2014.4.14

憲法9条と日本の安全を考える

弁護士 井上正信
目次  プロフィール

安保法制懇はどのような議論をしているのか(3)

第1 なぜ安保法制懇はグレーゾーン事態を重視するのか
  安保法制懇は第6回会議でグレーゾーン事態を集中的に議論しています。なぜ安保法制懇はグレーゾーン事態への対処を重視するのでしょうか。 グレ−ゾーン事態への対処は、2010年防衛計画大綱(22大綱)で強く意識されていました。 安倍内閣が閣議決定した2013年防衛計画大綱(25大綱)では、グレーゾーン事態という言葉が7回も出てきます。 いわば防衛計画大綱のキーワードとなっています。我が国の安保防衛政策においてグレーゾーン事態対処が重要課題になっているのです。 尖閣諸島を巡る中国との紛争を意識しているのです。

  グレーゾーン事態の特徴として指摘しているのは、それが有事に速やかに移行する(ウォーニングタイムが短い)ということです。 そのため事態の急速な進展に対して、シームレスな(つぎ目のない)対処が重要だというのです。 つまり、本来グレーゾーン事態は平時であり、警察権行使の場面ですが、軍事力の出番を前倒ししようということです。 平時に自衛隊を出動させ、有事に備えた活動を前倒しで行わせようとすれば、自衛隊の出動手続きを簡素化しなければならないとの要求が強まります。 さらに現場部隊の権限を強化しろとの要求になるでしょう。安保法制懇の第1回会議でこの点の議論が出ています。

  ところで自衛隊法では、自衛隊が警察権を行使する場面は、治安出動、海上警備行動です(これ以外にもありますが省きます)。 いずれも自衛隊法第78条、第81条、第82条において厳格な要件が課されています。内閣総理大臣は閣議に諮ってから治安出動や海上警備行動を発令します。

  ところが海上警備行動については、要件がすこし緩和されています。1996年6月国連海洋法条約を我が国が締結する際、潜没潜水艦対策が問題になり、 1996年12月24日閣議決定 「我が国の領海及び内水で潜没航行する外国潜水艦への対処について」 がなされて、 総理大臣はその都度閣議にかけず海上警備行動を命じることができるようになりました。 内閣法第6条で、内閣総理大臣が行政各部を指揮監督する場合、閣議決定された方針に基づいて行わなければならない、とされていますが、 閣議決定は予め行っておくことが可能とされているからです。 2004年11月に中国海軍漢級原子力潜水艦が石垣島と多良間島間の日本領海を潜航した事件では、閣議にかけないで海上警備行動を発令しました。

  安保法制懇はこれでも不十分で「隙間」があると考えているのです。海上警備行動には、内閣総理大臣の命令という要件と併せて、 「特別の必要がある場合」 との要件があります。これは、「海上保安庁では対処が不可能あるいは著しく困難な場合」 と理解されています。 この要件を緩和することを考えているかも知れません。 そうなれば、グレーゾーン事態の特徴から、事態が発生している現場海域に海上保安庁だけではなく、 海上自衛隊の艦船、航空機が常に配備されることになるのでしょう。自衛隊法の改正あるいは別途領域警備法(仮称)の制定が必要になります。 でもこれはきわめて危険です。日中双方の軍によるにらみ合いになるからです。

第2 第6回で議論された5事例─続
 第1事例 潜没潜水艦の事例
  この事例は既に述べていますので、ここでは省きます。

 第2事例 海上保安庁等が速やかに対処することが困難な海域や離島において船舶や民間人に武装集団が不法行為を行う場合、 自衛隊が迅速に対応できることとすべき。現行の海上警備行動では不十分ではないか。

  これは1万キロ以上も離れた海域での海賊対処のことではありません。なぜなら今現在も海賊対処法で海上自衛隊が行動しているからです。 第6回会議での安倍総理の冒頭発言を議事要旨で見ると、彼は本土から数百キロ離れた離島や海域のことを述べています。 そうすると尖閣を想定しているのは間違いありません。 尖閣諸島へ中国の武装漁民(漁民を装った武装集団と言った方が良いかも知れません)が上陸した事態を想定しているようです。

  しかし、尖閣周辺海域には常時海上保安庁の大型巡視船複数が巡視警戒活動を行っており、対処できないはずはありません。 2012年には海上保安庁法が改正され、海上保安官が警察では対処できない離島での警察権行使ができるようになりました。 これは尖閣諸島へ中国や台湾の住民が上陸した場合に、陸上でも警察官職務執行法の職務権限を行使できるようにするためです。 むしろ自衛隊の方が迅速に対処できないでしょう。なぜなら上述したように、自衛隊法上の海上警備行動発動には厳格な要件が求められているからです。

  この事例が述べているのは、決して海上保安庁が対処できないということではないと思います。 むしろ海上保安庁に代わり自衛隊を積極的に活用すべきであるということに過ぎません。その場合でも海上警備行動では不十分だというのです。 海上警備行動に際しては、海上保安庁方が適用されます。能登沖不戦事件を教訓にして海上保安庁法が改正され、 船体に対する危害射撃ができるようになりました。一体どこに海上警備行動で不十分なことがあるというのでしょうか。 議事要旨を見ると 「領域警備法」 制定を求めています。海上警備行動よりももっと海上自衛隊の出動要件を緩和することを考えているようです。

  このようにこの議論では、必ず自衛隊の出動要件を緩和すべきということになるでしょう。 現場の部隊に予め権限を付与しておいて(国会の関与や、内閣総理大臣の関与をパスさせる)、 現場部隊の暴走を防ぐ措置として交戦規則(ROE)を定めておけば良いというのです。これは軍隊に対する文民統制を放棄することになります。 我が国の命運をかけなければならないような中国との武力紛争が、現場の部隊司令官の判断一つで決まるという事態も起こりうることになります。

 第3事例 外国で邦人の生命に重大・緊急な侵害が発生した際、当該外国政府が侵害を排除する意思又は能力を持たず、 他に救済の手段がない場合においては、当該外国政府の同意の有無にかかわらず対応すべき。 他国に邦人の保護・救出を頼り、それが不可能な場合には保護・救出をあきらめることとなってよいのか。

  この事例は、アルジェリアでイスラム過激派武装組織がプラント施設を攻撃し、 その際日本法人の日本人駐在員が犠牲になった事件を想定していると思われます。

  この事例で基本的な点を押さえておく必要があります。 すなわち、在外邦人の保護はいかなる意味でも集団・個別を問わず自衛権行使の問題ではないという点です。 在外邦人の生命身体に対する侵害が発生するとしても、我が国に対する武力攻撃ではありません。 また、在外邦人の保護の第一義的責任は在留国家にあるということです。 在外邦人保護のために我が国が他国に対して、その意思に反して主権的行為に及べば、それ自体他国の主権への介入となり、国際法違反となります。

  もう一つ重要なことは、これまで我が国の歴史において在外邦人保護は戦争の拡大、侵略戦争の口実に使われてきたということです。 台湾出兵、壬午軍乱、義和団事件、シベリア出兵、第一次上海事変など、アジアへの侵略戦争の主要な口実に使われました。

  じつは、第3事例の問題提起の仕方は、1976年6月にウガンダのエンテベ空港でのハイジャック事件で人質となったイスラエル人を救出するためと称して、 イスラエル軍特殊部隊が武力行使をした事を念頭に置いていると思われます。 この事件が国連安保理へ提訴された際、米国がイスラエルを擁護して、「領域国が保護する意思又は能力を持たない場合に、 生命身体に対する急迫した脅威から自国民を保護するため限定的な武力を行使する権利は確固として確立している。」 と主張したこと同じものだからです。 この時の安保理の議論では米国のこの主張は大方の理事国は反対でした。 理事国であった日本政府は、自衛権行使の要件を満たしているかという論点につき、 「見解を留保」 しました。さすがに国際法に合致するとは言えなかったのだと思います。

  自衛隊による在外邦人輸送活動では、先の臨時国会で自衛隊法が改正され、陸上自衛隊を派遣できることになりましたが、 その際の武器使用権限規定(第94条の5)は改正しませんでした。 安保法制懇の議論は、駆けつけ警護を含めて自衛隊の活動と武器使用権限を拡大することを狙っているものです。 しかしこの自衛隊の活動は、他国の反政府武装勢力との交戦も想定したもので、武力行使となって憲法第9条に違反し、極めて危険な活動になります。 また明白な国際法違反で、エンテベ空港事件のように安保理へ提訴されることもあり得えます。 このようなケースを想定する前に、そのような危険地域へ在外邦人が在留しないようにすることが先決でしょう。 憲法、国際法に違反してまで自衛隊を派遣するような問題では絶対にないはずです。 平和国家日本の自衛隊がイスラエルの特殊部隊と同じレベルの軍事活動をすることを私達は容認するのでしょうか。 平和国家日本が一変して 「無法者国家」 になるでしょう。

 第4事例 自衛隊の艦船等が我が国近海において警戒監視活動などに従事中、 他の船舶等(一定の場合の米軍艦艇も含む)が第三国の軍艦等から不法行為を受けているような場面に遭遇した場合、これに対応すべき。

  この事例は私にはきわめて想定しにくいものです。第三国がどこで、我が国近海はどの海域なのか? 最も考えられるのは、南シナ海の公海上で、 中国艦艇(軍艦や政府公船)がフィリピンの漁船等の民間船舶や政府公船に対して妨害活動などを行っている場合でしょうか。 「不法行為」 ですから武力行使の事案ではありません。この事例に対して自衛隊の艦艇が対応する法的基盤(根拠)はどこに求めるのでしょうか。 民間船舶に対する不法行為であれば、その船舶の国籍国が対応すべきことで自衛隊の出番はありません。 国連海洋法条約によりどの国の政府公船でも対処できる公海上の海賊行為ではないからです。 フィリピン政府公船に対する不法行為であれば、フィリピン政府が対処すべきです。 自衛隊艦艇の出番ではありません。これに対して自衛隊の艦艇が介入するとすれば、集団的自衛権を持ち出すことになるのでしょうか。 それもいわゆるマイナー自衛権としての集団的自衛権と説明するほかないのかも知れません。

  しかしながら、国際法では公海上の他国政府公船に対して自衛隊の艦艇は何らの権限を行使できませんので、 自衛隊の艦艇が助人に入る国際法上の根拠はありませんし、そもそも助人に入る必要性があるのかも疑わしいことです。 いわば他人同士の喧嘩をわざわざ買って入るようなものです。「国際協調主義に基づく積極的平和主義」 と言うのでしょうか。

  これが米軍の艦艇であっても同じことです。そもそも米軍の艦艇にどこの国の軍艦がちょっかいを出すというのでしょうか。 私が記憶しているものにプエブロ号事件があります。 1968年に米国NSAの情報収集船プエブロ号を北朝鮮領海侵犯を理由に北朝鮮が拿捕する事件がありました。 これは米国と北朝鮮と間で外交解決している。自衛隊の艦艇が助人に入れば、事態はもっと複雑困難になった可能性があります。

  他国間の武力紛争をわざわざ買って入るような軍事行動を、平和国家を掲げる我が国に憲法上容認されるのか、私達はこのようなことを容認するのでしょうか。 このことをしっかり議論しなければなりません。安保法制懇はこの点を抜きにして、結論先にありきの議論をしているのです。

 第5事例 「組織的計画的な武力の行使」 と判断できないような状況で、米国に向けて発射された弾道ミサイルがある場合、 自衛隊がこれを破壊できる場合は、これを破壊すべき。

  この事例が何を想定しているのか理解できません。「組織的計画的な武力の行使」 とは、政府解釈で武力攻撃のことです。 武力攻撃ではない状況での弾道ミサイルを米国に向けて発射する国がどこにあるというのでしょうか。 非国家的主体が弾道ミサイルを保有して発射することはあり得ないでしょう。 この様な非現実的な想定をしてまで憲法解釈を見直さなければならないのであれば、そもそも見直す必要性はないということです。

第3 安保法制懇はどのような提言をするか?
 北岡座長代理が提起するもの
  外務省のオピニオン誌といわれている 「外交」 2014年1月号 「日本版NSCと中国の挑発」 という特集の中での、 「『積極的平和主義』 の実践に不可欠な司令塔」 との表題の安保法制懇北岡座長代理のインタビュー記事が掲載されています。 その中で北岡座長代理は、新防衛計画大綱、国家安全保障戦略、日本版NSC、秘密保護法が集団的自衛権行使の容認とワンセットであると述べ、 当面の焦点として次の三つの事例を挙げています。
     周辺事態での米軍支援
       周辺事態法、同船舶検査法改正、自衛隊法改正
     国際協調活動での武器使用権限と活動の強化拡大
       PKO協力法改正、一般法制定
     シーレーン防衛

  これらが安保法制懇報告書の柱になることは間違いないでしょう。 この他にグレーゾーン事態について自衛隊による武力行使又は武器使用を提言すると思われます。

  安保法制懇は、以上の議論を通じて憲法解釈を見直して、集団的自衛権が行使できること、 国連の集団的措置には憲法第9条が適用されないとの見解を打ち出すはずです。 その上で、周辺事態法、自衛隊法の改正、集団自衛事態法の制定、自衛隊海外派兵一般法の制定などを提言すると思われます。 いずれも国家安全保障基本法案(概要)が求めている下位法です。

  2008年安保法制懇報告書は、4事例について憲法解釈を変更して可能とすべしとの内容でした。限定された事例を通じて一点突破を図ろうとするものでした。 現在安保法制懇が議論している内容は、これまで説明した事例から窺えるように、より包括的に集団的自衛権の行使容認と、 武力行使禁止原則の撤廃を意図したものといえます。

  2008年報告書は、4事例についての提言ですが、一方では憲法9条解釈論を展開しています。その解釈はきわめて特異なものです。 9条1項は侵略戦争を放棄するもので、自衛戦争、制裁戦争は可能とし(ここまでは通説又は多数説)、 9条2項 「前項の目的を達成するため」 を侵略戦争放棄という目的と理解するのです(限定放棄説、きわめて少数説)。 また、9条の武力行使禁止原則は、国連の集団的措置には適用されないと解釈するのです。この解釈では、憲法第9条はもはや無いも同然です。 国際法に反しない限りできるからです。

  今回の安保法制懇も同様の憲法解釈を打ち出すと思われます2008年報告書の時と同じメンバーだからです(正確には1名が追加されています)。 安保法制懇報告書を批判する場合、憲法9条の解釈論から批判することはできるでしょう。私はそれよりも立法事実論の方が重要と考えています。 現在声高に主張されている憲法解釈見直し論は、私には大変奇異に感じるのです。憲法解釈論の範囲にとどまっているからです。 憲法解釈論にはいろんな学説があるので、解釈として可能だと言えば、それ自体は議論としてはあり得るので、完全に間違いとは言いがたいかも知れません。

  しかし、肝心な点は、なぜそのような解釈に変更するのかという立法事実論のはずですが、これがほとんどありません。 政府高官の間でも、地球の裏側まで行使ができると言ったり、周辺地域までだと言ったりするのは、立法事実論が抜け落ちているからと思います。 立法事実論は、別の言い方では政策論です。なぜ我が国が集団的自衛権を行使するのか、なぜ国連の集団措置で武力行使をするのか、 解釈の変更で何をしようというのか、どの地理的範囲で、どの国と、 どのような集団的自衛権を行使するのかといった肝心の議論が全くといっていいほどなされていません。 安全保障環境の厳しさを主張しても、それは理由にはなりません。なぜなら、北朝鮮や中国の脅威は個別的自衛権の問題だからです。 国際平和は一国だけでは達成できず、国際社会との協力が必要だと主張してみても、ではなぜ我が国が武力行使で参加するかという説明にはなりません。

  2008年報告書は4事例について提言しましたが、いずれも非現実的であるとの批判を受けました。 そのためか、今回はより多くの事例とより包括的な見直し議論を重ねているようです。 さらにこれらの事例のみを合憲とすべしとの趣旨ではないこと、類型を挙げて対処を考えていくということではイタチごっこになるから、 1981年の政府見解そのものを廃棄する必要性があるなどと勇ましい議論をしています。 この議論は私には、必要性や理屈はどうでもよい、とにかく政府解釈を見直すのだと聞こえるのです。 だが、政府解釈を見直すことを提言する以上、その立法事実論は丁寧になされなければなりません。立法事実を根拠づけるのが具体的事例であるはずです。

  ところが、具体的事例を検討したことからわかるように、いずれもその前提事実を考慮していなかったり、全体状況を無視していたり、 国際法上の根拠を無視したり、非現実的な想定をしているのです。 具体的事例で集団的自衛権を行使すること、武力行使をすることが当然の前提になった上で議論をしているのです。 しかし具体的事例の前提自体を問題にして議論をすべきです。

  前掲の 『外交』 で北岡座長代理は、なぜ憲法改正ではなく解釈見直しなのかという質問に対して、憲法改正には10年はかかる、 10年先には中国の軍事力は今の4倍になる、日本の安全にとってそれで間に合うのか、と述べています。 これが解釈改憲論者の本音だと思いました。安保法制懇の議論は、 私の目には 「不安神経症に取り憑かれた軍事オタクの非現実的な戦争シミュレーションのような議論」 に思えて仕方がないのですが、すこし言い過ぎでしょうか。

  最後に、安保法制懇の構成を指摘しなければなりません。憲法解釈を見直すと言いながら、懇談会14名の内、憲法学者と言える委員は西修氏のみです。 あとは国際政治学者や元統幕議長、元外務官僚などです。 このような構成で憲法解釈、それも、一つの提案というのではなく政府解釈を見直すというのですから、 安保法制懇には、およそその能力と資格はないと言わざるを得ません。

  安保法制懇の報告書は5月連休明けにも提出されるのではないかと報道されています。 それを受けて9条解釈について政府方針を出し、その後解釈変更の閣議決定に持ち込もうというスケジュールのようです。 安保法制懇報告書が発表されれば、直ちにその内容を批判して、憲法解釈見直し論に対して先制的な反撃を開始しなければなりません。 この3回シリーズはそれに向けての準備作業としてまとめてみました。お読みいただき多くの方に議論していただきたいと願っています。