2008.11.27

「時代の奔流を見据えて──危機の時代の平和学」

目次 プロフィール
木村 朗 (きむら あきら、鹿児島大学教員、平和学専攻)

第二回 「忍び寄るファシズムの危機
──暗転する時代状況に抗して (下)」

☆9・11事件と 「テロとの戦い」 の欺瞞性
  21世紀初頭にアメリカで起きた9・11事件を契機として、ブッシュ政権は、「テロ」 を 「戦争行為」 だと断定して 「新しい戦争 (=対テロ戦争)」 を宣言し、 アフガニスタンに対する報復戦争、イラクに対する予防戦争を国際法・国連憲章や国際世論を無視して続けざまに強行しました。 そしてブッシュ政権は、自らが行った侵略戦争を 「自衛のための戦争」 としてばかりでなく、「正義の戦争」 「人道のための戦争」 として位置づけ正当化しようとしています。
  9・11事件後の世界的潮流の中で、一方では、「世界最大のならず者国家」(ノーム・チョムスキー) アメリカを中心とした 「新しい帝国秩序」 を、 イスラエル (中東) やイギリス (ヨーロッパ)、そして日本 (アジア) などが支える基本的な構図が出来上がりつつあります。
  ブッシュ大統領は、2002年9月20日に公表された 「米国の国家安全保障戦略」(予防戦争・先制攻撃戦略とも称される新しい戦略) の中で、 冷戦期に抑止と封じ込めを中心としてきた従来の政策を転換し、冷戦後におけるアメリカの圧倒的な軍事力の優位を前提に、 大量破壊兵器を持つ 「テロリスト」 や 「ならず者国家」 に対しては、必要ならば単独でも先制攻撃を行って政権を転覆させる 「予防戦争」 を打ち出しました。
  これは、国際協調、すなわち国連や同盟国・友好国との国際的な協力よりも自国の国益 (実は私益あるいは企業益!) を最優先させる、 アメリカの 「新しい帝国主義」 的な考え方を鮮明に反映しています。 そして、この 「ブッシュ・ドクトリン」 を先取りしたのがアフガニスタン戦争だとするならば、それを全面的に適用した最初の事例がイラク戦争であったと言えます。
  9・11事件以後の世界は、まさに新しい帝国秩序の形成、戦争とファシズムへの道へ向かいつつあるのではないかと思います。 ブッシュ政権はネオコン (新保守主義者) が主導権を握り、「新しい戦争 (対テロ戦争)」 を掲げ、 アフガニスタンへの 「報復戦争」(NATOによる域外への武力行使の再度の発動!) に続いて、 イラクに対しても一方的な先制攻撃 (「予防戦争」) を国連や国際世論を無視する形で強行しました。 今日ではイランやシリアに対する核兵器使用を含む先制攻撃の可能性が取り沙汰されています (北朝鮮については、 その後の方針転換でとりあえず今のところは攻撃対象から除外されているようです)。
  また、アメリカ国内では、9・11事件直後に 「愛国者法」 が制定され、主にアラブ・中東系の人々に対する 「予防拘禁」 や盗聴・検閲の強化がテロ対策の名の下に実施されました。 そして、世界中で 「安全」 のために 「人権」 を犠牲にすることを正当化する監視社会化が急速に浸透することになったばかりでなく、 「テロリスト」 とみなされた容疑者を罪名も告げずに無期限で拘束し拷問・虐待を行って自白を強要するという、 恐ろしい人権侵害がキューバのグアンタナモ基地など世界各地にある CIA が運営する (秘密) 強制収容所で日常的に行われるようになったのです。

  特に注目すべきことは、9・11事件以後の世界の中で平和と暴力が新たに定義し直され、その意味内容がなし崩し的に転換・変容されようとしていることです。 「テロリズム」 「原理主義」 や 「ナショナリズム」 「愛国心」 などの概念についても、「テロとの戦争」 や 「国際反テロ同盟」 の構築との関連で、 アメリカの恣意的かつ一方的な解釈・定義が急速に世界化しようとしています。
  すなわち、9・11事件直後にブッシュ大統領は、「世界は米国の側に立つのか、テロリストの側に立つのか」 という二者択一を国際社会に強要しました。 そして、「善」 と 「悪」、「文明」 と 「野蛮」、「正義」 と 「邪悪」、などを対立させる単純な二分法的思考がアメリカで支配的となり、 全世界に大きな影響を与えることになったのです。
  換言するならば、9・11事件以後の世界は、「平和のための戦争」 という欺瞞的な言葉に示されるように、 ある意味で、まさにジョージ・オーエルが 『1984年』 で予言したような倒錯した狂気の世界に近づきつつあるのかもしれません。
  しかし、こうした思考方法・考え方は、原爆・核兵器という 「文明」 の産物を使用して多数の民間人を殺戮することを 「正義」 として疑わないその 「野蛮」 という矛盾、 「平和のための戦争」 という欺瞞を覆い隠すものであり、真の 「平和」 とは程遠いものであることは明らかです。
  国家・権力とメディア・資本が一体となって進める、こうした意味の剥奪を暴き、平和と暴力の定義を本来の豊かな内容に戻すことこそが求められているのです。

  こうした世界的な軍事社会化や警察国家化の背後にあるのが、アイゼンハワー米大統領が1961年1月の告別演説で警告した軍産 (学) 複合体の存在です。 それは現在では国家の公的な政策に大きな影響力を及ぼすまでに肥大化しており、自由と民主主義を危機に陥らせようとしています。 目下急速に進められようとしている 「ミサイル防衛 (MD)」 構想、「宇宙への軍事化」 や 「戦争の民営化」 がそのことを如実に示しています。
  かつての原爆投下が「冷たい戦争」の発動につながった真の理由を明らかにする必要があるのと同じく、 9・11事件が 「テロとの戦い」 の契機となった本当の意味が真剣に問われなければならないと思います。

☆「騙される者の責任」と「平和への選択」
―思考停止と沈黙からの脱却を
  「とっくの昔に破局が訪れているのに、あたかも回避する方途や再生の道があるかのように、危機だ、危機だと騒ぐのも、この時代特有の詐術でしょう」 (辺見庸 『自分自身への審問』 毎日新聞社、2006年) との指摘があるように、根拠のない無責任な楽観論は厳に戒めるべきです。 戦後民主主義が 「安楽死」 しつつあるのは残念ながら事実です。
  しかし私たちは、現在の危機的状況がすでに全面的な破局に向かう 「不可逆点」 を越えているから何も打つ手はないと言って、ここで絶望し諦めることもできません。 次に続く若い世代のためにも、私たちが 「平和への選択」 をこの危機の時代においてこそ明確に提示する必要があるのではないでしょうか。 「わたしたちのファシズム (われわれのうちなるファシズム)」 という言葉があるように、最も問わなければならないのは、私たち自身の心のあり方です。 いま私たちが異議申し立てをそれぞれの方法・立場からしなければ、こうした状況がさらに悪化することは目に見えています。
  この点で、ファシズムと真正面から立ち向かわれたばかりでなく、戦前からのファシズム研究の先駆者の一人で、 戦後いち早く 『ファシズム』(岩波新書、1949年) を発表された故具島兼三郎先生の 「ファシズムはけっして宿命的なものでもなければ、不可抗力でもない。 要はわれわれがそれを阻止するために行動するかどうかである。行動しさえすれば、それを阻止することができる」 という言葉がずっしりと重く心に響いてきます。
  「過去に目を閉ざすものは、結局のところ現在についても盲目となる」(ワイツゼッカー・旧西独大統領の言葉)、あるいは 「過去の歴史を記憶できない者は、 過ちを繰り返すよう運命付けられている」(米国の哲学者ジョージ・サンタヤーナの言葉) とも言われます。
  私たちは一刻も早く、思考停止状態から脱却し、「騙される者 (沈黙をする者) の責任」(伊丹万作 「戦争責任者の問題」 『映画春秋』」 1946年8月号/『伊丹万作全集1』 筑摩書房 1961年、あるいはフランク・パヴロフ 『茶色の朝』 大月書店 2003年、にある高橋哲哉氏のメッセージより) を自覚するとともに、 かつてと同じ過ちを再び繰り返さないためにも、言論の自由が曲がりなりにも保障されているいまだからこそ、 一人ひとりが悔いのない選択・行動をする必要があるのではないでしょうか。

  それでは何をすべきかと言えば、やはり、自立と連帯、すなわち市民一人ひとりが身近かな問題に主体的に取り組むことからはじめて、 それを仲間とともに地域から全国、日本から世界へと大きく広げていくという地道な努力を日々重ねていくしか道はないと思います。 市民による権力と資本の監視・抑制こそが文民統制 (シビリアン・コントロール) の真髄であり、真の民主主義への道であることは言うまでもありません。
  具体的には、市民による独立したメディア・ネットワークの構築 (もちろん NPJ はその一つです!)、過去清算・戦後処理の根本的やり直し、 日韓中台あるいは日米の市民レベルでの連帯・協力の強化、独裁主義・ファシズムに道を開く非民主的な小選挙区制度の完全撤廃、 電子投票制度導入阻止と裁判員制度の全面的見直し、対米従属と思考停止の根源である日米安保条約の見直し・廃棄、 一連の言論統制法を含む有事法制の即時廃止、恒久派兵法の制定や憲法改悪 (解釈改憲および明文改憲) の阻止などの諸課題に早急に取り組まなければなりません。
  すでに世界 (特にアメリカ) では、9・11事件以降の催眠状態から覚醒した市民による平和と民主主義を取り戻すための運動が起こっています。 また日本国内でも、私たちに勇気と希望を与えてくれるさまざまな新しい注目すべき動きがすでに生まれています (過度の期待は禁物ですが、 今回のアメリカ大統領選挙でのオバマ候補の勝利は 「変革」 の第一歩に他なりませんし、来るべき日本の総選挙においても何らかの 「前進」 が見られるかもしれません)。
  最後に、いずれにしても時代状況は (特に日本において) その根底に置いて楽観を許さない厳しいものとなりつつありますが、 これから何とかこうした時代の暗転・逆流を阻み、それを反転させて明るい未来・展望につなげることができるように、 世界市民、すなわち身近な仲間・家族たちや日本全国や世界各地 (特にアメリカ・韓国・中国・台湾) の志・思いを同じくする皆さんと手をつないで前向きに取り組んでいきたいと強く思っています。

2008年11月27日
木村 朗(きむら あきら、鹿児島大学教員、平和学専攻)