2008.4.1

メディアは今 何を問われているか

日本ジャーナリスト会議会員
 桂 敬一
目次 プロフィール

「8人殺傷事件」と「ホーム突き落とし事件」の警告
死刑制度と裁判員制度はこのままでいいのか


  3月23日、茨城・土浦市のJR荒川沖駅とその近くで、通行人など8人が次々に刃物で襲われる殺傷事件が発生した。
  24歳の加害者の男はその後、近くの交番に出頭、犯行を認めたが、彼は別の殺人事件で指名手配されていた容疑者だった。 この動機不明の8人殺傷事件は新聞・テレビで大きく報道され、得体の知れぬ恐怖を人々に感じさせたが、その衝撃の余波が消えない25日、 今度はJR岡山駅で18歳の少年が、夜遅いホームで電車を待っている帰宅途中の男性をいきなり背後ろから襲って、進入中の電車の前に突き落とす事件が起こった。 線路内で電車にはねられた男性は、収容先の病院でまもなく死亡した。少年は家出のようにして大阪からきたばかりで、男性とはまったく面識はなかった。 警察は少年を殺人容疑で取り調べることになったが、彼が 「誰でもよかった。最初は人を刺してやろうと思っていた」 と語っていたことが報じられると、 この事件の不可解さもまた、底知れない不気味さを全国に広げていった。

  二つの事件に挟まったかたちで26日の各紙朝刊は、最高裁がいわゆる袴田事件について、72歳になった元ボクサー、袴田巌死刑囚の特別抗告を棄却、 再審請求を棄却したニュースを報じた。
  この事件は1966年6月、静岡県の味噌会社専務の一家4人を、住み込み従業員だった袴田死刑囚が殺害、 金を奪ったとされた強盗殺人事件で、彼は逮捕後、取り調べ段階では自白したが、公判開始後は犯行を否認した。 68年静岡地裁で死刑判決を受け、その後控訴を繰り返し、80年に最高裁で刑が確定した。
  だが、弁護団はその後も新証拠の発見に努め、それらを踏まえて再審を請求、静岡地裁、東京高裁では棄却されたが、2004年9月には最高裁に特別抗告を行い、 再審の開始を求めていた。だが、最高裁は新証拠を認めず、抗告棄却の決定を3月24日付で下したのだ。 事件の発生から42年、再審請求からでも27年、袴田死刑囚は40年以上も東京拘置所に収監され、長年の拘束生活から拘禁症状が出て、 面会もできない状況にあるとも伝えられる。

  この3つのニュースに接し、ある種いいようのない不安に襲われた。
  ひとつは、人も家族も、地域も社会も、そして国も、はっきりした理由、原因もわからないまま、 果てしなく崩れていくのではないか、と感じられる不安だ。どうしたらいいのか。 犯罪を厳しく取り締まり、犯罪者を容赦なく罰し、見せしめにすれば、崩壊は食い止められるのだろうか。いや、それではダメなのではないか、という不安も重なる。 山口 ・ 光市母子殺害事件以後、被害者の人権の重視、被害感情の尊重が叫ばれるようになった。 そうした風潮の広がりのなか、土浦 ・ 8人殺傷事件の粗暴な加害者は、別件の殺人の容疑者でもあり、裁判で極刑に処すべしとする判決が出ることも考えられる。 また、岡山駅突き落とし事件の加害少年の、凶悪で奇矯な犯行についても、彼が未成年であれ、遠慮することはない、成人並みに厳しく処罰せよ、 とする声が澎湃として起こってくる可能性がある。
  しかし、それらの見せしめによって、類似の犯行を防止する効果があがるのだろうか。そこのところは大いに疑問だ。 むしろ逆効果になるおそれさえあるのではないか、と思う。

  そしてもうひとつの不安が、死刑制度のあり方だ。
  昨年8月、就任した鳩山邦夫法相は、死刑執行命令書に大臣署名を行わず、 自動的に刑が執行できる、なにか合理的な方法はないかと発言、批判を浴びたが、その後これまでに6人の死刑を執行、 法相としては異例ともいうべき死刑推進者ぶりを示している。 ならばいま、特別抗告を棄却され、再審の道を絶たれたかにみえる、心を病んだ袴田死刑囚に対する執行命令書に、法相はなにもためらわずに署名できるのだろうか。
  袴田死刑囚の実姉は、第2次再審の追求を口にしている。多くの支援者も最高裁の棄却決定に納得していない。冤罪の可能性が否定しきれない。 しかし、土浦 ・ 8人殺傷事件の場合は、加害者本人の自供がそもそもあり、犯行状況も明白で、証人 ・ 証拠に不足はない。 これなら無辜の被害者や、被害者家族の無念を思い、それを癒すためにも、また類似犯罪の再発を防ぐためにも、死刑制度にそれなりの役割を期待することができる、 と主張する声が聞こえてきそうだ。だが、死刑制度がある限り、袴田死刑囚のような存在が生まれてこざるを得ないのも事実である。 この堂々巡りをどこかでうまく断ち切り、合理的に死刑制度を確立するのは、至難の技だ。
  裁判員制度の実施が始まる。死刑制度存続のまま、被害者尊重、裁判厳罰化の風潮の強まるなかでこの制度が動き出せば、 裁判員は死刑制度の励行に動員されることになるおそれがある。

  2001年8月、大阪・池田市の大阪教育大附属池田小学校に暴漢が侵入、学童8名を刺殺、教員・学童多数に重軽傷を負わす事件が発生した。 犯行者、職業不定の宅間守 (37歳) は、「エリート・コースを歩く連中に恨みを晴らしたかった」 と述べたが、これも動機不明であり、 事件が社会に及ぼした衝撃は大きかった。だが、事件もさることながら、03年8月、大阪地裁が死刑の判決を下すと、宅間被告が控訴を取り下げ、 翌年9月には早々と処刑を受けたことのほうが、私にはショックが大きかった。
  犯人は処罰された。だが、彼がなんであれほど残酷で、無謀な犯罪を行ったかの理由、事情は、まともに解明されずに終わったのだ。
  そして、宅間処刑の2か月後、奈良の新聞販売店従業員、小林薫 (36歳) が小学校の女児を誘拐、いたずらしたあと殺し、遺体を遺棄、捕まった。 06年9月の奈良地裁による死刑判決に対して、小林被告も控訴を取り下げ、即座の処刑を希望した。 弁護人が控訴取り下げ無効の手続きを大阪高裁に対して取り、小林被告は拘置されたままだが、暗い成育履歴をもつ彼が無惨な犯行に及んだ経緯も、 解明が進んだとはいえない。
  土浦 ・ 8人殺傷の犯行者、24歳の青年の孤独な生活や、岡山駅突き落とし事件の少年が、大学進学の希望を絶たれ、 「誰か殺せば刑務所に入れてもらえるだろう」 と思い、犯行に走ったことなどを知ると、宅間死刑囚、小林被告の不幸や悲劇が日本のいたるところ、 若い世代にまで広がるようになったのではないかと、不気味さがいっそう募る。

  これらの動機不明の犯罪は、犯行者自身にも理由や原因が正確にはわからないまま、起こっているのが実情ではないか。 ただ共通していえるのは、ある日、突如犯行に至るまでの長い年月、彼らが、十分な社会的参加の機会に恵まれず、むしろ彼らにしてみれば、 納得のいかないまま、ある種の外部的な力によって自分が社会的に排除されていると感じざるを得ない境遇に置かれてつづけてきた、と推測できることだ。
  近代司法制度としての裁判は本来、犯罪個々について、そうした具体的な事情を余すところなく解明、犯罪予防について有益な教訓を得る責務があるのではないか。 1人の犯罪者と1個の犯罪事実との対応関係のなかで量刑を定め、懲罰を科すだけで終わって、いいものであるわけがない。 そのような裁判が死刑を繰り返すだけなら、最後の破壊行為で自己の存在を確認するために、 あるいは自分に不遇をもたらした相手もわからぬままのルサンチマンを晴らすために、凶悪な犯行も辞さないとするものは、死刑を、自己存在確認の最大の証明、 自覚的な非行に対する最高の褒賞と受け止め、それがある限り、かえって社会への盲目的な復讐に精出すことになりかねないのではないか、と恐れる。
  それでは私たちは、死刑を選び取るものたちによって威嚇され、復讐され、加えて冤罪の恐怖にもさらされることになる。

  イスラエルによって故郷を追われたパレスチナ難民の最後の抵抗手段は多くの場合、身を挺しての自爆攻撃だ。 イラク戦争で占領をつづけるアメリカ軍に対しても、親きょうだい、子どもを殺され、家を破壊された住民 ・ 難民の多くが、自爆攻撃でアメリカ軍に抵抗、復讐を試みる。 攻撃を受ける側はこれを自爆テロというが、テロは、巨大な破壊・殺傷力をもつ近代兵器による、イスラエル軍やアメリカ軍の侵略 ・ 攻撃のほうではないか。
  現代日本の、死刑をいとわぬ理由なき殺人者、むしろそれを望む凶悪犯罪者の出現は、パレスチナやイラクの住民・難民の自爆攻撃を連想させる。 状況を構成する要因はまるで違う。しかし、失うものはもうなにもない──残るのは自分が舐めさせられた不公正や不遇に対する不同意の表明だけだとする、 深淵のような絶望が共通して認められる。
  昭和9 (1934) 年、東京 ・ 蒲田区 (現大田区) に日蓮会殉教衆青年党という信仰集団が出現した。 日中戦争が本格化する時代のなか、時局に迎合せず、宗祖・日蓮の教えを忠実に実践するとする、戦闘的な集団だったため、警察の監視対象とされ、 指導者 ・ 幹部の逮捕 ・ 拷問などの弾圧を蒙った。彼らは屈せず、集会で 「死のう、死のう、死のう」 と叫んで敬礼を繰り返し、結束を固め、 37年には5人の青年が、国会 ・ 外務次官邸 ・ 皇居 ・ 警視庁 ・ 内務省の前で 「死のう」 と叫んで割腹自殺を試みた。「死のう団」 事件だ。
  現代の若者の自己破壊につながる凶悪犯罪の続発は、集団的な行動ではないが、背景となる時代の相を映し出す点で、 共通するものがあるように思わせる。 

  新聞もテレビも、現代の凶悪な犯罪事件を、犯行者の悪辣さや異常性、被害者やその家族の悲劇などを中心に報じるだけでなく、 社会の病としての犯罪の特徴や問題点を明らかにすることにもっと重点を置き、報じてくれないものかと、つくづく思う。 とくに裁判報道に関していえば、裁判がそうした本来の役割、犯罪の問題点の解明にきちんと努めているかどうかに着目、大いに批判的に報じてもらいたい。
  裁判員制度の下の裁判では、裁判員を国家の側に、人質に取られて、取材・報道の面で裁判批判がやりにくくなるおそれがある。 そんななか、厳罰主義、死刑制度維持は当然という国側のリードのなかで裁判が進められ、裁判員がそれに翼賛する役回りを果たさせられることとなったら、 日本の 「自爆攻撃」 を志すもの、現代の 「死のう団」 を、いたずらに挑発し、また、巻き添えで冤罪者を生む危険も余計に招き、ろくなことにはならない。
  メディアは社会の理性化、沈静化に全力を挙げなければならない。21世紀に入って、EUは欧州人権条約に基づいて法的に死刑制度を廃した。 隣国=韓国は1997年における執行を最後に10年以上、死刑を行っておらず、国際的に死刑制度撤廃国とみなされるに至っている。
  日本は何年もの間、国連規約人権委員会から代用監獄の廃止、死刑制度の見直しを促されているのに、まともな検討をしたことがない。 鳩山法相の下、かえって死刑制度は粛々と強化される感じだ。言論機関は、こういう事態を黙っていみているだけでいいのだろうか。

  テレビ朝日が3月19日に放送したシリーズ ・ ドラマ、「相棒」 (直近シリーズの最終回) を、たまたま見た。
  25年前に強盗殺人で死刑宣告を受け、最高裁での刑の確定後、20年も獄中にいる死刑囚が病死する。この囚人は冤罪の可能性があった。 年老いた父親が再審実現のため、奔走していた。捜査を担当した刑事も検察官も、有罪に自信がなく、ずっと苦悩を引きずっていた。 とくに地裁で事件を受け持った左陪席 (任官の新しいものの席) だった裁判官の苦悩は深かった。 彼は無罪を主張したが、裁判長と右陪席の2人の判断で有罪とされたからだ。判決文は新任の彼が書かされた。 さらに、法務大臣時代、この死刑囚の死刑執行書に署名できなかった老女がカトリックの修道女になっていたが、 彼女は、歴代法相がこの死刑囚の執行命令書には署名しなくてもいいと、内密で申し送りしていたのを知っていた。 また、彼女が師と仰ぐ神父は、教誨師としてこの囚人に、従容として主のもとにゆきなさいと促したことがあり、後悔に苛まれいる。 この死刑囚の獄死後、真犯人が時効後でもあり、隠していた盗品を動かそうとしたため、「相棒」 の主人公、警視庁特命係のふたりに捕まるというのが筋だが、 彼らの捜査の進展とともに、上記のような苦悩を抱えた関係者の姿が明らかになり、冤罪のものを獄死させた国家の罪も明らかにされていく。
  この放送後に袴田死刑囚の特別抗告棄却が報道されるが、読売 (3月26日朝刊) は、袴田事件1審の裁判官だった橋本典道氏が昨年3月、 「自分は無罪の心証だったが・・・2対1で死刑が決まった」 と告白、法曹関係者のあいだに一石を投じ、波紋を広げていたことを報じた。 「相棒」 の脚本家はこの事実を知っていたのではないか。
  ミステリー仕立てで興味を引きながらも、観るものに、このドラマの本当の主人公は死刑制度であり、脇役は裁判員制度であることを、理解させる秀作だった。 エンタテインメントでも、死刑制度がむしろ司法のかたちを歪め、人間性や文明のあり方に深刻な影響を及ぼす危険があることを、示せるのだ。 言論報道には、もっと大きなことができるはずだ。