2009.12.6

アジア万華鏡

木村 文
目次 プロフィール

「語る」 ことの重さ/ポル・ポト派特別法廷より

  日本の新聞社を辞め、2009年3月からカンボジアの首都プノンペンで暮らしている。 現地で発行する日本語と英語の情報誌 「ニョニュム(カンボジア語でほほえみ、の意味)」 の編集をしながら、フリーランス記者としても活動している。 17年間勤めた新聞社を辞めてここへ来たのにはいくつもの理由があるが、組織を背負わない、一人のフリーランス記者としてアジアと向き合った時、 私は何を伝えたいと思うのだろうか。それを試してみたかったからである。

  その最初の仕事が、1975年から79年にかけてカンボジアを支配したポル・ポト政権の元幹部を、人道に対する罪などで裁く 「カンボジア特別法廷」 であった。 私が移住したちょうど3月末、最初の被告人であるカン・ケック・イウ(通称ドゥイ)元S21所長の公判が本格的に始まった。 S21とは、ポル・ポト政権下で、スパイや秩序を乱す者として逮捕された人々が拘束され、拷問を受けた治安施設だ。 プノンペン市内の学校の校舎をそのまま拘束施設として利用したもので、建物は現在も 「トゥールスレン虐殺博物館」 としてそのまま残されている。 ドゥイ被告はS21の所長を務め、そこでは記録があるだけでも12,000人もの人々が拷問の果てに処刑された。実際にはもっと多かったとみられている。

  カンボジア特別法廷は、カンボジアの国内法廷として設置されている。だが国連が共催し、判事や検察官などに外国人が加わり合議で捜査や審理が行われる。 日本をはじめ多くの国が援助をしており、国内法廷でありながら、国際法廷としてのスタンダードを採用する新しい試みでもある。 目的は政権元幹部を裁くことで、ドゥイ被告のほか、イエン・サリ元副首相など4人がすでに身柄を拘束されている。 法廷はカンボジア語、英語、フランス語で行われ、その様子は一般の傍聴者やマスコミに公開される。

  3月末に始まったドゥイ被告の公判は、11月27日の結審まで77回を数えた。裁判は月曜日から木曜日の間、午前9時に始まり、午後4時半に終わる。 私はほとんど毎日、法廷に通い、その様子を現場で傍聴し、記録した。毎日6時間以上の傍聴は精根尽き果てる作業であったが、 これだけの密度で法廷を傍聴できたのは、在外フリーランスならではのぜいたくだと思っている。

  77回の審理には、さまざまな人間ドラマがあった。急速な経済発展を遂げるカンボジアにとって、30年前の悪夢はすでに過去のものとなった側面もある。 だが、「たった30年前」 であるともいうことができる。多くの関係者がまだ健在なのだ。 カンボジア人がカンボジア人を殺したポル・ポト時代。理不尽な拷問を加えた側も、その拷問を受けた側も、カンボジアの社会には共存している。 法廷には、S21の実態を明らかにするため、その双方が登場し、証言をした。日常生活の中では気づかぬふりをし、家族にさえ話せなかったという深い傷をえぐる作業だ。 法廷は地元テレビによって生中継されていたので、満席の傍聴者に加え、全国の人々がその証言に耳を傾けた。 法廷に来るために、どれほどの勇気を振り絞ったことか。彼らは、その痛みの先に、国民和解、ほんとうの内戦終結があるのだと信じているのだろうと思った。

  そんな、勇気ある一人の被害者の証言を伝えたい。

  7月半ばに証言台にたったライ・チャンさん(55)。彼は約3カ月にわたり、S21とみられる施設で拘束された。 S21は当時、その存在を国民にも知らせない秘密施設だった。だから拘束や拷問の被害者の多くが、「S21にいた」 ことを後に知ったのだ。 ライ・チャンさんも、そこが殺人マシンと化したS21だとは知らずに連行された。 「拘束中は身動きさえ許されず、のどが渇いて水がほしいということさえ言えなかった」 と証言した。 それに対し弁護士が 「どうやってのどの渇きをいやしたか」 と尋ねたときのことだった。 「のどが渇いたときは」 と言いかけたライ・チャンさんはそのまま絶句して顔を覆い、泣き出してしまった。 何度も答えを続けようとしては嗚咽をもらし、そしてやっと声を絞り出してこう言った。「のどが渇いたとき、私は自分の尿を飲みました」

  法廷も傍聴席も記者室も、静まり返った。ライ・チャンさんの嗚咽の意味がそのときようやく分かった。人間として、それがどれほどの屈辱であったか。 さらにその屈辱を公衆の面前で自ら口にすることがどれほどの苦しみか。その場にいただれもが証言者の勇気を無駄にしてはならないと感じただろう。 質問をした弁護士は 「私の質問があなたを苦しませてしまった。申し訳ない」 と謝罪の言葉を口にした。

  時に言葉を詰まらせる証言者たちに、カンボジア人の裁判長は繰り返し声をかけて励ました。「気持ちを強く持って話を続けてください。今こそ語るときです。 私たちに、傍聴者に、カンボジアの人々に、国際社会に、クメール・ルージュ(ポル・ポト派)が何をしたか、しっかり教えてください。 悲しみに流されることなく、語ってください」。

  心と体に受けた傷をさらして真実を追求しようとするカンボジアの人々に、私たちはどれほど真摯に向き合っているだろうか。 これが、かつてあれほどに騒いだカンボジア和平のある種の 「締めくくり」 の作業でもあることを、どれほど認識しているだろうか。 なぜ今、ポル・ポト時代を裁く必要があるのか。それはカンボジア国民の和解のためだけでない。 非人道的な殺戮システムを生み出したその同じ時代に生きる人間として、闇を見つめる責任を放棄してはならないと私は思う。
(完)