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「時代の奔流を見据えて──危機の時代の平和学」

目次 プロフィール
木村 朗 (きむら あきら、鹿児島大学教員、平和学専攻)


 第三七回 緊急特別寄稿

「なぜいま秘密保全法案なのか─
忍び寄るファシズム(監視社会・警察国家)の影」
  はじめに
  東日本大震災と東電・福島第一原発事故からもうすぐ1年が過ぎようとしていますが、 ようやく政府・国会と民間の福島原発事故調査委員会が報告書を発表しはじめています。 それとともに、原発事故発生以後の政府・東電の対応に関する事実関係を検証する記事を既存大手メディアの一部(例えば、 『朝日新聞』 の連載記事 「プロメテウスの罠」 やNHKのETV特集 「ネットワークでつくる放射能汚染地図」 など)が伝えはじめたことによって、 これまで隠されていた都合の悪い真実も徐々に明らかになりつつあります。 もちろん、その多くの情報はフリージャーナリストの活動や有名・無名の個人のブログ・ツイッターなどを通じて、 ネットユーザーにはすでに既知のものではありますが… (例えば、出版物としては、本NPJ編集長の日隅一雄弁護士の木野龍逸氏との共著 『検証 福島原発事故・記者会見――東電・政府は何を隠したのか』 岩波書店(2012/1/21)や広瀬 隆(著)、明石昇二郎(著)、保田行雄(著) 『福島原発事故の 「犯罪」 を裁く』 宝島社 (2011/11/17)、 上杉 隆 (著) 『国家の恥−一億総洗脳化の真実』 ビジネス社 (2011/11/23)』、 および同 『新聞・テレビはなぜ平気で 「ウソ」 をつくのか』 PHP新書(2012/2/15)、 青木 理 (著), 高田 昌幸 (著), 神保 哲生 (著) 『メディアの罠―権力に加担する新聞・テレビの深層』 産学社 (2012/02)、 菅沼光弘(著) 『この国の不都合な真実―日本はなぜここまで劣化したのか?』 徳間書店 (2012/1/28)などを参照)。

  これに関連して注目されるのが、原発事故関連の報告書の発表に先立つようなかたちで、 政府・東電や福島県の原発事故対策会議において議事録が作られていなかったという驚くべき異常な事実が明らかにされていることです。 この問題は、単なる怠慢やミスというものではなく、 SPEEDI (緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)情報などを隠蔽して必要な避難措置をとらずに、 意図的かつ不必要に多くの住民・国民を被曝させた行為(「未必の故意による殺人」 という犯罪に匹敵するともいえるかもしれません)に続く、 「二重の犯罪行為」 であることは明らかだと思います。 この議事録未作成問題は、情報公開や国民の知る権利の保障という民主主義的な諸原則に民主主義手続きとは根本的に反する深刻な性格を秘めており、 福島原発事故の本当の原因を解明して責任を追及するためにも徹底的に明らかにする必要があります。
  具体的には、作家・ジャーナリストの冷泉彰彦さんも指摘しているように、少なくとも 「録音ないしメモなどを発掘して議事録を再現すること、 その中に現在の視点から見て大きな問題があれば、しっかりした総括と情報公開をすべきだ」 と僕も思います ( 「原発事故対応の “議事録隠し” の動機を推測する」 『ニューズウィーク日本版』 2012年2月2日(木)を参照)。

  そこで、今回の論評では、この問題とも密接に関連している秘密保全法案をめぐる最近の動きを取り扱いたいと思います。 両者は、3・11以降、日本において立ち上がりつつある全体主義的な雰囲気、 すなわち 「日本型ファシズム」 (作家・辺見庸さんの言葉)の核心的特徴を示すものだと考えるからです。

  1.東日本大震災以後の報道管制の流れ
  東日本大震災・福島第一原発事故以後の大きな流れ・特徴の一つは、政府・東電・メディアが一体となった言論統制(情報操作・世論誘導)です。 この間の政府・東電の対応やそれを真摯に検証・批判しようとしなかった既存メディアの姿勢は、 多くの人々に大きな不安と不信感を抱かせる結果を生むことになりました。
  具体的には、原発事故の原因と背景(事前に想定しえたはずの津波・地震・原発事故をあえて想定しようとしなかった問題、 フィルター付きベント設備導入計画の断念や廃棄された原発無人ロボットの謎、原発事故が津波ではなく地震によって引き起こされた可能性など)、 放射能被害の意図的過小評価と健康被害だけでなく、環境汚染・食品汚染の深刻な実態の隠ぺい(SPEEDI 情報や情報収集衛星の撮影画像の非公開、 メルトダウン・メルトスルー・メルトアウト情報の隠ぺい、原発労働者を中心とする被ばくによる死者数を含む被爆者情報の厳格な統制など)、 原発事故対応の不可解さと政策決定の不透明さ(放射能汚染水の海洋への投棄、突然の浜岡原発稼働中止決定やストレステスト導入決定の経緯、 首相官邸へ米国人専門家グループを常駐させることになった経緯や、 福島第一原発を含む日本のすべての原発警備セキュリティーをイスラエルの会社に任せることになった経緯など)といった問題です。

  こうした重要な問題を曖昧にしたまま、あまりにも性急に形だけの 「事故終息宣言」 を行って、 原発再稼働と海外への原発輸出に乗り出そうとしているいまの日本の状況は、まさに戦前の大本営発表・大政翼賛体制の復活であり、 チェルノブイリ事故発生当時のソ連の政府・マスコミよりもひどい状況だと評価せざるをえません。 メルトダウン・メルトスルー・メルトアウト情報の隠ぺいに関連して、震災翌日に 「(1号機の)炉心の中の燃料が溶けているとみてよい」 と記者会見で発表して更迭された保安院・中村幸一郎審議官の問題や、原発事故対策会議での議事録未作成問題は、 まさにそうした隠ぺい体質と言論統制の象徴だと思います。 まさにこれは明らかな法律違反であるばかりでなく、国民への重大な背信行為であり民主主義の根幹を揺るがす行為であると言わざるを得ません。そして、 ようやく今頃になって、SPEEDI による放射性物質の拡散予測について、 高木義明文部科学相ら政務三役や文科省幹部が協議し 「一般にはとても公表できない内容と判断」 したとの報道がなされていますが、 あまりにも遅すぎると言わざる得ません (「文科相ら “公表できない” SPEEDI の拡散予測」 『中国新聞』 2011年3月3日を参照)。

  当時もいまも政府は、あくまでもパニックや風評被害を防止するためであったとして自らの対応を正当化しようとしていますが、 このような正当化・居直りがはたして許されるのでしょうか。ここにあるのは、「(民には)知らしむべからず、依らしむべし」、 すなわち国民に本当のことは知らせてはならず、ただ無批判に権力(お上)に従わせるだけでいいといった、 昔ながらの為政者の傲慢な姿勢がそのままあらわれているといえます。 そして、今回の福島原発事故から私たちが学ぶべき大きな一つの教訓は、「政府と企業は自己正当化のためなら平気で嘘をつくし、 権力監視を放棄したメディアは必ずしも真実を伝えない」 ということではないでしょうか。

  この点に関連して、SPEEDI 問題の調査を行なっていた衆院科学技術・イノベーション推進特別委員長の川内博史・代議士(民主党)がかなり早い段階で、 「SPEEDI 情報を公表することは法令で定められている。政府が法令に違反して故意に隠したことで住民に無用な被曝をさせ、健康被害を与えたとすれば、 重大な政治犯罪になるのではないか。徹底的に政府の責任を検証するのがメディアの責務のはずです」 と語っているのが注目されます (『週間ポスト』 2011年5月20日号を参照)。中村審議官の更迭もこの文脈で考える必要があります。 また、川内議員は昨年12月3日の時点ですでに、「いまだに真実が明かされていない」 と東京電力の隠ぺい体質を批判するとともに、 「津波が来る前に、すでに地震で原子炉が損傷していた可能性がある」 と指摘していました(「“福島第1原発事故は、 地震が原因の可能性” と川内博史衆議院議員」 『南日本新聞』 2011年12月5日を参照)。

  もう一つ見逃せないのが、下記のように気象学会や日本建築学会などで積極的な情報提供を自粛する動きがあったという事実です。 その背後に政府からの要請・圧力があったことが推測されますが、もしこれが事実であるならば、 日本はすでに言論統制を行なう全体主義国家になりつつあることを意味しているのではないでしょうか。

  ≪福島第一原発の事故を受け、日本気象学会が会員の研究者らに、 大気中に拡散する放射性物質の影響を予測した研究成果の公表を自粛するよう求める通知を出していたことが分かった。 自由な研究活動や、重要な防災情報の発信を妨げる恐れがあり、波紋が広がっている。 文書は3月18日付で、学会ホームページに掲載した。新野宏理事長(東京大教授)名で 「学会の関係者が不確実性を伴う情報を提供することは、 徒(いたずら)に国の防災対策に関する情報を混乱させる」 「防災対策の基本は、信頼できる単一の情報に基づいて行動すること」 などと書かれている。≫ ( 「放射性物質予測、公表自粛を 気象学会要請に戸惑う会員」 『asahi.com(朝日新聞社)』 2011年4月2日)

  ≪今回の未曾有の原子力災害に関しては、政府の災害対策本部の指揮・命令のもと、国を挙げてその対策に当たっているところであり、 当学会の気象学・大気科学の関係者が不確実性を伴う情報を提供、あるいは不用意に一般に伝わりかねない手段で交換することは、 徒に国の防災対策に関する情報等を混乱させることになりかねません。≫ (日本気象学会会員各位に宛てた新野 宏理事長の声明全文

  ≪「通常規模の災害とは全く異なり、 被災地は極めて混乱しており、現時点では当該支部より、調査を遠慮して欲しいとの要請が来ております。 ご理解とご自重の程、よろしくお願いいたします」 3月15日17時、日本建築学会災害委員会の林康裕委員長(京都大学大学院教授)≫ (『日経BP社 』 2011年3月16日)

  2.秘密保全法案上程の動きの背後にあるもの
                ─9・11以後のアメリカとの状況の類似

  3・11とフクシマ(東日本大震災と福島第一原発事故)以後の日本の状況とある意味で重なるのは、 9・11事件(「アメリカ同時多発テロ事件」 と呼ばれる)以後のアメリカの状況です。 フリージャーナリスト・作家の堤 未果さんは、近著 『政府は必ず嘘をつく アメリカの 「失われた10年」 が私たちに警告すること』 (角川SSC新書、2012/2/10)のなかで、9・11以降、アメリカでは多くの人々が思考停止状態となり、 そのすきに乗じて憲法違反が明らかな愛国者法が成立して 「テロリストの危険」 から 「国民の安全」 を守るという口実で、 国民の自由と権利が大幅に制限される監視社会化・警察国家化が一挙に進行すると同時に、 大惨事につけ込んで実施される 「ショック・ドクトリン」 と称される過激な市場原理主義によって、 貧困格差が拡大し続けている悲惨な現状を生々しく伝えてくれています。

  そして、こうしたアメリカの現状はまさに 「日本の近未来」 の姿であると警鐘を鳴らし、そうならないためには 「ひとつの情報を鵜呑みにせず、 多角的に集めて比較し、過去を緋解き、自分自身で結論を出すこと」 の大切さを訴える堤さんに深い共感を覚えます。 また特に、堤さんが紹介してくれている、「日本はアメリカと同じ道を歩んでいる。…アメリカが9・11直後にやったことを、 今度は日本が3・11後にやるのか。まるで示し合わせたかのように」(同書、10頁)、「アメリカを見ろ、同じ過ちを犯すな」(同書、11頁)、 「ネットで見る限り、日本の大手マスコミの報道は全体国家に近いですね。 9・11以後のアメリカの報道とそっくりだ」(同書、205頁)というアメリカ市民の声は傾聴に値するものだと思います (関連情報として、評者のNPJ第二五回論評 「対テロ戦争の拡大と悪化する世界の人権状況」 も参照)。

  ここで注目すべきことは、こうした人権侵害の状況があらゆる面でオバマ政権登場後もいっこうに改善されるどころかさらに悪化しているという事実です。 オバマ大統領は、昨年の大晦日に2012年国防権限法(NDAA)に署名しました。これは、外国人でもアメリカ国民でも、拉致し、無期限に拘留し、尋問し、 拷問し、殺害さえする法律上の権利を、ペンタゴンに対して認める法律」 であり、「人身保護令状請求権(適正手続きの権利)を無効にする初めての、 あけすけな法律で、1789年の権利章典の事実上の廃止」 を意味する内容です (ブログ 「マスコミに載らない海外記事」 の 「民主主義に対する世界戦争」 を参照)。
  また、田中宇さんのブログ 「人権抑圧策を強める米国」 2011年12月14日によれば 「今後の米国では、ウォール街占拠運動のデモに参加した市民とか、夫婦喧嘩で妻を殴った夫、 職場で解雇され暴れた若者などが 『テロリスト』 として逮捕され、裁判も受けられないまま無期限勾留されるといった構図がありうる」 ということです。

  日本でも 「被災地の復興・復旧」 を掛け声に、外資を含む大資本への税制優遇措置を盛り込んだ 「復興特別区域(特区)法案」 が昨年12月に成立し、 たとえば宮城県で村井嘉浩知事が、 アメリカに追随する形で 「ショック・ドクトリン」 的なやり方(地元の合意をとらずに上からトップダウンで外資を積極的に導入して、 非常時下でしかできないような 『新自由主義的改革』 を一挙に実現しようとするもの、 漁協から漁業権を奪う 「水産特区」 構想もその一環)を導入するような動きがみられるようになっています (「ショック・ドクトリン」 については、ナオミ・クライン (著) 『ショック・ドクトリン〈上〉〈下〉――惨事便乗型資本主義の正体を暴く』 岩波書店 (2011/9/9)、 および 『世界』 2011年10月号掲載の西谷修論文 「自由≠フ劇薬がもたらす破壊と荒廃」 やブログ 「もうすぐ北風が強くなる」 2011-05-21の 「ショック・ドクトリンと言う火事場泥棒」、 を参照)。

  また、橋下徹・大阪市長(元府知事)がいま行おうとしている教育改革なるものが、 ブッシュ米政権が10年前に教育の市場化で教育現場の荒廃をもたらした 「落ちこぼれゼロ法」 の焼き直しであることも決して偶然ではないことを付言させていただきます(堤・前掲書、 「大阪教育基本条例はアメリカで破たんした落ちこぼれゼロ法とそっくりと指摘した報道番組VOICEに逆上する橋下氏」 および 「橋下流教育 米では不評」 『朝日新聞』 2012年3月4日付き、を参照)。 (堤・前掲書、 「大阪教育基本条例はアメリカで破たんした落ちこぼれゼロ法とそっくりと指摘した報道番組VOICEに逆上する橋下氏」 および 「橋下流教育 米では不評」 『朝日新聞』 2012年3月4日付き、を参照)。

  こうした状況のなかで出てきているのが、現在開催中の通常国会に上程されそうな動きがある秘密保全法案です。 この法案は、80年代に廃案になった国家秘密(スパイ防止)法案の改悪版ともいえる性格をもつもので、 (1) 防衛 (2) 外交 (3) 治安維持―の3分野を対象に 「特別秘密」 を決め、 漏洩者等には最高で懲役5年・10年の刑罰を与えようとする内容を含んでいます(現時点では、この法案の内容はすべて公開されているわけではありません)。 また、このサイバー法案を提言した政府の有識者会議の議事録が未作成(あるいは意図的削除!?)であったことも判明していますが、 このことは決して偶然ではないと思います( 「<秘密保全法案>有識者会議議事録なし 策定過程の検証困難」 『毎日新聞』 3月4日(日)

  現行の国家公務員法は、職員が職務上知り得た秘密を漏えいした場合の罰則を 「懲役1年以下」 と定めていますが、 政府内では 「抑止力が不十分」 との指摘があり、公務員らが 「国の存立に重要な情報」 (特別秘密)を漏らした場合の罰則を、 日米相互防衛援助(MDA)協定に伴う秘密保護法などと同じ 「懲役10年以下」 とする方向で調整に入ったといわれています。 これに伴い、自衛隊法で懲役5年以下と規定している防衛秘密の漏えいも10年以下に引き上げ、 新法案に取り込む考えであるとも伝えられています(「時事通信」 2011年12月26日配信、 および 『世界日報』 の2011年12月27日付の記事 「政府、秘密保全法案を懲役10年に−自衛隊法も引き上げ」 を参照)。

  また、これに関して、民主党で外交防衛分野の情報管理のあり方を議論している 「インテリジェンス・NSCワーキングチーム(WT)」 は、 国会に 「秘密委員会」 (仮称)を議員立法で設置し、特別秘密の内容・範囲が適当かチェックさせる制度の検討を始めたといわれています。 このWT案は 「国会の監視機能を担保するため、国会議員の保秘に関する法的措置が必要」 と明記されており、 委員会所属の議員が秘密を漏らした場合の罰則も視野に入れて、3月中には提言を政府に提出する方針だと伝えられています。 この委員会については、右崎正博さん(独協大法科大学院教授・憲法)が 「委員会に所属した議員は、守秘義務が生涯課せられる可能性があり、 憲法が保障する自由な言論を縛られる。国民への情報が減り 『知る権利』 も制約される。 米国議会の同種の委員会は、大統領の強い権限を監視する役割があり、議院内閣制で憲法に平和主義を持つ日本と事情が異なる。 秘密を守る法が必要なら、国会は秘密の範囲を縛るルールを法で定め、厳格に運用されるよう国政調査権を行使し、 日々監視する役割に徹すべきだ」 と述べていますが、こうした懸念・主張には評者も同意できます。 (『毎日新聞』 2012年2月29日配信を参照)。

  ところが、そうした声を無視するように、岡田副総理が、3月2日の記者会見で、政府が今国会提出を検討している 「秘密保全法案」 に関し、 政府の機密情報に接する国会議員にも守秘義務を課すべきとの考えを示したと報道されています。 その報道によれば、岡田氏は、「外交を進めるには、与野党の限られた議員が外交機密を共有しながら議論をすることは必要で、 その際は公務員と同じ守秘義務をかけるべきだ」、「国会議員に守秘義務を課すのは私の持論だ。 やらないなら(政府と国会議員の)情報共有ができない」 と語ったとされ、 すでに民主党の 「インテリジェンス・NSCワーキングチーム」 の大野元裕座長らが、国会に特別秘密の内容を審査する 「秘密委員会」 を設置し、 所属議員に守秘義務を課す検討を始めていることを堂々と認めたそうです ( 「国会議員にも守秘義務…岡田氏、外交機密保持で」 『読売新聞』 2012年3月3日配信)。

  このように既成事実が着々と積み重ねられているのが現状です。しかし、この秘密保全法案に対しては、すでに本NPJ代表の梓澤和幸弁護士が、 「このおかげで公務員とメディアは萎縮して都合の悪いことは一切隠されることになります」 「国会議員は将来総理大臣や外務、防衛大臣になる可能性もあるから、もっと思想調査が必要だと読み取れるところもあります」 と鋭く指摘され、 「秘密を漏らせと教唆したり、共謀したとき、公務員が実際に漏らしたと否とにかかわらず、教唆、共謀だけで処罰される、 ということ(独立教唆罪)」 の恐ろしさを強調されていますが、まさにその通りだと思います (梓澤和幸弁護士 「秘密保全法が連れて行くところ」  2010年1月16日を参照)。

  また、NPJ連載執筆者の井上正信弁護士も、国家機密漏洩を防ぐための 「秘密保全法制」 と外交安全保障の司令塔となる日本版NSC(National Security Council:国家安全保障会議)作りとの関係に焦点を当てて、 日本版NSC創設構想が直接的には日米同盟強化・深化を合意した日米防衛政策見直し協議のプロセスから生まれたこと、 2005年10月の 「日米同盟:未来のための変革と再編」 での 「部隊戦術レベルから国家戦略レベルに至るまで情報共有及び情報協力をあらゆる範囲で向上させる」 という合意を通じて、 「日米両政府が、国家戦略レベルでの安保防衛政策を緊密に調整するため、ホワイトハウスのNSCに匹敵する日本版NSCが必要となった」 ことを明らかにされています(井上正信 「日本版NSCと秘密保全法制」 を参照)。いずれも貴重な指摘だと思います。

  その他にも、フリージャーナリスト(元北海道新聞記者)の高田昌幸さんは、「日本の組織や社会はただでさえ、異端者を排除する力学が強い。 同じ者同士が群れる傾向も強い。そうした中で、こんな法律が出来てしまえば、組織や社会の随所で 『相互監視』 が強まり、 警察や検察への 『内通』 が増える」 (高田昌幸 「野田内閣は本当に 『やる』 のか〜秘密保全法案」 2011年12月18日)、 「こんな法律を成立させてはいけない。それに法律は改正される。改正を重ねて当初とは全く違った内容・運用になることも珍しくない。 治安維持法が猛威を振るったのも、制定数年後に改正された後のことだった」 (「情報支配への飽くなき執念――不気味な秘密保全法=」 2012年1月23日) と重要な指摘をしていますが、これが杞憂でなく現実化する可能性が強いと言わざるを得ません。

  このように秘密保全法案は、その基準・定義(とくに 「特別秘密」 の概念)が無限定・曖昧で、 取り締まる対象・範囲が際限なくエスカレートする内容を含んでおり、厳罰化によって政府内の情報管理を強化するという本来の目的(もちろん、 これが本当の狙いかどうかは疑問)を離れて、 その運用や解釈によっては国民の知る権利や報道の自由を著しく侵害しかねない危険な性格を秘めていることだけは間違いありません。

  3.加速化する人権抑圧と言論統制の背後にある強い国家意思
─ファシズム(監視社会・警察国家)の到来を許すな!─
  現在開催中の第180回通常国会(6月21日までの会期)に、秘密保全法案がもうすぐ上程されようとしています。 井上弁護士が指摘されているように、その背後に 「日米同盟に源流を発した強い国家意思が働いている」 こと、 また一部のエリート官僚や政治家が主導するかたちで 「用意周到 に積み重ねられてきた国家意思が推進力になっていること」 はきわめて明らかです。 そして、この問題に関連して、田島泰彦さん(上智大学文学部新聞学科教授)も、野田内閣が法案提出を目指す理由として、 尖閣諸島で中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突してきた事件の映像が海上保安官の手で YouTube にアップされた問題を上げているのは表向きのことだとして、 「実は、尖閣諸島の事件よりはるか以前から、さらなる情報統制をという国家の強い意志は働いています。 廃案にはなりましたが、'85(昭和60)年には通称スパイ防止法案が自民党議員から提案され、'01年の9・11の発生を機に防衛秘密法制が新設された。 これはテロが起きたから急いで準備したものではなく、準備していたものを好機を見て提出したのです。 こうした政府の意志の背景には、日米関係も横たわっています」 と重要な指摘を行っています。 さらに、'70〜'80年代に日米間の軍事協力や技術協力が緊密の度を増したことで、 相互に提供し合う軍事秘密を保護すべく網をかける必要が高まってきたこと、 2007年に日米間で締結されたGSOMIA (軍事情報包括保護協定)もその一つの表れであることなどが分かります (『フライデー』 2012年3月2日号より)。

  そして、秘密保全法制を何としても導入しようとする動きや強固な国家意思は、すでに導入されている国民保護法制や裁判員制度だけでなく、 共謀罪の新設、人権擁護法案とそれにともなう人権委員会=「新たな人権侵害救済機関」 の設置(この人権擁護法案については、 「サルでも分かる? 人権擁護法案 人権擁護法の危険性の解説と反対運動支援」 を参照)、 ネット規制を狙ったサイバー法案の採択や権力による情報一元化につながる国民背番号制の導入、 地方から積み重ねられてきた暴力団排除条例や暴力団対策法改悪の動き、 地域政党 「大阪維新の会」 代表の橋下徹氏(現大阪市長)が力づくで推進・導入しようとしている 「君が代」 強制条例・教育基本条例や、 思想調査アンケート実施の危険な動き(橋下市長のファシズム的体質=「ハシズム」 を糾弾した内田樹 (著), 山口二郎 (著), 香山リカ (著), 薬師院仁志 (著) 『橋下主義(ハシズム)を許すな!』 ビジネス社 (2011/11/8)』を参照)、 そして国会で再び動きはじめた憲法調査会の動きや、 「自衛軍」 の創設だけでなく 「国家緊急権」 を盛り込んだ自民党の憲法改正推進本部(保利耕輔本部長) がまとめた憲法改正原案などとも密接なつながりを持っていることは確かです(必読文献として、 足立昌勝(監修) 『共謀罪と治安管理社会−つながる心に手錠はかけられない』 社会評論社 (2005/04)、 および青木理・梓澤和幸・河崎健一郎 編著 (著) 『国家と情報―警視庁公安部 「イスラム捜査」 流出資料を読む』 現代書館 (2011/10/8)、 斎藤貴男 (著), 沢田 竜夫 (著) 『「治安国家」 拒否宣言―「共謀罪」 がやってくる』 晶文社 (2005/6/1)などを参照のこと)。

  また直接的なつながりがあるとはいえないにしても、 光市母子殺害事件で最高裁が上告棄却して元少年に死刑判決が確定したことやその元少年の名前を多くのメディアが実名報道したこと、 原発特集で権力側(政府・東電)に都合の悪い情報を流したことがきっかけで起こされたたと思われる週刊東洋経済編集長が電車内の痴漢容疑で逮捕された 「でっち上げ(不当逮捕)」 事件、 現在新たな進展を見せつつある小沢一郎代議士に対する 「虚偽記載」 による政治資金法違反を理由とした 「見せしめ」 裁判 (田代検事作成の虚偽報告書に基づいた検察審査会による強制議決はそもそも無効であることは明白!)、 なども今の日本社会の暗部を反映した出来事であり、 権力とメディアが一体化した情報操作と人権侵害という広い意味で本質的な共通点があると思われます (これらの問題については、あらためてまた別の機会に論じたいと考えています。 とりあえず、評者のNPJ第二〇〜二二回論評 「小沢問題をどう考えるか−検察権力・マスコミ報道との関連で (上) (中) (下)」、 および 『週刊金曜日』 2012年2月17日号の特集記事 「暴走する警察」 を参照)。

  それでは、秘密保全法制が導入・確立されると日本社会はどのように変容するのでしょうか。 それは、梓澤弁護士も紹介されているように、たとえば、志布志事件で捜査当局内部からの告発を通じて入手した取調べメモ(「取調小票」)の存在や、 捜査内部の会議の議事録を調査報道で暴露して裁判の流れを変えるきっかけを作った気骨のある朝日新聞記者が、 秘密保全法違反で逮捕されるという事態もあり得るということです。 秘密保全法案に詳しいある弁護士は、週刊誌 『フライデー』 2012年3月2日号の インタビュー記事 のなかで、次のように語っています。
  ≪「'03年に鹿児島県で起きた志布志事件では、公職選挙法違反(買収)容疑で、15人の被告が逮捕、起訴され、 最高1年以上にわたって身柄を拘束されましたが、後に裁判で無罪となりました。 朝日新聞鹿児島総局の記者が、秘密を握る警察官に、『あなたは何のために警察官になったのか』 と迫り、 無理な取り調べがあったことを示す取調小票というメモ、捜査内部の会議の議事録も手に入れました。 議事録には 『この小票が公開法廷で開示されることになればこの事件は飛ぶ(終わる)』 という捜査幹部の発言などが書かれていました。 秘密保全法ができれば、開示した警察官はもちろん、開示を迫った朝日の記者も刑事責任を追及されます。 しかも、公務員法より量刑が増えたことで緊急逮捕が可能となりますから、事前の令状審査がないまま記者を逮捕。 逮捕に伴い、令状なしで支局にガサ入れすることが、法律上は可能になります」≫

  ここで、すぐに想起されるのが、現在放映中のTVドラマ 『運命の人』 で再び時の人となって注目を浴びている元毎日新聞記者の西山太吉さんが巻き込まれた国家的な陰謀事件 (本来、当時の佐藤政権の国民に対する裏切り行為であった沖縄密約事件が、 ニュース取材源の女性スキャンダルで外務省機密遺漏事件にすり替えられた出来事)です。 その西山さんは、同じ 『フライデー』 の インタビュー記事 のなかで、「自民党政権下の政治犯罪を摘発しようと立ち上がったはずの民主党政権は、外交文書の開示を始めましたが、 密約の追及は有識者委員会に任せました。 また、従来の情報公開法では知る権利に答えられないと改正案を出したはいいが、成立させようとしない。 そこにきて秘密保全法です。これが成立すれば、情報公開法は自然消滅します。 密約という政治犯罪を犯しながら嘘を吐きとおし、外国からの情報で真実が発覚した国です。 それこそ日本は秘密国家になるでしょう」 と秘密保全法の危険性をズバリ指摘されています。

  日本弁護士連合会(日弁連)の主催で 「秘密保全法制と報道の自由について考える院内集会」 が今年の2月8日に国会内で開かれ、 宇都宮健児・日弁連会長が 「秘密保全法制は国民の知る権利や報道・取材の自由を侵害するなど、 憲法上の諸原理と真正面から衝突するものだ」 と主催者挨拶を行ったほか、日本雑誌協会人権・言論特別委員会の渡瀬昌彦委員長、 同協会編集倫理委員会の山了吉委員長、日本ペンクラブの山田健太理事、日本マスコミ文化情報労組会議の東海林智議長、 ジャーナリストの西山太吉さんが、それぞれ言論・報道、表現の自由を守る立場から発言したと伝えられています (『しんぶん赤旗』 2012年2月9日付け)。

  日本弁護士会の会長声明 (2012年1月11日)では、 2011年8月8日に発表された 「秘密保全のための法制の在り方に関する有識者会議」 の、 秘密保全法制を早急に整備すべきである旨の 「秘密保全のための法制の在り方について(報告書)」 を取り上げて、「規制の鍵となる 『特別秘密』 の概念が曖昧かつ広範であり、 本来国民が知るべき情報が国民の目から隠されてしまう懸念が極めて大きい。 また、罰則規定に、このような曖昧な概念が用いられることは、処罰範囲を不明確かつ広範にするものであり、 罪刑法定主義等の刑事法上の基本原理と矛盾抵触するおそれがある」 と指摘し、 「禁止行為として、漏洩行為の独立教唆、扇動行為、共謀行為や、「特定取得行為」 と称する秘密探知行為についても独立教唆、扇動行為、 共謀行為を処罰しようとしており、単純な取材行為すら処罰対象となりかねず、そこでの禁止行為は曖昧かつ広範であり、 この点からも罪刑法定主義等の刑事法上の基本原理と矛盾するものである」 として、 取材及び報道に対する萎縮効果が極めて大きくなるとの重大な懸念を表明していることが注目されます。

  日本新聞協会も、 「秘密保全法制に強く反対 『取材・報道の自由を阻害』」 という声明と、 「秘密保全法制に対する意見書」 を公表しています。
  日本民間放送連盟(民放連)も同じように、 「秘密保全に関する法制の整備について意見書」 を2011年11月30日に内閣官房に提出して重大な懸念を表明しています。

  最後に触れておきたいことは、この秘密保全法案に盛り込まれている 「特別秘密」 には、 私たちの命と暮らしに直接関係する原発事故や放射能被害・被曝情報も当然含まれることになるだろうということです。 それは、具体的には、私たち市民が直接放射能測定を行って放射能汚染地図を作ったり、そうした情報を拡散するような行為さえも禁止され、 犯罪行為とみなされて取り締まり・処罰の対象になるということです。
  それと同時に、秘密保全法ができれば、国民の生命の安全に関わる政府・東電の不作為・過失も容易に隠蔽されて、 原因解明と責任追及がほとんど不可能になる事態が予想されます。

  サイバー犯罪対策法(サイバー犯罪を取り締まる刑法改正が昨年6月17日に成立、 「サイバー刑法」 あるいは 「コンピューター監視法」 ともいわれる)によるネット規制(児童ポルノ規制はそのも口実の一つ)は、 まさにそうした国家による言論統制の一環として導入されたものであり、すでにそうした兆候が出始めています。 サイバー法案については、とりあえず ブログ 「本とニュースの日々」 を参照)。

  このような状況をこれ以上悪化させないためにも、憲法の保障する基本的人権と国民主権を踏みにじり、 民主主義を破壊して明文改憲への大きなステップになるであろう秘密保全法制の導入とファシズム(監視社会・警察国家) の確立をみんなの力で何とかして防がなくてはなりません。 いまこそ私たち一人一人が立ち上がって声を出していくとともに、身近な仲間たちとともに力を合わせて行動を起こすべきときではないでしょうか。 (評者のNPJ第一・二回論評 「忍び寄るファシズムの危機−暗転する時代状況に抗して」(上)(下) を参照)。

  本論評を終えるにあたって、辺見庸さんの著作 『永遠の不服従のために』 [単行本] 毎日新聞社、2002/10 、[文庫版] 講談社、2005/05、より、 次の奥の深い根源的な問いかけの言葉をご紹介させていただきます (評者の書評 も良ければご参照ください)。

≪きたるべき(あるいはすでに到来した)戦争の時代を生きる方法とは、断じて強者への服従ではありえない。 人間(とその意識)の集団化、服従、沈黙、傍観、無関心(その集積と連なり)こそが、人間個体がときに発現する個別の残虐性より、 言葉の真の意味で数十万倍も非人間的であることは、過去のいくつもの戦争と大量殺戮が証明している。
  暗愚に満ちたこの時代の流れに唯々諾々と従うのは、おそらく、非人間的な犯罪に等しいのだ。
  戦争の時代にはおおいに反逆するにしくはない。その行動がときに穏当を欠くのもやむをえないだろう。必要ならば、物理的にも国家に抵抗すべきである。
  だがしかし、もしもそうした勇気がなければ、次善の策として、日常的な服従のプロセスから離脱することだ。 つまり、ああでもないこうでもないと異議や愚痴を並べて、いつまでものらりくらりと服従を拒むことである。
  弱虫は弱虫なりに、小心者は小心者なりに、根源の問いをぶつぶつと発し、権力の指示にだらだらとどこまでも従わないこと。 激越な反逆だけではなく、いわば「だらしのない抵抗」の方法だってあるはずではないか。≫


2012年3月4日(東日本大震災から1年目を1週間後に控えて)