2008.7.3更新

音楽・女性・ジェンダー
―─クラシック音楽界は超男性世界!?
小林 緑
目次 プロフィール
第2回
「女性作曲家音楽祭2007」 を巡って


  第二回に先立ち、初回掲載の著者プロフィルの最後に誤解を招く箇所があったので、修正させていただく。 女性作曲家のコンサートをパリ日本文化会館と杉並公会堂で継続していまも開催しているわけではなく、両者ともあくまで単発のものであり、 他にも様々な形・場所で実施している…の意であった。申し訳ありません。

  さて予告通り、今回は上記杉並公会堂小ホールで昨年夏に開催した 「女性作曲家音楽祭」 の回顧・反省から。 まずこの12回、5日連続のコンサートの企画・監修は私、主催は 「知られざる作品を広める会」 (以後 「広める会」) が当たった。 「広める会」 の代表谷戸基岩氏は20年余りレコード会社のクラシック編成者を務めてのち、今はフリーランスの音楽評論家。 「広める会」 の内容や実績、代表および評論家としての基本理念やスタンスについては、いずれご本人から語ってもらえれば、と思う。
  だが先取りしてはっきりさせてしまおう。谷戸氏は私の公私にわたるパートナーだ (従って以後は谷戸)。 そして、「音楽祭」 実行の発端にあったのは、二人が24年に及ぶ共同生活の節々に語り合い、情報交換を重ねるなかで、 ほんの一握りの作曲家・作品を飽きず追いかけ、ステレオタイプな価値観のコピーに甘んじて恥じるところがないこの国のクラシック音楽界への不信・疑念を分かち合い、 共有したことであった。

  外面的に総括すれば、実演を何度も聴いた上で谷戸が厳選した演奏者と、ほとんどが日本初演となる女性作品との組み合わせが見事に功を奏し、 いずれの回も、194席のほぼ8割以上を埋めた聴衆から 「涙がとまらなかった」 「全部CD化するべきだ」 といった賛辞をいただけたのだから、 この前代未聞の企て (当事者自らが口にすべき言葉ではないが…) は成功だった、と言ってよかろう。
  前後に大手日刊紙や 「赤旗」 などの新聞、「婦人通信」 や 「ふぇみん」 といった女性誌による紹介もしくは批評の記事もかなりの数に上る。 なかでも全てのコンサートを聴き通された青柳いづみこ氏が 「すばる」 誌に寄せたレポート (2008年2月号) は、 あの硬派の文芸誌の二段組12ページに及ぶ力作! ピアニストとしての実感を織り交ぜ、作品と作曲家、演奏者について詳細かつ共感に満ちた論を展開された。 本連載の橋渡しとなった 「ガイドブック」 (各回無料配布した作曲家の小伝、演奏者紹介、基本文献、 CDと楽譜のリストを含む全40ページのプログラム) をしっかり読み込まれた痕もうかがわれ、国立音楽大学図書館員西阪多恵子氏に依頼したごく一部を除き、 執筆も二人で賄ったこのガイドブック作成の労は十分報われた、と感謝している。

  だが事後一年近い今なお、心にくすぶるのは、青柳氏を格別の例外として、私の本拠たる音楽大学関係者や学生、音楽学研究者など、 音楽専門家というべき人たちがほとんど何も反応しなかった、無念の想いである。
  わがことのように賛同してチラシ [別掲] を大量に撒き、リピーターともなって来場したのは女性とジェンダー絡みの研究や運動に携わる人、 あるいはここぞというコンサートには必ず見かける一般の音楽ファンだったのだ…女性=無名=低級という謝った通念がいかにアカデミズムに浸透しているか、 これを改めて痛感した次第。しかもその音楽専門家の大部分を占めるのが女性であるという現実をどう捉えるべきか。


  たとえば、ともに音楽祭に登場、本年生誕150年の節目にあたるフランスのメル・ボニスとイギリスのエセル・スマイスの二人だけに話を限ってみよう。 かたや上流実業家夫人ながら密かに婚外子を設けた女性、かたや独身を貫いた戦闘的フェミニスト=レズビアンと、全く対照的なその生き様に加え、 同時代の 「有名大作曲家」 ドビュッシーやフォーレ、あるいはブラームスやチャイコフスキーと同質/同類の多彩な彼女たちの作品群に、 女性自身が興味を抱かないのは一体何故? 女の敵はやはり女? 「女に作曲はできない」 という誤謬を解くのに、 どれほど時間がかかるか知れない男性の開眼を待つより、 女性達の切実な共感や連帯こそが何よりの力になるはずなのに…ハイ・アートのエリートたる 「クラシック」 界に参入してようやく手にしたステータスを 「女」 の問題などにかかわって失ってはたまらない…本音はこのあたりか。
  同僚の音大教師陣や学生たちにいくら女性作曲家の情報を流しても 自らのリサイタル選曲や研究テーマにそれが活かされない。 一回だけ、アリバイ造りよろしく触れてみるがそれっきり。 梓澤氏が良い例だが、専門外の男性が率直な好奇心から接触してくださる事例がいくつかあるのに比べ、 女性の音楽専門家筋からのそうしたアプローチがあまりに乏しいところに、最大の障害があると思われる。

  暗い悲観的な話で紙数が尽きてしまった。次回は 「音楽祭」 のとりわけ印象的な場面を取り出し、 具体的に女性作曲家たちとその音楽をお伝えすることでお許し願いたい。
2008.7.3