2011.7.7更新

「時代の奔流を見据えて──危機の時代の平和学」

目次 プロフィール
木村 朗 (きむら あきら、鹿児島大学教員、平和学専攻)


 第三二回

福島 「原発震災」 の意味を問う
〜錯綜する天災と人災(その三 上)

  はじめに
  東日本大震災(「311」)と東電・福島第一原発事故(「フクシマ」)後、初めて全国で各電力会社の株主総会で開催され、 あらかじめ大株主の支持を取り付けていた電力会社の思惑通りに脱原発の声は封じ込められたようです。 さらに、菅首相の 「英断」 によって停止させられることになった中部電力・浜岡原発以上にある意味で危険だと一部の専門家から指摘されていた、 九州電力・玄海原発が地元自治体の首長の合意を取り付けて再稼働に向けて動き始めています。

  その一方で、福島県の6歳の子供の尿検査で放射性物質セシウムが多量に検出されたとの情報 (いつも貴重な原発関連情報をいただいている小川みさ子・鹿児島市議の 「ようこそ♪魔女庵掲示板へ」 2011年7月1日(金)17時31分31秒より)もあり、 いよいよ恐れられていた深刻な事態(「内部被曝」 による放射能被害の発生)が現実になろうとしています。 子どもたちへの1年間に許容される被曝量 「20ミリシーベルト」 の撤回を求める母親たちの必死の訴えや、 子どもたちの 「集団疎開」 「緊急避難」 を求める声が出されていたのにもかかわらず、 こうした深刻な事態を迎えるに至ったことは返す返すも本当に残念です(俳優の山本太郎さんの心のこもった勇気あるメッセージ 【オペレーションコドモタチ賛同者メッセージ】 を参照)。
  また、すでに年間 「放射線量20ミリシーベルト」 による子どもたちへの被曝の影響を軽視していると批判されていた山下俊一・長崎大学教授を、 福島県放射線健康リスク管理アドバイザーから解任するよう求める署名活動が始められているだけでなく、 子どもたちの健康被害に危機感を抱く親たちが原告になって、児童疎開を求める仮処分請求が福島地裁に提訴されています (「きくちゆみのブログとポッドキャスト」 2011/06/27 を参照)。

  いまもっとも必要なのは、こうした深刻な事態を招くにいたった原因の解明と責任の所在を明確化するとともに、 これ以上の被害拡大を防止するための緊急措置を講じて根本的な対策を立てることではないかと思います。

3.原発事故報道の欺瞞性と 「原子力ムラ(村)」 の罪
           −福島 「原発震災」 の責任は誰が負うべきか

  福島 「原発震災」 は、3月11日の大震災(地震と津波)の発生と原発事故の連動によって引き起こされました。 そのことで、これまでの原発 「安全」 神話は崩壊することになりましたが、 信じられないことに放射能 「安心」 神話への固執と電力安定供給・経済発展を重視する原発必要論は依然として根強いものがあります。 そして、九州電力・玄海原発の再稼働へ向けた動きだけでなく、2015年までに消費税10%値上げする閣議報告(6月20日)や、 いまは先延ばし状態になっているTPP導入の話しなどもそうした流れの一環だと思います。 「311」 「フクシマ」 を受けて世界で脱原発の大きなうねりが起きている中で、深刻な原発事故の当事国、しかも単なる被害者であるばかりでなく、 世界的規模での大気汚染・海洋汚染の加害者(すでに 「海洋汚染犯罪国家」 との汚名も!)でもある日本が、 いまだに原発推進・原発維持の方針に固執している姿は、 きわめて異様であり、正気の沙汰とは思われないというのが私の率直な実感です。

  大震災以後の報道で私が一貫して違和感を捨てきれなかったのが、原発事故報道、 つまり東電・福島第一原発事故についての大手メディア(全国紙、全国放送局)の報道姿勢と報道内容です。 特に異様に感じたのは、 大震災・原発事故発生後に登場する専門家・学者が大震災・原発事故発生前と同じ原発推進派のおなじみの顔ぶれ (いわゆる 「御用学者・ジャーナリスト」)ばかりで、政府・東電関係者と同じく 「想定外」 「安全」 という言葉を連発・強調し、 原発擁護の発言を臆面もなく繰り返していたことです。
  辛口のジャーナリズム論で知られる田島泰彦教授(上智大学文学部新聞学科)は、それに関連して、 「特に事故当初は、大手メディアの多くは、政府や電力会社の発表に対して疑問点を提示したり厳しく追及することなく、 基本的に当局の発表情報を 『右から左に伝える』 役割を果たしていたと思います」、「登場する学者などは原発推進派ばかりで、 話の中身も原発擁護を前提にしたものが多く、その偏りはすさまじいものでした。 放射能被ばくに関する解説でも、危険性を訴えたり予防原則を重視する研究者はほとんど登場せず、 『安全です』 と繰り返す人たちばかりでした」 と核心を突いた指摘をしていますが、まさにその通りだったと思います (田島泰彦 「原発事故で矛盾を露呈した大手メディア」 『社会新報』 2011年6月15日号を参照)。

  このことは、権力の監視・批判と事実の報道という本来の役割を放棄して、 政府発表を垂れ流すだけの広報機関に成り下がっているいまのメディアの姿があらわになっているということに他なりません。さらにそればかりでなく、 原発事故と放射能の危険性を過小評価し、その危険性を唱える論者を排除し異論を封じ込める 「原発全体主義」 (佐藤栄佐久元福島県知事の言葉)が、日本社会に急速に浸透したことを意味しているのではないでしょうか。 まさに戦前・戦中の 「大本営発表」 と同じで、かつてメディアが戦争への道の旗振り役を務めたような翼賛状況・体制がいま現在作られつつある、 と言っても過言ではないと思われます。

  フリージャーナリストの上杉隆さん(「自由報道協会」 暫定代表)も、 東電や電事連(電気事業連合会)の 「情報隠蔽」 疑惑に言及したことが理由でTBSラジオの番組 「小島慶子 キラ☆キラ」 を降板させられたことや、 今回の原発震災で東電の清水正隆社長がなぜ記者会見に出てこないかと質問した記者が、 自分が聞くまでいなかったことなどを例に挙げながら、「新聞やテレビの大スポンサーを傷つけない、 電事連(電気事業連合会−評者)に関しては絶対に批判しないというタブーがあるわけです。これが日本の今の状態です。 およそ70年前と全く同じことが起こっている」 と厳しく批判しています(上杉隆 「TBSラジオを下ろされた真相」 『週刊金曜日』 2011年4月15日号、 また 「記者クラブ」 と 「発表ジャーナリズム」 を批判した 『ジャーナリズム崩壊』 幻冬舎新書、2008年7月、 『記者クラブ崩壊 新聞・テレビとの200日戦争』 小学館101新書、2010年4月、なども参照)

  TBS [報道特集] キャスターの金平茂紀さんは、「僕がメディアの内側にいて、今回の原発事故報道で、これはひどいなと思っていることの一つは、 僕ら既存のメディが持っている 『発表ジャーナリズム』 体質です。発表に頼って、それが事実だと伝えるという限界から、いまだに抜け切れていない。…(中略)
  例えば炉心容融にしても、最初はないと言っていた。僕らは毎日、ずっと会見や発表で聞いたことを伝えてきた。 でも全部嘘だったわけじゃないですか。つまり、お上とか権威が発表するものを、 そのまま事実であるかのように僕らが伝えているという構造の問題がありますよね」 とメディアの発表ジャーナリズム体質と横並びのあり方を率直に自己批判しているのが注目されます (金平茂紀 「報道の現場において、今、何を考えるべきなのか」 『創』 2011年7月号の特集 「原発報道とメディアの責任」 を参照)。

  ジャーナリストでもある同志社大学の浅野健一さんは、「東電福島第一電子力発電所をめぐる報道は、戦後ジャーナリズム史上最悪と言っていい。 政府・大企業などの権力監視がほとんどできていない」 とし、「東電で起きている事態は、想定外の天災による事故ではなく、 凶悪な国家犯罪・企業犯罪嫌疑事件だ。東電、政府、学会の共謀による構造的犯罪だ」 と問題・責任の所在を明確に指摘しているのが注目されます (浅野健一 「一般論を言うばかりの関村直人東大教授を徴用したNHK原発報道」 『週刊金曜日』 2011年4月15日号)。
  また、「日本のマスメディアは原発事故に関する真実に全く迫っていない。 これほどメディアが市民に不信感を持たれたことはないのではないか」 と原発報道があまりにも偏向してウソが多いことを鋭く批判するとともに、 「政府と東電の初期対応に遅れが生じたのは、大手の報道機関が原発推進派の御用学者を動員して 『冷却すれば大丈夫』 『直ちに人体に影響が出るレベルではない』 などというウソを報道し続けてきたも原因だ」 とズバリとメディアの責任を追及していますが、 まったく同感です(浅野健一 「東電福島原発 『事件』 報道の犯罪」 『創』 2011年7月号の特集 「原発報道とメディアの責任」、 また浅野健一 著 『記者クラブ解体新書』 現代人文社、2011/7/5、も参照)。

  この間の原発事故関連のメディア報道のあり方を象徴的にあらわしていると思われるのは、 5月23日に開かれた参議院行政監視委員会に参考人として出席された小出裕章さん(京都大学原子炉実験所助教)、 石橋克彦さん(神戸大学名誉教授)、後藤政志さん(芝浦工業大学非常勤講師)、孫 正義さん(ソフトバンク代表取締役社長)らの大変貴重なお話しが、 「公共放送」 NHKを含む大手メディアでは一切報道されなかったことです (参議院行政監視委員会の全場面が 「アウェイク・ネイチャーだより」 に動画で公開されています。 また、4人の参考人の方々のお話の要旨は、 【追記あり】 5月23日参議院行政監視委員会のまとめ(小出氏・後藤氏・石橋氏・孫氏が参考人) を参照。
  小出さんのお話は、Monipo blog(文字おこし) で全文を読むことができます。
  そして、石橋さんが委員会で配布されたレジュメ・資料1〜7は、 石橋さんのサイト 上で閲覧可能です)。

  また注目すべき情報として、翌5月24日の毎日放送ラジオの 「たね蒔きジャーナル」 (水野晶子さんの司会、 毎日新聞ほっと兵庫の平野幸夫さんの案内)によれば、自民党から小出先生を呼んだこと自体への文句があったこと、 菅総理が小出先生の言うことを聞く可能性がゼロに近いこと、 今回の委員(委員長は自民党)は政府の意に沿わない人ばかりで民主党よりこの委員会に官邸からストップがかかるかも知れないという話すらあったそうです (「東北地方太平洋沖地震・福島原発事故」 より)。

  そして気がかりなのは、 福島第一原発事故への対処で日本(と世界)にとって決定的な鍵を握る人物の一人となった小出裕章さんへの圧力 ・逆風が強まりつつあるのではないかということです。 「フクシマからの警告」 という貴重なサイト を最近開設されたスペイン在住の童子丸開さんからいただいた情報ですが、香山リカ(精神科医、立教大学現代心理学部教授)さんが、 最近書かれた記事 「小出裕章氏が反原発のヒーローとなったもう一つの理由」 (「ダイヤモンドオンライン」)のなかで、「ネットの世界を中心に、原発事故にのめり込んでいる人たちがいます。…(中略)劣等感と優越感がない交ぜになったような、 一面では純粋な理想主義者たちなのです。そんな彼らが原発問題にのめり込んでいます。 そして、『神』 として崇拝しているのが、いま反原発で最も注目されている小出裕章氏です」 と語っています。 この香山さんのブログの考察対象は、確かに 「引きこもりやニートといった人たちがその中心層の多くを占めている」 という 「ネットの世界を中心に、 原発事故にのめり込んでいる人たち」 かもしれませんが、小出裕章さんや彼を尊敬して熱烈に支持する人びと(私もその一人です。 反原発・脱原発という立場を明確にされている人たちばかりでなく、 子どもたちの放射能被ばくを心配する多くの母親たちも含まれていると思います)に対する悪意ある冷やかしを感じるのは私や童子丸さんだけではないようです。 私が以前から注目している漫画家の牧村しのぶさんも、ご自分のブログ (「新手の小出ネガキャン」 2011-07-01 「牧村しのぶのブログ」) で、「痴漢冤罪も金の問題もない反原発小出裕章氏に新手のネガキャンが現れました。 小出氏の支持層を勝手に断罪し、価値の引き下げをしているように見えます。見えます、と言うのはあくまで主観に過ぎない、ということです。 原発問題にのめり込んでいる、という冷やかしも困ります」、「香山氏の見方は現実の矮小化だと思います。 矮小化、無力化したいのか、と疑います。反原発は、ニート、引きこもりの児戯よ、大人は原発推進よ、ってとこですか?」 と指摘されていますが、 まさにその通りだと思います。

  いずれにしても、この 「事件」 (日本の国会ではじめて原発事故問題の核心を突く貴重な証言が、 いま日本と世界で最も注目されている人びとによってなされたにもかかわらず、 この画期的な公聴会と歴史的証言そのものが大手メディアによって完全に黙殺されたということ)は、 単なるメディアにとって単なる致命的な誤りであったというだけの問題ではなく、 まさに日本の民主主義そのものを根本から否定して揺るがせるほどの出来事であったと言わざるを得ません。

  ここでは、小出さんが約15分間の証言の最後に語った次の言葉をご紹介させていただきます。
  「最後になりますが、ガンジーが7つの社会的罪という事を言っていて、彼のお墓にそれが碑文として残っています。 一番初めは 「理念無き政治」 です。この場にお集まりの方々は政治に携わっている方々ですので十分にこの言葉をかみ締めていただきたい。 そのほかたくさん 「労働無き富」 「良心無き快楽」 「人格無き学識」 「道徳無き商業」 これは東京電力をはじめとする電力会社に当てはまると私は思います。 そして 「人間性無き科学」。これは私も含めたいわゆるアカデニズムの世界がこれまで原子力に丸ごと加担してきたということを私はこれで問いたいと思います。 最後は 「献身無き崇拝」 宗教をお持ちの方はこの言葉もかみ締めていただきたいと思います。終わりにいたします。有難うございました。」 (小出裕章氏の話 「参議院行政監視委員会」 文字おこし、 Monipo blogより)。

  この小出さんがこの参議院の公聴会でご紹介された 「ガンジーの7つの社会的罪」 (マハトマ・ガンジー 7つの大罪 Seven Social Sins:1.理念なき政治 Politics without Principles. 2.労働なき富 Wealth without work.  3.良心なき快楽 Pleasure without Conscience. 4.人格なき学識 Knowledge without Character. 5.道徳なき商業 Commerce without Morality.  6.人間性なき科学 Science without Humanity. 7.献身なき信仰 Worship without Sacrifice.)は、 このあとで述べる 「原子力ムラ(村)」 の罪と通じるものがあると思うのは私だけではないと思います。
2011年7月5日
【次回の (その三 下)に続く】