2013.5.24

憲法9条と日本の安全を考える

弁護士 井上正信
目次  プロフィール

弁護士が安全保障政策を議論する意味

  現在日弁連憲法委員会は、今年10月3日、4日に開かれる、日弁連人権擁護大会に向けた重要な取り組みをしています。 広島市内で開かれる大会の初日10月3日にシンポジウムがあります。参加は自由です。第2シンポで 「なぜ、今 『国防軍』 なのか?」 という主題で、 憲法9条改正問題を扱う予定です。シンポジウムの準備は憲法委員会とは別に実行委員会を組織して取り組んでいます。 皆様是非ご参加下さい。憲法改正問題に関心のある市民には必見です。私も実行委員会でシンポの準備に取り組んでいます。 そのため、参考文献を読みあさっています。

  かもがわ出版の 「脱・同盟時代」 と岩波書店の 「検証 官邸のイラク戦争」 を読みました。後者は柳澤協二氏の著書で、 前者は柳澤氏と寺島実郎氏など6名との対談集です。この二つの著書は姉妹編と言って良いでしょう。
  柳澤氏は防衛庁の運用企画局長、防衛研究所長、内閣官房副長官補(安全保障・危機管理担当)という、 日本の安全保障防衛政策の最前線で仕事をしてきた防衛官僚です。その彼が、日米同盟基軸論を正面から批判しているのです。 皆様も是非お読み下さい。とても刺激的です。私にとっても、年来考えていたことが防衛官僚である柳澤氏の意見と重なる部分があるということは、意外でした。

  「脱・同盟時代」 の中の植木千可子氏との対談の中で、植木氏が安全保障を学ぶ若い人へ 「クエスチョンを出来る能力」 を持って欲しいと述べています。 それは若い人に限らず(私はもう若くないからですが)、法律家である弁護士にも当てはまるのではないかと考えました。

  植木氏は、柳澤氏が防衛研究所長時代の部下の研究者で、現在早稲田大学アジア太平洋研究科教授として、若い学生に安全保障論を教授しています。 安全保障政策は政府が担っており、しかも、情報は隠すので、巨大な組織である政府に対して、 組織も情報もない個人が安全保障政策を学んで何になるのかと自問し、それは 「あれっ?」 と感じる種みたいなものを国民が持っているかいないかで全然違う、 「あれっ?」 と思うには、ある程度の知識も必要だし、アンテナが動いていなければならないのだ。 このようなグッドクエスチョンを提起できる能力を作るようにして欲しいと語りかけていました。

  私はこれを読んで、私たち法律家は、政府の安全保障政策やマスコミが垂れ流している情報に対して、法律家として憲法や国際法、 国内防衛法制の知識を駆使して、グッドクエスチョンを市民へ提起することが重要な役割を果たすのではないかと思いました。

  例えば、尖閣諸島海域の排他的経済水域(EEZ)は、東シナ海の日中両国のEEZの境界が未確定である上、領有権をめぐる意見の対立もあり、 両国がEEZの国連海洋法上の権利を主張しています。そのため、北緯27度以南(尖閣諸島海域を含みます)には、現在まで日中漁業協定はありません。 それ以北の海域では2000年発効の日中漁業協定があります。協定上、北緯27度線以北の日中暫定水域では、 日中双方は自国の漁船に対してのみ取締が出来るという合意内容です。EEZの境界未定である以上、そうせざるを得ません。 海上保安庁巡視船と中国海洋監視船はそれぞれが同じ海域でそれぞれの国の漁船を取り締まっているのです。 海洋法では、EEZが帰属する当該国は排他的に海洋資源、海底資源の探査、開発、保存、管理が出来る主権的権利を持っています。

  では北緯27度線以南の海域では、そのような合意すらありませんので、日中双方の政府船が双方の漁船を監視し取り締まることになります。 協定がない以上、それが紛争の元にもなりかねない状態です。 しかしながら、日本の報道機関も政府も、中国の海洋監視船がこの海域で活動することを不当であり、あたかも日本に対する脅威であるかのごとき報道をし、 それが一層日中間の緊張を高める方向で世論を形成しています。尖閣諸島の領有権問題だけではなくEEZの境界未確定である海域では、 これはある意味やむを得ないことだが当然、と言うべきことではないでしょうか。中国を一方的に非難できないのです。

  これを解決するには、EEZの境界未確定問題や尖閣の領有権問題に決着をつけなければなりませんが、 領有権問題を決着することは気の遠くなる年月と、双方の国内政治問題も絡んだきわめて解決困難な外交問題です。 現状では不可能でしょう。ですから領有権問題は棚上げした上で、双方が主張しているEEZの境界を暫定的に定めるか、 それ自体も棚上げした上で日中漁業協定により、余計な紛争の種をなくすことが必要と思います。

  「尖閣諸島に中国軍が上陸したらどうするのだ!」 と改憲論者は言い立てます。私はこの議論もおかしいと思っています。 軍事の専門家ではありませんので自信はありませんが、中国軍が尖閣諸島を軍事占領することはないと考えています。 なぜなら、尖閣諸島は軍隊が駐留するにはあまりにも小さく、平地も少ない島です。 仮に部隊を駐留させたとしても、中国本土と沖縄からそれぞれ約300キロも離れています。 中国軍が駐留した部隊を援護するためには、兵站の確保が不可欠で、そのための東シナ海の制海権、制空権を確保しなければ、 このよう部隊駐留は特攻攻撃と同じです。自衛隊による奪還作戦を排除しなければならないからです。

  この広大な海域空域の支配権を確立しようとすれば、局地的な小競り合いでは済まないでしょう。日本も同様です。奪還作戦を成功させるためには、 中国空軍・海軍との戦域の支配権をめぐる本格的な武力紛争を覚悟しなければなりません。

  改憲論者、中国脅威論者のこのような議論は、あまりにも非現実的です。もっと言えば、 戦争、武力紛争の現実を知らない 「平和ぼけ」 とでも言いたくなります。このような事態になる前に両国の紛争の種をつみ取る努力をする指針になるのが、 憲法の恒久平和主義だと考えています。歴史問題で日本に対する不信感が強い中国に対して、日本の外交戦略を誤解無く中国に発信するには、 憲法の恒久平和主義はきわめて重要な私たちの資産です。

  歴史問題は中国政府、中国共産党にとっても扱いにくい問題です。それは一歩間違うと中国共産党支配の正当性という深刻な国内問題になるからです。 決して日本から譲歩を引き出すための手段ではありません。

  ではどうすればよいのかと問われるでしょう。私はまず大事なことは、中国を脅威と認定しないことだと思います。 中国は既に世界第二位の経済大国です。これだけの経済大国が軍事大国でなかろうはずがありません。当然海外権益も増大しています。 海洋権益にも敏感です。海洋の安全にも国益を関わらせます。米国が長年とってきた行動は、現在の中国よりももっと激しくえげつない行動です。 中国の行動が日本にとって脅威のように写るのは、合わせ鏡のようなもので、日本の行動の反映でもあります。 中国のことを一旦 「脅威」 とレッテルを貼れば、安全保障政策上は軍事的対応が主流となります。これは危険なチキンゲームになります。 現ににそうなっています。

  私たちは中国の軍事大国化を受け止めて、それを日本に対する本当の脅威にしないという私たちの大胆さ(胆力)と柔軟さが必要ではないでしょうか。 なぜなら中国も日本との武力紛争を決して望んではいないのですから。むしろお互いに必要としている関係です。 中国は国連安保理常任理事国であることも忘れるわけにはいきません。東アジアの安全保障については中国との協調、協力が不可欠です。 中国を脅威と認定すれば、その意味は中国には日本を侵略する意図と能力があると判断したことになります。 それでは日本を含む東アジアの平和と安全、繁栄のために日中が協力、協調することなど不可能になります。

  日本が取るべき中国政策とすれば、歴史問題を適切に解決させる(国内世論の形成と中国政府、人民との協議、交流)、 両国の紛争の種を除去するための両政府の高いレベルやトラックKでの対話・交渉、共通の安全保障課題などでの取り組み(北朝鮮核開発問題、 EEZの境界画定交渉や海底資源の共同開発など)、中国との間で消極的安全保障(中国が日本を核攻撃しない)の協約締結交渉、 軍事的信頼情勢措置などなど、素人の私では思いつくことは限られますが。

  人権大会シンポが、このような 「グッドクエスチョン」 を発信できれば良いと思います。