2010.3.29

アジア万華鏡

木村 文
目次 プロフィール

「障害の差別」

  ある日本の団体の事業評価レポートをつくる仕事を請け、カンボジア、ラオス、ベトナムの障害者や、障害者行政に携わる人々を訪ね歩いた。 開発と発展のなかで、障害者行政はどの国も遅れるどころから、着手されたばかり、というレベルだと感じた。障害者支援の充実には程遠い。 国内に、どのような障害を持つ人たちが何人いるのか。正確な数字すらないのだ。

  ベトナムでは、障害者行政に携わる省庁の名称に Invalid という言葉が使われている。 Ministry of Labor, Invalid, Social Affairs で、 一般には 「労働傷病兵社会省」 と訳されているようだ。 Invalid とは、傷病兵、つまり傷痍軍人であり、一般の障害者は含まれていないことになる。 実際、傷痍軍人に対する支援制度はあっても、障害者全般に適用されるものではないという。 「傷んだ」 「壊れた」 という意味でも使われるこの言葉は、現地でも問題視され、改善の方向に向かっているというが、 経済成長著しいベトナムで、障害者行政が後回しになっていることをはっきりと示している。

  ベトナムで 「傷痍軍人」 と 「障害者」 が別の扱いを受けるのと同様に、激しい戦火に巻き込まれたラオスでも、「障害の理由」 による差別があることを知った。

  ラオスは、不発弾(UXO)の世界最大の被害国と言われる。ベトナム戦争の間に、ラオスには200万トン以上の爆弾が投下され、 その3割が今も不発のまま地中にあるとされている。使われた爆弾は、小型のボール爆弾を数百内包するクラスター爆弾が多い。 ラオスの首都ビエンチャンには、クラスター爆弾の被害を訴える施設COPEがあり、爆弾の模型、義足の展示、被害の発生状況などが分かるようになっている。

  クラスター爆弾をめぐっては、国際的に使用や製造を禁止しようとする動きが広がっており、それを受けてラオス国内でもさまざまな国、国際組織、 NGO による被害者支援活動が行われている。また、2008年にクラスター爆弾禁止条約が署名され、今年8月には発効。 11月には、発効後初めてとなる 「第1回クラスター爆弾禁止条約締約国会議」 がラオスで開かれることが決まっている。 ラオス政府もこれを機会にさらに被害の実態について訴える考えという。

  もちろん、不発弾の被害者支援がそれで十分なわけではない。だが、私が会ったラオスの社会福祉省の障害者行政担当者はこう言った。 「ラオスでは、不発弾被害者と、そのほかの障害者では社会の中で扱いが違うんですよ。 たとえば、不発弾で足を失った人はお金を借りることができるけど、ポリオなどの病気で足が不自由な人は借りることができないことがあります。 政府のリハビリ事業などでは差別はしていないが、社会の中で差別があるのです」

  障害者のなかでも、また差別がある。ラオスの人々の間で、不発弾被害への理解や関心は高いが、 そのほかの障害者の社会参加については必要性が認識されていないということなのだろう。不発弾被害者を優遇する制度があるわけではない。 だが、「区別」 が人々の認識の差に根付くものだとしたら、それは逆に解消には時間のかかる根深い問題だ。 「不発弾被害者には、国際 NGO などの支援があるから、収入があるだろうと思いこんでいるのかもしれません」 と、担当者は言う。

  不発弾被害者への支援活動を非難するつもりはまったくない。だが、国際社会の注目がある部分に集中し光が当たると、必ず影ができる。 その影の部分に立つのが、同じ国に住むほかの障害者たちだとしたら、それは大きな矛盾だと思った。 援助活動だけではなく、国内外のマスメディアによる 「光の当て方」 にも多くの課題があるだろう。

  長い内戦に苦しんだカンボジアでも、同様の話を聞いた。ここでは差別というよりも、「多くの人が、障害者といえば、地雷や不発弾、 戦闘での負傷者しか思い浮かべない」。それ以外の理由による障害者は、極端にいえば、その存在すら人々の認識の外にあるというわけだ。

  もちろん、こうした社会環境のなかにあっても、障害者の権利や自立した生活を目指して努力する人たちがそれぞれの国にいる。彼らを支援する人々もいる。 しかし、彼らの直面する現実は障害を持つ人々にとってあまりに厳しい。いま、先進国と呼ばれる国々でも、障害者が権利を獲得するまでに長い道のりがあった。 その同じ苦難の道のりを、途上国の彼らも同じ時間をかけて歩まなくてはならないのだろうか。同じ時代、同じ地球上に生きていながら、同じ権利を分け合えない。 厳しい環境のなかでひたむきに努力する彼らに胸を打たれながら、歯がゆさが募った。
(完)