2011.10.12 2012.1.10更新

「時代の奔流を見据えて──危機の時代の平和学」

目次 プロフィール
木村 朗 (きむら あきら、鹿児島大学教員、平和学専攻)


 第三六回 【緊急改訂版】

福島 「原発震災」 の意味を問う
〜錯綜する天災と人災(その四 下)
  はじめに   野田総理大臣が、2011年12月17日に 「原子炉は冷温停止状態に達し、事故そのものが収束に至った」 と述べ、 この事故の収束に向けた工程表の 「ステップ2」 を完了したことを宣言しました。 しかし、この 「事故収束」 の宣言に対しては、その信憑性を疑問視し、完全な収束には相当な時間がかかるという声・見方が内外から多く出されています。 例えば、東京新聞は、「政府はウソばっかりだ。誰が核燃料を取り出しに行くのか。被害は甚大なのに、たいしたことないように言って。 本当の状況をなぜ言わないのか」 との原発労働者の声を伝えるとともに、 「廃炉へ進める節目とすることや、“いつ戻れるのか” という避難住民を少しでも安心させようという狙いがあろう。 全国の原発の再稼働はむろん、世界へ原発輸出を進める底意もうかがえる。」 とその狙いをズバリ指摘しています (「東京新聞」 2011年12月17日 朝刊同社説 を参照)。

  これまで日本の原発のあり方を厳しく監視・批判してきた小出裕章さん(京都大学原子炉実験所助教)は、「冷温停止などはじめからありえない」 と述べ、 放射能汚染拡大のおそれが依然として消えていないことを指摘されています(『社会新報』 2012年1月1日号、 および 「小出裕章:冷温停止・倫理と責任」 『原発事故・被ばく問題=「テレビが真実を報道し出した!?」 (JCJふらっしゅ)』 を参照)

  さらに注目されるのは、福島第一原発4号機の崩壊が進んでいることを懸念する声が内外から出されていることです (山ア淑子さんのブログ 「福島第一原発4号機は崩壊が進んでいる。 大量の避難が必要になるかも知れない」「きくちゆみのブログとポットキャスト」 2011年12月24日 [福島第一原発4号機の安全が保たれますよう]、 「アメリカの人々は4号機建屋崩壊を非常に心配している」 を参照)。

  また小出さんも、かなり前からこの問題(使用済燃料が詰まった使用済燃料プールがある4号機が倒壊した場合の危険性)について説明しています。 (「小出裕章が説明する、 4号機(使用済燃料プール)が倒壊した場合の危険性 11/3(2)」 2011年11月3日の 「たね蒔きジャーナル」 を参照。広瀬隆さん登場の週刊朝日のインターネット番組(12月23日放映): 「福島原発事故 『収束宣言』 大嘘の皮を剥ぐ」 も大変参考になります)。

  もしこれが事実であれば本当に重大です。政府・東電はただちにその実態を隠すことなく国民と世界に公表すると同時に、 国際社会からの支援を仰ぎながらあらゆる必要な緊急措置を取るべきです。

  いずれにしても私たちは、来年以降も深刻化する原発事故と大津波・巨大地震の再来のおそれ(追記を参照)と、 真正面から向き合って辛抱強くつきあっていく必要があることだけは間違いがありません。

※ 新年早々(元旦)に、東京電力が福島第一原発4号機の使用済み燃料プールに隣接するタンクで、 水位が通常の5倍近い速さで低下していると発表しました(「東京電力からのご連絡」)。 また、その直後に関東・東北を震度4の地震が襲う事態が生じています (「関東・東北を地震が襲う/ 東京23区で地震に住民 「もうやめて! とまって!」 msn産経トピック)。

4.原発(被曝)と原爆(被爆)の関係性を問う
―人類は核(原子力)と共存できるのか
(3)核の軍事利用と原子力の「平和利用」
−原発推進政策と核兵器開発政策とのリンク
  原爆と原発の共通のルーツは、いうまでもなく第二次大戦中に原爆開発を主な目的として立ち上げられたマンハッタン計画です。 このマンハッタン計画は、軍産複合体が当時の価格で20億ドル余を投入した一大国家プロジェクトであり、デュポン社、ダウケミカル社、ロッキード社、 ダグラス社などの軍需産業だけでなく、ゼネラル・エレクトリック社(G・E)、 ウェスティングハウス社(W・H)など日本の原発・原子炉建設にかかわる民間大企業も加わっていました (木村 朗 「軍需産業と軍産複合体」 『応用倫理学事典』 丸善株式会社、2008年、572〜575頁、を参照)。

  核・原子力エネルギーと核・原子力技術の利用という点では、原爆と原発に基本的な違いはなく、いくら 「平和利用」 と銘打っても、 原発開発は表裏一体といっても過言ではありません。 まず核・原子力の軍事利用としては、原爆(核分裂反応:ウラン型とプルトニウム型がある)と水爆(核融合反応)があり、 原子力潜水艦や原子力空母にも原子炉が使用されています(世界最初の米海軍所属の原子力潜水艦ノーチラス号が1954年9月30日に就役)。 そして、原子力の 「「平和利用」 (というよりも 「非軍事利用」、より正確には 「商業利用」 「産業利用」)としては、 医療、土木工事や採掘、発電などの分野があげられます。しかし、両者には表裏一対ともいえる深い密接な関係があります。

  マンハッタン計画の文民の責任者であった陸軍長官ヘンリー・スティムソンは、すでに大戦中(1945年6月1日)に、 「マンハッタン計画は戦後も引き続き継続されるべきである。施設を無傷のままに保ち軍事目的ばかりではなく産業、技術用にも相当規模の原料を備蓄する。 そして産業開発に門戸を開く」という戦後を睨んだ核開発計画を立案し、 大枠をまとめていました(「ふじふじのフィルター」 さんの 「広島の黒い太陽」 マンハッタン計画。 その計画の中で生まれた原発。浮かび上がる 「放射能の人体への影響」 についてのデータ蓄積、を参照)。

  それに関連して、宇宙軍拡と軍産複合体に詳しい藤岡 淳さん(立命館大学教授)は、 「廃熱を利用すると潜水艦を推進させる電力源となることに目をつけたのが、『原潜の父』 のハイマン・リコーバー提督であり、エレクトリックボート社であった。 ついで原潜用原子炉を陸揚げし、電力を米国経済の動力源に使い、 その量産効果で原潜用の原子炉のコストダウンと 『自由世界』 のエネルギー支配をはかろうというのが、米国のエネルギー産業界の課題となり、 福島第一原発が建設されたわけだ。」、「米国は、核軍拡に6兆ドル、宇宙開発に1兆ドルを使って、5万発の核爆弾と核弾頭を生み出してきた。 他方、原発の開発には6000億ドルの税金が投入され、国内に104基の原子炉を建設しただけでなく、同盟諸国にも輸出していった。 ソ連を先頭とする東側諸国も原発開発に熱をあげたため、左翼勢力の多くは、原発を生産力の上昇をもたらす進歩的な試みだと誤認するようになった。 こうして世界中で434基もの原子炉が生み出されてきたわけである」、 という注目すべき指摘をしています(藤岡 淳 「福島で進行中の核の大惨事をどう見るか−『双頭の天龍』 を地球生命圏に降下させた危険を見据えよう」、 カナダ・バンクーバー在住の乗松聡子さんが運営する Peace Philosophy Centre のHP、 および同 「アメリカ原子力産業の形成」 を参照)。

  政治学者の加藤哲朗さん(一橋大学名誉教授)は、戦後日本の原子力開発の歴史を見るさいの教訓として、 「科学者たちが 『平和利用の研究』 にとどめ 『軍事利用には反対』 したとしても、 いったん国策となり軍部や巨大資本を巻き込んだ原子力開発の巨大システムは、科学者たちが専門的見地でどう反対しても、 核兵器開発へと進行していったこと」 をあげて、湯川秀樹や武谷三男を含む日本の科学者たちも、 「ヒロシマからフクシマへ」 の長い道程をたどって振り返ってみると、反ファシズムの決意でマンハッタン計画にたずさわり、 戦後は核戦争反対の先頭にたったアインシュタイン、シラード、オッペンハイマーらの苦悩の教訓を、十分にはくみ取り得なかったように思われますが、 いかがでしょうか」 と重要な問題提起をされていますが、私も強い共感を覚えます (加藤哲郎のネチズン・カレッジ 「「原爆から原発、原発から原爆」の轍を繰り返さず、 放射線汚染大国で生き抜く、新たな想像力を!」 より)。

  アイゼンハワー米政権が 「平和のための原子力」 を掲げて日本に原発導入を促した背景には、 米ソ冷戦が激化しつつあった国際情勢のなかで日本を西側陣営に組み込んで支配するとともに、 広島・長崎への原爆投下に続くビキニ・第五福竜丸事件での 「第三の被ばく」 で高まった日本人の核・原爆アレルギーを解消するという隠された意図があったことは間違いありません。

  第五福竜丸の元乗組員の大石又七さんは、当時の日米加の政府が事件の責任を曖昧にしたまま200万ドルの見舞金で事態の収拾をはかったことに対して、 「日本は、見舞金で譲る代わりに、原子力で米国の協力を取りつけたのではないでしょうか。 われわれ当事者としては、原子力開発の人柱にされたような思いです」 と無念さを率直に語っています。 最終的に反対の声に押されて提案を取り下げることになりましたが、 米下院議員イエーツの 「米国の資金で広島に原発を建設しよう」 との演説(1955年1月27日)にもそうした米国の意図をみることができます (「原発とメディア 『平和利用』 への道」 『朝日新聞』 2011年10月30日)。

  また、アメリカの核独占から原子力の積極的輸出という核・原子力政策の転換は、ソ連との核軍拡競争(1949年ソ連の原爆実験の成功、 1952年アメリカの水爆開発の成功、1953年のソ連の水爆開発の成功)が拡大・激化するなかで高まりつつあった国際社会からの批判をかわし、 当時急速に広まりつつあった核拡散の流れに歯止めをかけつつそれをコントロールするという政治的思惑があったともいえます。 そして、そうしたアメリカの意向が色濃く反映されるかたちになったのが、 その後に組織される原子力の平和的利用を促進させるための機関とも揶揄される IAEA (1957年に発足した国際原子力機関: International Atomic Energy Agency の略称)や、 核保有国の特権を一方的に保証したきわめて不平等な性格を持つ NPT(1968年7月に署名開放された核兵器不拡散条約)でした。

  そのことについて、ピーター・カズニックさん(アメリカン大学準教授)は、 米 『ブレティン・オブ・ゼ・アトミック・サイエンティスツ』 誌電子版(2011年4月13日)に掲載された論文 「日本原子力史とアイゼンハワー」 のなかで、アイゼンハワー大統領が核兵器の使用をめぐるタブーを解消させるともに、 ビキニ・第五福竜丸事件で生じた日本人の核・原爆アレルギーを除去するために 「国内、 国外双方において原子力平和利用の恩恵を広めること」 を誓約したことを明らかにしています。 また、国家安全保障会議の作戦調整委員会が、アメリカが 「原子力の非戦争利用に関する強力な攻勢」 をかけて損害を食い止めること、 および、日本に実験用原子炉の建設を申し出ることをあわせて勧告した事実を指摘すると同時に、 原子力委員会のトマス・マレー委員長が 「広島と長崎の記憶がきわめて鮮明であり続けているいま、日本におけるこうした原子力プラントの建設は、 両都市の大虐殺の記憶からわれわれをみなきっぱりと解き放つことができる、劇的にしてキリスト教徒的な意思表示となるであろう」 と宣言したと語っています。 これはまさに、アイゼンハワー大統領の原子力平和利用の公約は戦争計画における大規模な軍備拡張と核兵器依存の強化を隠すものとなった、 という紛れもない事実を私たちに伝えてくれる貴重な証言だと思います。

  広島平和研究所に所属する田中利幸さんは、「日本の原子力産業は、どこで道を間違えたのか?」 と問い、日本の反核運動における核兵器反対、 原発容認という奇妙な分離の理由を、戦後、日本政府が核科学を強く推進してきたこと、自分たちの国は、第二次世界大戦で、アメリカの技術力、 なかでも核物理学において明らかに優位に立つアメリカに、敗北したと信じたことに見られる核物理学に対する日本人の考え方、 自然エネルギー資源が不足していることについての深い恐怖心などに求めています (田中利幸 「原爆と “原子力エネルギーの平和利用”」 Peace Philosophy Centre: 「日本の反核運動は原発を容認してきた ..、を参照)。

  広島平和研究所所長を今年3月まで務められた浅井基文さんは、「要するに 『原子力の平和利用』 という概念は、 アメリカが自らの核政策を正当化するために持ち出した、本質的に人の目を欺く言葉(のもてあそび)であり、 NPT は正にその延長線上の法的産物だということです。即ち NPT は、 5大国の核独占という本来あってはならない国際的な不平等を固定化することの見返りとして、 核兵器国が非核兵器国に原子力の 「平和利用」 の権利を認めることによって不平等性に対する不満を解消することを狙ったものであるということです」 とアメリカ側の隠された思惑について注目すべき指摘を行っています (浅井基文 「福島第一原発から何を学ぶべきか」 を参照)。

  ジャーナリストの成澤宗男さん(『週刊金曜日』 企画委員)は、「核の番人」 と呼ばれる IAEAの正体を 「国際原子力マフィア」 であると断じています。 その理由として、「原子力は安全である」 とのお墨付きを与えることによって原発を存続・拡大させる役割をはたしていること、 その目的のために放射能の脅威をねじ曲げて過小評価する姿勢、 劣化ウラン弾が内部被曝を引き起こす危険性を指摘したWHO(世界保健機関)の報告書(上級顧問だった英国のキース・ベイバーストック博士が作成) に圧力をかけて握りつぶし、「劣化ウラン弾は無害である」 と言い切っていること、 チェルノブイリ原発事故の犠牲者をそれまでの定説(数万人から数十万人)を覆して 「4000人」 と推計したこと、などを挙げています。
  そして、 IAEA を 「常に現実を隠蔽しようとする、原子力産業に依存した見せかけの機関」 であるとするユーリ−・アンドレーエフ氏(ロシアの原子力事故の専門家)の鋭い批判と 「 IAEAのもう一つの役割は、核拡散防止条約(NPT)を遵守させること。 しかし条約自体、米ロなど五カ国の核武装しか認めないという不平等な内容で、米国の意向に沿ってイスラエルの核武装を黙認するなど、 IAEAのやっていることはダブルスタンダードだらけ。しかも、『原子力の平和利用』 という名目で各国から原子力産業の代理人が送り込まれ、 業界の利益を守るためだけに活動する。国際機関などというと何か幻想を持つ人が多いですが、 実態をシビアに見極めた方がいい」 という傾聴すべき意見を紹介しています(成澤宗男 「国際原子力マフィア IAEAの正体  チェルノブイリのデータはなぜ改竄されるのか」 『週刊金曜日』 2011年7月15日号を参照)。

  そして、原子力工学が専門の勝田忠広さん(明治大学准教授)は、「軍事利用と平和利用を分ける NPT の考え方には、科学的に見て本来無理がある。 にもかかわらず、日本政府も今まで、軍事利用と平和利用は別物であることを国内で必死に主張し続けてきた。 『核』 と 『原子力』 という用語を使い分けるのもその一端だ。また、核兵器保有国は特権的な地位を守るため、 この危険なエネルギーを平和利用というアメを与える形で NPT 締約国の権利と位置づけ、他国をなだめてきた」 と述べていますが、 「核軍縮」 「核不拡散」 「原子力の平和利用」 を3本柱とする核不拡散条約(NPT)の本質的矛盾をよくとらえた重要な指摘だと思います (『朝日新聞』 2011年8月6日付朝刊より)。

  さらに、核密約問題の解明にも取り組んでいる軍事評論家・新原昭治さんは、「日米軍事同盟の保持をめざす米政府は、 『平和のための原子力』 を同盟管理の重要なしかけにした。米政府は原子力の平和利用を道具に、日本の反核世論の放逐をくわだてた。 米原子力委員会委員で戦術核兵器推進論者のトマス・マレーは、全米鉄鋼労組大会で日本への原発提供を呼びかけ、 これにより、“広島・長崎の被爆の追想” を超えて高い次元に立てるはずだと強調した。 もっと露骨なのは、日本への核兵器の常時持ち込みを実現させるため、米政府がその “露払い” と位置づけて、 日本で 『原子力平和利用』 の宣伝戦に乗り出したことである。米国防総省は国務省に対し、核兵器貯蔵計画が日本の世論によって妨げられているので、 『原子力平和利用』 を活用して核持ち込み反対の世論を弱める 『心理作戦』 計画の推進を提案した」 とズバリ核心を突く情報を開示してくれています(新原昭治著 『日米 「密約」 外交と人民のたたかい―米解禁文書から見る安保体制の裏側』 新日本出版社、 2011年9月、122頁、を参照)。

  それでは、そもそも 「唯一の被爆国」 (日本政府の形容)であり 「地震・津波大国」 でもある日本に、 なぜ54基もの多くの原発が造られることになったのでしょうか? また、 アメリカ側から原子力の平和利用というプロパガンダと原発導入促進方針をむしろ進んで受け入れた当時の日本側の思惑はどうだったのでしょうか。 1950年代にアメリカの代理人となって日本に原発を導入する先導役を務めたのが、 当時 「メディア王」 とも称され政界進出(首相になる!)の野心を持っていた正力松太郎氏と改進党に所属していた若手議員の中曽根康弘氏(元首相)の二人でした。

  アイゼンハワー米大統領が行った1953年12月8日の国連総会演説 「Atoms for Peace (平和のための原子力)」 を受けて日本への原発導入を容易にするための大がかりな宣伝工作(プロパガンダ)が展開されましたが、 それを推進した日本側の主役の一人がその当時読売新聞の社主であり、その後、日本テレビの創設者ともなる正力松太郎氏でした。 彼は、「ポダム(PODAM)」 という暗号名(コードネーム)を保持する米 CIA (米中央情報局)のエージェントであったことがのちに判明しますが、 日本で原子力の平和利用キャンペーンを米国からの 「原子力平和利用」 使節団の受け入れや全国各地での原子力の平和利用博覧会の開催などを次々に行って、 日本に原子力事業(原発ビジネス)が導入される世論づくりに大いに貢献し、その過程で念願の政界進出(1955年2月の衆議院選挙で当選)を果たしました。
  1955年12月19日に原子力基本法(原子力利用の大綱である 「民主・自主・公開」 の 「原子力三原則」 が定められた)が成立し、 1956年1月1日に原子力委員会が設置されるとその初代の委員長に就任しただけでなく、翌1957年4月29日に原子力平和利用懇談会を立ち上げ、 さらに同年5月19日に発足した科学技術庁の初代長官となり、日本の 「原子力の父」 とも呼ばれる大きな存在になっていきます (詳しくは、有馬哲夫著 『原発・正力・CIA』 新潮新書、2008年2月発行、 佐野眞 『巨怪伝−正力松太郎と影武者たちの一世紀(上)(下)』 文藝春秋、2000年5月発行、あるいは植草一秀の 『知られざる真実』」 2011年5月23日 「原発村番頭与謝野氏が理論的でない理論的主張示ス」、 および 「五十嵐仁の転成仁語」 2011年3月22日 「原子力発電を推進した元凶としての中曽根康弘と正力松太郎」 を参照)。

  また、この正力の片腕となって米国政府の代理人(CIA要員)であるダニエル・ワトソンと一緒に 「毒をもって毒を制する」 という心理作戦、 すなわち米ソ冷戦を背景にしたアメリカの水爆実験(第五福竜丸の被爆)への批判と反米感情の高まり―日本人の 「原爆アレルギー」 (「核」 への拒絶感情)を消すための 「原子力の安全利用=原発の推進」 を行ったのが読売新聞・日本テレビの重役であった柴田秀利氏でした(NHKが1994年に放映した 『原発導入のシナリオ 〜冷戦下の対日原子力戦略〜』 45分 を参照)。

  もう一方の中曽根康弘氏は、ヘンリー・キッシンジャーが主催するハーバード大学の 「サマー・セミナー」 に出席するため、 CIA の資金提供を受けて53年9月に渡米します。米国滞在中に日本にも原発が必要との考えを固めた彼は、 帰国後、他の仲間の若手政治家数名(稲葉修、齋藤憲三、川崎秀二)と一緒に原子力平和利用調査費の予算獲得に動き、 1954年3月の衆議院で2億3500万円の原子力関連予算案を初めて採択させます (野党議員の質問に中曽根康弘氏は 「予算が2億3500万円なのは濃縮ウランが235だから」 と答えたと語っています)。 これはまさに、日本の原子力政策は巨額の税金を投入する 「原発利権」 となっていく原点であり、 その後、中曽根氏は科学技術庁長官や原子力委員会委員長を歴任するなど、 原発推進の先駆者だった正力氏とともに戦後日本の原子力推進勢力の中心人物となっていきます (中曽根康弘著 『天地有情−50年の戦後政治を語る』 文藝春秋、1996年、を参照)。

  また、その二人の後継者と目されるのが、現在の読売新聞社主の渡辺恒雄氏と 「日本原子力発電」 元社員で、その後中曽根氏の秘書を経て、 国会議員に転身した与謝野馨氏であることは衆目の一致するところだと思います(植草一秀の 『知られざる真実』」 2011年5月23日 「原発村番頭与謝野氏が理論的でない理論的主張示ス」 を参照)

  この他の動きとしては、二人の物理学者、茅 誠二・東大教授と伏見康治・大阪大学教授が1952年に日本学術会議の総会で、 原子力委員会の設立を政府に提案することを要請しますが、当時の物理学者の多くが原爆開発につながるとして反対して不採択となっています。 そして、1954年春の日本学術会議第17回総会で、わが国における原子力の開発・利用の基本として、 翌55年末に制定される原子力基本法に盛り込まれることになる 「民主」、「自主」、「公開」 の三原則を声明として発表しました。 また、日本人初のノーベル賞受賞者である湯川秀樹氏は、正力氏などの誘いで原子力委員会に最初加わることになりますが、 原子力推進の動きに抗議して早々に委員を辞任しています。

  そして、日本の核・原子力政策に大きな影響を与えることになったのが、いうまでもなく1964年の中国の核(原爆)実験成功の報道でした。 これ以降、中国は米国(1945年)、ソ連(1949年)、英国(1952年)、 フランス(1960年)に次ぐ五番目の核保有国となり、この隣国中国の存在が体制・イデオロギーの違いもあって、 日本の政界・官界・財界・マスコミ界・学界だけでなく原水爆禁止運動や一般国民にも大きな影響・動揺をもたらしたという事実はあらためて想起する必要があると思います。
  日本の核武装論の系譜や世界の核拡散状況を丹念に取材した作品 『検証 非核の選択―核の現場を追う』 (岩波書店、2005年)がある杉田弘毅さん (共同通信編集委員)は、「日本側に平和利用技術は核兵器に転用できるという思惑があったことも否定できない。 68年に内閣調査室主導でまとまった 『日本の核政策に関する基礎的研究』 には、 平和利用で運転を始めたはずの東海村の原子炉でできるプルトニウムを核兵器に使う案が描かれている。
  同じころ、外務省外交政策企画委員会は 『わが国の外交政策大綱』 で、 『核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャルは常に保持するとともにこれに掣肘(せいちゅう)を受けないよう配慮する』 として、 平和利用技術を援用しいつでも核兵器を持てるようにするという指針案を打ち出した。 西ドイツと核武装についての協議も行っていたという」 という重要な指摘を行っているのが注目されます(核心評論 「原子力と民主主義」 『愛媛新聞』 2011年8月16日付より)。

  日本反核法律家協会の事務局長で核・原爆問題に長年精力的に取り組んでいる大久保賢一弁護士も、 「この原発推進の背景には、わが国政府の核4政策が存在している。@非核三原則の遵守、A核兵器の不拡散、核軍縮から核廃絶へ、 B米国の核抑止力への依存、C原子力の平和利用、という政策である。 この政策の特徴は、核兵器の廃絶などとはいうものの、核兵器によってわが国の安全を確保するだけではなく、 核エネルギーの 『平和利用』 は承認するというものである。もちろん、核兵器と原発は異なる存在である。 けれども、核エネルギーを使用するということでは共通している。日本の支配層も、中国が核実験に成功した直後、核武装を計画したことがあった。 けれども、その選択を現実化することはできなかった。米国が許すはずがなかったからである。その結果の核4政策である。
  これは、核兵器の独占体制を維持できなくなった米国が、『平和利用』 のための核を自国のコントロール下に置くという政策をとり、その政策を前提として、 核兵器の保有を潜在的に確保しておきたいと考えたわが国支配層の思惑の産物である。 他方、この体制は、核兵器保有国と非核兵器国の不平等性を内包する核不拡散条約(NPT)として、現代国際法規範とされている。 米国をはじめとする核兵器保有国、そして核兵器依存国であるわが国政府は、もっぱらの関心を、原発の安全性ではなく、核の不拡散に集中している。 不平等性を固定したまま、自国の核の優位性を確保しようという願望である」 と本質的な分析・考察を行っていますが、 評者も基本的に同意できる内容です(大久保賢一 「福島原発事故に立ち向かうために― 『国策』 と 『前科』 との対決―」 自由法曹団 機関誌 『団通信』 1382号(6月1日)を参照)。

  小出裕章さんも、その著書(『隠される原子力・核の真実―原子力の専門家が原発に反対するわけ』 創史社、2011年1月発行)のなかで、 「もともと、科学技術に 『軍事』 用と 『平和』 用の区別はありません。 もしあるとすれば、かつて野坂昭如さんが指摘したように 『戦時』 利用と 『平時』 利用の差しかありません。 もちろん 『平和』 利用といいながら開発した技術も、必要であればいつでも 『軍事』 用に利用できます。 今日原子力の平和利用などと称して使われているすべての技術は米国の原爆製造計画、マンハッタン計画から生まれました。 もちろん、核兵器保有国、米・英・仏・露・中の五カ国は 『ウラン濃縮』 『原子炉』 『再処理』 の核開発中心三技術を持っています。 そして、非核兵器保有国で唯一、それら三技術を持っている国が日本です」 (同書、109 〜110頁)と述べ、 「日本が原子力に固執し続ける本当の理由」 を示すものとして、「核兵器については、NPT(核拡散防止条約)に参加すると否とにかかわらず、 当面核兵器を保有しない政策はとるが、核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャル(能力)は常に保持するとともに、 これに対する掣肘を受けないよう配慮する」 (外務省・外交政策企画委員会が1969年に作成した内部資料 『わが国の外交政策大綱』) および 「個人としての見解だが、日本の外交力の裏付けとして、核武装の選択の可能性を捨ててしまわない方がいい。 保有能力は持つが、当面、政策として持たない、という形で行く。そのためにもプルトニウムの蓄積と、 ミサイルの転用できるロケット技術は開発しておかなければならない」 (外務省幹部の談話)を紹介しています(同書、110 〜111頁、 また日本の核武装の動きについてのより詳しい情報は、槌田 敦、藤田祐幸、井上澄夫、山崎久隆、中嶌哲演、望月 彰、渡辺寿子、原田裕史、 柳田 真(共著)、核開発に反対する会 (編集) 『隠して核武装する日本』 影書房、2007年12月発行、を参照)。.

  ここで最大の問題は、今年3月に起きた東日本大震災と福島原発事故の複合被害という 「未曾有の国難」 の渦中にある現在でも、 日本政府が(原発の再稼働や新増設だけでなく)使用済み核燃料の再処理を行うプルサーマル計画や高速増殖炉 「もんじゅ」 を断念しようとしない理由は何なのか、ということです。

  ジャーナリストの鈴木真奈美さんは、その点について、 『世界』 2011年5月号への寄稿論文 「『フクシマ』 という道標〜核エネルギー政策の転換点」 のなかで、 「日本も(「再処理−高速増殖炉」:評者)路線変更の機会はあった。 そもそも米国から再処理に 『待った』 がかかった時点で、見直しを図ることもできたはずだ。 それを妨げたのは、エレルギー政策の観点からだけだったのだろうか。検証が必要である」 (同178頁)、 「ウラン資源も近い将来、枯渇する。コストが高く、国際政治の影響を受けやすい原子力は、エレルギー安全保障にとっても賢明な選択とはいえない。 甚大な放射能汚染と複合被害が深刻化するなか、政治家や原子力関係者のなかには、この期におよんでもなお原子力発電の維持・拡大を口にする者がいる。 利権、信念、面子など、原子力にしがみつく理由はいくつかあるのだろうが、 核武装の 『ポテンシャルの保持』 も無視できないファクターではないだろうか」 という重大な問題提起を行っているのが注目されます。 日本国内では中国の核実験成功(1964年)を受けて核武装を真剣に模索したけれども、 結局、米国の反対と見返りとしての米国からの 「核の傘」 提供の意思表示でようやく断念したという過去の経緯も明らかになっているだけに、 この問題提起は看過できない深刻な問題を含んでいるといえると思います。

  具体的には、自民党の有力者の一人である石破 茂衆議院議員が、8月16日のテレビ朝日番組 「報道ステーション」 で、 「原子力発電というのがそもそも、原子力潜水艦から始まったものですのでね。 日本以外のすべての国は、原子力政策というのは核政策とセットなわけですね。ですけども、日本は核を持つべきだと私は思っておりません。 しかし同時に、日本は(核を)作ろうと思えばいつでも作れる。1年以内に作れると。 それはひとつの抑止力ではあるのでしょう。それを本当に放棄していいですかということは、それこそもっと突き詰めた議論が必要だと思うし、 私は放棄すべきだとは思わない。なぜならば、日本の周りはロシアであり、中国であり、北朝鮮であり、 そしてアメリカ合衆国であり、同盟国であるか否かを捨象して言えば、核保有国が日本の周りを取り囲んでおり、 そして弾道ミサイルの技術をすべての国が持っていることは決して忘れるべきではありません」 という驚くような発言を行っていること (詳しくは、植草一秀の 『知られざる真実』 2011年8月22日 「核武装の為の原発推進を公言する自民党石破茂氏」 を参照)。
  4人の首相経験者(民主党の鳩山由紀夫氏、羽田 孜氏、自民党の森 喜朗氏、安倍晋三氏)や与野党党首(自民党の谷垣禎一総裁、 国民新党の亀井静香代表、たちあがれ日本の平沼赳夫代表)が顧問に名を連ねる 「地下式原子力発電所政策推進議員連盟」 (平沼赳夫会長)が5月31日に発足したこと、などを挙げることができます。 この動きは、表向きは勉強会となっていますが、参加者の顔ぶれから、大連立・政界再編に向けた布石だけでなく、 核武装に向けた意思表示との臆測も呼んでいるだけにこれから注視していく必要がありそうです (関連情報として、『東京新聞』 6月10日付 【特報】 超党派議連発足の狙いは 「地下原発」 は菅降ろし?、 および 「新ベンチャー革命」 2011年5月23日 No.371の 「地下式原発推進一派は悪徳ペンタゴンからの総攻撃に備えよ!」 を参照)。

2011年12月31日(3・11とフクシマというあまりにも理不尽な経験をした年を終えるにあたって)


【追記】
  ここからは追記として、福島原発事故の真因にかかわる見逃せない情報について触れさせていただきます。 なお、この情報がある人びとにとって都合の悪いものであるために、 一般国民にあえて 「隠された不都合な真実」 なのか否かについては読者のご判断に委ねたいと思います。

  <東日本大震災からまもなくして菅首相(当時)の一本釣りという形で、 自民党から復興担当の総務政務官に異例の抜擢をされた浜田和幸参議院議員(無所属を経て現在は国民新党)は、 7月11日、衆議院東日本復興特別委員会でのみんなの党の柿沢未途議員からの質問(浜田氏が論文などで、 人工的に地震や津波など自然災害を引き起こす環境・気象兵器を米国が敵対国に使用した可能性があるとしている点を取り上げ、 復興に関する国際協力を得る政府の担当者に不適格だと指摘した)に対して、「地震や津波を人工的に起こすのは技術的に可能で、 国際政治、軍事上で常識化されている」 「だからといって米政府などが日本のために援助をしないことはない」 と持論を臆すことなく展開しています (「msn.産経ニュース」 2011.7.11 20:58 :浜田政務官、就任前の被災地訪問 「一度もありません」、 その動画は (「2011年07月11日衆議院復興特別委員会で浜田政務官が人工地震に言及」 を参照。

  また関連情報として、新ベンチャー革命2011年6月21日 「2009年に3.11大地震・大津波を黙示していたフューチャリスト ・浜田和幸自民党参院議員」 No.390  を参照)。
  定評のある国際問題評論家で元日本平和学会会長でもある北沢洋子さんも、 「米軍の気象戦争」 に触れています(「北沢洋子の国際情勢を読む」 2008年1月3日)。 元外交官の原田武夫氏も人工地震について何度も言及しています(例えば、元外交官・原田武夫さんの 『国際政治経済』:ハイチ巨大地震の犯人は地震兵器? 不思議に “圧殺” される 「地震兵器」 論 を参照)。

  そして、1970年代末には、国連を通じて米ソ両国などが参加する環境改変技術敵対的使用禁止条約(正式には、 環境改変技術の軍事的使用その他の敵対的使用の禁止に関する条約、 1978年10月5日発行。附属書 あり)が成立しています(この条約資料については、東京大学東洋文化研究所田中明彦研究室が公開している 多数国間条約集 に掲載されています)。

  この他にも、「福島第一原発にイスラエルの会社の 『謎』」 (『週刊現代』 2011年年5月21日号掲載)や、 「GHQ彷彿させる官邸へ派遣の米国人  菅総理に代わり決裁権」 NEWSポストセブン2011.05.09 07:00 『週刊ポスト』 2011年5月20日号に掲載、 ベンジャミン・フルフォードさんやリチャード・コシミズさん、船井幸雄さんなどのブログ情報や関連本などが多数出ています。

  さらに、あらたなる東京直下型大地震や富士山大噴火などについてのさまざまな情報がインターネットを中心に溢れかえっているというのが実情です。 ここで、それらの情報の真偽を個別に検証・確認することはできません。
 いずれにしても、すでに気象改変装置(地震兵器・津波兵器など)が開発・保有されているということが事実であるとするならば、 日本政府とメディアはただちに再発防止のためにもその事実を(再)確認して、 検証可能な全面禁止措置(国連を通じた全面禁止条約締結とその厳密な検証を可能とする国際査察体制の構築)を、 国際社会に求めていく必要があると思います。

≪参考資料・文献≫
・米ピーター・カズニック氏論文 「日本原子力史とアイゼンハワー」 (2011年4月13日)
・田中利幸 「『原子力平和利用』と広島―宣伝工作のターゲットにされた被爆者たち」 『世界』 (2011年8月号)
・田中利幸/著 ピーター・カズニック/著 『原発とヒロシマ 「原子力平和利用」 の真相』 岩波ブックレットNo.819(岩波書店、2011年10月)
・鈴木真奈美 「『フクシマ』 という道標〜核エネルギー政策の転換点」 (『世界』 2011年5月号)
・春名幹男 「原爆から原発へ〜マンハッタン計画という淵源」 (『世界』 2011年6月号)
・有馬哲夫著 『原発・正力・CIA』 (新潮新書、2008年2月)
・杉田弘毅著 『検証 非核の選択―核の現場を追う』 (岩波書店、2005年)
・新原昭治著 『日米 「密約」 外交と人民のたたかい―米解禁文書から見る安保体制の裏側』 (新日本出版社、2011年9月)
・小出裕章著 『隠される原子力・核の真実―原子力の専門家が原発に反対するわけ』 (創史社、2011年1月)
・核開発に反対する会 (編集) 『隠して核武装する日本』 影書房、2007年12月
・佐野眞著 『巨怪伝−正力松太郎と影武者たちの一世紀(上)(下)』 (文藝春秋、2000年5月発行)
・中曽根康弘著 『天地有情−50年の戦後政治を語る』 文藝春秋、1996年
・小倉志郎 「原発を並べて自衛戦争は出来ない」 『季刊リプレーザ』 3号(2007年夏)
・映像 「原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~」 (NHK特集番組、2011年7年13日再放映)
・ジェリー・E・スミス (著), ベンジャミン・フルフォード (監修, 翻訳) 『気象兵器・地震兵器・HAARP・ケムトレイル』 成甲書房; 初版 (2010/12/18) ・ベンジャミン・フルフォード (著), 飛鳥 昭雄 (著), 船井 幸雄 [序文・解説・推薦] (監修) 『3・11人工地震テロ&金融サイバー戦争 二人だけが知っている超アンダーグランドのしくみ だまし討ちに気づかない日本人へ! これ以上毟られるのがいやならこれだけは知っておけ! (超☆はらはら)』 ヒカルランド (2011/9/5)
・泉パウロ著 『本当かデマか 3・11 [人工地震説の根拠] 衝撃検証(超☆はらはら)』 ヒカルランド (2011/8/11)
・原田武夫著 『世界通貨戦争後の支配者たち』 小学館 (2011/1/17)
・鈴木真奈美 『核大国化する日本 平和利用と核武装論』 (平凡社新書- 2006/8/10)
・柴田哲孝著 『GEQ』 角川書店(角川グループパブリッシング) (2010/2/26)