2011.6.23更新

「時代の奔流を見据えて──危機の時代の平和学」

目次 プロフィール
木村 朗 (きむら あきら、鹿児島大学教員、平和学専攻)


 第三一回

福島 「原発震災」 の意味を問う
〜錯綜する天災と人災(その二)


専修大学キャンパス内のNGOキャンプ(石巻市)

  はじめに
  先月(5月)の22日から24日までの2泊3日、仙台市を拠点にレンタカーで、 ゼミ卒業生の越智信一朗君(ピースボートのボランティアとして石巻市で支援活動に参加)と一緒に被災地である、宮城県の東松島市、石巻市、女川町、 南三陸町、気仙沼市と岩手県の陸前高田市を訪れる機会がありました。いずれの地域も筆舌に尽くしがたいほどの被害状況であり、 それが現実であることが今でも信じられないような光景ばかりでした。本当にあっという間の駆け足の訪問でしたが、 今回自分自身が直接現地で見聞したことは一生忘れることはないだろうと思います。

  4月24日の福島県・いわき市に続く、今回の被災地訪問でしたが、まだ頭の整理ができておらずうまく表現できませんが、 本当に多くのことを考えさせられました。そして、この経験を自分なりに何らかのかたちで、少しでも多くの人々にお伝えしたいと思っています。
  ここでは詳しい訪問記は省かせていただきますが、この場をお借りして、現地でボランティア活動に従事されている方々に敬意を表させていただくとともに、 現地で初めて出会ってお世話になった方々にも深く感謝したいと思います(また、あらためて、今回の大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、 被災された方々に心からのお見舞いを申し上げます)。

  2.福島 “原発震災” はなぜ起きたのか
−大震災(地震・津波)と原発事故は予測(警告)されていた
  「貧しいものはよりひどく貧しく、富めるものはよりいっそうゆたかになるだろう。すさまじい大地震がくるだろう。 それをビジネスチャンスとねらっている者らはすでにいる。富める者たちはたくさん生きのこり、貧しい者たちはたくさん死ぬであろう。
  階級矛盾はどんどん拡大するのに、階級闘争は爆発的力をもたないだろう。性愛はますます衰頽するだろう。 テクノロジーはまだまだ発展し言語と思想はどんどん幼稚になっていくであろう。ひじょうに大きな原発事故があるだろう。
  労働組合はけんめいに労働者をうらぎりつづけるだろう。 多くの新聞社、テレビ局が倒産するだろう。生き残ったテレビ局はそれでもバカ番組をつくりつづけるだろう。」


辺見庸さんの母校・門脇小学校(石巻市)

  上記の文章は、作家の辺見庸さん(宮城県石巻市出身)が大震災の前に書き上げたといわれる論考 「標なき終わりへの未来論−パノプティコンからのながめ 生き延びることと死ぬること」 『朝日ジャーナル・知の逆襲第2弾(副題 「日本破壊計画」)』 増刊2号(2011年3月19日発行の巻頭エッセイ)のなかの一節です。
  この辺見さんの文章は、まさに今回の未曾有の大震災(巨大地震、大津波)と大規模な原発事故に私たちが直面することをあたかも 「予言」 するかのように書かれたようにも思われます。しかし、辺見さん自身は、大震災後に放映されたNHK番組 「こころの時代〜宗教・人生〜シリーズ “辺見庸が語る大震災−瓦礫のなかから言葉をひろって−”」 の中でも語られているように、 自分の紡いだ言葉と文章が 「(宗教的)予言」 であるかのように受け取られることは決して本意ではないようです。 そして、そのことを、あくまでも 「予感」、それも 「予覚」 という辺見さんならではの独特の言葉で表現されています。 そのような 「予感」 は、辺見さんの著作 『忍びよる破局』 [文庫] 角川書店(2010年10月)や 『不安の世紀から』 [文庫] 角川書店 (1998年2月)でも語られています。

  そのことを辺見さんは近著 『水の透視画法』 (共同通信社、2011年6月刊行)の 「予感と結末 まえがきにかえて」 で、 「戦争や大震災など絶大無比の災いのまえには、なにかしらかすかに兆すものがあるにちがいない、というのがわたしの勘にもひとしいかんがえである。 作家はそうした兆しをもとめて街をめぐり、海山を渉猟し、非難におくせずものを表現するほかないさだめにある。 からだの内側にあわだつ予感と外側をそっとかすめる兆しの両様に耳をそばだてなければない」 と述べています。

  それにしても、辺見さんの作家としての他者の追随を許さない表現力と鋭い感受性・想像力はいうまでもなく、 実存するひとりの人間としての本能的な直感と苦悩・希望、最前線のジャーナリスト体験に裏打ちされたリアリティのある深い洞察力・分析力、 そして優れた思想家・哲学者としての徹底した内省的な思考方法に基づく見事な問題設定とメッセージ伝達力には本当に驚嘆するべきものがあると思います。

  さらに辺見さんは、共同通信配信の連載エッセイ 「水の透視画法」 の最終回 「非情無比にして荘厳なもの 日常の崩壊と新たな未来」 (「震災緊急特別寄稿」 (前掲 『水の透視画法』 に掲載、 また 『北日本新聞』 2011年3月16日付朝刊を紹介している ブログ も参照)のなかで、 「わたしはすでに予感している。非常事態下で正当化されるであろう怪しげなものを。あぶない集団的エモーションのもりあがり。 たとえば全体主義。個をおしのけ例外をみとめない狭隘な団結。歴史がそれらをおしえている非常事態の名の下で看過される不条理に、 素裸の個として異議をとなえるのも、倫理の根源からみちびかれるひとの誠実のあかしである」、 と大震災後の日本社会の本質的変化をも 「予感」 しています。

  その辺見さんの 「予感」 は、ごく最近書かれた特別評論 「破壊と不安と君が代」 (『熊本日々新聞』 6月2日付)のなかでも、 「原発禍のなか、せまりくる次の大震災。あてどない未来…。人びとの情動は、おそらく戦後もっとも大きなゆれ幅で日々うねりをくりかえしている。 知りあいの古老によれば、いまの社会心状はむしろ戦時につうじるものがあるという。ものごとは国家、地域、集団、組織優先が当然とされ、 生身の個人はのどもとまででかかった異論を飲み込んでしまう。 …大震災と原発事故でかつてない心的外傷を負ったこの国は、だれもそうはっきりとは自覚しないにせよ、 今風のファシズムのただなかにいるのではないか」 と大震災後のなにげない異様のなかに浮かび上がる 「新しい日本的ファシズム」 と 「せまりくる次の大震災」を見いだしています。

  いずれにしても、わたしたちは辺見庸という存在からこれからますます目が離せなくなりそうです(その他にも、 『毎日新聞』 3月15日付や 『日本経済新聞』 3月21日付のインタビュー記事、書き下ろしの新作詩篇 「眼の海−わたしの死者たちに」 『文學界』 6月号、 そして、この辺見さんの 「予感」 を大震災直後に紹介している 金平茂紀さんの 「茫界偏視」:私たちは大震災と原発惨事のさなかで何を考えるべきなのか? も参照)。


気仙沼市の公園にある公営墓地

  この辺見さんとはまた異なった視点・表現で、それぞれの専門的立場から、今回の大震災と原発事故が起きることを、 かなり前から 「予測」 あるいは 「警告」 していた人々の存在も注目されます。

  産業技術総合研究所(産総研)で宍倉正展さんたちは宮城、福島両県のボーリング調査などから、 869(貞観11)年に東北地方を襲った巨大地震・津波の実態を解明し、「いつ、再来してもおかしくない」 と警鐘を鳴らしていました。 産総研で海溝型地震歴研究チームを率いる宍倉さんらが、貞観地震の研究に着手したのは平成16年。 宮城、福島県の沿岸の地層をボーリング調査で解析し、貞観地震の津波が運んだ砂の層の分布から津波の到達域を特定するとともに、 太平洋沖を震源とする巨大海溝型地震が、大規模な津波を起こしたことを突き止めました。 そのボーリング調査では、東北地方は500〜1千年の間隔で、繰り返し巨大津波に襲われていることも判明し、直近の巨大津波は、 貞観か室町時代(14〜16世紀ごろ)で、「いずれにしても、いつ起きてもおかしくない状態にある」 と結論づけていたのです。

  この研究成果は政府の地震調査研究推進本部に報告され、 今年に入ってから大きな被害が予想される自治体に推進本部が貞観地震再来の危険性を説明したところ、 自治体の防災担当者は 「そんな長い間隔の地震は、対策を練っても仕方がない」 と、鈍い反応だったといわれています。 そして、宍倉さん自身が今年の3月23日に、福島県の防災担当者に直接説明する予定があって、 「絶対に、対策の必要性を理解してもらわなければ」 と意気込んでいた矢先に3・11に遭遇したのです。 宍倉さんたちの貴重な研究成果を防災に生かせなかったことが本当に無念でなりません(貞観地震の研究者:産業技術総合研究所の宍倉正展さん 「研究成果を生かせなかった…」)。

  2000年に死去された 「原子力資料情報室」 元代表の高木仁三郎さんが阪神大震災後に発表した論文 「核施設と非常事態―地震対策の検証を中心に―」 (日本物理学会誌の1995年10月号に掲載)で、すでに16年前に政府や電力会社の決まり文句となっている 「想定外」 という姿勢に警鐘を鳴らし、 福島第一原発の危険性を指摘していました。
  故高木仁三郎さんは、この論文で、大地震が直撃した際に 「想像を絶する」 事態となる核施設集中立地点として 「福島県浜通り」 を、 廃炉への具体的議論が必要な 「一番気になる老朽化原発」 に福島第一原発を挙げていました。 まさに、「短い文章の中に今起きていることの問題がすべて詰まっており、あらためて読んで驚いた。 過去のこととしてではなく、今こそその言葉に耳を傾けるべきだ」 (原子力資料情報室の西尾漠共同代表)と思います (『共同通信』。2011年5月7日、 高木仁三郎著 『原発事故はなぜくりかえすのか』 (岩波新書、2000/12/20)、 同 『反原発、出前します―原発・事故・影響そして未来を考える 高木仁三郎講義録』 七つ森書館; 新装版 (2011年4月)、 同 『原子力神話からの解放−日本を滅ぼす九つの呪縛』 (講談社プラスアルファ文庫、新装版2011年5月、などを参照))。


津波被害にあった鳥居(南三陸町)

  「原発震災」 の恐ろしさに警鐘を鳴らし続けている地震学者の石橋克彦氏(神戸大学名誉教授)は、 阪神・淡路大震災(1995年1月17日に発生)に関連して原発震災列島の危険性を次のように警告していました (『これから起こる原発事故―あなたの住む街は大丈夫ですか? (『別冊宝島 (483)』 宝島社、2000年1月発行より)。

  ≪大地震が原発を直撃したとき、私がもっとも恐ろしく思うことは、通常の震災と原発による災害とが複合した 【原発震災】 と呼ぶべき大災害が起こりうることです。
  放射能のために、被災地に自衛隊やボランティアが救援に行くことが不可能になり、 一方、被災者も、原発事故だけならなんとか避難できるかもしれないのに、地震による大被害のために逃げられない。 その結果、膨大な命が見殺しにされ、震災地が放棄されてしまう恐れがあります。 また、震災からの復旧はおろか、広範囲の住民が何世代にもわたって放射能や遺伝的障害に怯えつづけなければなりません。
  阪神大震災以後、「阪神大震災クラスにも耐えられる」 という言葉が、安全の代名詞のように使われています。 しかし、私が強調したいのは、阪神大震災を引き起こした兵庫県南部地震は、M7クラスの地震としてはごく普通の地震だということです。 言い換えれば、この程度の大地震はどこでも起こる可能性がある。そうした日本の地震情勢をきわめて甘く見た原発が、 全国にまんべんなくばらまかれているということなのです。≫

  石橋氏は東海地震の提唱者で、2003年7月に国際学会で 「浜岡原発は危険」 と明言したことでも知られていますが、 柏崎刈羽原発事故(2007年7月16日)発生後にも、阪神・淡路大震災ごろから日本列島のほぼ全域が地震活動期に入っており、 この地震活動期は今後40年は続く可能性があること、地質調査で活断層が見つからなくてもM7.3程度の直下型地震は起こる可能性はあり、 全国にある原発はその程度の揺れを基準地震動の下限にし、これを満たさない既存原発はすべて閉鎖すべきであること、 原子力安全・保安院の耐震指針の再見直しへの消極的姿勢や東京電力が活断層を過小評価したことを批判、 本来行政庁から独立・中立であるべき原子力安全委員会が弱体化している実態、など多くの重要な指摘をしていました(『朝日新聞』 私の視点、 2007年7月26日付、その他にも、石橋克彦著 『大地動乱の時代―地震学者は警告する』 岩波新書、1994年8月、 同 『阪神・淡路大震災の教訓』 岩波ブックレット 1997年1月、 石橋克彦の歴史地震研究のページ、なども参照)。

  しかし、歴代政府・保安院と原子力安全委員会、電力会社や大手マスコミなどは、 こうした石橋氏の貴重な提言・警告を 「原発の素人」 として完全に黙殺・無視し続けてきたのです。 それは、2002年に、中部電力の浜岡原発が想定東海地震に耐えられず、 大事故を起こす危険性があると静岡地裁に浜岡原発運転差止を訴えた裁判でも同じでした (浜岡原発運転差止裁判弁護団に参加された只野 靖弁護士のNPJ論評 「福島 “原発震災” は予言されていた」、 および石橋克彦 「原発震災──破滅を避けるために」 『科学』 1997年10月号、を参照)。


津波被害にあったビルの上にある車(女川町)

  そして、今回の福島原発震災で全国民から最も注目を集めているもう一人の研究者が、京都大学原子炉実験所の小出裕章氏(助教)です。 小出氏は、「なぜ電気を使う都会に原子力発電所を建てないのか」 という問題意識から、 1970年10月に宮城県・女川町で開かれた原発反対集会に参加した時から40年以上、 「反原発の道」 を放射能測定を専門とする研究者として歩んできました (小出裕章著 『隠される原子力・核の真実──原子力の専門家が原発に反対するわけ』 創史社、2010年12月、の 「はしがき」 より)。 また、その著書の中で 「原発が危険だと言うことは、いまさら議論の必要がありません。日本では原発だけは絶対に大事故が起きないと言われてきました。 しかし、原発は機械です。完璧に事故のない機械はありません。また、人間は神ではありません。 人間が持っている知識は万全ではありませんし、時には過ちも起こします」 (同上、54頁)と原子力発電自体の危険さ、 すなわち原子力発電には常に破局事故の危険が伴うことを強調するとともに、 1999年9月30日に起きた茨城県東海村の核燃料加工工場(JCO)での 「臨海事故」 (3人の原発労働者が大量に被曝した)に関連して、 原子力安全委員会の委員たちが、「組織的、個人的に責任を全くとろうとしないのが日本の原子力の姿です」 と批判し、 水俣病に生涯を捧げてきた原田正純さんの言葉(下記を参照)を引用したあとで、 「それを許しておくかぎり、次の事故、一層大きな事故もいずれ起きるでしょう」 と警告しています(同上、12頁)。

  ≪水俣病の原因のうち、有機水銀は小なる原因であり、チッソが流したということは中なる原因であるが、大なる原因ではない。 大なる原因はいいかえれば人間疎外、人間無視、差別といった言葉でいいあらわせる状況である。≫ (原田正純著 『水俣が映す世界』 日本評論社、1989年)
  そして、東日本大震災に伴う福島原発震災が起きた後で書かれた著作の中で、 「私は40年間、原発の破局的事故がいつか必ず起きると警告してきました。その私にしても、今進行中の事態は悪夢としか思えません。 …(中略) そして問題は、原発は膨大な危険物を内包している機械であり、 大きな事故が起きてしまえば破局的な事故を避けられないということです」 と原発の本質的な危険性をズバリと指摘しています (小出裕章著 『原発のウソ』 扶桑社新書、2011年6月、11頁)。 また、福島第一原発の事故を受けて、「このような事故は絶対に起こらないとして原子力を推進してきた国と電力会社、 原子力産業などには無論大きな責任がある。正確な情報を与えられずにきた消費者は騙されてきたのだと言えないことはない。 しかし、騙された者には、騙されたことに対する責任がある」 と指摘し、(子どもたちを除く)自分も含めたすべての大人はその責任を免れないので、 「農業・漁業を崩壊から守るためには、私たち大人があえて汚染食品を食べるしかない」 というきわめて重い問題提起をされているのが注目されます(1992年1月に北斗出版から刊行された著書の復刊である 『放射能汚染の現実を超えて』 河出書房新社、2011年5月、の 「まえがき」 より、足立 明氏との共著 『原子力と共存できるか』 かもがわ出版、 1997年11月、また2008年10月20日午前 0:45- 1:45に 「大阪毎日放送」 で放映された特集番組 「なぜ警告を続けるのか〜京大原子炉実験所・ “異端” の研究者たち〜」 および 小出裕章(京大助教)非公式まとめ、を参照))。


津波被害の中で生き残った一本松(陸前高田)

  それから、研究者ではありませんが、かなり古くから原発事故の可能性と危険性に注目して多くの人々に警告を発してきた人々のなかには、 ノンフィクション作家の広瀬隆さんとルポルタージュ作家の鎌田慧さんのお二人がいます。

  広瀬隆さんは、すでに1986年に出版された著作 『東京に原発を!』 (宝島社、1986年8月。初版、JICC出版局、1981年)の中で、 「実は、ここに原子力の暗黒時代が訪れているのである。とりわけ子どもたちと若者は、大人たちが自分の生命に危害をくわえようとしている現実を透視し、 ひとつの感情をもってよい。しらされてないからといって、だまされてはいけない。5年後か10年後までに殺されるのは、あなたたちなのだ。 その日は刻一刻と近づいている。日本の原子炉は暴走中である」 (〔あとがき〕 329頁)と原子力発電の恐ろしさを警告していました。
  この広瀬さんの本の末尾に 「解説」 を寄せた作家の野坂昭如さんも、「さらに、世間が便利な生活を求めるという、 勝手に非人間的仕組みを押しつけた挙句の、たしかに存在する合意を背景として、しゃにむに原発を推進する、いや強制する国家の意志を考えてみよう。 ぼくは、予言しておく。原発事故が起る、さればお国は、世間全般が、家中みんな電気で動く文明生活を求め、電力によって支えられる産業を、 すすんで担ったからだ、1億2千万、つつしんで犠牲者にザンゲしましょうと呼びかけるに違いない、と。」 (野坂昭如 「解説」、335頁)と原子力産業の本質的問題点と国家の本性を当時すでに見抜いてずばり指摘されていたことが注目されます。
  広瀬さんはまた、昨年(2010年8月)発表した作品 『原子炉時限爆弾』 (ダイヤモンド社)において、 「実はこの最終原稿を書いている最中の2010年6月17日に、東京電力の福島第一原発二号機で、電源喪失事故が起こり、 あわやメルトダウンに突入かという重大事故が発生したのだ。日本のマスコミは、20年前であれば、すべての新聞とテレビが大々的に報じたであろうが、 この時は南アフリカのワールドカップ一色で、報道陣として国民を守る責務を放棄して、この深刻な事故についてほとんど無報道だった。 ショックを受けた東京電力がくわしい経過を隠し、それを追求すべきメディアもないとは、実におそろしい時代になった。 そもそもは、外部から発電所に送る電気系統が四つとも切れてしまったことが原因であった。 勿論、発電機も原子炉も緊急停止したが、原子炉内部の沸騰が激しく続いて、内部の水がみるみる減ってゆき。ぎりぎりで炉心融解を免れたのだ。 おそろしいことに、この発端となった完全電源喪失の原因さえ特定できないのである。 この四日前の6月13日に福島県沖を震源とするかなり強い地震が原発一帯を襲っていたが、それが遠因なのか? いずれにしろ、 事故当日には地震が起こっていないのに、このような重大事故が起こったのだから、大地震がくればどうなるか」 (同上、69〜70頁)と、 まさに今日の事態を 「予言」 するかのような内容を語っていました。
  広瀬さんの主張の核心は、「人知のおよばない地球の動きがもたらす “原発震災” の怖さ」 であり、 すべての日本人が、この日本の国家を滅亡させるおそれが高い 「原発震災」 (まさに 「時限爆弾」 のようなもの)のことを考えなければならない、 そして自分自身はそのことを知っている者として多くの人々に伝える義務があるというものです(同上、序章4〜5頁)。 そして、大震災と原発事故後に緊急出版された著作のなかで、「地震や津波そのものによる天災は避けられない」、 これは日本列島に住みついた日本人の 「宿命」 とあるとする一方で、「福島第一原発の大事故は、天災でも宿命でもありません。 この悲惨な出来事は、悪意によって引き起こされた人災です。人知のおよばない自然災害と比べれば、はるかに容易に予測でき、 この大きな危機をあらかじめ回避できた出来事なのです。…東京電力も政府も “想定外” という言葉を安っぽく使うことは許されません。 福島第一原発の事故は未然に食い止めることができました」 とこの問題の核心と責任の所在を明確に述べています (『FUKUSHIMA 福島原発メルトダウン』 (朝日新書、2011年5月、11〜12頁)。

  また鎌田慧さんは、日本全国のほとんどの原発建設・立地地帯の現場を足で歩いて見て回って 『日本の原発地帯』 (潮出版社、1982年4月刊行)など、 原発の安全神話を暴く数多くの衝撃のルポタージュを書かれています。私たちは、その著作や記事を通じて、いま原発地帯では何が起っているのか、 を知ることができます。そして、1999年9月に茨城県東海村で起きた 「臨海事故」 のあとで出版された著作 『原発列島を行く』 (集英社新書、2001年9月)の 「はじめに」 の中で、「いまのわたしの最大の関心事は、大事故が発生する前に、 日本が原発からの撤退を完了しているかどうか。つまり、すべての原発が休止するまでに、大事故に遭わないですむかどうかである。 大事故が発生してから、やはり原発はやめよう、というのでは、あたかも二度も原爆を落とされてから、ようやく敗戦を認めたのとおなじ最悪の選択である」、 と警鐘を鳴らしています。しかし、福島第一原発の発生によって、この警告はまったく無視された結果となったばかりではなく、 事故後の政府・電力会社の姿勢(とそれに追随する大手マスコミの情報操作・世論誘導によって作られた原発を容認する 「民意」 あるいは 「世論」)は、 「やはり原発はやめよう」 という雰囲気・方向性からはほど遠いものになっているという現状からも、二重に裏切られていると言うしかありません。

  また、原発施設から放水される汚染された 「温排水」 や放水管への貝殻付着を防止するために使用されている薬品の被害、 被害者のほとんどが下請け労働者であるという原発労働と被曝の関係、「最終処分場」 と 「中間貯蔵所」 の問題点などにも触れながら、 原発の最大の問題点として、原子力行政・原発産業特有の秘密主義と欺瞞、 政府・自治体・電力会社の 「天下り」 や 「交付金」 などを通じた 「癒着」 と 「退廃」、 すべての問題をカネで解決しようとする露骨な 「バラ撒き政治」 の弊害とその結果としての人心の荒廃を指摘されていますが、 現在でもこうした原発行政にかかわる 「構造的な問題」 は手つかずで残されたままで、 依然として未解決であると言っても過言ではありません(同上、「あとがき」 を参照)。

  さらに、最新の著作 『日本の原発危険地帯』 (青志社、2011年4月)の 「まえがき 脱原発にむかう時」 では、福島原発に関連して、 「水素爆発を起こした第一号炉は、1971年3月に運転を開始していた。40年の稼働だが、そのころ、原発の需要は30年といわれていた。 無理矢理引き延ばしてきた欠陥炉だった。製造したのは米GE社で、核納容器自体の容積が小さく、炉心部の冷却能力が弱い。 冷却システムの設計がふるいため、電力供給が止まると爆発する可能性があった」 と福島第一原発の構造的欠陥を指摘するとともに、 「第一原発六基、第二原発四基を抱える福島原発は、これまでも、さまざまな隠蔽を問題にされてきた。 2002年8月、原子炉の故障やひび割れが隠されていた、とする内部告発が原子力安全・保安院から福島県にあった。 2年も前にその報告をうけていた保安院が、なんの調査もせず、その情報をこともあろうか、東電本社に横流ししていた、という事実が暴露された。 炉心融壁(シュラウド)がひび割れしていた、という大事故につながりかねない欠陥だった」 と東電と原子力安全・保安院が一体化した事故隠しの実態を批判・糾弾しています。

  この鎌田さんが指摘されている、米GE社が製造した原子炉に欠陥があることについては、1976年に、 福島第一原発1〜5号機の原子炉格納容器(「マークJ型」と呼ばれる)は、 格納容器が小さく圧力に弱い欠陥あるとして運転停止を求めたが聞き入れられずにGE社をさることになった、 当時GE技術者として原発の安全問題を担当していたデール・ブライデンバウ氏の証言もあります。 同氏は、「今の事態は巨大地震と大津波が引き起こしたが、マークJ型の問題点が悪化させたことは間違いない」、 「人間は原子力を完全にコントロールすることはできない。それが、原発の幻想からめざめた私の結論だ」 と明確に語っていますが、 実に貴重な証言だと思います(『西日本新聞』 2011年4月17日付、 また田中三彦 「福島第一原発事故はけっして “想定外” ではない−議論されない原発中枢構造の耐震脆弱性」 『世界』2011年5月号も参照)。

  このようにみてくると、今回の福島第一原発の事故は、原子力行政・原発政策の極端な情報非公開と秘密主義、 安全性・人権よりも効率・経済性を重視する利益至上主義(住民・労働者の命や健康よりも目先の企業利益や巨大な利権を優先する発想)、 度重なる事故隠しとデータ改ざんにみられる東電と原子力安全・保安院の隠蔽体質と欺瞞性、原子力安全委員会の無能力と無責任などから、 少なからぬ専門家の 「警告」 や 「予測」 を完全に無視したために生じることになった、 まさに起こるべくして起きた人災に他ならないといえるのではないでしょうか。
  福島第一原発では、これまでもたびたび事故が起こっていて、 その危険性が少なからぬ専門家から指摘されていました(原子力資料室編 『検証 東電原発トラブル隠し』 岩波ブックレットNO.582, 岩波書店2002年12月刊行、を参照)。 大震災と原発事故のあとで政府や東電の関係者が連発した 「想定外」 という言葉は、 自分たちの責任逃れのための都合の良い言い訳にすぎなかったことがよくわかります。 わたしたちは、3・11とフクシマ(大震災と原発事故)を経験したいま現在においては、 もはや 「ありえないことはありえない」 という辺見庸さんの言葉(NHKの特集番組 「こころの時代」) の意味をもう一度噛み締めてみる必要がありそうです。
2011年6月21日(3・11、フクシマから3ヶ月あまり過ぎた日に)