2008.11.20

「時代の奔流を見据えて──危機の時代の平和学」

目次 プロフィール
木村 朗 (きむら あきら、鹿児島大学教員、平和学専攻)

第一回 「忍び寄るファシズムの危機
──暗転する時代状況に抗して」 (上)

  ☆民主主義からファシズムへの移行の危機
  敗戦からすでに60年以上が過ぎ、近年では戦後民主主義や平和憲法を否定的にとらえ、 過去の植民地支配や侵略戦争を真摯に反省する見方を東京裁判史観・自虐史観として一方的に糾弾・排斥する論調や歴史認識が蔓延してきています。
  2001年の9・11事件以降の世界は、急速に戦争ムード一色となり、新自由主義・新保守主義を2本柱とするグローバル化を背景に、 世界的な規模で戦争国家・警察国家あるいは監視社会・格差 (新しい身分・階級) 社会への道が開かれようとしています。 日米軍事同盟をさらに強化・拡大する動きが表面化し、国家の側から有事法制の整備が着々と進められています。 軍事革命 (RMA) を背景に従来の前方展開戦略と先制攻撃戦略を一体化した形で米軍の世界的再編が行われ、 これに呼応して日本において憲法改悪の動きも加速化されようとしています。 いまや時代は急速に右旋回しており、私たちは戦後最大の岐路に立たされていると言っても過言ではありません。

  とりわけ1999年以降の日本は、戦後民主主義・平和主義が急速に崩壊して権力 (国家) と資本 (企業) が暴走しはじめています。 「改革」 「安全」 をキーワードにして国家主義・軍国主義と市場万能主義・拝金主義という濁流があふれ出し、その勢いが一気に加速化されようとしています。 そうした危機的な状況のなかで、民衆が権力・メディアの扇動・情報操作に乗せられて弱者や体制批判者を徹底的に痛めつけ、異論を許さないような集団同調主義、 「物言えば唇寒し」 という風潮がますます強まっています。
  そして、「すでにファシズムがやってきている」(斎藤貴男 『安心のファシズム』 岩波新書、2004年)、 「抵抗はなぜ壮大なる反動につりあわないのか 閾下のファシズムを撃て」(作家・辺見庸氏の 『世界』 2004年3月号の論考、 『抵抗論』 毎日新聞社に所収) に見られるように、1930年代と酷似した戦時翼賛体制の出現、「戦争とファシズムの時代」 の到来が語られ始めています。 私たちは、民主主義からファシズムへの移行過程における 「不可逆点」(N・プーランツァス 『ファシズムと独裁』 批評社、 1983年) が再び論じられるような危機の時代を迎えていると言わねばなりません。

  それでは、このような危機の時代を私たちはどのように捉えて向き合えばいいのでしょうか。もとより今日の危機の性格や本質を正確に捉えることは非常に困難です。 敢えて言うならば、それは何よりも平和と民主主義にとっての深刻な政治的かつ軍事的危機であると同時に、 その背景には現代資本主義の存続を脅かす構造的矛盾の表れである経済的危機があり、 さらにより根源的には人間の精神と存在価値を揺さぶる道徳的退廃 (「モラル・ハザード (倫理崩壊)」) という文化的危機とも繋がる複合的危機の様相を呈していることだけは間違いがないと思われます。

  また、同様な問題意識から 「今日における世界と日本の危機は、トータルな意味での人間の破滅の可能性をはらんでいる。 核戦争の危機 (緊急の危機) が避けられたとしても、人間がじわじわと崩される危機 (長期の危機) が進行している。 今日の危機の最大の問題点は、このような危機を 『危機』(クライシス=岐路) として受け止め、これを克服すべき主体が、 変革主体として自らを形成しえないところにあると考えられる。」(石川捷治・安部博純編 『危機の政治学−ファシズム論と政治過程』 昭和堂、 1985年の石川捷治氏による 「あとがき」 より) という重要な問題提起が戦後40年の時点で、すでになされていたことが注目されます。

  私自身は、その石川氏に大学・院生時代から師事させていただいているわけですが、1981年のゼミ論文集の小論 「帝国主義とファシズム」 の中で、 「ファシズムは目的意識的に進められる階級闘争に対応した革命勢力の現実の台頭に対する反革命の一形態であって、 帝国主義戦争のための国家総動員体制を確立する役割をはたすこと、そしてファシズムは避けることのできない必然的段階でなく、 経済関係・階級関係から生じる阻止しうる政治的反動の特殊な一形態であること」、「現在の危機の根本原因は、先進国本位の世界経済の構造にあると思われる。 そのことは、資源問題にはっきりとあらわれている。したがって、この危機をのりきることができるか否かは、 後進国の主張するような、先進国本位となっている現在の世界経済の構造や国際通貨制度の改編、すなわち 『新国際経済秩序』 の創出にかかっているのである。 軍事力の増強と軍事同盟の強化は、この危機の克服に何ら役立つものではない。かえってこの危機を深刻なものとし、戦争をもたらすものであることはいうまでもない。 われわれは、危機の原因が何であるか、そしてそれはまたはたして誰にとっての危機でありそれをどういう方法でのりきろうとするのかをつねに問題にし、 反動勢力に対する監視を強めねばならない。」(『政治論文集‘81 NO.3』 九州大学石川ゼミナール、1981年2月) など一応の結論らしきものを出しているのですが、 20数年前の自分の状況認識と現在のそれとがあまりに重なっていることに驚かざるを得ません。

  まさに今日の日本と世界は、1929年の世界大恐慌後の世界、すなわち戦争とファシズムの時代であった1930年代の世界と同じような危機の時代に直面しつつあると言えます。 そうした危機を現実化しないために、今こそ何をすべきで何をすべきでないのかを本当に真剣に考えなければならない時だと思います。 こうした内外の深刻な時代状況の中で、市民・平和運動の側が大きな正念場を迎えているばかりでなく、 平和学とメディアの存在意義も根本から問われているのではないでしょうか。

  そこで、今回の論評では、こうした深刻な世界的危機をもたらした本当の原因は何であるのか、 またどうすればこの危機を克服して真の意味での 「平和」 と 「民主主義」 を創り出していくことが出来るのかを改めて考えてみたいと思います。

  ☆冷戦の終結と軍産(学)複合体の暗躍
  1989年から1991年にかけてソ連・東欧圏の崩壊という形で冷戦が終了するのと合わせて、新たな世界秩序と社会秩序が模索され始めました。 本来ならば、「ソ連」 「共産主義」 という強大な敵・脅威がなくなった冷戦終結時において、ワルシャワ条約機構のみならずNATOも日米安保条約も消滅するはずでした。 しかし、実際には、解体の危機に瀕した世界的規模の軍産複合体による死にもの狂いの巻き返しが行われた結果、 「冷戦時代の遺物」 である軍事同盟と巨大な軍産 (学) 複合体がそのまま存続することになったのです。

  すなわち、その最初の大きな契機となったのが湾岸危機・戦争 (1990〜91年) でした。その後も、ソマリア (1993年)、ボスニア (1995年)、スーダン (1988年)、 コソヴォ (1999年) 等の地域・民族紛争が相次いで引き起こされ、米国単独あるいは米国主導の 「有志連合」(NATO軍や多国籍軍、 国連PKOの平和強制部隊を含む) による一方的な武力行使が繰り返され、存続の危機に直面していた軍産 (学) 複合体が息を吹き返すにいたったのです。

  特に注目されるのが、湾岸危機発生直後 (1990年秋) にブッシュ (シニア) 米政権によって提唱された 「新世界秩序」 構想です。 この構想は、ソ連の消滅によって 「唯一の超大国」 となった米国が、その圧倒的な軍事力を背景にして同盟国の費用分担と国連の権威をフル活用することによって、 新しい世界秩序を構築しようとするものでした。それが、冷戦期における 「米ソ二極支配体制」 に代わる 「米国一極支配体制」 を志向していることは明らかであり、 「国際関係を支配するのは力、すなわち軍事力である」 という従来の権力政治観を維持する一方で、 主な脅威の対象を 「ソ連 (膨張主義)」 から 「地域覇権主義」 に移行させたところに特徴をもっています。 現在のブッシュ (ジュニア) 政権が追及している 「新しい帝国秩序」 はそのバージョンアップされた 「新世界秩序」 構想にほかなりません。

  また、コソヴォ自治州でのセルビア側によるアルバニア系住民への人権弾圧からの救済を大義名分として、 1999年3月に発動されたNATOによるユーゴ空爆の持つ意味も問われなければなりません。 このNATO空爆は、国連安保理での議決という正常な手続きを欠いたままで行われており、 「自衛権に基づく戦争」(第51条) や 「国連軍による武力制裁」(第42・43条) あるいは 「(安保理の許可に基づく) 地域的取極又は地域的機関による強制行動」(第53条1項) 以外の戦争・武力行使を一般に禁止している国連憲章 (第2条4項) ばかりでなく、 内政不干渉 (第2条7項) や国家主権の尊重といった国際法上の基本原則に対する明白な違反・挑戦でした。
  ユーゴ空爆は、NATOにとって第二次世界大戦後初めての 「域外への武力行使」 であったばかりでなく、 同年4月24日にワシントンで開催されたNATO創設50周年首脳会議で採択され、 新戦略概念に盛り込まれた 「非五条型危機への対応作戦」 のテスト・ケースでもありました。 これは、NATOが域外の民族・地域紛争に対して国連決議を欠いたままでも必要とあれば躊躇なく軍事介入するという、 「21世紀に向けてのNATOの新しい戦争形態」 を提起したもので、多国間軍事同盟であるNATOの生き残り戦略ともいうべき性格をもっていたのです。

  一方、日本では、冷戦が終結した90年代初めに、米国からの圧力を背景に、内なる 「政治改革」 と外となる 「国際貢献」 が模索され始め、 小選挙区制を柱とする新選挙区制度が導入され、軍事的国際貢献としての自衛隊の海外派遣が国連PKOへの参加などの形で実施されることになりました。 また日本政府は、拉致・不審船問題や核・ミサイル問題を通じての北朝鮮への国民感情の悪化を利用する形で、ミサイル防衛 (MD構想) への全面的参加、 朝鮮半島有事および台湾海峡有事への対応を前提とした有事法制化を積極的に推し進めました。
  9・11事件以降、米国の 「対テロ戦争」 を全面的に支持して、アフガニスタン戦争に第二次世界大戦後初めて自衛隊が米軍艦船などへの燃料補給という形で、 「参戦」 したばかりでなく、イラク戦争への側面支援をイージス艦派遣などの形で行いました。 さらに、イラク 「占領」 に対しても、引き続き自衛隊を戦地に派兵して米軍の攻撃をいまも支え続けています。 そして、軍事革命 (RMA) を背景とする米軍の世界的再編に伴う日米軍事同盟の強化・拡大、すなわち米軍と自衛隊の一体化を推し進めようとしています。
  特に、米国の 「ミサイル防衛」 戦略への積極的参加は、「対テロ戦争」 への全面的協力とともに、 日本国憲法が禁止する集団的自衛権の行使に事実上つながる道であり、 武器輸出禁止原則の緩和や非核三原則の見直しは日本においても軍産 (学) 複合体の誕生を告げるものであると言わねばなりません。

  現在の日本は、国際社会からの信頼を喪失したタカ派のブッシュ米政権に忠実に従うことによって、再びアジアで孤立しつつあると言ってよいと思います。 また、テロの脅威や犯罪者の増大を理由とした監視社会化が急速に進行したばかりでなく、 権力とメディアが一体化する 「メディア・ファシズム」 ともいうべき強権体制が着実に構築されつつあります。
  さらに、グローバリゼーション (=米国流資本主義の世界化) に合わせて新自由主義的経済政策、 すなわち 「規制緩和」 「小さな政府」 をスローガンとする 「構造改革」 が推進され、雇用の不安定化と貧富の格差の拡大に基づく格差社会、 すなわち新しい身分社会・階級社会がもたらされるにいたっています。 長引く不況の下で企業のリストラ・合理化が強行され、失業者や自殺者が急増しているばかりでなく、 非正規労働者の増大と貧富の格差拡大によって社会が少数の勝ち組と多数の負け組に分裂して二極化しつつあるのです。
  つまり、アメリカ発の金融危機と世界同時不況という経済危機を背景として排外的ナショナリズムが台頭し、 脅威・不安を利用した形での国民の保守化・右傾化と社会の軍事化が密接に結びつく形で、「戦争とファシズムへの道」 を歩もうとしていると言えます。 こうした状況がさらにエスカレートすれば、 朝鮮半島有事や台湾海峡有事などの形でアジアにおいて再び戦火を招くという最悪のシナリオもあり得ないことではなくなっています。

  このように現在の状況は、戦後民主主義が新しいファシズム・軍国主義の台頭によって最大の危機に立たされているばかりでなく、 権力とメディアが一体化した形で行う情報操作によって排外主義的ナショナリズムが煽られ、 その結果、異論を許さないような集団同調主義が急速に強まり危険な戦時翼賛体制が出現しつつあります。 そして、過去の戦争に対する反省・謝罪と不戦の誓いの上に出来た平和憲法の全面的改悪を行おうとしていることは、 アジア諸国に対する大きな背信行為となるばかりでなく、世界の非武装化という人類共通の理想の実現に向けた先駆的な役割を自ら投げ捨てることを意味しています。 しかし、はたしてアメリカの掲げる 「正義」 を追随することが賢明な選択なのでしょうか。 私たちは、21世紀の日本と世界のあり方を決定する重要な選択、すなわち平和か戦争かという決定的な岐路にまさに直面している今の段階で少し立ち止まって、 いま何をすべきで何をすべきでないのかをもう一度じっくりと考えてみることが大事なのではないでしょうか。 (続く)

2008年11月20日
木村 朗(きむら あきら、鹿児島大学教員、平和学専攻)