2008.9.26

メディアは今 何を問われているか

日本ジャーナリスト会議会員
 桂 敬一
目次 プロフィール

伊藤和也さんを二度殺すな
―絶対に許せない日本のアフガニスタン参戦―

  日本のNGO、ペシャワールの会職員の伊藤和也さんがアフガニスタン東部、ジャララバード近郊で拉致され、行方不明となった一報は、8月26日午後、届いた。 その後、「解放」 の未確認情報が束の間、流れたが、すぐ否定され、27日夜には、最悪の事態、遺体での発見が、ニュースとなって報じられた。 この伊藤さんの死が、実に無念に思えてならない。
  そして、彼を死に至らせたものは何なのかという疑問は、かえって時間が経てば経つほど重さを増し、心のなかに大きなわだかまりとなって広がりつつある。 伊藤さんに手を下したのは、現地の反政府武装集団のどれかに属する人間であろう。だが、彼らをしてそのような行動を取らしめたものは何か、を考えると、 ますます苛烈さを増すアメリカのアフガンでの戦争、これに荷担する日本政府、アフガン問題をめぐって日米協力緊密化を促す日本のメディアなどの責任を、 見過ごすことができない。ところが、伊藤さんの死を悼むメディアの報道も論評も、そうした問題点にはまともに立ち入らないのだから、驚く。 いや驚くだけではすまされない。自分たちが最悪の事態を招いたことに負うべき責任について無自覚なのには、大きな憤りを感ずる。

  伊藤さん拉致の4日前、22日にはアフガニスタン西部、ヘラート州シンダンドを、米軍主体の多国籍空軍が猛爆を加え、市民76人が殺された。 うち19人が女性、50人が子どもだ (ロイター、共同通信)。このニュースを23日に報じた新聞は毎日だけだ。 その後、犠牲者は90人に達することが判明したが (AFP、時事)、これは、NHKが米軍側の否定付きで報じただけで、新聞は全紙が触れていない。 これ以前、18・19日にアフガン首都、カブールの郊外では、 パトロール中の国際治安支援部隊 (ISAF) のフランス部隊 (NATO枠で派遣) が武装集団の待ち伏せ攻撃を受け、10人死亡・21人負傷という大損害を被った。 サルコジ政権の対米協力積極化政策がまさに裏目に出たのだ。
  昨年来の米軍の攻撃が、アフガニスタン市民の犠牲を増やしていくのに連れ、市民全般のアメリカに対する敵意は募り、 米軍と組んで戦争を拡大する外国の軍・人間に対する反感も大きくなった。それとともに武装集団も増え、その活動が激化している状況が、そこに認められる。 日本のメディアは、伊藤さんの拉致・殺害事件が起きる直前に、現地にこのような危険な状況が生まれていたことを、どれだけ具体的に知り、真剣に考えていたのか。

  日本は他の国とは違い、軍隊を送っていないから、民間、NGO の人道復興支援を目的とする活動が現地市民の反感や敵意にさらされることはない、 とする反論が聞こえてきそうだ。果たしてそうだろうか。すぐ思い出されるのが、昨年秋から今年初めにかけての、 テロ特措法延長・インド洋上での海自の米軍・有志連合軍に対する給油活動の続行をめぐる政府・国会の騒ぎだ。 特措法延長がダメそうだというので安倍首相は政権を投げ出し、あとを継いだ福田首相は衆院再可決で強行突破、海自の給油船団をまた送り出した。 この一連の騒動は海外にも知れ渡り、タリバーンほかたくさんの武装集団、それに難民のたくさんいるアフガニスタン、パキスタンにも伝わった。
  興味深いことだが、それ以前は海自の給油活動は目立たず、パキスタンのムシャラフ大統領も、アフガンのカルザイ大統領も、2003年半ばごろまでは知らなかったらしい。 伊勢崎賢治東京外大教授は、現地で反政府組織の兵士の武装解除に携わった経験から、両国の人々が侵攻軍に対する日本の給油作戦の事実を知らず、 日本は戦闘に直接関与しない国だと、「美しい誤解」 をしてくれていたおかげで、日本人である自分の説得も受け入れてくれたようだと、 その間の事情を語っている (月刊 『世界』 07年11月号)。 だが、状況は変わった。侵攻軍に対する日本の 「軍隊」 の給油・兵站作戦は、広く知られてしまった。敵意が日本人に向けられてもおかしくない状況が、出現していたのだ。

  さらに厄介なのは、日本政府がこれまでに、約20億ドルの費用を 「人道復興支援」 に投入、JICA (国際協力機構) などの政府系機関のほか、 さまざまな NGO を介して行政機構整備、治安改善、農業・教育・医療などの支援活動を強めてきた経緯があることだ。 その活動は安全確保のため、しばしば ISAF や米軍に守られたり、軍の住民宣撫活動の干渉を受けたりすることがあるからだ。 しかし、軍の姿がちらつくのでは、支援活動を受ける現地住民の側は、民間外国人による援助活動を、軍と一体のものとみなしてしまうおそれがある。 これも、日本に対する 「美しい誤解」 を消し去る作用を及ぼす。
  だが、そうしたなかでも、ペシャワール会が現地の人たちから深い信頼を寄せられ、長期にわたって安定した活動をつづけてこられたのは、 政府のカネは1円ももらわず、政府から、どこでなにをせよとか、他国の支援団体との関係づくりや、アフガンの政府・軍、米軍、ISAF との協力を強制されることもなく、 政府・軍と完全に独立して活動することができる組織だったからだ。その徹底ぶりは、中村哲会長の 『医者 井戸を掘る』(石風社) を読むとよくわかる。 ペシャワール会のアフガン旱魃との闘いは 「9・11」 前、すでに2000年6月から開始されていた。 その成果は農村コミュニティの安定化に着実に寄与し、中央政府もタリバーンも、下手な手出しなどできるものではなかった。 そんなことをすれば、地域住民の支持を失うだけだ。だからペシャワール会だけは、ほかの NGO と比べて、だんとつに安全だったのだ。 だが、今年8月、このペシャワール会さえもが、敵意の標的とされてしまう事態が現出することになっていたのだ。

  以上の経緯を冷静に省みるとき、今度の事件の発生に関していえば、犠牲となった伊藤さんを擁するペシャワール会が、 無警戒、軽率さなどで咎められるべき筋合いにないことは明白だ。 また報道の一部には 「恩を仇で返した」 とする論法で、現地住民を批判的にみる視点を感じさせるものがあったが、これも当を得ない。 ペシャワール会の活動内容を直接知る現地の人たちや、伊藤さんと親しく接する立場にあるものの存在は、自ずから範囲が限られる。 アフガン全土で、さらにはパキスタン領にも及ぶ範囲で、急速に米軍の侵入、攻撃が広がっていけば、ペシャワール会の活動内容は知らないが、 標的にしやすい日本人がいるとする情報は広い範囲に伝わり、日本が米軍と共同行動を取っているとなれば、これを襲ってなにが悪いか、 ということになるのは当然であろう。
  伊藤さんの死に限っていえば、咎められるべきは、犯行者を除けば、アフガンやパキスタンなど広範な地域の、多くの一般の人々を敵に回すような事態を招いた、 米軍による過剰な軍事干渉、非人道的な戦禍の拡大である。 また、これに対して、批判を加えるどころか、安易に協力する NATO 加盟の出兵国、兵站作戦で協力する日本政府なども、含まれよう。
  ところが、伊藤さんの訃報に接した町村官房長官が8月28日の記者会見で、 「尊い犠牲が出たが、テロとの戦いに積極的にコミットする重要性を多くの国民が感じたのではないか」 「日本がテロとの戦いの戦列から脱落すれば、 国際社会の動きと反することになる」 と述べたのには、呆れた。 これでは伊藤さんは、テロとの戦いの戦士であり、その戦いに命を捧げた、ということになりかねない。 伊藤さんの遺志は 「自分のあとを継ぎ、挫けずにテロと戦ってくれ」 と呼びかけるものだ、ということにされかねない。話はまったく逆なのにだ。

  そして、政府のこの厚かましいこじつけ、すり替えが、メディアによって補強され、国民を説得するような論理として流布される動きが生じている事態が、無視できない。 8月29日の読売の社説 「NGO 職員殺害 アフガン安定へ協力をつづけよ」 は、「伊藤さんは…極めて無念だったろう。…駐留外国軍兵ばかりでなく、 人道支援に尽力する善意の民間人までが、テロの標的となる。 現在のアフガン情勢の厳しさ…だ。アフガンを安定させ、テロを撲滅する戦いは、日本人にとって決して人ごとではない。 …新テロ対策特別措置法改正案を成立させることは必須の課題だ」 と、あろうことか、米国と有志連合国の戦争体制とそれへの支援の、いっそうの強化を主張するのだ。
  それは、伊藤さんの死を、その志に反して悪用する論法だ。同日の日経の社説 「伊藤和也さんの無念に何を思うか」 も酷い。 「『銃をスコップに』 『油よりも水を』 を理念とした」 「活動の危険性を」 「伊藤さんの死は、見せつけた」、「日本が何をなすべきか」 「給油活動の継続は最低限必要」、 「志半ばで逝った伊藤さんの無念に政治はどう報いるのか。党利党略を離れ、政治家ひとりひとりが考える問題である」。 これでは、伊藤さんの 「志」 を口実に、「給油活動」 以上のことをやれ、という方向を促すことになりかねない。
  かねてから ISAF への自衛隊の参加を政府が検討していることが、頭をよぎる。 しかし、あの松浪健四郎衆院議員 (自民) でさえ、自衛隊のアフガン本土への派遣には、「あれは紛れもない紛争地だ」 として反対しているのだ (朝日・9月6日夕刊)。

  呆れたのは、8月31日の読売・朝刊のコラム 「政 まつりごとなび」。政治部次長の署名記事だが、 「内向き政治への警鐘」 と題した文章は、国内政治の駆け引きに明け暮れ、国際貢献=給油活動の検討をなおざりにする政治家たちに向かい、 ペシャワール会、福元満治事務局長の会見における言葉を引用して、活を入れる。「彼 (伊藤さん) はアフガニスタンに根付いてしまうんじゃないかというぐらい、 現地の人たちに好かれていた。伊藤君の遺志を最大限生かしたい」、「命を粗末にしていいということは絶対にないが、 これで (アフガン支援を) やめたら日本人はダメになる」。コラムの筆者は、福元さんが会見で涙ながらにこう訴えたと紹介したあと、 「福元さんの言葉は、政治への警鐘のように響いた」 と結ぶ。だが、その 「警鐘」 の響きを筆者は、「他国や日本の民間人が危険を承知で現地に尽くしている時に、 政府や自衛隊の活動は今のままでいいのか」 と聴いているのだ。
  それこそ、国内政争のイシューとしての日米同盟最優先、テロとの戦い、給油継続、自衛隊の活用、改憲などにこだわる、「内向き」 の問題意識ではないか。 福元事務局長の涙ながらの言葉をそのように聴き、彼が 「伊藤君の遺志を最大限生かしたい」 と語った 「遺志」 を、 対テロ戦への日本のいっそうのコミットメントを望むものだ、と理解するとしたら、これほどの曲解はない。
  このような理解の文脈のなかに、「命を粗末にして…日本人はダメになる」 という福元さんの言葉を置いたら、対テロ戦こそ本当の 「アフガン支援」 であり、 それをやめたら 「日本人はダメになる」―命を粗末にしてはいけないが、対テロ戦と調和した 「アフガン支援」 で命を落とすのだったら、りっぱな日本人だ、 という話にもなっていく。

  酷いすり替えだ。私が福元事務局長だったら、誤報だと抗議したくなる。事実として発話された言葉の再現はそのとおりであっても、 それら部分的な発言群を、筆者の意図する文脈構成のなかにどう挿入していくかで、それらのもつ意味はまったく変わってくる。 そうした作為がみえみえの手前勝手な文章だ。
  しかし、だんだん怖くもなってきた。これほど作為的ではないものの、例えば、伊藤さんの父親が 「息子を誇りに思う」 と語った言葉や、 ペシャワール会、中村会長の 「アフガンの治安状況を警告してきたわたしたちが、まさかこんな目に遭うとは考えていなかった」 などの言葉が、 まったく不用意に多くのメディアの情緒的な記事、番組のなかに放り出されており、発言者の意図とは反対の意味が一人歩きしだしそうな雰囲気が生まれていたからだ。 伊藤さんの父親は、テロとの戦いのために死んだ息子を誇りに思ったのではない。
  現地の人々を殺し、傷つける戦争に反対し、平和に徹して現地の人々に尽くした結果、その人たちの愛情と信頼を獲得した息子に誇りをもったのだ。 また、中村会長が自分の不明を恥じたのも、戦争がもたらす害悪を知り尽くし、かねてから治安の悪化を警告してきたはずだったのに、 最近の急速な戦争の拡大が予想以上に状況を悪化させており、見通しを誤ったことを悔やんだのだ。 「こんな目」 に遭わせてくれた相手には、犯行者もさることながら、米軍・有志連合軍、アフガン政府軍も入っていたはずだ。 また、彼らに無批判に協力する日本政府が含まれていても、おかしくない。
  だが、メディアはその辺の区別を曖昧にしたままだ。これでは、死んだ息子は勇敢な反テロ戦士に、彼を誇りに思う父や、伊藤さんの遺志を受け継ぐ福元事務局長は、 国際貢献に熱心な愛国者に、いつのまにか仕立て上げられてしまう。中村会長も、アフガンの誘拐者・殺人者、テロリストを厳しく糾弾する戦士と見立てられるのか。

  戦争を始めるとき、どこかの戦争に荷担するとき、関係した戦争をもっと拡大するとき、そのようななりゆきが自然であり、 当然のことだと国民みんなが感じるようになることが、とても大きな力になる。政府や軍は、いろいろな工夫を凝らしてそのような状況をつくり出そうとする。 メディアをどう役立てるかが、重要課題となる。メディアも、自分が国民に大きな影響力を及ぼせることには、本能的に夢中になる。 両者の思惑が絡み合い、働き出すと、いつの間にか戦争になっていたり、始まった戦争が日常的なものになっていき、だれも戦争があることに疑問を持たなくなる。 そして、生死にかかわる感動が人々を興奮させ、戦争の存在は必然化する。
  臆病のせいか、私は、伊藤さんの死と政府の対応、メディアの報道、人々のそれらに対する反応をみるとき、そういうプロセス、相乗作用が、 そろそろ動きだしているのではないか、と怖くなるのだ。
  柳条湖事件・満州事変発生の翌年=1932年、戦火が上海にまで広がったなか、中国軍が築いた上海郊外の廟行鎮の陣地を攻撃するために、 工作隊がまず鉄条網を爆破することになった。3人が一組になって特製の爆弾筒を抱え、鉄条網敷設地帯に進入、適当なところで導火線に着火、 爆破するという方法が取られた。ある組は導火線着火のあと、予定どおり無事に後退、爆破を完了、作業を成功裡に終えた。 だが、別の一組はなんらかの手違いで後退する余裕がなく、3人は鉄条網もろとも爆死した。鉄条網の破壊工作は成功、敵陣攻撃はつつがなく遂行された。
  軍は爆死した3人を顕彰したが、このことが新聞社に知れると、この3人を朝日新聞は 「肉弾三勇士」、毎日新聞は 「爆弾三勇士」 とそれぞれ称え、 遺族への弔慰金の募集、勇士を称える歌詞の募集 (当選作に曲を付けてレコード化) など、その後の肉弾 (爆弾) 三勇士フィーバーを生み出した。 三勇士の銅像ができ、教科書にも彼らの決死行が載った。だが、3人は覚悟の上で着火ずみの爆弾筒を抱え、敵陣に突っ込んだのではなく、 なんらかの理由で帰還できず、爆死はほとんど事故だったという事実が、戦後明らかになった。

  今、日本の戦争へのかかわりも、政府とメディアの関係も、ここまできているとはもちろん思わない。 また、伊藤さんの死と三勇士の死はまったく違うものであり、両者の置かれた状況も完全に違う。 しかし、メディアのあり方に関しては、考えなければいけない点、警戒すべき問題が、すでに出現するようになっているのではないか、と思えてならない。
  ペシャワール会については無知で、侵攻者への敵意だけに燃える心ない犯行者によって殺された伊藤さんの死を、メディアは、対テロ戦の戦士の死、 あるいはそうした戦争の遂行を望んだ犠牲者の死として扱ってはならない。
  それは、伊藤さんの本当の遺志に逆らい、伊藤さんを再度殺すものだ。国が伊藤さんの遺志を口実に、自衛隊を米軍の推進するアフガン戦争に参加させることは、 絶対に許してはならない。