懇談会の審議内容は 内閣府のホームページ で知ることが出来ますので、是非ご覧ください。

3.全体的な印象ですが、
(1) 麻生内閣時代の懇談会報告書と基調は同じであるといえます。 古色蒼然とした冷戦時代から続いている脅威論とそれに対する軍事的抑止力論に固執しています。 このことと、民主党内閣が掲げている東アジア共同体構想とどのような関係になるのかが問われるでしょう。

(2) 民主党内閣は 「日米同盟の深化」 を掲げ、自公内閣の 「日米同盟強化」 とは違うという印象を振りまいていました。 しかし、その内容はいまいちはっきりしませんでしたが、報告書案によれば、単なる言葉の違いにすぎないことがはっきりしてきました。 実は、麻生内閣時代の懇談会報告書にも 「日米同盟を深化させつつ、日本の役割を明確にしていく」 と書かれていますので、 決して民主党の専売特許ではないようです。

(3) 今後の安全保障環境の見通しでは、米国の力が相対的に弱まるという認識を示しているようです。 この点も、麻生内閣の懇談会報告書や自民党国防部会防衛政策検討委員会提言(2009年6月)と軌を一にしています。

(4) これまで憲法9条の下で採用されていた、基盤的防衛力構想、非核三原則、武器輸出三原則、集団的自衛権行使の禁止、 PKO参加5原則のいずれも見直そうとしています。敵基地攻撃論も導入しようとしているようです。自衛隊海外派遣恒久法制定も提言しています。 これらのことは、解釈改憲そのものでもあるし、遠からず憲法9条改正への強い圧力となるはずです。

(5) 基盤的防衛力構想を、今回明確に退けようとしています。基盤的防衛力構想とは、所要防衛力構想と対立する概念です。 所要防衛力構想とは、脅威とする国家の軍事力に対応して、防衛力を構築するという考えで、伝統的な軍事力構想です。 基盤的防衛力構想は、昭和51年防衛計画大綱の際に導入された考え方です。 仮想敵を持たず、小規模以下の限定的な侵攻に備えて、日本の領域に薄い防衛の網をかぶせるというものです。 万一有事になれば、基盤的防衛力を急速に拡大するという政策でもあります。
  基盤的防衛力構想は、専守防衛政策と一体のものです。 専守防衛政策とは、昭和56年防衛白書において、我が国の軍事政策の基本として明確に概念化されました。 その内容は、@ 相手から武力攻撃を受けたときに初めて防衛力を行使 A その態様は自衛のための必要最小限度  B 保持する自衛力も必要最小限度とするというものです。この内容は、9条のもとでの自衛権行使の三要件と同じです。 自衛権行使の三要件とは、@ 急迫不正の侵害行為(武力攻撃)の存在 A 自衛のための必要最小限度の反撃行為 B 他に方法がないというものです。 自衛権行使の三要件は、自衛隊が9条2項の戦力にあらざる自衛力であり、9条に違反しないという政府解釈の不可欠の要素です。 つまり専守防衛政策は、9条に関する政府解釈から必然的に導かれる防衛政策です。
  この政策の中で自衛隊は存在することでの抑止力(静的抑止)とされてきました(懇談会報告書案が 「動的抑止」 という言葉を使用していることに留意)。 また、敵基地攻撃能力の保有は憲法9条の解釈からは当然に否定されないが、専守防衛政策という政策上の理由から保有しないというものでした。
  実は基盤的防衛力構想は、平成16年大綱で実質的に否定されていたものです。 平成16年大綱が打ち出した 「多機能弾力的防衛力構想」 は、脅威の対象に応じた多機能で弾力的な防衛力を構築するというものですから、 所要防衛力構想の立つものでした。ところが、平成16大綱は、「基盤的防衛力構想の有効な部分は承継しつつ、 新たな脅威や多様な事態に実効的に対応する」 と書き込んで、この点を曖昧にしてきました。今回で決着を付けようというのでしょう。
  基盤的防衛力構想を否定することは、専守防衛も見直すこととなるでしょう。基盤的防衛力構想を実質的に否定した、 平成16大綱の多機能弾力的防衛力構想の実効性をいっそう上げるとする麻生内閣の懇談会報告書では、 「第三章安全保障に関する基本原則の見直し」 において、専守防衛も見直しの対象にあげているのです。

(6) 非核三原則の内、「持ち込ませず」 を事前に(おそらく 「平時に」 という意味)原則とすることは賢明ではないとしています。
ところで、密約に関する有識者懇談会報告書やそれを受けた岡田外務大臣の発言では、91年以降の米国の核政策の変更で、 もはや核兵器の持ち込みはないということでした。そのため民主党内閣としては、これまでのやり方を変更するつもりはない(密約を破棄しない)ということでした。 ではなぜ 「持ち込ませず」 原則の見直しが必要なのか。日本周辺での有事(周辺事態)では、米軍が核攻撃のため核兵器を日本に持ち込む、 通過させるという必要性があるからでしょう。そうすると、民主党内閣が核兵器持ち込みに関する密約を破棄しないとする意味が明確になったと言えるでしょう。

(7) 武器輸出三原則見直しも自公内閣時代から継続的に提起されていたことで、特に防衛産業、財界からの強い要求があります。 防衛予算に占める装備(兵器)の新規調達額が年々低下しており、兵器産業のインフラを維持することが困難になったという主張です。 兵器産業のインフラ=防衛力ということなのです。しかし、日本の先端技術を利用した先端兵器が輸出されることになれば、 私たちは、諸国民の平和的生存権を脅かす国民になるでしょう。

(8) 集団的自衛権行使の容認は、安倍内閣の 「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(安保法制懇)」 が打ち出したものです。 麻生内閣時代の懇談会報告書は、安保法制懇の提言を全面的に実施するよう求めています。 安保法制懇のメンバーの内、麻生内閣の懇談会メンバーに4人が入っています(北岡伸一、田中明彦、中西寛、佐藤謙の各氏)。
  懇談会報告書が安保法制懇報告書をどのように取り入れているのか注目すべき点です。

(9) PKO参加5原則見直しは、2002年12月 「国際平和協力懇談会報告書(明石 康 座長)」 (福田懇談会)が打ち出しました。 自衛隊海外派遣恒久法も提言していました。この報告書はこの他にも、現在の改憲論につながる重要な論点を打ち出しており、 その後の防衛政策、改憲論に大きな影響を与えてました。

(10) 中国脅威論、北朝鮮脅威論に立った防衛政策を提言しようとしています。6者協議再開が重要な焦点になっている北朝鮮問題、 中国経済が世界経済の発展と不可分の関係となっている現在、このような脅威論と軍事的抑止力論に立った安全保障政策が、 私たちの平和と安全、経済的繁栄にとり果たして有効なのでしょうか。
  平成16大綱では、中国脅威論は控えていました。むしろ在来型の脅威よりも、新たな脅威として、国際テロ組織などの非国家的主体、 大量破壊兵器や弾道ミサイルの拡散等を強調していました。わずか5年の間に、脅威の対象が変化したのでしょうか。 確かに海洋資源を巡る問題や、中国海軍の艦船の活動の活発化など、世間の耳目を引くような出来事が続いています。 しかし、わずか5年間で安全保障・防衛政策が変わるくらい脅威の対象が変化するということは、理解しかねます。 安全保障・防衛政策はもっと長期的な展望としっかりした歴史観や現状分析により策定されなければならないと思います。 私の目には、何か 「際物」 の様な印象すら受けるのです。

(11) 基盤的防衛力構想を否定すること、非核三原則を見直すことは、麻生内閣の懇談会報告書では提言されていませんでした。 懇談会報告書はその意味で、麻生内閣の懇談会報告書よりも一層踏み込んだ内容になるのかもしれません。

4.懇談会報告書案が提言しようとしている内容は、自公政権時代から一貫して進められている日米同盟の強化路線です。 その内容は、日米防衛政策見直し協議(一般には米軍再編協議と呼ばれる)での日米合意と、 それを受けて策定された平成16大綱の安全保障・防衛政策です。この内容は、憲法9条の解釈・立法・明文改憲に関わる重要な問題を含んでいます。 日米同盟の強化(深化)こそが、9条改憲の源であることは、懇談会報告書でより一層明確になるのではないでしょうか。

5.政権交代になってもなぜ安全保障政策・防衛政策が変わらないのかという疑問もあるでしょう。 鳩山首相が、普天間基地移設に関する日米合意を見直すと公言しましたが、結局元の合意に戻ったということがすべてを物語っています。 民主党政権でも、安全保障・防衛政策の基本は、日米同盟基軸論であり、米国の拡大抑止力依存政策であることには変わりがなく、 自公内閣時代の日米防衛政策見直し協議を推進するという点でも変わりがないということです。 だから、麻生内閣時代の懇談会報告書と今回の懇談会報告書は、同じ基調になるのは当然なのかもしれません。 オバマ政権の対日政策がブッシュ政権時代のものと不変であることもその理由でしょう。