2010.12.11更新

「時代の奔流を見据えて──危機の時代の平和学」

目次 プロフィール
木村 朗 (きむら あきら、鹿児島大学教員、平和学専攻)


 第二六回
鹿児島老夫婦殺害事件の裁判員裁判での
無罪判決と幻の死刑判決について

  全国に注目を集めていた鹿児島老夫婦殺害事件については、死刑判決の予想が多かったと思いますが、 結局、今朝(12月10日)鹿児島地裁で出されたのは無罪判決でした。下記は、事前に準備していたものも含めた二つの記事原稿案です。 当初A案の方を先に準備していましたが、結局、B案となりました。

  今回の無罪判決を裁判員制度導入の成果としてのみとらえる声が出始めているように思いますが、とんだ思い違いだと思います。 無罪判決になった最大の理由は、 なんと言っても平島正道裁判長の英断だと思います(その平島正道裁判長の気骨に注目する次の記事 「【死刑求刑で無罪判決】 同様のケースで審理に加わった裁判長 殺人罪問われた男性にも無罪」 にもご注目!)。
  もちろん今回の事実認定で示された 「市民感覚」 の健全さは陪審員制度に条件付で賛成する僕としても嬉しい 「誤算」 ではありますが…。

  少し気なるのは、もし死刑判決であれば、 冤罪・誤判に裁判員が加担させられる最悪のケースとなったことや警察の捏造だとすれば大変な犯罪行為であるという認識が希薄であることです。 捜査当局(検察・警察)とメディア関係者の無反省な対応を見れば、無罪判決という結果自体は歓迎しつつも、 無条件でとはいかないというのが評者である私の今の偽らざる心境です。

  それにしても志布志事件といい、今度の裁判員裁判といい、なぜ鹿児島で? と思わざるを得ません。

  鹿児島老夫婦殺害事件で無罪判決
−裁判員裁判見直しの契機になるか (B案)
  昨年6月に鹿児島市で老夫婦が殺害された事件で、裁判員裁判で5例目の死刑求刑で初めての無罪判決が、 本日(12月10日)鹿児島地裁(平島正道裁判長)で出された。この鹿児島での裁判員裁判は、完全否認事件で全国初の死刑求刑、 公判日程が40日という異例の長さ、全国最多の裁判員選任辞退(295人中233人)など、昨年5月に裁判員裁判始まって以来、 その存在意義が問われる最初のケースとなった。そこで、この裁判員裁判を検証し、今後の裁判員制度のあり方を考えてみたい。

  本件では、初公判から結審まで、検察側(無職白浜政広被告・71歳による金品目当ての凶悪な強盗殺人・住居侵入罪を主張) と弁護人・被告側(被告人は無実・潔白、顔見知りの怨恨による犯行と反論)は真っ向から対立している。 特に、自白も目撃者も無いなかで、 数少ない物証とされた侵入口の脇に立て掛けられたガラス片にあった指紋や金品を物色したとされる整理ダンスの中の封筒に付着していた掌紋、 侵入口の掃き出し窓から発見された細胞片でのDNA型鑑定の一致は 「第三者(真犯人あるいは警察)」 による 「捏造」 の可能性があるとの弁護人・被告側の弁論内容はまさに衝撃的であった。

  本件は完全否認事件でこれまでと違って事実認定自体が最大の争点で、 しかも双方とも決定的な直接証拠を欠いているため裁判員にとってその判断は非常に重く困難であった。 本件で、裁判員は、死刑か無期懲役かの苦渋の選択ではなく、死刑か無罪かの究極の選択を迫られた。 密室での評議がどのように行われたのか、 また、評決が裁判官3人と裁判員6人による全員一致か多数決であったのかは、 非公開で裁判員には罰則付きの厳格な守秘義務が課されているため不明である。 結果的に無罪判決となったのは、検察側立証の信憑性に対する素朴な疑問(現金・通帳などが手つかずであったことや執拗かつ残虐な殺害方法から、 強盗殺人ではなく怨恨による殺害が推察される)という形で 「市民感覚」 が反映されたという以上に、 弁護人側の要請に応えて裁判員裁判初の現場検証を実施するなど慎重かつ適切な訴訟指揮を行った裁判長の手腕に負うところが大きいのではないか。

  評者も、今回の無罪判決は妥当であると考える。ただ最大の疑問は、 弁護人・被告側の主張する第三者による証拠捏造という重大な犯罪行為の有無がほとんど検証されなかったことである。 被告人の犯行であることを示す唯一の手がかりとされた指紋・掌紋とDNA型の一致は 「転写、捏造が可能」 で何らかの 「偽装工作」 があったとする弁護人側の主張に対して、判決要旨ではそれを否定して 「現場に行ったことは一度もない」 という被告人の供述を 「嘘」 と断定している。 この点は、肝心のDNA型再鑑定が不可能になっている謎や真犯人の特定も含めてさらに真相を明らかにする必要がある。

  本日の無罪判決を受けて、検察側が控訴する可能性は残されているが、「犯人と被告人との同一性についての検察官の主張は、 もはや破綻したと評せざるを得ない」 という判決要旨からして検察側は控訴を直ちに断念すべきであると考える。 また、これまで今回の事件を 「鹿児島老夫婦強盗殺人事件」 と一貫して報道してきたマスコミ関係者にも再考を求めたい。

  今回の裁判員裁判は、さまざまな問題点・矛盾を指摘されている現行の裁判員制度の大幅な見直しや根本的修正 (多数決から全員一致への評決方法の変更や被害者参加制度との切り離し、あるいは条件付での陪審員制度への転換を含む) につながる大きな影響をあたえる予感がする。

  鹿児島老夫婦殺害事件での死刑判決
−裁判員制度の危うさを露呈 (A案)
  昨年6月に鹿児島市で老夫婦が殺害された事件で、裁判員裁判で4例目の死刑判決が、 本日(12月10日)鹿児島地裁(平島正道裁判長)で出された。この鹿児島での裁判員裁判が注目されたのは、全面否認事件で全国初の死刑求刑、 公判日程が40日という異例の長さ、全国最多の裁判員選任辞退(呼び出し上を送付した295人中233人)など、昨年5月に裁判員裁判始まって以来、 その存在意義が問われる試金石となったからである。そこで、この裁判員裁判を検証することで、今後の裁判員制度のあり方を考えてみたい。

  本件では、初公判から結審まで、検察側(無職白浜政広被告・71歳による金品目当ての凶悪な強盗殺人・住居侵入罪と主張) と弁護人・被告側(被告人は無実・潔白であり、事件は被害者と顔見知りの怨恨による犯行と反論)は全面対決の様相となった。 特に、被告人の自白も犯行の目撃者も無いなかで、数少ない物証とされた侵入口のそばにそろえた形で置かれたガラス片に付着していた指紋や、 金品を物色したとされるタンスの中にあった封筒に不自然な形で付着していた掌紋、 DNA型鑑定で被告人のものとされた侵入口の掃き出し窓引き戸から発見されたという細胞片は、 第三者(真犯人あるいは警察)による 「捏造」 の可能性があるとの弁護人・被告側の弁論内容はまさに衝撃的であった。

  これまでの裁判員裁判では主に量刑の判断が中心であったが、本件は全面否認事件で事実認定自体が最大の鍵で、 しかも双方とも決定的な直接証拠を欠いているため専門家でも意見が分かれるほど非常に困難なものであった。 本件で裁判員は、1.被告人を犯人・有罪とするだけの十分な根拠があるか、という事実認定をまず行ない、また有罪とした場合、 2.死刑か無期懲役か、という量刑判断を行ったわけであるが、被告人が犯行を一貫して否認していたため、情状酌量の余地がないと判断され、 死刑判決が出されるにいたった。 本件で、裁判員は、死刑か無期懲役かの苦渋の選択ではなく、死刑か無罪かの究極の選択(まさに 「悪魔の選択」)を迫られたことになる。 密室での評議がどのように行われたのか、 また有罪・死刑判決という評決が裁判官3人と裁判員6人による全員一致か多数決(裁判官最低1人を含む5人以上)であったのかは、 非公開で裁判員には罰則付きの厳格な守秘義務が課されているため不明である。 もし14日間行われた評議の中でも意見が一致せずに多数決で死刑判決がなされたとすればきわめて重大である。 なぜなら、何人かの裁判員は、被告人が犯人である旨の 「合理的な疑いを差し挟む余地のない程度の証明」 は検察側の立証では不十分であり、 「推定無罪」 の原則から被告人は当然に無罪とすべきであると考えたと推定できるからである。

  評者自身も、検察側の立証はきわめて粗雑であり、「推定無罪」 の原則から無罪判決以外の結論はありえないという見方・立場である。 すなわち、今回の裁判において、 被告人の犯行であることを示す直接証拠を欠いており(その唯一の手がかりとされた指紋・掌紋と細胞片・DNA型の一致は、 「転写、捏造が可能」 で間接証拠に過ぎない、またDNA型再鑑定が不可能になっていることも不可思議である)、 自白・目撃証言もなく、状況証拠に関しても立証がきわめて不十分(たとえば、凶器と断定された金属片スコップから細胞片が発見されず、 被告人の衣服や車から血痕が発見されていないこと、逃走経路も不明で、現場に残された足跡が被告人のものと一致しないなど)である以上、 「疑わしきは被告人の利益に」 の基本原則が適用されるべきであると解しているからである。

  本件のような職業的裁判官でも判断が分かれるような重大事件で、 刑事裁判に全くの素人である一般国民から選ばれた裁判員が本当に正しい事実認定を行なうことができるのか、 また死刑判決を最終的には多数決で決するような評決のあり方が妥当であるかについて評者には強い疑問がある。 それだけではない。 検察側立証の信憑性への懐疑のなかには、 弁護人・被告側の主張する第三者(真犯人あるいは警察)による証拠捏造という重大な犯罪行為の有無が検証されなかったことへの疑問も当然含まれている。 本日の死刑判決を受けて、弁護人・被告側が控訴を行うことは確実であり、上級審(高裁・最高裁)において、被告人の無実を勝ち取るだけでなく、 この問題の解明をより前面に出した形での法廷戦術が展開されることを強く期待したい。 そうすることが、 さまざまな致命的な欠陥を抱えた現行の裁判員制度の大幅な見直し(多数決から全員一致への評決方法の変更や被害者参加制度との切り離しなど) や、裁判員制度の廃止(あるいは条件付での陪審員制度への転換を含む)に導くであろうことを確信しているからである。
2010年12月10日(金)