2014.4.9

憲法9条と日本の安全を考える

弁護士 井上正信
目次  プロフィール

安保法制懇はどのような議論をしているのか(1)

第1 安保法制懇の議論の特徴
 現在与党内で集団的自衛権行使の憲法解釈見直し論を巡る議論が進行しています。 今国会中にも集団的自衛権行使に関する政府解釈を変更するための閣議決定を行うため、自民党内での意見集約、公明党との調整を図ろうとする動きです。 この中で集団的自衛権を必要最小限度のものに限定するという 「限定容認論」 が浮上してきました。 自民党や公明党内にある慎重論、反対意見が強い世論に対して、「いや実はたいしたことではないんだよ」、と見せかけようとするものです。

  しかし、一旦憲法第9条のたがを外してしまうと、いくらでも拡大することは可能ですから、「限定容認論」 はごまかしであることは明らかです。
  集団的自衛権行使の憲法解釈見直しは、安保法制懇の報告書の提出を受けてからなされようとしています。 安保法制懇は今進行中の自民党内と公明との意見集約、調整を見計らってから提出されるでしょう。5月中ともいわれています。
  安保法制懇がどのような議論をしているのか、その内容を批判しておくことは、 報告書が提出されてから急速に進む解釈改憲の動きに私達が備える意味があると思います。

 安保法制懇は、2013年2月に第1回会議を開き、その後2014年2月第6回会議を開き懇談会の議論を終えて、 現在報告書とりまとめの段階です。 安保法制懇の議論は以下の HP で議事要旨と配付資料が公表されていますのでご覧下さい。

  6回の会議の中では、集団的自衛権行使、グレーゾーン事態、国際協調活動、自衛隊出動の手続き簡素化、サイバー攻撃をテーマに議論しています。
  集団的自衛権行使では、米国のみならず韓国、オーストラリア、東南アジア諸国、インドとの間の集団的自衛権行使を想定した議論をしています。 行使の地理的範囲では地域的な限定をせず、我が国周辺から中東地域での行使も視野に入れています。 行使の態様では、船舶検査(臨検)、共同戦闘、機雷掃海を想定しています。

  グレーゾーン事態とは、「領域主権や権益等をめぐり、純然たる平時でも有事でもない事態」 と定義されています。 これは、昨年12月に閣議決定された国家安全保障戦略や新防衛計画大綱でことのほか重視されています。 なぜグレーゾーン事態が重視されるようになったのか?

  日本の防衛法制、有事法制は有事(武力攻撃やそれが予測される事態)と平時とで画然と区分されており、 有事には自衛隊が武力行使を含む軍事行動を取ることができ、平時には警察権を行使するという分け方です。 有事以外で自衛隊が出動するケースは、災害派遣は別にして、治安出動、海上警備行動、弾道ミサイル破壊措置、領空侵犯対処、機雷掃海、 在外邦人輸送です。これらはいずれも自衛隊による警察権行使であり、武器使用しかできません。 しかも警察、海上保安庁の活動では対処しきれないときに海上警備行動や治安出動が発動されるという関係です。 有事法制も平時には発動できません。武力攻撃事態や予測事態を認定してから発動します。

  グレーゾーン事態は現在の防衛法制では平時に該当します。ところが国家安全保障戦略、新防衛計画大綱がグレーゾーン事態を強調する意図は、 平時であっても自衛隊を対処活動の中心にしようとしているからです。具体的には尖閣諸島での日中間の紛争があります。 現在は海上保安庁が対処していますが、自衛隊がこれに代わって対処しようとするものです。 安保法制懇の議論は、自衛隊が対処すべきであるという結論に誘導しようとするものとなっています。 平時にあっても自衛隊という軍事力の役割を強めようとするものです。 尖閣諸島を巡る中国との国際紛争を武力で解決する政策で、憲法第9条に反することになりますし大変危険な軍事挑発的な政策になります。 詳しくは後に述べることにします。

  国際協調活動では、国連による集団的措置へ武力行使を含む参加を意図した議論をしています。
  自衛隊出動の手続き簡素化では、自衛隊が事態の進展に迅速に対処できるよう、平素から自衛隊に権限を付与しようというものです。 自衛隊の出動では、武力攻撃事態基本計画を策定し、その中で自衛隊の出動条項を書き込んで、 且つ、国会の事前承認という重厚な手続きが求められていますが、それでは自衛隊は有効な対処ができないというのです。 具体的には公海における米艦の防護では、この様な手続きを取っていたら事態は終わってしまっているからです。

  サイバー攻撃への対処では、サイバー攻撃への反撃の国際法上の根拠が問題になります。自衛権行使の対象になるのかという論点です。 国内法上もサイバー反撃は不正アクセス防止法違反になるかも知れません。

 この様に安保法制懇は、単純に集団的自衛権行使を容認させるための議論だけではありません。 憲法第9条と国内防衛法制では自衛隊ができない 「隙間」 がないか 「あら探し」 をし、だから集団的自衛権行使を容認すべきだ、 国内防衛法制を変えるべきだとの結論へ誘導しようとするのです。

  国内防衛法制や有事法制は個別的自衛権行使を前提にした法制度です。 限定的であれ集団的自衛権行使をしようとすれば、防衛法制全体を改正しなければ対応できません。 秋の臨時国会へ10数本の防衛法制を改正しようとしているのはこの意味からです。 安保法制懇の議論は、防衛法制、有事法制全体を改正するということを視野においた議論です。 2007年から2008年にかけて開かれた安保法制懇の議論は、いわゆる4事例について提言をしましたが、今回の安保法制懇の議論は、 より広範包括的な解釈改憲と防衛法制、有事法制の見直しを議論しているという点が大きく異なっています。
  では、詳しく議論の中身を見てゆきましょう。

第2 第3回で議論されたこと(5事例7ケース)
 第1回の会議において、「類型を挙げて対処を考えていくということでは、イタチごっこになる。 1981年の政府見解そのものを廃棄する必要がある。」 と勇ましい意見が出ています。 1981年政府見解とは、稲葉誠一衆議院議員の質問主意書に対する政府答弁書のことで、 この中で現在までの集団的自衛権は行使できないとの政府解釈が定式化されたものです。 「イタチごっこ」 になるというのは、おそらく2008年報告書で提言した4事例に対して、多くの専門家から非現実的だ、 個別的自衛権で対処できると批判されたことを意識していると思われます。「とにかく政府解釈を変更するべきだ」 と問答無用のような意見です。

  しかしそうは言いながら、第3回と第6回で具体的なケースを想定した議論をしているのです。 そうしながらも、これらの事例のみを合憲とすべしとの趣旨ではないと断っています。「限定容認論」 ではなく、包括的な解釈改憲を提言するというのです。

 第1事例 我が国近隣有事の際の @ 船舶の検査等、A 米国等への攻撃排除、 B ある時点で国連の決定があった場合の関連活動への参加
  安保法制懇は、この様な活動をしなければ我が国の存立が危うくなる、 この様なことができる法的基盤がなければ 「抑止」 が十分機能しないと問題提起をしています。

  この事例は朝鮮半島有事を想定しています。さらに台湾海峡での中台武力紛争への応用問題です。 朝鮮半島で北朝鮮と米韓連合軍とが武力紛争となった場合(第二次朝鮮戦争だ)には、米韓連合作戦計画5027が発動されます。 第1事例の想定は米韓連合作戦計画5027が発動された場合、 我が国がどのようなホストネーションサポート(HNS)をすることになるのかという基本的な事実を無視しています。 米韓連合作戦計画5027は湾岸戦争規模の大規模地域紛争を想定しています。その場合に朝鮮半島は韓国領土を含めて戦場と化すため、 我が国が米軍の出撃・補給・訓練・修理・休養・情報通信の拠点となります。 在日米軍基地(演習場を含む)はフル稼働状態、自衛隊の基地、施設も米軍との共同使用になる、民間空港や港湾も米軍のために提供されることになります。 その法的仕組みが周辺事態法や有事法制(米軍支援法、特定公共施設利用法)なのです。 じつは既にこの事態を想定した日米の共同作戦計画(CONPLAN 5055)が存在しているのです。 このことは既にこの連載コーナーで何度か言及しています(2013年3月13日 「日米の戦争計画に組み込まれる国民保護システム」、 2011年6月23日 「日米同盟(深化)の舞台裏」 など)。

  このHNSと比較すれば、@、A などささやかなものです。3ケースに自衛隊が参加しないからといって、我が国の安全が危うくなったり、 「抑止」 が十分機能しないなどということは考えられません。 問題はこの様な武力紛争に我が国が全面的に且つ総力を挙げて参戦するという選択をするのかが問われているのです。 その点を不問にして些細な米軍支援を全体状況から切り離して、さもそれをやらなければ日米同盟は崩壊するかのごとく描く安保法制懇は、 「いかさま師」 のようなものです。安全保障政策論としても落第点です。

  米韓連合作戦計画5027の下で、日本海は米韓連合海空軍が圧倒的な制海、制空権を確保しているはずですから、 この様な海域で北朝鮮を支援するための禁制品を海上輸送することはまずあり得ないでしょう。 むしろ中国領土やロシア領土から陸路北朝鮮へ物資を輸送するのではないでしょうか。

  米国等への攻撃も同様です。安保法制懇は、米軍と韓国軍への攻撃を排除することを想定していると思われます。 韓国は現状では日本と集団的自衛権行使を容認するとは思われません。米軍への攻撃排除も自衛隊の出番ではありません。 米軍自身が十分対処できる能力を持っているからです。 これを自衛隊が行うためには、たまたまそこへ居合わせた護衛艦が攻撃排除をするというようなものではありません。 武力紛争は綿密な作戦計画を予め策定しなければ遂行できない性質のものです。それが米韓連合作戦計画5027なのです。 自衛隊が米軍や韓国軍への攻撃を排除するための作戦を遂行しようと思えば、自衛隊と米軍、自衛隊と韓国軍との間で共同作戦計画を作る必要があります。 共同作戦計画だけでは絵に描いた餅にすぎません。共同作戦計画を実戦で生かすためには平素から共同訓練が必要です。 共同作戦計画を作る上でも共同訓練が欠かせません。自衛隊は韓国軍とそのようなことはできっこないでしょう。 日韓物品役務融通(ACSA)協定ですら韓国国民の強い反発で締結できない状態です。

  日本と米国、韓国との共同作戦計画を作るという意味は、米韓連合作戦計画5027と一連一体となった作戦計画ですから、 自衛隊と我が国が米韓連合作戦計画の一部に組み込まれることを意味しており、きわめて重大な問題です。

  安保法制懇が想定しているケースを議論する前提として、この様なことを我が国がすすめる事の是非を議論すべきです。 そもそも我が国が憲法解釈を変更してまでこのような武力紛争へ参加することが許されるのか、その必要があるのか、 武力紛争の性格、国際法上の合法性(米国による先制攻撃で始まれば、違法な武力攻撃になります)などきちんと議論する必要があります。

  また、このような事態を想定して憲法解釈を見直し国内法制を整備することが、我が国の平和と安全に寄与することになるのか、 それとも安全保障のジレンマで、かえって平和と安全を脅かすことになるのではないか、しっかり議論しなければなりません。 このような事態で我が国が参戦すれば、我が国も無傷では済まないし(中国との武力紛争になれば壊滅的被害も想定しなければなりません)、 膨大な国家財政を投入することになります。私達はこの様なことへの覚悟があるのでしょうか。

  94年朝鮮半島第一次核危機の際、米国は北朝鮮への武力行使を決意していました。北朝鮮の核施設への先制的武力攻撃を計画したのです。 それにより第二次朝鮮戦争となり、その際の戦争被害を国防総省は、死者は 100万人、米国人の死者は8万から 10万人、 米国の直接戦費 1000億ドル以上、戦争当事国と近隣諸国(主として中国と日本)での財産破壊や経済活動中断による損害1兆ドル以上と推定しました。

  96年台湾海峡危機の際、当時の橋本内閣は、偶発的な中台武力紛争が発展して米国が介入することから、沖縄本島への航空攻撃を想定しました。

  この様な武力紛争の当事者になることの是非について国民的な議論をしなければならないはずです。 私は絶対にこのような事態を起こしてはならないと思います。このような事態を回避することが憲法の恒久平和主義の要請であるし、 我が国が真剣に取り組まなければならない外交課題ではないでしょうか。

  安保法制懇が議論している程度のことで、この様な重大な問題の結論を出すことはできません。

  B ケースは、湾岸戦争をイメージしています。1999年の湾岸危機の段階では、米国等の軍事行動は、 イラク軍に侵略されたクウェートとの集団的自衛権行使であったし、 翌年から始まった湾岸戦争は安保理決議678号で多国籍軍へ武力行使権限が付与された国連の集団的措置でした。 つまり B のケースは、イラクがクウェートを侵攻したように、 北朝鮮がいきなり韓国へ武力攻撃を仕掛けた場合に始まる武力紛争(侵略)を想定していると思われます。 韓国は安保理決議がなされるまでは、個別的自衛権を行使して、米国は韓国との集団的自衛権を行使することになります。 では自衛隊は何を根拠に @、A を行うのでしょうか。それは韓国との集団的自衛権行使しか考えられません。 しかし、韓国は日本が集団的自衛権行使で加勢することを要請するでしょうか。現状ではまず考えられないと思われます。

  第二次朝鮮戦争が北朝鮮による先制攻撃から始まる可能性は低いと私は考えています。 むしろ米国による北朝鮮の核施設への先制攻撃で始まると考えられるのです。94年朝鮮半島第一次核危機がそうでした。 当時米国(クリントン民主党政権)は北朝鮮核施設への先制攻撃を決意していました。 この場合、米国や韓国は個別的自衛権行使で、我が国が集団的自衛権行使をするという関係にはなりません。 国際法違反の武力攻撃になるからです。B のようなケースは想定しにくいのです。

  @ のケースは臨検です。しかしながら、臨検は交戦権の行使であり、いくら憲法第9条の政府解釈を変更して集団的自衛権を行使できるとしても、 憲法第9条2項により交戦権の行使はできないはずです。

  安保法制懇が議論した第1事例3ケースは、現実には想定しにくい事例であるうえ、きわめて底の浅い議論をしているのです。 この様な議論により憲法第9条の政府解釈を改めるなどとうてい考えられません。