2008.1.14更新

メディアは今 何を問われているか

日本ジャーナリスト会議会員
 桂 敬一
目次 プロフィール

グローバリズムの時代
──日本国憲法の出番

  正月の新聞各紙をいくら読んでも、新しい年の展望を示してくれるようなニュースや論評にお目にかかれず、なんじゃこれはと呆れていたが、 1月9日・朝日朝刊の外信面コラム 「風」 に遭遇して、フム、ちょっといいぞ、と嬉しくなった。 各地特派員が回り番でご当地状況を解説的にリポートする欄だが、これは、岸善樹記者の 「EUの優等生 国薄れ もがく」 と題する、ブリュッセルからの便り。

  EU=欧州連合の本部があるブリュッセルを首都とするベルギーは、南部=フランス語圏と北部=オランダ語圏を抱えた連邦制をとっている。 連邦政府が国として中央的な大きな力を振るっていたときは、両地域はその枠内におとなしく収まっていたが、 EUの優等生、ベルギーが統合のメリットを受けて繁栄、政治・経済に関する国の役割をEUに譲っていくのに伴い、 社会慣習、言語文化、宗教などを異にする地域の存在が大きくなり、抑えられていた対立が表面化しつつある、というのだ。 公文書の使用言語をめぐり、最近ベルギーで紛争が生じているというニュースは、日本でも報じられていたが、これでその背景がよく理解できる。

  岸記者の慧眼は、そうであるならば、EUの統合が成功、域内各国の国の影が薄くなればなるほど、どこでも似たような地域対立、 さらには分離・独立騒ぎが起こるのではないか、という点に行き着く―─たとえば、「英国スコットランド、イタリア北部、スペイン・カタルーニャ自治州・・・」 と。 さらに付け加えればフランス・スペインにまたがるバスク、フランスのブルターニュ、チェコのズデーテン (分離独立かドイツ併合) なども、入ってくるはずだ。 問題は、こうした動向を歴史の進歩とみるのか、退歩あるいは逆流とみるのかだ。残念ながら、岸記者はそこまでは踏み込まない。

  EUは国民主権国家の限界を統合という方法で乗り越え、北米、日本・ASEANなどの経済的な地域連合に対抗可能な経済ブロックを形成することを目指し、 今や押しも押されもしない地位を築くにいたった。だが、この歴史的進歩、地政学的な成功は、ベルギーに生じたような矛盾を伴わないではおかない、 とするまでが岸記者の見解であろう。しかし、成功裡に進展する主権国家の解体・統合過程内でなくとも、第二次大戦終結以後の植民地の解放・独立、 冷戦構造の崩壊、イラク戦の失敗=アメリカ単一軍事支配体制の終焉という現代史全体のプロセスは、 経済のネオ・リベラリズムとグローバリズムのアナーキーな渦巻きをますます巨大化し、これに巻き込まれた主権国家はあらゆるところで拠って立つ基盤を揺るがされ、 地域の抵抗や反乱に出会うことになった。

  いってみれば、チェチェンとロシアの対立、コソボの独立、クルドのトルコ・イラクからの分離、、スーダンの部族間戦争、 アフガニスタン・パキスタンの宗教紛争・民族対立、中国国内の民族問題、台湾問題、南北朝鮮統一なども、ネガティブな色彩が強い状況の下とはいえ、 ベルギーの問題と同じ根をもっている。こららの方は、もともと地政学的な破綻、あるいはアノミーというべき問題として存在してきた。 対立する当事者のどちらか一方の主張を正しいとし、そちら側にのみ主権国家としての存立を許す、などの解決は到底できない。 言い換えれば、第2次大戦の戦勝国が国家連合としてつくった国連の論理では、もうとても解決できない問題なのだ。 そしてそこに、これほど悲劇的で、切迫してはいないにしても、EUやベルギーのようなところまでもが、同じ問題を抱えるようになったというのが、 今みえてくる全体の構図であろう。

  現在のグローバリズムが、あらゆる主権国家および強大な主権国家たらんとする国を席巻すればするほど、 地球規模の社会的・文化的参加から排除される地域、排除されていると感じる市民が出てくる。 そこに生じる問題は、武力による国権の行使では絶対に解決できない。余計に問題をこじらせるだけだ。ましてや他国が武力干渉するならば、 問題を増幅、拡大するばかりだ。まさに日本国憲法の出番ではないか。 非戦、非武装、非核の立場を貫く日本こそ、世界が異なる地域、、民族、文化の独自性を認め合い、共存していくもう一つのグローバリズムを、 最も説得的に提唱できる国ではないか。当然、北方4島・尖閣列島・竹島をめぐる問題、アイヌ先住民問題、沖縄基地問題などの解決策も、 新しいビジョンの下で再構築していく必要がある。

  各紙新年の社説・企画報道は、さすがに地球温暖化は型どおり取り上げていたものの、あとは、新テロ特措法がどうなるか、日米同盟は大事だ、 などの、せこい話ばかりが氾濫、うんざりさせるものだった。岸記者の問題指摘をフォローし、気宇壮大な未来の眺望を描き出していくことをこそ、やってもらいたいものだ。
2008.1.14