2010.4.18更新

「時代の奔流を見据えて──危機の時代の平和学」

目次 プロフィール
木村 朗 (きむら あきら、鹿児島大学教員、平和学専攻)


第二一回 小沢問題をどう考えるか
−検察権力・マスコミ報道との関連で (中)


2.検察権力と記者クラブメディアの共犯関係を問う
─小沢氏・民主党政権が攻撃対象とされる理由は何か
  この小沢問題をめぐる論壇で注目される発言を見てみよう。下記は、「zames_makiの日記」 氏による、 この事件におけるメディア(特にテレビ)のあり方への批判姿勢に基づく色分けリストである (「小沢一郎関係のメディア批判の良い記事」 2010-01-22)。

[・完全な検察支持でメディアとしての自戒や反省まったくなし:みのもんた(TBS・朝ズバ)、三屋裕子、高木美也子、杉尾秀也(TBS・朝ズバ)、 辛坊治郎、橋本五郎(日本テレビ)、フジテレビ
・メディアとして多少の自戒あるものの基本は強い検察支持、結局悪い小沢一郎はなんでもいいから排除しろ:与良正男(TBS・朝ズバ)、 古館伊知朗(テレ朝・報道ステーション)、後藤謙次(TBS・総力報道)、蔦信彦(朝ズバ)
・厳しいメディア批判・検察批判を掲げる:上杉隆、郷原信郎、植草一秀、鳥越俊太郎(テレ朝・スーパーモーニング)、宮台真治(ビデオニュース)、 江川紹子、川村晃司(テレ朝・ワイドスクランブル)、大谷昭宏(テレ朝・スーパーJ)、愛川欽也(朝日ニュースター)、高野猛(THE JOURNAL)、 二木啓孝(THE JOURNAL)、山田厚史(朝日ニュースター)横尾和博(朝日ニュースター)、田原総一朗(サンプロ)、神保哲生(ビデオニュース)]

  上記のリストに私自身も特に強い違和感はないが、この間の小沢問題について、核心的な評論・コメントで突出した存在感を示したのは、 何といっても郷原信郎、上杉隆の両氏であり、報道機関では 『週刊朝日』 (山口一臣編集長)と 『日刊ゲンダイ』 であったことは多くの人が同意できるのではないだろうか。 もちろん、この他にも、ジャーナリスト・研究者では、鳥越俊太郎、高野猛、魚住昭、青木理、松田光世、岩上安身、宮崎学、大谷昭宏、江川紹子、田原総一朗、 神保哲生、山口一臣、二木啓孝、篠田博之、田中良紹、坂上遼、有田芳生、日隅一雄、渡辺乾介、青山貞一、森永卓郎、孫崎享、斎藤学、副島隆彦、 きっこさんの各氏や、「国策捜査」 の当事者や政治家では、植草一秀、佐藤優、鈴木宗男、三井環、緒方重威、佐藤栄佐久、石井一、ホリエモン、安田好弘、 平野貞夫、原口一博、亀井静香、田中康夫、白川勝彦、保坂展人、天木直人の各氏など、 また 『東京新聞』 『週刊金曜日』 『創』 『マスコミ市民』 『世界』 『月刊日本』 『SAPIO』 の一部特集)などの新聞 ・雑誌もそれぞれの立場・視点から注目すべき重要な情報発信を行っている。 今回の小沢問題報道では、フリーのジャーナリストの活躍が顕著で、インターネットメディアとウエッブ通信、ブログ・掲示板やツイッター、 YouTubeなどが威力を発揮したのが新しい特徴であろう。

  郷原信郎氏(弁護士・元検事、名城大学教授)は、すでに昨年3月に大久保秘書が逮捕・起訴された当初から、今回の検察強制調査について、 「小沢氏側の会計処理が本当に政治資金規正法違反と言えるのかどうかに問題がある」 と強い疑問を呈し、これでは政治資金規正法の罰則適用のハードルが下がり、 検察の恣意的捜査で、どんな政治家でも処罰できると指摘していた。 また、今回の事件の核心部分を「検察という、公訴権を独占し追訴裁量権を与えられている機関を巡る権力バランスについて、 本来あるべき相互チェックシステムがまったく機能していないことです」 「しかも、そこでチェック機能を果たすことが期待されるメディア・政治の両方とも、 検察権力に対してほとんど無力だった」 と語っている(郷原信郎 「民主主義を否定する特捜検察の横暴」 『週刊朝日』2009年4月10日号および 「傍観者の独り言」 2009-05-20、より)。

  さらに、郷原信郎氏は、石川議員の突然の逮捕について、「石川議員は、何故逮捕されたのかということを判断する上で最も重要な逮捕事実すら、 国民に正確に伝えられないまま、身柄を拘束され、通常国会への出席を阻まれた。 国会会期中であれば、国会議員の逮捕には逮捕許諾請求が必要となるが、その場合、逮捕の容疑となった事実が特定され、明確な理由を示すことが必要となる。 今回のような容疑事実では許諾請求など到底出来ないので、国会開会直前に逮捕したのではないかと思わざるをえない」 (『週刊金曜日』 2010年1月29日号 「小沢の「罪」とは何か?」 より)と踏み込んだ発言をしている。

  そして、検察捜査の最大のポイントになっているダム工事受注の謝礼として5000万円を小沢氏側に渡したという水谷建設元会長の供述に関連して、 「水谷建設元会長の供述の信用性には重大な問題がある。 同氏の贈収賄供述で立件された佐藤栄佐久全福島県知事の汚職事件では、 知事の弟が経営する会社の所有する土地を水谷建設が時価より1億7千万円高く購入することで、 「1億7000万円」 の賄賂を供与したとの事実で現職の知事が逮捕・起訴されたが、一審判決では賄賂額は7000万円に削られ、 控訴審判決では 「賄賂額はゼロ」 という実質的には無罪に近い判断が示された。水谷建設元会長の贈賄供述のほとんどが否定されたに等しい。 また、同氏が脱税で実刑判決を受けて受刑中であることからすると、仮釈放欲しさに検察に迎合する動機も十分にある。 このような供述を今回の一連の事件の核心的供述として扱うのは極めて異例だ」 (同上)と核心をついた指摘を行っている。

  また、フリージャーナリストの上杉隆氏は、昨年3月の西松建設事件に関連して、「私自身、議員秘書経験がありますが、その立場からしても、 政治資金収支報告書の記載漏れでいきなり身柄を取るのはあまりに乱暴すぎるように思う。 少なくとも逮捕の翌日から、小沢一郎代表(当時)はフルオープンの記者会見で説明を果たそうとしているのだから、 同じ権力である検察庁も国民に向けて逮捕用件を説明すべきだ。 とくに記者クラブにリークを繰り返している樋渡検事総長と佐久間特捜部長は堂々と記者会見で名前を出して話したらどうか」 (昨年3月、西松建設事件の発端となる大久保秘書の逮捕された直後にあったフジテレビの報道番組 『新報道2001』 での発言)と語り、 今回の石川議員の逮捕・起訴を受けて、「日本は推定無罪の原則を持つ法治国家であるはずだ。だが、いまやそれは有名無実化している。 実際は、検察官僚と司法記者クラブが横暴を奮う恐怖国家と化している。 昨年3月に大久保秘書が逮捕されてからの10ヵ月間というもの、記者クラブメディアは検察からの情報ばかりに拠って、 あたかも小沢幹事長が逮捕されるかのような報道を繰り返してきた。 だが、結果は小沢幹事長の不起訴であった。当然に法的にはシロであるはずなのだが、それでも最強の権力集団である検察と排他的な記者クラブの複合体は諦めない。 次に、国民からは道義的な責任を求める声が沸き起こっているとして、 世論の後押しで小沢幹事長を辞任させようとしている」 と検察官僚と司法記者クラブの共犯関係を糾弾している (「小沢幹事長問題ではっきりした メディアと国家権力の危険な関係」: ダイヤモンド・オンライン2010年02月10日)。

  また、『週刊朝日』 2010年1月29日号の記事 「検察の狂気」 では、「一連の出来事を 「犯罪捜査」 だと考えるから真実が見えにくくなる。 これは、人事と既得権を死守しようとする検察=記者クラブメディア連合体と小沢の 「権力闘争」 なのである。 新聞・テレビに小沢の悪性情報が溢れる一方、ネット上のブログやツイッターでは、一斉に検察批判が流れ出した。 検察が 「正義」 であった時代が終わろうとしている」 と述べて、「検察の正義」 が権力闘争を自ら仕掛けていく中で失われようとしているという、 まさに現在進行中の事態の本質を見事に暴いている。

  そして、検察のリーク情報の問題について、「日本の司法制度では、有罪が確定するまでは無罪である。 被疑者の段階で、あたかも被疑者が悪人であるというような世論を作らんが為のリークを検察がするのは間違っている。 (そんなリークをする弁護士は懲戒の対象になるかもしれない)。被疑者の人権問題になりかねない。 検察のリークがほしいマスコミは、まるで飼い主からえさをもらう犬のように、飼い主には吠えず、 ただ気に入られようとするあまりにしっぽをちぎれんばかりに振ることになる。検察のリークで紙面や番組を作っている新聞やテレビに検察批判ができるのか。 検察がもし間違ったことをしたときに、マスコミがどれだけそれを報道できるのか。一部のマスコミはそれを報道の自由だという。 接見した弁護士が漏らしているという検察と同じではないか。今回の事件で、検察のリークを批判し、検証したマスコミがあったか」 (「検察という国家権力にすり寄る記者クラブメディアの醜悪」: ダイヤモンド・オンライン2010年01月28日)と述べて、鋭い記者クラブメディア批判を展開している。

  ニュースキャスターの鳥越俊太郎氏は、2月18日、テレビ朝日 「スーパーモーニング」 の中で、小沢問題について、 「ただね、あのね、支持率が下がってきているってことがありましたよね。 これは当然、マスコミの論調に連動しているわけね。 マスコミが全部、『小沢疑惑報道』 をずっとやってますから、そりゃ当然、支持率下がってくるんですよね。民主党の支持率や、内閣の支持率も下がってくる。 ここにちょっとね東京新聞のね、論説の人が書いた 『論説室から』 というのをちょっと読んでみたいんですけどね、これは非常に示唆に富んでいる。 えー 『読者として多くの記事を読む限り、正直言ってこれはいったい、なんなんだという感じも抱いてきた。 なぜなら、当事者本人か捜査当局しか知り得ないような情報がしばしば盛り込まれているからだ。ときには当事者が捜査当局に供述したとされる内容が報じられている。 ということは、当事者が取材記者に話したか、あるいは当局が記者にリークしたのではないか。 疑惑があるならば解明されねばならないのは当然である。現場で取材する記者の苦労は理解できるし、多としたい。 だが、結果的に当局の情報操作に手を貸す捜査になっているとしたら、それもまた見逃せない』 という風に、東京新聞の論説員が書いてるんですね。 僕もやっぱり同じような疑問を持ってるわけ。やっぱり今回は相当ね、リーク情報でね、私たち世論は操作されている」 と語っている。
  また、「ニユースの匠」 (『毎日新聞』 2010年2月20日付)で、「それは私がかつて、検察庁という組織の、 骨の髄まで腐った不誠実さと恐ろしさを体感しているからに違いありません。検察という組織が根本のところで信じられないのです」 と述べ、 検察の裏金問題を内部告発する直前に逮捕された三井環氏(当時、大阪高検公安部長)のことに触れながら、 「私は税金を食いものにする裏金問題で誠意ある態度を見せない限り、検察庁を信用する気にはなれません」 と結んでいる。

  ここで、鳥越氏が言及している検察の裏金問題は、「年間6億円に上る調査活動費を裏帳簿で管理し、ゴルフや飲食、マージャンなどの遊興費や、 法務省幹部の接待費に充てている」 という三井環氏が2001年に告発したことで急浮上したが、 三井氏がマスコミ(ザ・スクープ担当の鳥越氏ら)と接触しはじめていた2002年4月に突然、大阪地検特捜部に電磁的公正証書原本不実記載、 公務員職権乱用など “微罪” で逮捕されたことによって封じ込められることになった。
  その直接の当事者で刑期を終えて出所してきたばかりの三井環氏が、「第1の犯罪」 は、調査活動費を幹部検事らの私的な遊興費に回し、 その私的流用のために虚偽公文書作成罪などの犯罪行為が公然と検察内部で行われていたこと。 「第2の犯罪」 は、調査活動費に関する第1の犯罪が刑事告発を受けた際に、検事総長らが、ある自民党実力者のもとを訪れ、 検察組織による裏金隠蔽を黙認するよう働きかけたこと。 そして、現職のまま検察の裏金について告発しようとした三井氏に対して、ありもしない事件をでっちあげて逮捕したこと、これが 「第3の犯罪」 である」 (元大阪高検・三井環氏が語る 《検察の裏金》 (前)、 【JANJAN:三上英次記者による講演記録】)と検察が犯した三つの犯罪を改めて告発している。
  また、三井氏は、小沢氏の秘書逮捕問題について、「政治に影響を及ぼす時期に逮捕はしない――これは、検察の不文律であり、よき伝統だったのです」 「あの時期の逮捕が、法務・検察の考えではないことは明らかです。自民党の支持率アップをねらいたい人たちによる、検察を用いた捜査と言うのが妥当なところです」 「つまるところ――裏金を隠蔽しているという弱みです。その弱みがあるからこそ、検察は政治に利用される。 政権の不正を追及するという、検察本来の役割が果たせていないのです。 その元凶は、さきに私が言った〈けもの道〉にあるのは明白です」 同上(後) )と重要な証言を行っている。

  さらに、『日刊ゲンダイ』 2010/01/29の記事 「小沢捜査を斬る!〜これは検察の戦争だ 戦争だから何でもやる 元大阪高検公安部長・三井環氏が語る」 では、 「検察はここ数年、自民党の大物政治家に手を出していない。自民党と一緒に “けもの道” に踏み込んだのです。 しかし、民主党政権誕生で慌てることになる。民主党は取り調べの可視化法案や、検事総長人事を国会承認案件にすることに積極的です。 仮に検事総長が民間人になれば、隠してきた裏金問題が明らかになってしまう。だから何としても民主党政権を潰したい。そんな思惑が見えます。 だとすれば、検察と小沢幹事長の捜査は 「戦争」 です。戦争だからあらゆる策略を使う。 検察は積極的にマスコミに情報をリークし、捜査を有利に進めようとするでしょう。リークは検察内の隠語で 「風を吹かす」 という。 国民世論を味方に付け、容疑者を逮捕・起訴する頃に 「大悪人」 に仕立て上げるのは彼らの常套手段です。 小沢氏は国会に対して説明責任があっても、検察に対しては全くない。黙秘を貫くべきです。いろいろ話すから検察がそれを利用し、リークを流す。 そんな検察の思惑に乗って 「説明責任」 を騒ぐマスコミもどうかしています。 検察の不祥事を見逃し、傲慢なやり方を批判しないマスコミが検察の暴走を助長していると思います」 と政治と検察と 「けもの道」 ばかりでなく、 検察とマスコミのリーク情報を通じたもたれ合いの関係を、自らの体験に重ね合わせながら率直に述べている。

  新党大地の鈴木宗男代表は、今年1月16日の民主党大会での挨拶の中で、 自分自身も8年前に検察のリークでムネオハウス問題などで世論のバッシングを受けた経験に触れながら、「石川代議士から、私は聞いたんです。 『あなた、マスコミにサービスして情報提供をしているのか』 と言ったら、『私は何も言っていない!』 と。『ところが私の言ったことがカギカッコで新聞やテレビに出てくる。 非常に不思議です』、こう言ってましたよ(問題だ!の声)。じゃあ、だれがリークしているかっていったら、そのことを知っているもう一方の検察しかないじゃないですか、 みなさん!(大拍手と歓声)。どうぞみなさん、ここは冷静にね、考えてください(どよめき)。検察が正義の人だと思ったら大間違いです(その通り、の声)」 と訴え、 「皆さんね、特捜部がエリート意識をもって、おれたちが国家の支配者だ、おれたちがエリートだ、国民から選ばれた政治家じゃなくて、おれたちが国をリードするんだ、 思い上がった考えでみなさん、権力を行使されたらどうなるかということをですね、ぜひともお考えをいただきたいと思います」 と述べた後で、 そのためにも全面可視化が必要であると強調している (「狙われたら誰でもやられる」)。

  また、鈴木氏は自分のブログの中で、「東京地検 小沢氏秘書を聴取」 と夕刊各紙は報じている。検察しか知り得ない情報がどうして漏れるのか。 よくメディアは 「反権力」 と言うが、実際は権力の流す裏付けのとれない情報を鵜呑みにして記事を書かざるを得ない。 そうして、知らず知らずのうちに世論誘導がなされていく。権力のなせる怖さである。 真実、事実のみを国民に知らせてくれれば良いことが、権力の掌(てのひら)に乗ってしまい、「我先に」 という報道が多いのではないか。 検察には国家公務員としての守秘義務が当然ある。それを自分達の有利な状況作りにつかわれたのでは、たまったものではない」 (【ムネオ日記】 2010年1月5日)述べるとともに、「単純な記載ミスを意図的にやったと言わせるやり方は、誤導、誘導である。 それを経験した者として、私はそれなりに検察のやり方が想像できる。読者の皆さんも是非考えてほしい。 密室での検事とのやり取りは、一般の人にとって大変な精神的負担になる。だから取調の全面的な可視化が必要なのだ。 被疑者は勿論、将来証人、参考人になりうる人に対する聴取も全面可視化すべきだ。そうすれば、冤罪はなくせる。 改めて、取調の全面可視化を訴えて行きたい」 (【ムネオ日記】 2010年1月14日)と強調しているが、 いずれも体験者ならでは迫力と強い説得力を感じさせるものである。

  検察とメディアの関係について、フリージャーナリストの青木理氏は、『月刊日本』 2010年3月号の記事 「マスコミよ、目を覚ませ!」 の中で、 「検察リークを受けて報道がつくられているというより、むしろメディア自らが進んで検察の提灯持ちに走っている、というのが実態に近いはずだ。 (略) 今の新聞やテレビでは、検察の動きをいち早く掴んで報じるのが 『特ダネ』 とみなされる傾向が強い。 畢竟、メディアの記者たちは、検察官と同じような視線になってしまい、検察側に寄り添って大掛かりな取材を繰り広げる。時には検察の先回りをして世論を煽る。 巷間言われているほど検察からの直接リークというのはおそらく多くない」 と語る一方で、「メディアが 『第四権力』 かどうかには異論もあるが、 もし権力だとするならば、新聞は徹底的に民の立場に立つ権力であるべきだ。官僚や政治家に寄り添うのでなく、徹底して少数者、 弱者の声を代弁するべきだと考える」 と述べて、真の意味でのメディアの再生を提起している。

  同じくフリージャーナリストの魚住昭氏は、国策捜査が頻繁に行われる引き金になったのが1992年の東京佐川急便事件であり、 特捜部の捜査能力の低下が明るみに出た事件の一つが、 「今の特捜部長・大鶴基成検事(現東京地検次席検事―木村)が調べにあたった元官房長官・村岡兼造氏の政治資金規正法違反事件だ」 と指摘している。
  また、「こうした捜査能力の低下以上に深刻なのが検察中枢部で起きているモラルハザードである。 02年4月、最高検は大阪地検特捜部に命じて、検察の裏金づくりを内部告発していた三井環大阪高検公安部長を逮捕させた。 容疑は、三井氏が購入したマンションの登録免許税を免れるため、住んでもいないマンションに住んでいるとした虚偽申請をした? 職務上の必要がないのに暴力団関係者の前科調書を取り寄せたという、取るに足らないものだった。誰の目にも明らかな口封じ逮捕である。 断言してもいいが、そのことを知らぬ検察関係者はいない。しかし、それを公然と口にする現職の検事や事務官もいない。 組織を裏切れば、三井氏と同じ目に遭うのを知っているからだ」 (『AERA』 2006.7.10号の記事、【日々坦々】 2010/01/28より) とかなり前から特捜検察の捜査能力の劣化とモラルハザードを問題視しており、 石川議員逮捕・起訴後には、「私は今回、検察が再び小沢さんの捜査に乗り出した一番の動機は昨年の西松建設事件の “失地回復” だと見ています。 (略) その焦りが裏目に出たんじゃないでしょうか」 (『週刊朝日』 2010年2月26日号)と独自の見解を披露している。

  ここまで私が注目している論者を中心に、小沢問題についての主な主張・見解をみてきた。 この他にも多くの論者がさまざまな視点からこの小沢問題を論じているが、ここで再び、今回の小沢問題の背景とそれが意味するものを考えてみたい。 前回の評論で、小沢問題の本質は 「民主党VS全官僚機構」 あるいは 「鳩山連立政権VS官僚機構・自民党・マスコミ(・米国)」 という権力闘争・政治闘争に他ならず、 検察権力の恣意的乱用とそれに追随するマスコミの権力監視機能の放棄、 そして、「検察の正義」 を微塵も疑わずにマスコミ報道を鵜呑みにして翻弄される我々一般国民の思考停止こそが目下の最大問題、 すなわち日本の民主主義の危機をもたらす根源的問題である、と結論付けた。今回ご紹介した多くの論者の見解はそれを裏付けるものであったと言えよう。 現時点で、さらにこれに付け加えるとすれば、この権力闘争の決着は小沢氏の不起訴決定がなされた現在でもついておらず、 インターネット・電脳空間を中心に形成されつつあるもう一つの 「本物の世論」 の動向がその決定的な鍵を握っているということである。

  最後に、ここまでの分析・叙述で、あまり触れられていない重要な問題がある。それは言うまでもなく、「米国の影と圧力」 についてである。 この問題について、精神科医の 斎藤学(さいとうさとる)氏が、『東京新聞』 2010年2月10日付の 「本音のコラム 小沢氏失脚の陰謀」 で、 「小沢一郎という希有(けう)な政治家は仕事もさせてもらえぬまま、葬られようとしている。〈官・報〉癒着世論は彼の失脚をもくろみ、半ば成功した。 (略) 思えば、自民党離脱以降の彼に一筋の希望を託した者は一定いたが、一定数を超えなかった。 その一人として私は思うのだが、この政治家は二つの注目すべき持論を隠し持っている。一つは米国との距離を測り直すこと、 他のひとつは象徴天皇制を隠れみのにした官僚支配への問題意識だ。もちろん、彼自身はこれらを語らない。彼は私より一歳年下。 次の復権はない。ここを何とか凌(しの)いでほしい」 という重要な指摘を行っている。

  また、1月14日にフリージャナリストの岩上安身氏が孫崎享氏(元外務省国際情報局長)へのインタビュー記事 (「Web Journal ニュースのトリセツ」 2010-02-11)で、 孫崎氏は 「小沢一郎は、アメリカにとっては危険な政治家です」 とし、「やっぱり、実際問題としてどうなっているか分かりませんけれども、推測からいきますとね、 一番最初に小沢さんの問題が始まったのは西松建設だし、西松建設と、もしも小沢さんと、推定ですけれども、建設業界が密着しているということであれば、 国内にいろいろな材料があるわけですよ。でしょうね、普通は。 しかしスタートは、外為法か何かで外国から出発していますよね(2009年2月3日、外為法違反で西松建設の前社長と元副社長が起訴された)。 ということからいくと、単純に日本の国内だけの動きでないかもしれない」 と小沢捜査の発端に関わる重要な指摘をしている (※ 「西松建設前社長、容疑認める 外為法違反事件」 2009/02/04 【共同通信】)。

  また、「検察の動きを見ていると、アメリカの意思が分かる」 という自分の発言の意味について、「特捜部という組織について知るには、その起源を知らなくてはならない。 特捜部の出発は、GHQ(進駐軍)が支配していた戦後直後にさかのぼるんです」 「愛国者という言葉を避けると、その時の政府に、 その時の日本の権力者に歯向かう役割で特捜部はスタートしているわけですよ。じゃあ誰が後ろ盾にいるかというと、米軍がいたわけですよ。 それが今日まで続いているわけです」 と答えている。

  さらに、岩上氏が 「そうなんですか、なるほど。日本国内の、国民に選ばれた正当な政治権力に対しても特捜部は歯向かう。 その背後には、そもそも出発点からアメリカの存在があった。ということは、東京地検が日本が対米隷属から離れて、 独立独歩の道を歩もうとする政治家をねらい打ちにしてきたのは、ある意味で当たり前なんですね」 と話を続けると、 孫崎氏は 「当たり前。だから、特捜部の姿勢は一貫している。田中角栄にも歯向かう。 要するに、非常に簡単なことなんですけど、官僚が時の政府に立ち向かうということは、普通やらないです。 しかし、時の政府よりも強いものがいると思うからやるんです」 と応じている。

  この孫崎・岩上両氏の対談記事は、岩上氏のまとめの 「検察と、主要マスメディアがやっていることは、集団狂気による集団リンチに等しいと思います。 捜査のデュー・プロセスも、推定無罪の原則も、冤罪可能性への配慮も、集中報道による人権侵害の懸念も、何もない。 それが、小沢一郎という権力者に対する 『反権力』 のポーズをとりながら、実は、より上位の権力にこびへつらっている姿であるとすれば、看過できないですね、 やはり」 という言葉も含めて、大変貴重な示唆を与えてくれるものである。 まさに、小沢問題ばかりでなく、戦後の安保・沖縄問題を中心とする日米関係の本質を知るための第一級の資料であると言えよう。

  なお、これに関連した貴重な情報提供を植草一秀氏と副島隆彦氏がしているので、ご紹介しておく。
  ・植草一秀の 『知られざる真実』 2010年2月2日 「CIA対日工作の歴史から見る小沢氏資金問題」
  ・植草一秀の 『知られざる真実』 2010年2月3日 「副島隆彦先生が提供された重要情報」

  特捜部による1年以上にもわたる執念とも言える小沢捜査は結果的に不起訴に終わったが、 その背後に検察当局(上層部が現場検事を押さえる形で)と小沢氏側との間で何らかの手打ち(一種の 「司法取引」)がなされたのではないかという観測は多い。 小沢氏の不起訴決定(2月4日)の直前にキャンベル米国務次官補(東アジア・太平洋担当)が突然訪日して小沢幹事長と会談して米国訪問を直接要請したことや、 不起訴決定直後(2月6日)に政府が今国会での提出を目指している国家公務員法の改正案で、検察庁と宮内庁が制度改革の対象から外されることが発表されたこと、 あるいは亀井静香金融・郵政改革相が2月3日に日本郵政グループのゆうちょ銀行の資金運用で米国債や社債などに多様化していくべきだとの考え方を示したことが、 その理由として挙げられている。 だがその一方で、特捜部は国税庁の協力も取り付けて新たな体制で小沢捜査を継続しているとの情報も流されている。 3月初めに異例の形で行った人事異動 (特捜部を指揮する東京地検次席検事に元特捜部長で 「小沢氏を起訴すべき」 と強く主張したとされる大鶴基成最高検察庁検事を抜擢) がその何よりの根拠とされている。

  この間、小沢問題での検察権力の暴走とマスコミの過剰報道に対して厳しい批判を行ってきた急先鋒である郷原・上杉両氏が、 不起訴処分と受けた後の小沢幹事長の 「検察当局が公平公正な捜査をやった結果だということはそのまま受け止めていきたい」 という発言 (鳩山首相も 「検察は公正な立場からこのような判断をしたと受け止めている」 と発言している)を取り上げて強く非難しているのは、 すでに元秘書ら3人が起訴されており、 それまで小沢氏が検察による権力の行使を問題視して 「検察がどういう判断をしようと徹底して戦う」 (鳩山首相も 「どうぞ戦ってください」 とエールを送っていた!) と検察当局を強く批判していたことを考えれば、ある意味で当然であろう。 いずれにしても、残念ながら現時点ではその真相は未だ闇の中であり、本当のことが我々一般市民に分かるようになるのはまだ先のことになるであろう。 (続く)
2010年3月8日