2013.4.12

「時代の奔流を見据えて──危機の時代の平和学」

目次 プロフィール
木村 朗 (きむら あきら、鹿児島大学教員、平和学専攻)


NPJ特別寄稿
「孫崎 享さんと 『終わらない占領』 を論じる」

△孫崎:こんばんは、孫崎でございます。よろしくお願い致します。今日は鹿児島大学の木村朗先生においで頂ました。 木村先生と私の接点は、木村先生が今度 「終わらない占領対米自立と日米安保の見直し」 という本の編者となりまして、5月に出版の予定です。 ここに私が二つばかりの論評を書いた、それで木村先生と知り合いになってるわけですけれども、 もう一つ木村先生は、私は 「戦後史の正体」 のあと、来年でしょうか、再来年でしょうか、とにかく核の問題の本を執筆して頂くということになっております。
  この話は後ほどいろいろお話を伺うんですけれども、今日は大きく言って二つのテーマでお話して頂こうと思っております。 一つは冒頭申しました 「終わらない占領対米自立と日米安保の見直し」 という、この安全保障の問題と、それから原発の問題、 この二つについてお話を伺います。日本は今TPPの問題、オスプレイの問題等で本当に独立国、民主主義国家と言えるのかどうかということが、 単に言葉だけの問題じゃなくて、実体で問い直されなければならないような、そんな深刻な状況になっていると思いますけれども、 まずこの辺から先生のお考えをお伺いしたいと思います。先生よろしくお願い致します。
▲木村:こちらこそよろしくお願い致します。あの、私は去年6月の日本平和学会、沖縄大学であったんですが、 そこで米軍再編と馬毛島問題を報告させて頂きました。その時に最初に問題提起させて頂いたのは、日本はこれまで本当に独立国家、 民主国家であった試しがあるのかと、それは言えないのではないかという問題提起をさせて頂きました。 当時は、オスプレイ問題が争点になりつつあった時でもありました。沖縄の方の空気がかなり変わったなというようなですね、 その報告をさせていただいた後の、会場の方からの質問を受ける中で、非常に実感したところであります。
  私自身の持論は、日米安保は段階的に縮小の方向へという方向性を主張しましたし、基地問題をめぐって、基地のたらい回しで、 沖縄と日本本土の間で溝が生じるような形で、その問題を処理することが一番日米両政府にとっては好都合かもしれませんけれども、 沖縄の方と本土の方、一般市民の立場からすればそれは避けなけなければならない問題ではないかということで、沖縄にはもちろん基地はいらないし、 本土にもこれ以上の基地はいらないという主張をさせて頂きました。 そうは言いながらも実際問題として、基地問題は動かなくて、結果的に沖縄に74%以上の基地負担が60何年以上も続くような状況で、 そういった本土にはいらないということで、本当にいいのかという問題を突きつけられまして、それについてはもちろん現時点で日米安保を肯定している、 結果的にもそれを受け入れている以上、本土の方もそういう覚悟を持たなければならないと、それはその通りであるというのは、 その場でも実感したんですが、やはりベストは基地の縮小であり、国外移転がベストの選択であるということで、 沖縄の方と本土の方が一致してそういう要求を出していく必要があると、そういう主張をさせて頂きました。
△孫崎:先生は非常に大きな命題、本当に独立国家、民主主義国家と言えるかということを疑問に思われた。 これはオスプレイの他にも、歴史的に見てそんな感じをされているわけでしょうけど、もうちょっとご説明させて頂けますか。
▲木村:安保基地問題で言えば、59年でしたか、砂川基地問題がありまして、伊達判決が出ました。伊達判決は飛躍上告で、 一審の日米安保違憲という判決が覆されることになったんですが、その背景に実は当時のマッカーサー駐日大使の関与、 最高裁長官や当時外務大臣との裏の話し合いで、そういう高裁を跳び越して最高裁でそれを覆すという風な合意がなされていたと。 これはもう日本は一応1952年に独立したということになっていたんですが、その後の主権を放棄したような形で、 独立国家の態をなさない現状があったということが明らかになったのではないかというのが一つあります。
△孫崎:民主主義国家に対しての疑念というのはどんな感じでしょう。
▲木村:それは安保基地問題で言えば、私は日米安保条約も、そして自衛隊も、憲法9条を素直に率直に読めば、 違憲とならざるを得ないという立場なんですね。しかしなぜか政治家、官僚、なまじっか安保基地問題を詳しくやった人こそ、 いつの間にか両方を合憲という立場になっているということは、本当に最高法規である憲法が、 守られているのかどうかということは疑問に思っている一つですね。
△孫崎:先生は学者的な立場で日米安保、沖縄問題を見ておいでになるんでしょうけれども、 時事的に言えば、鳩山政権の普天間基地問題の扱い、これについてはどんな感想をお持ちですか。
▲木村:私は3年半前の政権交代に大きな意義があったと思います。
  その柱とされたのが、対米自立と脱官僚政治であったということで、鳩山政権は沖縄の基地問題を本気で、できれば国外移転、 最低でも県外移転ということを実現するように、少なくとも鳩山首相などは本気で取り組もうとしたと思います。 しかし結果的にそれを支える4人の閣僚と言いますか、外務、防衛、 官房長官と国交省の大臣などが早々にそういったマニフェストに打ち出していた方向を諦めて、足元の防衛、 外務官僚などが首相の意向とはまるっきり違ったアメリカの意向を忖度するような形で足を引っ張る方向で動いて、結果的に括弧つきの 「迷走」、 括弧つきの 「挫折」 に到ったということで、私は鳩山政権と言いますか、鳩山首相は沖縄問題を本当に解決するべく努力されたと思いますし、 沖縄の基地問題は全国的な課題として提起された戦後初めてであったと言ってもよいと思っております。
△孫崎:今、アメリカの意思を忖度したと、ということは、忖度しなくてもいいわけですよね。なぜ忖度しなければいけないのですか。
▲木村:そこはなんと言いますか、日米安保体制の本質的な性格とは何かという時に、私は自発的従属という言葉を使っているんですけど、 本来ならば自発的従属というのは形容矛盾ですよね。積極的に奴隷になりたがる人は本来ならいないはずなのに、 なぜかそうしているとしか思えない現状があると。
△孫崎:それはなぜかと言うのは、なぜなんですか。
▲木村:それはいろんな指摘がされてきたと思います。
  戦後の 「寛大なる占領」、括弧つきでありますけれども、或いは経済復興、市場への依存、安全保障の依存、 日米共通の指導層の共通の認識とか共通の利害とかあったと思いますけれども、軍事力信仰、抑止力信仰というのが背景にあって、 安全保障を図るには、世界最強の国家になるか、そうでなければ世界最強の国家と同盟を結んで、 従属に甘んじながらも身の安全を図るという発想があって、アメリカという超軍事大国の下で従属して甘んじながらもアジア太平洋地域においては、 副官としての地位を確保すると。ヨーロッパにおいてはその役割はイギリスが果たしていると思いますけれども、 司令官にはなれなくても副官の位置でそれを確立しようというような動きも狙いもあってそういう形になっているのではないかなと思います。
△孫崎:歴史的に見ると、もう副官としての地位を図るというのは難しいんではないですかね。
▲木村:実際にそういうような状況ではなくなってきていると思います。
△孫崎:鳩山さんに関して言えば、鳩山さんはもう一つ、東アジア共同体構想というものを出しましたけど、これはどうお考えになっていますか。
▲木村:世界的には国際統合に向かっていますし、地域統合はヨーロッパが先行する形で、今EUからEU合衆国へという大きな流れがあり、 その中にもちろん問題がありながらも、大局的にはそういう方向性で行くというのがあると。 そしてアジアにおいて、ももちろん日本や中国や韓国などが結束する形で、とりあえず東アジア共同体という形で、経済、貿易、関税から入って、 政治そして最終的には軍事安全保障も一つの枠組みの中でやっていくというのが、ある意味当然だと思うんですね。 しかしこういう流れをよしとしないと。それはアメリカ離れで地域の統合、アメリカにある程度対抗できるような、 脅威を与えるような地域帯合が一国だけでなくて数カ国の連合でするのも、好ましくないという意志が働いているのではないかなと思います。 これはアーミテージさんやジョセフ・ナイさんが書かれている本、著作などにもそういった意向はそのまま出ていると思います。
△孫崎:EUの方は経済的な連携はできたわけですけども、かつアメリカはそれを後ろ押ししたと思いますが、 東アジア共同体はなにかEUとは違う要因があるんでしょうか。
▲木村:経済的な相互依存関係はアメリカと日本以上に、例えばアメリカと中国、 日本と中国の方が輸出入とも次第に比重が逆転している状況があり、それをさらに東アジア、東南アジアを含めて考えた時に、 圧倒的に日米関係の比重以上に、アジアとの関係の方が非常に深まっているということが、実態としてはあると。 しかしそれに乖離するような形で、安全保障、軍事の枠組みは一貫して日米同盟機軸で来ているということが、 むしろ不自然な状況になってきているのではないかと思います。
△孫崎:先生は先程申し上げましたように、日米関係については 「終わらない占領対米自立と日米安保の見直し」 の編集者として5月ぐらいに出される予定ですけども、合わせて原発の本もかなり積極的に書かれていると思うんですけど、 その本の紹介からお願いできないでしょうか。
▲木村:そんなに原発問題をずっとやってて、本をいっぱい出しているというわけではありませんが、 今回たまたま、川内原発の差し止め訴訟の副団長を務めるということもありまして、地元鹿児島にある川内原発の問題に関わるようになり、 その中で玄海の訴訟をやっている方や、或いは九州地区に関東、福島から避難されてきた方、 元々この原発の問題に取り組んでこられた研究者や活動家の方、そういった弁護士も含めたネットワークが出る中で、 地元の南方新社という出版者、社長さんが鹿児島県知事選で脱原発を主張して、惜しくも敗れた向原祥隆社長なんですけれども、 一緒になって出そうということで、『九州原発ゼロへ、48の視点』 ということで、48人の方が一つの方向性を目指して、この本を出すことにあたって、 非常に今大きな意味があるんじゃないかと思っています。
△孫崎:あの福島原発があります。北陸の方では新潟、福井があります。それから四国にもあります。中国地方にもあります。 こういった中で九州の原発は他の地域と違う要因というのはあるんですか。
他の地域と同じだと見ていいんですか、九州には九州特有の何か問題点というのがあるんでしょうか。
▲木村:位置的な関係から言えば、偏西風の関係で九州地区の二つの原発に過酷事故が起きた場合には、 関西だけでなく関東も含めた日本のかなりの部分が放射能汚染、被害にあうところが一番大きな違いだと思います。
△孫崎:だからそういう意味では、九州の地域だけではなくて、関西とかそういうところに九州の影響が出てくると。 この点は余り今まで、その一般紙には、東京あたりにはあまり言われていない気が。そんな気が致しますね。 それからもう一つあるんじゃございませんか。どうされますか。
▲木村:これは原発と原爆ということで、私自身は原爆投下の問題もやっているということで、 『広島、長崎への原爆投下再考』 というアメリカの大学のピーター・カズニック先生と一緒に数年前に出させて頂いたものです。 カナダ在住の乗松聡子さんに翻訳させて頂いたものですが、 やはり原発と原爆というのは密接な関係があるというのが今回の3.11福島事故を受けても痛感しているところです。
△孫崎:ちょっとここを説明して頂けませんか。
▲木村:原発の導入の契機も巨大な利権の問題もありつつ、やはり潜在的な核保有への願望と言いますか、核武装力の獲得、 維持というのがあったと。そして福島原発事故が起きても、まだそれをやめようとしない根本原因として、 利権の問題と共にやはり潜在的な核兵器への能力の道を残したいという思惑が同時にあるんだろうと。
△孫崎:日本の社会のどの辺にそういう願望があるんでしょう。
▲木村:かなり政治の中枢におられる方が核武装への意志を隠さないようになってきているんじゃないかと、3.11以降ですね。
△孫崎:ということで、今福島原発のゼロへというような形で、積極的に九州の脱原発というものに関与されてきたわけですけども、 そのようなお立場になる視点から福島原発をどのように位置づけ、そしてそれが日本の社会或いは政治にどのような影響を与えたか、 その点をお考えを聞かせて頂きますか。
▲木村:なぜ自称で 「唯一の被爆国」 という言い方をして、核以外、放射能の恐ろしさを知っている日本で、 なぜ世界第3位になるような54基もの原発を抱えることになったのか、これが3.11福島以後の世界から寄せられている疑問だと思うんですね。 私はやはり原発事故が起こって3.11の変化の中で、もし良かったことがあるとすれば、原発安全神話が崩壊し、 政府や電力会社が組織防衛や保身のために、平気で嘘をつく。 そして大手メディアは必ずしも真相を伝えないということが、かなり多くの人に伝わって分かり始めたということが、一つ積極的に評価できると思いますし、 もう一つは首相官邸デモに象徴されるように、デモという直接的民主主義の意思表示の方法が広範に、東京だけはないですけれども、 見られるようになったということで、これは民主主義の活性化という意味でも大きな積極的な意義があると思います。 3.11福島原発以前の日本に戻ろうという声があるんですけども、決して戻れないし、戻ってはならないと。 新しく生まれ変わる必要があるという風に思っているんですね。 しかし今残念ながらそうではなくて、再稼動へ向けた動きが少し顕著に出始めているということで、せっかくのチャンス、大きな犠牲があったわけですけど、 今も犠牲が出続けていると思いますが、 そういった犠牲をよそにまた原発依存に動こうとしている今の状況というのは非常に深刻な側面があるのではないかなと思っております。
△孫崎:今ご指摘された二つの点ですね。一般の国民は政府の言い分とか電力会社の言い分を信じなくなった。 或いは著名な学者の言い分を信じなくなった。しかし結果的には、一番推進をするであろう自民党政権に国民は投票したわけですよね。 この辺はどうお考えになりますか。
▲木村:焦点の意図的なずらしが、もちろん政党からもなされましたけれども、それを後押しするような形で、メディアが争点隠し、 ずらしに協力したことは非常に大きかったと思います。昨年12月の総選挙は、僕はやはり最大の課題は脱原発であり、消費税増税の問題であり、 TPP参加の問題であり、オスプレイに象徴される沖縄の基地問題、あるいは日米地位協定安保の問題だと思うんですが、 そういった問題は全て薄められて、別の問題に摩り替えられたと。 景気浮揚とか雇用の問題だけが強調されて3年半前で、根本的に問われた対米自立と脱官僚政治という一番重要な課題も後景に押しやられたままだった。
△孫崎:誰が考えてみても、原発というのは一番大きな政治課題であったと思うんですけど、 今仰ったように、争点隠しみたいな現象が起こったんですけど、この辺のマスコミの動きは、どうしてこんなことが起こるとお考えになっていますか。
▲木村:マスコミの問題を根本的にやるならば、記者クラブ制度の問題とか、電波オークションの問題とか、 いろんな問題が挙げられると思うんですけど、やはり何と言うんですか、既存の体制、エリートの中の一角に、よく政官業、 三角形のトライアングルと言われるんですが、それに学、報という、学界とマスコミ界も加わった五角形、ペンタゴンの利害共通関係が原発の問題、 あるいは基地の問題、両面において日本の中でできあがっているのではないかと。 だから権力とメディアが一体化した形で行う情報操作によって、真相が隠蔽され、そして神話、虚構が捏造されて、一般民衆を誤った認識、 方向性へ導くということが繰り返されてきたのではないかと、それが一番大きな問題だったと思います。
△孫崎:今、学、報と仰いましたけれども、先生はこうして脱原発の主張をされている、それから米国からの自立ということを言われている。 こういうような時に学界としてお困りになるということは、これはないんですか。
▲木村:それは直接的にはありません。
△孫崎:そこは自由に言えると思いますか。
▲木村:それはまだ、特に私が今一番所属しているのは日本平和学会ということでありまして、 まだ開かれた自由な意見が言える場が確保されているということではあります。
△孫崎:時間がないんですけども、一般の民衆の方々が、デモとかに参加しているんですけども、 これが将来の日本の民主主義にどんな影響を与えていくんでしょうか。
▲木村:私は本当の意味で民主主義と言いますか、国民の主体性が確保できていたのは、地域的に言えば、 沖縄だけであったのではないかという見方をしていたのですが、それが全土に波及する兆しが見えているということには、 積極的な評価ができると思いますし、オスプレイ問題は非常に深刻なんですけれども、オスプレイ問題は沖縄だけの問題でなく、 全国的な問題になりつつありますので、沖縄と本土の人々が本当の意味で手を結んで、連帯できる条件が今生まれつつあるのではないかと思っております。
△孫崎:かなり多くの人はリベラルが完敗して、将来性がない感じを持っているんですけど、先生、少し楽観的ですか。
▲木村:そうですね。選挙の結果にしてもやはり小選挙区制のトリックというか、歪められた民意の反映というのがありますし、 自民党は前回以上に得票数を減らし、有権者で言えば、2割足らずの支持しか実は得てなかったということも明らかになってますので、 また脱原発などはやはり今でも7、8割以上の国民の方はそれを切に望んでいると思いますので、そういった健全な感覚を活かしていくチャンスが、 次の参議院選というのも言われてますけど、そこに活かせるようにできれば一番いいかなと思っております。
△孫崎:あと終わり25秒、何か一言ありましたらよろしくお願いします。最後に。
▲木村:騙されるものの責任というのを福島原発事故以後、小出裕章先生が言われています。 これは伊丹万作さんという、伊丹十三さんのお父上だった方が1946年、戦争責任についても、そのことを言われています。 先の戦争の責任について、自分は知らなかったとか上司の命令であったでは済まされないのではないかということで、 僕は確かに無知というのは人間にとって一時の恥かもしれませんけど、無関心というのは人間にとっては時には罪とさえなると思います。 辺見庸氏などは 「人間にとって最も非人間的なのは無関心である」 と指摘しておられます。これは注目すべき指摘だと思います。

※ なお、本稿は2013年3月16日の20:00から〜20:30に放映された孫崎享チャンネル 「鹿児島大学教授を迎えて 『終わらない占領』 を論じます」 を文字起こししていただいたものです。