2008.12.3

音楽・女性・ジェンダー
―─クラシック音楽界は超男性世界!?
小林 緑
目次 プロフィール
第7回
今こそ聴きたい、広めたい、エセル・スマイス
―生誕150年を迎える女性作曲家を称えて―

  前回のバイロイト報告から一ヶ月以上も経ってしまい、連載としてはやや気抜けした格好になったことを、まずはお詫びしたい。 遅延の理由は、イギリスの女性作曲家エセル・スマイス Ethel Smyth (1858-1944) の生誕150年記念コンサートの企画と準備、 およびその広報活動に忙殺されていたからである―─なればここに、別のネタで稿を起こす余力など私にあるはずはない。 すでに数箇所で宣伝材料にした小文をあちこちつなげて、今回分に充てることとした…というよりも正直に申し上げよう。
  12月11日 {木} 19時、津田ホールにて開催予定のこのコンサートは、絶対に成功させなければならぬ理由があるので、 本稿はその宣伝の場とさせていただきたいのである (ちなみに、12月5日の東京新聞夕刊に、関連する拙稿が掲載される予定)。

  まずはこの企画実現について、すこし説明したい。去る3月、国立音楽大学を定年退職した私は、 津田塾大学で、非常勤講師として 「女性学A=女性作曲家を知る」 という半期の授業を担当する幸運に恵まれた。 小平市内の、緑豊かな美しいキャンパスでの授業は受講生の反応も素晴らしく、半期で終えるのがなんとも残念であったが、 7月の学期末には、幸いにも特別教室を使ってのミニ・コンサートを実現できた。
  当日は実力十分の若手演奏家―─ピアノの佐々木京子・祐子ご姉妹とフルートの永井唯さんをお招きして、 スマイスと同じく生誕150年に当たるフランスの女性作曲家メル・ボニス Mel Bonis (1858-1937) の室内楽を取り上げたのだが、 そのドビュッシーとフォーレの美点をないまぜにしたような優雅な音楽を、学生のみでなく、近隣からお越しのお客様にも楽しんで頂けたと思う。 こうした経緯も功を奏したのであろう、今年創立110周年を迎え、津田ホールを含む千駄ヶ谷キャンパスを新たに開設したこの名門女子大学は、 女性作曲家の紹介を継続的に行うことを新しい指針として掲げてくれたのだ。
  津田梅子という女性の自主・自立を希求した偉大な先覚者をいただく女子大学、かつ音楽会場としての実績も高い津田ホールならではの企画として、 この案は、関係者の言を借りれば 「渡に船」 とばかり、受け入れられたようである。長年密かにこうした形を夢見てきた私としても、何よりうれしいことの成り行きで、 企画その他の面で出来るだけのご協力をしたいと考えている。

  今回は、いわばその試金石となるコンサートだ。人が集まらなければ、「やはりこんな企画では…」 と早々に見切りをつけられてしまうことが何より恐ろしい。 ぜひとも多くの方々のご参集をいただき、貴重な津田塾大学の決定を実り豊かなものにしなければならない…シャカリキになって宣伝にこれ努めているのは、 こうしたワケがあるからだ。

  それにしても、エセル・スマイスってどんな女性 (ひと)?
  とりあえずチラシの表と裏をご覧いただきたい [図版1,2]。


図版-1


図版-2

  表の面の人物がもちろんスマイスで、まず目を引くのが帽子にシャツ・カラー、ばっちりジャケットを着込んでいるその装いであろう。 一見すると、女性と気付かれないかもしれない。なにしろ、女性音楽家の定番のような、あのひらひらしたドレスやアクセサリーは影も形もないのだから。 親しい友人ジョン・サージェントが1901年に描いたとされるこの鉛筆画は、毅然とした眼差しで、自らピアノを弾きつつ歌っているスマイスの姿を捉えたものである。 ついでながら、スマイスが1926年にオクスフォード大学から名誉博士号を授与された折のガウン姿を描いた絵も載せておこう [図版3]。


図版-3

  チラシの裏面には女性と音楽研究フォーラムのメンバーで国立音楽大学図書館員の西阪多恵子さんがみごとにまとめてくださったスマイスの略伝が載っているので、 それをとにかくしっかりお読みいただくよう、お願いする。となりの出演者プロフィールもお見逃しなきように。 とくにピアノの加藤洋之氏は、この連載のそもそものきっかけとなった 「女性作曲家音楽祭2007」 で、スマイスをご担当いただき、 その楽譜の読み込みの深さと演奏能力の高さで、企画・監修の私と主催・実行の谷戸を仰天させ、感動させてくださった方。 ヴァイオリンの甲斐摩耶さん、ホルンの阿部麿さんは、その加藤氏が絶対に信頼できる共演者として自ら選ばれたお二人なので、 すばらしいアンサンブルとなろうことは絶対に保証できる。NPJ読者の皆様、是非ご来聴ください…しつこいなあ、我ながら呆れてしまう…

  さて、以下は私なりに要約してみたスマイス像である。
  生涯独身、男仕立てのジャケット着用―─とはいえ、いわゆる男装ではない。ズボンではなくいつもゆったりとしたスカートを履いているし、 頭も断髪ではなく結い上げているからだ。趣味はしかしゴルフ、乗馬、登山などどこまでもアウト・ドア派。 旅行も頻繁にしているが、これは自作の売り込みもかねた実利目的だったようだ。完璧にしつけた大型の羊犬を伴侶 [図版4] に、 聴覚障害が進んだ1920年代以降は執筆活動に転身、自伝風の10 冊の著述で、当時のイギリス音楽界の実情と、とりわけ男性支配の構造を仔細に分析している。


図版-4

  作曲の主軸をオペラのような大規模なジャンルに置き、指揮棒も手にした…こう描けばエセル・スマイスは、かの 『乙女の祈り』 が表わす 「女性性」 や、 その作曲者であるテクラ・ボンダジェフスカ=バラノフスカ (1834-61) に代表される女性作曲家のイメージからは程遠い。 ましてや50歳を過ぎて作曲活動を中断、敢然と 「女性参政権運動」 に身を投じ獄中生活も経験したというその生涯は、 現実社会への意識が希薄な日本のクラシック音楽界に衝撃を与えずにおくまい。
  もっともこの日本にも、第二次大戦のさなか、反戦と女性解放を鮮明に掲げ、 何度も刑務所に送られた吉田隆子 (1910-56) という先見的な女性作曲家が存在した─―与謝野晶子が国賊呼ばわりされた 『君死にたもうことなかれ』 にも付曲―─ことも、 この際広く知っていただきたいのだが…

  翻って、スマイスのすごさは 「男は仕事、女は家庭」 という性別役割が規範として浸透していた19世紀ヴィクトリア朝にありながら、公然と男性支配を糾弾し、 投石や議事妨害の実力行使も辞さず男女同権を目指した点にある。私は率直に、その勇気と正義感を称えたい。
  1911年に作曲、運動の同盟歌となった自作 『女性達の行進』 を監獄の中庭で歌う同志の女性達を、窓越しに歯ブラシで指揮したエピソードなど、 その面目躍如たるものだ。当然ながら? その作風にはどこにも軟弱なところや、小こじんまりした “女性的” な趣がない。
  しかし意外に思えるのは、上記チラシの肖像画が証明するように、歌うことや声へのこだわりが強く、弾き語りも得意だったこと。 死の二日前、最後の面会者となり後にスマイス研究に従事した近所の女性は、全く耳が聞こえなくなった痛ましい晩年にも、スマイスがよく通る声で冗談を飛ばしていた、 と訃報 {『ミュージック・アンド・レターズ』 誌} に記している。「男まさり」 というばかりでなく、「女らしさ」 に直結する身体的な柔軟さも備えた音楽家だったのであろう。

  一方、代表作のオペラ 『難船略奪者』 のイギリス初演を指揮したトーマス・ビーチャムが1958年、スマイス生誕100年に当たり、 当時の有力な音楽雑誌 『ミュージカル・タイムズ』 に載せた小論には、次のようなくだりがあった。
  「彼女の音楽は同時代のイギリス人作曲家たちに欠けていた才気と力とアクセントがあり…今生きていればオーケストラの増加やBBCの広汎な活動と相俟って、 その作品は常に聴かれているはずで、彼女を無視することなど全く出来ないだろう」。 獄中のスマイスを何度も見舞ったというこの名指揮者は、彼女の不屈の闘志はしばしば独善に陥ったと批判しつつも、 最後は 「男女を問わず、彼女が同時代の最も注目すべき remarakable 人間の一人であるのは間違いない」 と結んでいる。

  この11月6から9日まで、ドイツはデトモルトの音楽アカデミーにて、スマイス生誕150年記念シンポジウムとコンサートが開催されたはずだ。 またこれと連携して、月末29日にはイギリスのオクスフォード大学─―上記の通りスマイスに名誉博士号を授与した縁がある―─でも、 スマイスのピアノ作品全曲録音を果したピアニスト、リアナ・セルベスキュのレクチャー・コンサートも含むミニ学会がもたれたばかり。 デトモルトのコンサートでは室内オーケストラ伴奏による歌曲などが取り上げられた模様だ。

  こちら、津田ホールで聴かれるのは室内楽。ブラームス的な深いロマンティシズムが特徴のヴァイオリン・ソナタ、 ある女優との出会いの鮮烈な思い出から生まれたとされ、作曲者のレズビアン志向を窺わせるピアノ・ソナタ、 ホルンとヴァイオリンを組み合わせた珍しい 「二重協奏曲」(ピアノ・トリオ用編曲版)など。ヴァイオリン・ソナタと二重協奏曲は、おそらく今回が日本初演となろう。

  上記の通り、国際的な場でも活躍されている3人の素晴らしい日本人演奏者にご出演いただけることを、とりわけ有り難く思う。 知られざる作品・作曲家の認知は、演奏者の力量次第とは、肝に銘じていることだからだ。スマイスの本領であるオペラや管弦楽作品も、 いずれご紹介できることを夢見ているが、それにしても、没後100年─―すなわち2044年頃、 スマイスや女性作曲家を取り巻く環境はどのように変わっているのだろうか…あの音楽室の壁に掲げられている 「大作曲家」 の肖像画の群れに、 せめてスマイスの颯爽とした弾き歌いの姿が加わっていることを期待したいものである。
2008.12.3