憲法9条と日本の安全を考える
東日本大震災が日本の安全保障政策に与える含意
1 歴史的な大災害となった東日本大震災は、これからの日本社会、国の有り様まで大きく変える可能性をはらんでいると思う。
私たちは今こそ、直接被害を受けた被災者や被災企業、地域社会、間接的な被害を受ける人々の幸福追求権、生存権、営業権、環境権、労働権、
教育権等基本的人権が保障される社会、国のシステムを作ってゆかなければならないと思う。
東日本大震災を経験した私たちがこれからの日本社会、国の有り様を変えようとする場合、指針になるのは憲法が保障する基本的人権であろう。
日本の平和と安全についても同様であろう。新防衛計画大綱が指摘するように 「(わが国は)災害が発生しやすいことに加え、
都市部に産業・人口・情報基盤が集中する上、沿岸部に重要施設を多数抱えるといった安全保障上の脆弱性を持っている。」 のだ。
この地政学的特徴から、日本は絶対に武力紛争の当事者になってはならないと考える。
震災後の被災地の写真を見た多くの人々は、広島・長崎の被曝後の写真、東京大空襲後の写真を思い浮かべたのではないだろうか。
平和的生存権、憲法9条の重要さを改めて私たちに突きつけている。
更に、今回の震災の最大の特徴は、原子力発電所の過酷事故が重なったことである。福島第1原子力発電所の事故で、
私たち日本人はヒロシマ・ナガサキ、ビキニに次いで第4の被曝を体験しているのだ。事態の推移によっては、その影響が国境を越えるであろう。
しかも今回の震災で私は初めて、東北地方の基幹産業、部品産業、ハイテク産業の大きな役割を知った。
日本だけではなく、世界の自動車産業などへ重大な影響を与えているのだ。まさにグローバル化のなせる業なのだろう。
日本が武力紛争の当事者になった場合、その影響は計り知れない。そうなってはならないことを私たちに示している。
2 上記地政学特徴は、旧大綱(16大綱)でも指摘している。
地政学的特長とは、地理的な条件とその中で永年にわたり築かれた日本社会の構造が規定するのであるから、当然といえば当然である。
東日本大震災の被害は、日本が大規模な武力紛争の当事者に決してなってはならないことを示している。
大規模な武力紛争となれば、日本の政治経済中枢が標的になることは確実である。
新防衛計画大綱は(旧大綱も)、日本に対する 「着上陸侵攻等のわが国の存立を脅かすような本格的な侵略事態が生起する可能性は低い」 との認識である。
その結果、防衛力の役割から 「本格的侵略事態への備え」 を削除した。他方で動的防衛力による島嶼部防衛を打ち出した。
島嶼部防衛とは南西諸島の防衛のことであり、中国の軍事的プレゼンスに対する対処である。新防衛計画大綱は、
中国との不測の事態に対して動的防衛力で、「実効的な抑止および対処」 をしようとしている。
「抑止」 と 「対処」 と書き分けても、実態は紙一重か区別がつかない。動的防衛力で 「実効的な抑止および対処」 をする防衛政策は、
常に軍事力をぎらつかせる防衛政策といえる。平時から情勢緊迫時、周辺事態、武力攻撃事態と不測の事態が進展することを想定すれば、
それぞれの段階で 「実効的な抑止および対処」 をしようとすれば、先制的自衛権行使となりかねない危うさを持っている。
南西諸島防衛とは、決して日本と中国との二国間武力紛争ではないことに留意されたい
(2008年3月19日アップ 「台湾海峡有事と日本防衛」、
2008年3月31日アップ 「中国脅威論と日本の安全保障」 参照)。
台湾防衛をめぐり、日本は米国と集団的自衛権を行使しながら中国と武力紛争になるのだ。
しかも米国はこの場合中国との全面戦争を想定している(2010年12月30日アップ 「憲法9条と新防衛計画大綱」 参照)。
中国から見れば、在日米軍基地と自衛隊基地は米日連合軍の前線基地であるから、日本に対する本格的攻撃をすると考えておかなければならない。
この攻撃に中距離核弾道ミサイルが使用さることは想定しておかなければならない。
少し古い資料(Nuclear Notebook 2003)で恐縮だが、これによると、日本と沖縄を標的にしている中距離核弾道ミサイルは、DF-3AとDF-21Aがあり、
前者は3.3メガトン、後者は200〜300キロトンの破壊力がある核弾頭を装備している。広島へ投下された原爆の10数倍から百数十倍の破壊力である。
新防衛計画大綱は、日本に対する本格的な武力侵攻の可能性は低いといいながら、動的防衛力構想により、
米国とともに中国との全面戦争をも想定しているのだ。東日本大震災と福島原発の被害を合わせたものよりも深刻な被害を与える可能性がある。
地震は自然災害だから発生を防ぐことはできない(被害を最小限度に食い止めることは可能だが)。
しかし、武力紛争(戦争)は政治による政策選択、或いはその失敗の結果として発生する。そうであれば、発生を防ぐことは可能である。
私は日米同盟に従属した日本政府に、政策遂行手段としての自衛隊を委ねることに強い懸念を抱いている。
新防衛計画大綱は、これまでの防衛計画大綱よりも政策遂行手段としての軍事力の役割を無邪気なほど高めている。
政治は人間のなせる業であるから、失敗をし過ちも犯す。とりわけ日米同盟基軸論による政策選択の硬直化から、そのおそれは強いであろう。
イラクへの派兵がそうであったし、普天間基地問題も同様である。万一政府の政策選択が過ったとしても、絶対に武力紛争に発展させない、
武力紛争の当事者にはならない仕組みが必要である。それは北東アジアに地域的協調的安全保障の仕組みを作ることや、
9条を実現させること以外には考えられないであろう。
3 東日本大震災の与えた被害からどのようにして立ち直ろうとするのか、未だ政治は混乱して明確な方針を示すことが出来ないでいる。
20兆円とも25兆円ともいわれている復興費用のあまりの膨大さに、政治はその財源探しに迷走している。
その一方で、これから5年間在日米軍に対して、年間 1900億円レベルの思いやり予算をつぎ込む特別協定が、3月31日衆議院で採択された。
共産党はこれをやめて復興費用に当てるよう主張し、特別協定に反対したが、民主・自民・公明の各党は賛成した。
今後5年間の防衛予算を閣議決定した中期防衛力整備計画では、2000年度の価格で合計23兆4900億円である。
東日本大震災は自然災害である(福島原発の過酷事故は人災だが)。防衛政策や防衛予算は政治選択の問題である。
自然災害は発生自体を予防できないが、政治選択は私たちの力で変えることが出来る。
日本と周辺諸国の人民の平和的生存権を奪いかねない戦争を想定する新しい防衛政策や米軍再編のために、膨大な予算を使うのではなく、
東日本大震災の被災者の幸福追求権、生存権、営業権、環境権、労働権、教育権等基本的人権を保障するために、
防衛政策や防衛予算を根本から改めなければならないと思う。
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