2008.4.17

メディアは今 何を問われているか

日本ジャーナリスト会議会員
 桂 敬一
目次 プロフィール

もうデフォルトに戻す時期ではないか
―「後期高齢者医療制度」が示す社会保障の行き詰まり―


  4月1日、「後期高齢者医療制度」 が実施となった。2日の朝刊各紙は、新制度適用者約6万4,000人に新しい保険証が不達という官側の不手際を、大きく伝えた。 テレビは、保険証は受け取ったけれど、その取り扱い方がわからない老人が、市町村役場の窓口に大勢押しかけてきた光景を、競って報じた。
  そして15日は、その保険料が、これら新制度適用高齢者の受け取り年金から天引きされる最初の日の到来だ。 この日の朝刊各紙はそのことを伝え、各紙各様に問題点なども指摘したが、あと2年半ほどで後期高齢者に仲間入りする筆者からみると、 それらの紙面、それにテレビの報道は、なんともかったるいものばかりだった。健保と年金、両制度の改悪結果が一体化し、後期高齢者のうえに襲いかかってきた。 だが、なんでこんなことになったのかという根本原因に斬り込んだ視点や理解が、ほとんど欠落している。
  今回のことは、高齢者にとってのみ重大な問題だというものではない。対極にあり、国民健保にしか入れない若者 (それにすら加入できない若者も多い)、 無年金で制度外に放置されたままの若者にとっても、大いに関係のある問題なのだ。
  多数の若者がまともな健保 ・ 年金制度からオミットされる結果を生んでいる根も、新しく高齢者を襲った事態発生の根も、実は深いところで通じ合っている。 全国民はいま、大きな怒りをもって国のやり方を批判し、メディアに対しては、社会保障制度再建という、根本的な問題解決を目指した提言を行うよう、 一致して求めていく必要がある。

  日本の公的健保 ・ 年金制度は、戦時中の1940 (昭和15) 年、所得税の源泉徴収制度がスタートしてから本格的に整備され、加入者が飛躍的に増大、大きく発展した。 加入者の所得から両保険料も天引きできたからだ。このやり方は、ドイツ・ナチ政府の発案したものだ。
  標榜する国家社会主義の建前上、社会保障政策に力を入れ、国民の支持を獲得する必要があったわけだ。 だが、健保制度の整備には、戦争政策の遂行が必要とした急速な重化学工業の規模拡大を支える、大量の労働者の健康保護の狙いがあった。 年金に至っては、制度発足当初は受給者はほとんど発生せず、大量の加入者の支払う保険料が積み立てられていくばかりだったので、 ちょっとこれを拝借、戦費に使わせていただく、というのが本音だった。 こうしてドイツでは国民皆保険、国民皆年金の仕組みができあがった。
  そして日本でも、このやり方が真似られ、戦時中に政府健保制度と国民健保制度 (地域組合方式)、厚生年金保険制度が整備された。 後者に関してはその 「強制貯蓄的機能」 が期待され、結果的に日本でも、集まった巨額の積立金は、 戦費に使われていった (百瀬孝 『事典 昭和戦前期の日本 制度と実態』 吉川弘文館)。

  こうして始まった公的健保 ・ 年金制度には、いろいろ問題はあったが、国民皆保険 ・ 皆年金というその制度のあり方は、戦時共産主義的な色合いは濃かったけれど、 「能力に応じて負担し、必要に応じて受け取る」 とする、社会保障政策が本来もつべき自助 ・ 互助、平等 ・ 互恵の原理が組み込まれ、 それがうまく作動する特徴が認められた。その運営は、異なる性、年代、居住地、職業、所得階層の人々をできるだけ多数含み、多少のイレギュラーな変動は、 規模の効果によって平準化され、十分吸収していけた。
  そして、このようにしてできあがった制度の原型は、加入者から税金とは別に保険料徴収を行って運営する制度、原資の全部を税金で賄い、 全国民に適用する制度、の違いは生じたものの、主にヨーロッパの社会民主主義政権ができた国々では、いまも受け継がれ、そのうえで制度整備が繰り返されてきている。 だから、イギリスも含め、EUでは付加価値税が、日本の消費税とは比べものにならないほど高率なのに、国民から文句が出ないのだ。
  アメリカは一時はこうした欧州型の公的制度に向かう動きもあったが、レーガン大統領時代に決定的に 「能力に応じて負担し、 能力に応じて受け取る」 医療 ・ 年金制度=民間金融 ・ 証券 ・ 保険企業の提供する有料サービスに委ねる、とする部分が肥大化し、今日に至っている。

  日本ではどうか。筆者は1959年に大学を出て就職、加入者本人 ・ 所属企業 ・ 国の3者がほぼ平等に原資支出を負担する政府健保と国の厚生年金保険に加入した。 皆保険 ・ 皆年金の方式が維持されていたのだ。
  だがその後、まず健保が変わった。大企業に独立の健保組合の設立が許されたのだ (のちに複数企業の連合型組合設立も許可)。 つづいて年金も大企業の独立基金設立が認められた (これものちに連合型基金組合設立が許可)。
  こうなると、所得 ・ 生活水準ともに高い加入者を抱えた健保組合は、資金は潤沢、疾病罹患率は低くて保険支出は少なく、余剰資金を保養所建設 ・ 運営など、 社員の福利厚生政策にも利用できることになった。 年金基金においても同様のことが起こった。大手証券会社を一任勘定で抱き込み、運用益の最大化を独自に図り、国の制度の給付を上回る給付を実現、 人件費管理を有利に進めることができた。これによってどんなことが起こったか。
  いってみれば、経済負担力が乏しく、それゆえに疾病罹患率も高く、保険支出が多くなりがちな企業、加入者が、こっちに残ることとなったのだ。 規模の効果を保つことのできる、皆保険・皆年金の仕組みはこうして壊されていった。

  それでもまだ、国民健保、国民年金など、国が責任を持つ制度が社会保障の基礎を支えていた。 ところが、バブル崩壊後の 「就職氷河期」 到来という外部環境の変化と小泉構造改革という政策措置によって、 公的な健保 ・ 年金の制度そのものが壊滅の危機にさらされる状況が出来した。
  大きな原因は、雇用状況の悪化によって、長期の勤務継続が期待できる、正規社員の就職機会が少なくなってしまったことだ。 これに構造改革による派遣法の改悪が追い討ちをかけた。
  とくに年金は、過去勤務債権 (後払いされる賃金) という性格をもつため、長期勤続が裏付けとしてなければ、十分な金額は生まれない。 長期の勤続に伴う年金から切り離された、このような国民年金だけでは、老後暮らせるものではない。
  永続的な仕事に就けない若者は、そんなものは見向きもしなくなった。 国民健保も基本的には、長年の会社勤めに伴う健保のおかげで維持できた健康を土台に、退職後の助けになってもらいたい、というものだ。 だが、そういう関係も、国の健保として残された部分では、どんどん断ち切られるようになっているのが実情だ。

  さらに厄介な事態も生じている。バブル崩壊不況の長期化、ゼロ金利時代の永遠化ともいうべき状況のなか、企業による年金基金 (組合) が、二極分解しだしたのだ。 よほどの資金力と、有能な資金運用管理機関の協力がない限り、独自の運用益など生み出せなくなったからだ。 運用益が出せないだけではない。積立金に手を付けなければ給付ができなくなってきたところも少なくない。
  このため、国から原資を預かり、国に代わって運用してきた代行部分 (加入者の報酬比例部分) を国に返上、国の制度に戻る基金 (組合) が続出している。 戻れるところはまだいい。基金 (組合) をつくったとき、年金を高くするから代わりに退職一時金は低くする、というような合理化をしたところは、戻るに戻れない。 結果的に加入者は、低くされた退職金、基金 (組合) が維持できる程度に低められた年金しか期待できない。 これでは国の厚生年金に止まっていたほうがよかった、ということになる。
  一方、このような情勢にもかかわらず独自にやっていける余裕のある基金 (組合) は、新たに加入者を確定拠出型年金 (いわゆる日本版401K年金) に導こうとしている。 所定の年金原資を加入者に与え、投資信託を運用させ、リスクも大きいが、自己責任で運用益の最大化が追求できるという年金だ。 政府はその原資の会社負担分について経費控除を認め、そうした年金制度の導入を促している。 完全にアメリカ型のやり方だ。こうして基金でも、勝ち組と負け組が分かれる事態となったのだ。

  こうした流れのなかで、筆者が一番許せないのが、日本の年金は、後世代負担方式=賦課方式で、同時期の若い世代の支払う原資を、 受給者側=高年齢者の年金支払いに充当する仕組みで成り立っている、とする 「理論」 を、最近政府がさかんに言い立てるようになり、 メディアもそれを真に受けていることだ。
  その理屈から、たとえば、少子高齢化の進行に連れて、支払い側人口が少なくなり、受け取る側が多くなると、 両者の均衡が崩れ、支払い側に不公平感が強まるから、高齢者への給付を絞らざるを得ない、とする考え方が導き出されてくる。
  しかし、もう一度、皆保険 ・ 皆年金の原理に立ち返ってみよう。そこに認められるのは、いま医者にかからなくても、また、いまは年金は不要でも、 将来それらが必要になるときのために、若いときから積み立てをしていこう、とする自助の考え方が基本になっているということだ。
  定年が55歳、平均寿命が68歳弱だった1965 (昭和40) 年ごろ、年金の数理計算をみたら、 自分が払ったものを (企業負担分も含むと考えられる) を全部年金で受け取るには、75歳まで生きる必要があると知って、驚いたことがある。 当時でいえば、自分の払ったものを全部回収するだけでさえ、大変だったのだ。
  高齢者が自分では何もせず、若い世代の上納金を奪ってばかりいるかのようにいわれる筋合いは、本当はまったくない。 若者たちも、同じ道を辿っていく点では、何ら変わりはない。政府の 「理論」 はいたずらに世代間の対立を煽り、そこに分裂を持ち込み、 その隙に、全国民が団結できる社会保障制度を解体させようとするものだ。後世代負担方式=賦課方式とは、資金繰りの方式を表現する用語以外のなにものでもない。

  しかし政府 ・ 与党は、先に 「高齢者」 なる集団を特定、医療費抑制、事実上の医療費高負担化の仕組みを設けたのち、 さらに 「後期高齢者」 なる被差別集団を囲い込み、若年世代への医療費負担転嫁、負担増を防ぐとして、健保制度の全体的な負担再配分過程からこれを分離、 代わって、あろうことか年金制度を接合、後期高齢者向けの医療のための健保料は本人の受給年金から天引きするという暴挙に出たのだ。
  一種の 「自己責任」 主義、ネオリベ的解決だ。年金 (受給権) を質、担保に取るのは、不法行為として禁じられている。 受給者本人が受け取った現金に対してのみ、借金返済等の請求権が認められるのだ。 国がこのような性格をもつ年金を、受給者の同意もなく勝手に医療費用に天引きするのも、不法行為ではないかという疑問が湧く。
  それよりもなによりも、皆保険 ・ 皆年金の大きな母体のなかに引き取り、そのなかで改善策を検討すれば、手厚い取り扱いが必要な老人医療費だとしても、 適切な解決策はいくらでも考えられる。
  これに対して、無理にもそこから切り離し、老人医療という個別の枠のなかだけでいじくり回すのでは、いい知恵が出てくるはずもない。 「長寿医療制度」 は悪い冗談だ。舛添厚労相の顔つきをみていると、本当は 「長寿が恨めしい医療制度」 といいたいのではないか、と邪推したくなる。

  若者たちの健保、年金に対する無関心、あるいはそれらからの離反も、皆保険・皆年金の母体を崩してきたことから生じている、というべきだろう。
  大企業優遇、勝ち組優先で改悪されてきた制度は、そもそもそうした企業に入れない若者にとっては無縁なものだ。 やはりここでも、まず第一に、皆保険・皆年金の母体を復元、企業健保組合 ・ 年金基金 (組合) も、そこに含めていくべきなのだ。 いま代行部分返上の基金 (組合) が出てきているのはいいチャンスだ。 できるところからでもそうした方向を追求、公的な健保 ・ 年金の規模拡大、体質改善を目指すべきだ。
  ここまで制度的ににっちもさっちもいかなくなったときは、あちこちいじくり回してさらに状態を悪化させるより、いったんデフォルトに戻したほうがいい。 そのうえで、たとえば若者については、雇用状況の改善が決め手になるが、それが不十分でも、 臨時などの有期雇用については健保 ・ 年金の加入を雇用企業に義務づけるとか、派遣に関しては派遣元企業に同様の義務づけを行うなど、やれることはいくらでもある。 とくに健保 ・ 年金の加入者番号が一元化できれば、雇用先や、所属する派遣元企業が変わっても、制度への加入期間の継続 (一種の勤続) が証明できる。
  加入期間の長さによって生じる制度上のメリットが理解できれば、非正規 ・ 不定期労働の若者も、雇用に伴う公的な健保 ・ 年金に入ってくるし、 同時に国民健保、国民年金への関心も高まり、これら制度も利用するようになるはずだ。

  加入者が減り、不払いが多くなる国民年金の給付水準が生活保護より低くなったから、生活保護の給付水準を下げて均衡を図る、 という政府 ・ 与党はいったい何を考えているのだ。
  やることは逆だ。国民年金の給付水準を生活保護のそれより引き上げるのが筋ではないか。 また、なにをやっても落ちこぼれる弱者が出てくるから、そこには社会保障としてセーフティネットが必要だ、というような話しも出てくる。 それは社会保障ではない。チャリティ、慈善ではないか。本来の社会保障は、国民の権利の充足であり、乞わねばならない慈善ではない。
  人間の尊厳を保障するのが社会保障だ。メディアには、そうした施策の充実を、先頭に立って求めていって欲しい。