2010.9.3

憲法9条と日本の安全を考える

弁護士 井上正信
目次  プロフィール

新安保防衛懇報告書を読み解く 1

一 はじめに
  8月27日 「新たな時代における日本の安全保障と防衛力に関する懇談会」 報告書(以下新安保防衛懇報告書と略)が公表されました。 当初は8月上旬を予定していると報道されていましたので、お盆をすぎた頃から、内閣府のホームページを毎日確認していました。 報告書は以下の サイト でダウンロードできます。

  なぜ予定より遅れたのか理由は分かりません。8月27日に朝日新聞などが、報告書案の内容を報道し、その中で、 非核三原則のうち 「持ち込ませず」 や、武器輸出三原則、集団的自衛権行使禁止原則を見直すことが含まれると紹介していました。 ところが、菅総理大臣は8月5日参議院予算委員会の答弁で、これらの原則の見直しを否定しました。 総理大臣直属の懇談会が、総理大臣答弁を真っ向から否定する報告書をそのまま出せないと考えたからかもしれません。

  しかし、新安保防衛懇報告書は、新聞で報道された報告書案の内容とほぼ同じであることが判明しました。 これまで長年にわたり積み重ねられてきた、憲法9条に関わる安全保障上の原則を見直そうと提言する新安保防衛懇報告書は、 これからの日本の有り様をどのように考えているのか、憲法改正問題とどのように関わるのか、 日本と周辺諸国の平和と安全にどのような影響を及ぼすのでしょうか。民主党政権はこれらの疑問にどのように応えるのでしょうか。

  この小論は、新安保防衛懇報告書を読み解くため、平成16年防衛計画大綱(2004年12月 16大綱と略)、 安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会報告書(2008年6月 安保法制懇報告書と略)、 安全保障と防衛力に関する懇談会報告書(2009年8月 安保防衛懇報告書と略)にも言及する予定です。 そうすることで、新安保防衛懇報告書の含意がよく理解できると考えるからです。 これらはいずれも自公連立政権時代の安全保障・防衛政策を規定する文書です。

二 憲法問題の視点から読み解く
 新安保防衛懇報告書には、懇談会が憲法問題についてどのような基本的姿勢を持っているかを物語る部分が二カ所あります。

  「第四章 安全保障戦略を支える基盤の整備」 の 「第2節 国内外の統合的な協力体制の基盤整備」 「A 日米の共同運用の実効性向上」 の中で、 安保法制懇報告書の提言をそのままなぞりながら、集団的自衛権行使禁止原則では、21世紀の安全保障環境や軍事技術状況に対応できないとして、 暗に集団的自衛権行使禁止原則を見直すことを希望しています。 その部分の末尾に 「本懇談会が強調したいことは、憲法論・法律論からスタートするのではなく、そもそも日本として何をなすべきかを考える、 そういう政府の政治的意思が決定的に重要であるということである。これまでの自衛権に関する解釈の再検討はその上でなされるべきである。」 と、 政府の政治決断を促しています。

  もう1カ所は、「第一章 安全保障戦略 第3節 戦略と手段 (1) 日本の特性と 「平和創造国家」 としてのアイデンティティー  A 経済力・防衛力の特性」 の中で、専守防衛政策、武器禁輸政策、集団的自衛権行使禁止原則を引用しながら、 「ただし、こうした政策は、日本自身の選択によって変えることが出来る。」 と述べて、政府の政治決断を促しています。

  この議論の本質は、安全保障政策・防衛政策には憲法の規範力は及ばないということでしょう。 憲法9条や前文2項は政府の安全保障政策・防衛政策を規制する憲法規範です。立憲主義の観点からは、憲法上出来ることととできないことを明確にし、 出来ることの範囲内で政策を提言し、立案すべきですが、新安保防衛懇報告書はその立場には立っていません。 もっと言えば、国家の安全保障は憲法に優先するという思想を、当然のこととしていると言えます。 したがって、新安保防衛懇報告書は、解釈改憲、立法改憲の提言を行うものと評価できます。

 集団的自衛権行使禁止原則、非核三原則、専守防衛政策、敵基地攻撃能力の保有、武器輸出三原則、PKO参加五原則、 武力行使一体化論の見直し、自衛隊海外派遣恒久法について

  集団的自衛権行使禁止原則、非核三原則、専守防衛政策、武器輸出三原則、PKO参加五原則は、 いずれも憲法九条を根拠にした、いわば憲法政策というべきものです。 これらの原則の見直しについて新安保防衛懇報告書がどのような提言をしているか見てみましょう。

  非核三原則では、「第一章 第3節(3) 同盟国との協力 A 米国による拡大抑止」 で提言しています。 今これを改めなければならないという情勢にはないと述べて、新聞報道で紹介された報告書案よりは 「後退」 した表現になっています。 しかし、「一方的に米国の手を縛ることだけを事前に原則として決めておくことは、必ずしも賢明ではない。」 と述べて、 ここでも暗に見直しを政府に求める表現となっています。「米国による拡大抑止」 の項目では、もっと見逃せない表現があります。 「拡大抑止」 は通常戦力・核戦力を含むものですが、報告書は、核戦力に強くこだわっています。 抑止力の本家である米国では、抑止力の比重を次第に、核戦力から通常戦力とミサイル防衛へ移しつつあることも押さえておかなければなりません。 その上で、拡大抑止を実行あらしめるため、「米国任せにはせず、日米間で緊密に協議を行うことが必要である。」 と述べています。 このことの意味は、米国の核抑止政策(この中には抑止が破れたときの核兵器使用計画=戦域核作戦計画が含まれます)に、 日本政府が参画するということです。これの先進的形態をNATOに見ることが出来ます。
  NATOの核政策に関しては最高の決定機関である Nuclear Planning Group があり、一部の加盟国(ドイツ、ベルギー、イタリア、オランダ)は、 戦時には米国の核爆弾を米国から受領し、自国の戦闘爆撃機で核攻撃を行うというニュークリアーシェアリングを結んでいます。 報告書のこの提言は、将来的にはこのようなことを目指しているのかもしれません。 新安保防衛懇報告書は、他の箇所で(5〜6頁)米国の力が相対的に弱まってくることや、 オバマのプラハ演説や米ロの新戦略兵器削減条約調印などを引用しています。 報告書には出ていませんが、オバマ政権は、日本政府が密かに懸念を伝えていた、有事に攻撃型原子力潜水艦へ搭載される核巡航ミサイルを、 2013年までに退役させるという決定を行っています。 新安保防衛懇報告書は、このような背景から、米国の拡大抑止力が低下することを懸念していると思われます。 新安保防衛懇報告書は、日本の安全保障に関して、核兵器に強くこだわっていると言えます。

  非核三原則見直しは、安保防衛懇報告書では言及していません。なぜ新安保防衛懇報告書で取り上げたのか? おそらくは、 民主党政権で密約を一定程度公表したことと無関係ではないでしょう。 非核三原則のうち、持ち込ませず原則が無視されていたことは認めましたが、 岡田外務大臣は、米国の核政策の変更でそのようなことは考えられなくなったので、日米安保体制の運用を変更する考えはないと述べて、 核密約破棄の考えがないことを明らかにしました。しかし、問題は核兵器持込のきわどい部分、 すなわち、不測の事態で米国の核兵器持込を容認するのかという点は曖昧にしました。核抑止力依存政策の最もクリティカルな問題です。 新安保防衛懇報告書は、この曖昧に残している点を明確にするよう、政府に要求していると思います。

  武器輸出三原則は、はっきりと見直しを提言しました。防衛産業を防衛力の物的基盤と位置づけて、防衛関係費が頭打ちで、 防衛生産から撤退する企業も増えつつあるとして、その基盤の重要性から、「武器輸出三原則等の下での武器輸出禁輸政策については、 見直すことが必要」 と提言しています。ストレートに武器輸出三原則見直しを提言していない点がミソなのでしょうか。 新安保防衛懇報告書は、別の箇所で(16頁)、事実上の全面禁輸政策でありながら 「武器輸出三原則等」 と称していることは、誤解を与える表現だとして、 問題にしています。元々の武器輸出三原則は、@ 共産圏諸国、A 国連決議による武器禁輸国、 B 国際紛争当事国またはそのおそれがある国に禁止する内容でした。@ は今や存在しません。 新安保防衛懇報告書は、元々の武器輸出三原則に該当する国以外には輸出できるのだと主張するのかもしれません。 この点で、安保防衛懇報告書では、明確に 「武器輸出三原則等」 に代わる新たな政策方針を定めるよう提言しています。 上述した菅総理の参議院予算委員会での答弁で、武器輸出三原則を堅持すると述べたことに対応したのでしょう。

  集団的自衛権行使禁止原則の見直しでは、安保法制懇報告書が指摘した、米国へ向けて飛翔する弾道ミサイルの迎撃、 弾道ミサイル防衛作戦に参加している米艦船の防護が出来ないことの不都合さを強調して、政府に集団的自衛権行使禁止解釈の見直しを暗に求めています。 明確に見直しを提言していませんが、報告書の意図は明らかです。

  PKO参加5原則と武力行使一体化論見直しでは、はっきりと見直しを提言しました。 その上で、自衛隊海外派遣恒久法制定を 「極めて重要」 と提言しています。無論どのような内容の法律なのかまでは具体的には述べていませんが、 憲法の武力行使禁止原則にかかわる立法であることは間違いありません。

  専守防衛政策については、明確に記述した箇所はありません。言葉としての 「専守防衛(政策)」 は二カ所出てきます(10、39頁)。 専守防衛政策は、平成21年度防衛白書の 「憲法と自衛権」 という項目の最初に記述されているように、基本的な憲法政策です。 防衛白書によると専守防衛政策とは 「相手から攻撃を受けたときに初めて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限度にとどめ、 また、保持する防衛力も自衛のための最小限度のものに限るなど、憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略」 と定義されています。 この定義からわかるように、政府解釈では、9条で自衛権は否定されていないとして、自衛権発動の三要件を定義しますが、それと同じです。 その上で自衛隊は合憲と解釈するのですから、専守防衛政策は自衛隊合憲の不可欠の要素といえるのではないでしょうか。 もし専守防衛政策を見直すのであれば、私たちは改めて、自衛隊の憲法適合性を、根本から検討しなさなければなりません。 また、専守防衛政策から、自衛隊は拒否的抑止力(盾の役割)、米軍は懲罰的抑止力(槍の役割)というように、 日米安保体制下での日米両軍の役割分担を規定したり、日本は他国に攻撃的な脅威を与えるような兵器は持たない、 などといった重要な政府憲法解釈が導かれます。

  では、新安保防衛懇報告書は専守防衛政策見直しを提言していないのでしょうか。結論から先に述べると、言葉としては記述はありませんが、 その内容を全面的に否定していると言えます。安保防衛懇報告書では、専守防衛政策について詳しく記述しながら、 専守防衛政策をより限定的に解釈することを提言しています(第三章 安全保障に関する基本方針の見直し)。 新安保防衛懇報告書は、専守防衛政策見直しの言葉こそありませんが、安保防衛懇報告書よりももっと根本的な見直しを求めていると思われます。

  まず、新安保防衛懇報告書は、これまでの日本の安保・防衛政策を受動的で事態対応型の体質と批判し、日本は受動的な平和国家から、 能動的な平和創造国家へと成長することを提唱します(「はじめに」)。その背景として、新安保防衛懇報告書は、 「予想される将来、日本の国家としての存立そのものを脅かすような本格的な武力侵攻は想定されない。」 と、はっきり断定していることがあげられます。 専守防衛政策が日本の防衛政策として意味があったのは、 日本に対する限定的小規模以下の侵攻を独力で防衛するという基盤的防衛力構想を前提にした防衛政策だったからです。 自衛隊は存在するだけの 「静的抑止力」 と位置づけられていました。 ところが、新安保防衛懇報告書では、防衛力のあり方を 「静的抑止力」 から 「動的抑止力」 重視へと変えていくことを提言します(第二章 防衛力のあり方  第1節 基本的な考え方)。

  新安保防衛懇報告書は、基盤的防衛力構想を時代遅れとして、見直しを明確に提言しました。この点は、安保防衛懇報告書とは明らかに異なる部分です。 安保防衛懇報告書では、16大綱以上に中国と北朝鮮の脅威を強調しました(第一章 新しい日本の安全保障戦略 第2節 日本を取り巻く安全保障環境  (3) 日本周辺の安全保障環境)。そして、防衛力の役割として、「本格的武力侵攻への備え」 という役割を述べています。 16大綱は、日本に対する本格的武力侵攻の可能性は低下するとしながらも(この認識は安保防衛懇報告書と同じ)、 「基盤的防衛力構想の有効な部分は承継しつつ」 と述べています。安保防衛懇報告書も同じ認識です。 新安保防衛懇報告書が明確に、時代遅れとした理由は、上述したように日本に対する本格的武力侵攻は想定されないという安全保障環境への認識と、 新しい脅威が、ウォーニング・タイムの短縮化、抑止が有効に機能しないという特徴を挙げます。 抑止が有効に機能しないということは、新しい脅威としてよくあげられる、テロの脅威を見ればわかります。 ウォーニング・タイムの短縮化がなぜ基盤的防衛力構想を時代遅れとするのか? この点は、今説明すると長くなり、読まれる方を混乱させるので、 このあとに引き続き、このシリーズを書く際に述べることにします。

  基盤的防衛力構想と専守防衛政策はほぼ同じ時期に形成されたものです。その考え方も同じようなものです。 専守防衛政策を実行するものが基盤的防衛力構想といってよいと思います。むろん、防衛力構想と防衛政策がまったく同じかといえばそうではありません。 しかし、少なくとも密接な関係があることは確かです。基盤的防衛力構想を時代遅れとして、見直しの対象にするなら、専守防衛政策も同じ運命でしょう。

  敵基地攻撃能力保有は、自衛権行使の法理からは認められるが、専守防衛政策からそのような兵器は持たないとして、 憲法政策としては否定されていました。新安保防衛懇報告書は、敵基地攻撃能力保有という言葉を使っていません。 この点では、安保防衛懇報告書が、敵基地攻撃能力保有の検討を提言していることといささか異なります。 しかし、二つの報告書をよく比べてみると、安保防衛懇報告書で敵基地攻撃能力保有の検討を提言している部分(報告書31頁)と、 ほぼ同じ文章が新安保防衛懇報告書に出てくることに気づくはずです(第二章防衛力のあり方 19頁)。 私は、新安保防衛懇報告書は敵基地攻撃能力保有論の検討を提言していると見ています。敵基地攻撃論は、先制攻撃を容認する議論です。 先制攻撃は、憲法上の個別的自衛権解釈からは認められません。専守防衛政策を否定するものでもあります。 新安保防衛懇報告書が敵基地攻撃能力保有を事実上提言するのであれば、専守防衛政策を否定するものといえるでしょう。

  次回には、新安保防衛懇報告書がどのような安全保障、防衛政策を提言しているのか、 それが日本をどのような有り様の国にしようとしているのかを考えて見ます。