2010.2.23

音楽・女性・ジェンダー
―─クラシック音楽界は超男性世界!?
小林 緑
目次 プロフィール
第18回

社会参画と女性作曲家―グレンダールの場合

  本稿連載もすでに18回目。私が担当した過去15回のうち、7回、10回、11回と計3回もエセル・スマイス(1858-1944)を取り上げている。 その理由は、このイギリス女性がまさに男性 「大作曲家」 並みの大規模で力強く、構築的な器楽曲を多数残した…からではない。 そうではなく、「女性たちの行進」 という、ごく短く簡明な合唱曲を書いているからなのだ。 イギリスの女性参政権運動の渦中に書かれ、その応援歌となったこの曲、間近に迫った 「国際女性デー」 100年記念の中央大会(3月8日、18時、九段会館) 冒頭にCDで流され、曲の成立の背景も主催者(婦人団体連合会)から説明される予定という。
  実は昨年の大会で、「記念すべき来年100周年には合唱もなさる皆さんで歌ってみては?」 と提案、CDや楽譜もお送りしておいたのだが、 残念ながら適当な合唱団がなく実演は見送りとなった。そのあたりの事情はその機関誌 「婦人通信」 2010年2月・3月合併号(no.620)に載った拙文をお読みいただきたい。
  新しい曲に挑むのはともかく大変、難しいのだという事実が改めて確認されたようにも思うが、記事を読まれた声楽家で合唱指導もなさる方から、 そのうち是非取り上げたい、とのご連絡もいただけた。
  専門とするクラシック音楽の場から、女性視点で平和・自由・平等を模索している私にとっては、こうした積み重ねが何よりの励みになる。

  そこで 「国際女性デー」 100年記念を直前に控えた今回も、女性参政権がらみの作品を残したもう一人の女性作曲家をご紹介したい。 アガーテ・バッケル=グレンダール Agathe Backer-Grøndahl (1847-1907)である。このノルウェイ女性(以下アガーテと略記)については、 上記 「婦人通信」 のわずかなスペースの最後でざっとご紹介したのだが、「女性作曲家音楽祭2007」 では取り上げなかったし、 本連載でも初登場のはず… 「音楽祭」 で彼女を見送ったのは、その2ヶ月前の6月4日、祥月命日にあわせて没後100年記念コンサートをバッチリ実施済みだったからだ。 当日は同年に没した同国人グリーグの 「もしもミモザの花が歌えるなら、それはグレンダールのもっとも美しく親密な音楽のように響くだろう」 という言葉にぴたり当て嵌まる歌曲とピアノ曲ばかりで構成、演奏者の好演も相俟って大好評を博した。
  一方、その出版がすでに10年以上も遡る 「女性作曲家列伝」 では、ノルウェイ文化省製作のCDを通してアガーテの素晴らしさを教えてくれた谷戸基岩が執筆している。 それを読む限りでは、主婦・母として歌やピアノ独奏曲など家庭的・私的な領域で傑出した作曲家という印象が強い。 執筆当時の入手できる資料の限界もあったし、バーナード・ショーのような著名人の文章からようやく伺い知るアガーテの一般的イメージは、 「物静かで金髪の、慎ましやかな女性」 であろう。


姉ハリエット・バッケルによる肖像画

  ところが、うっかりすると見過ごしてしまいそうなさりげない情報から、このアガーテが確たる意思を以って公的な社会参画も果した女性であることが判明した。 昨年末11月26日、カザルスホールで開催されたナタリア・ストレルチェンコのピアノ・リサイタルのチラシがそれ。 このリサイタル、メイン・プロのリスト 「超絶技巧練習曲」 全曲の前にアガーテのピアノ曲4つが予定されていた。 もちろん私はそちらがお目当てで出かけたのだが、道中チラシをよく読むと、作曲者紹介の末尾に、 なんと、彼女が姉ハリエットとともに晩年はノルウェイの婦人参政権運動に力を注ぎ、運動の会議開催中に自作の女声合唱用カンタータ “ニットールシュグリー Nytaarsgry 〔新年の夜明け〕” を自らの指揮で演奏、 「それは美しく荘厳な響きをもち、あたかも奉献歌のようだったと評された」 とあるではないか!


アガーテの生誕100年記念出版のピアノ曲集の表紙に掲げられた晩年の写真

 あわててリサイタルで居合わせたノルウェイ大使館広報部の伊達朱美様に問い合わせてみたところ、 チラシ原稿がイェーテボリ大学院生カミラ・ハンブロー Camilla Hambro の博士論文に基づくものであることが判明。 引き続きその論文要旨の英訳と、ノルウェイ女性解放運動機関紙 “ニーレンネ Nylaende 〔新しい国〕” に掲載された 「新年の夜明け」 の楽譜も送っていただけた。 さらには、没後100年コンサートで歌詞対訳と詩人の紹介文をご担当くださった北欧文学研究者岡本健志様をお煩わせして、上記曲名と雑誌名の読み方と意味、 そして歌詞を書いたギーナ・クローグ Gina Krog について教えて頂けたのである。ここでお二人に改めて深く御礼申し上げます。

  そこでとりあえず、思いがけず入手できたこの貴重な譜面を追ってみよう。レント 〔ゆっくり〕 と指定されたピアノ伴奏の変ロ短調和音に導かれ、 弱奏のアルト独唱から4部合唱に重なり合う荘重な第一部。ロ長調に転じて八分の九拍子、終始無伴奏の合唱が徐々に活気を帯びていく中間部。 そして 「この上ない活気とともに」 と指定されたソプラノ・ソロに始まり、 やがて4声部が協和してフォルティシモでロ長調主和音を高らかに歌い上げる結びの部―ノルウェイ語を全く解さない私は、肝心の歌詞内容がさっぱりわからず、 まさに隔靴掻痒の想いばかりが残るのだが、曲のタイトルにふさわしく、暗い闇夜から明るい光明が差し込み、 ついに歓喜の唱和に至るプロセスをたどっているように見える。
  特筆したいのは締めくくりのピアノ伴奏が、ベートーヴェンの 「第九」 などでおなじみの、強拍上で高らかにジャジャーンとフォルティシモが炸裂する形ではなく、 最弱奏に戻って低く静かに響き止む、つまり曲の開始と終結が対応し、全体が弧を描くような円形を提示していることだ。 フェミニズム音楽学=ジェンダー批評の嚆矢として知られるスーザン・マクレアリ著 「フェミニン・エンディング」 (女性と音楽研究フォーラム訳、1997年, 新水社)が、 音楽理論にまでジェンダーが忍び込んでいる例として挙げた、弱拍上での終わり方を指す 「女性終止」 ではないものの、 直前に歌い終わった合唱のフォルティシモを引き継がず、ピアノ伴奏が最後、あえてピアニシモと低い音域に鎮めて結んだのは何故? 音楽の 「男性性」 のシンボルたる強音、強拍に対する皮肉なあてこすりか? アガーテに直接問いただしてみたいけれど…

  歌詞作者のクローグ゙は奇しくもグレンダールと同年生まれ、1916年に亡くなった政治家とのこと。 「ニーレンネ」 編集長も勤めたノルウェイ女性解放運動のリーダーで、1880年のイギリス留学に際し、 当時まだ母国では研究対象となっていなかった女性参政権運動の理念を学んだというから、あのエセル・スマイスの英国での運動に先駆けた存在ともいえる。

  さらにハンブローによれば、このカンタータが捧げられたオースター・ハンステーン Aasta Hansteen (1824-1908) はノルウェイにおけるフェミニズムのパイオニアと称される女性で、その闘争心のすさまじさは、過去から現在にかけ女に加えた侮辱と暴力にたいする罰として、 手にした乗馬用の鞭もしくは雨傘で、行き会った男をだれかれ構わず打ちのめしたというから、全く以って半端ではない! クローグの歌詞は、そのハンステーンの精神を残りなく汲み上げたものという。 カンタータを聴いたハンステーン自身も、これを 「ニーレンネ」 を飾るひまわりの花模様とともに、光と大気を求める女性の権利の象徴に喩え、 とくに女性/母親の愛が地球と人類を救うのであり、このカンタータをその予兆と解釈したことが強調されている。 もっともこうした読みは、21世紀のフェミニストたちの目には 「本質主義」 の危険をはらむもの、と映るかもしれないが…

  話は前後するが、例のリサイタル、実はストレスチェンコがリリースしたばかりのグレンダールのピアノ曲全集5枚セットのCD 〔Agathe Backer-Grøndahl. Complete Piano Music. Vol.I-V Arena〕 を会場で即売することが目的で開催されたものだった。 チラシの一文もそのCD解説用に、ハンブローが博士論文を下敷きにして新た書き下ろしたものらしい。 この5枚にじっくり耳を傾けると、ピアニスト=作曲家としてのグレンダールの素晴らしさをどう表現すべきか、言葉がないほどだ。 加えてこの5枚がさらに意味深く思われるのは、ブックレットに、女性参政権運動をともに闘った姉ハリエット・バッケル(1845-1932)による上記アガーテの肖像画と、 奏楽図が5点掲載されていること。ここに掲げるのは其れとは別で、絵葉書で売られていた 「自宅にて」 と題されたものである。 いずれにせよ、このハリエットが当時画家としても成功を収めていたことは、私が訪れた1991年もなお、彼女の作品がオスロの国立美術館で、 ムンクと並ぶ扱いでまとめて展示されていた事実が証明しよう。


「自宅にて」

  それにしてもアガーテのあの貴重なカンタータを実演で聴いたことがなく、いまだ録音もないのはなんとも残念…ただでさえ現実社会とは無関係、 浮世離れした存在に思われがちなクラシック音楽、まして歴史から埋もれてしまった女性作曲家たちが、 こうした明らかな社会参画の意図を掲げて書いた作品を知ることの意義は、誰の目にも明らかだろう。

  だが実はおととい(2月21日)、そうした面で個人的ながら大変嬉しいできごとがあった。 スマイスの 「女性達の行進」 がNHK東京放送児童合唱団 〔以後N児〕 OBの集まりで日本初演!? されたのである。 なにを隠そう、私はこの合唱団の第一期生、小学4年から3年ほど在籍、声変わりのため中学入学前に退団したから、現在のN児のように大規模な組織のもと、 海外演奏や定期演奏会など経験せずに終わってしまったが、十倍以上の競争率による公開の入団試験を経て選ばれた事実は、 思い返せば私の活力源の一つにもなっていた。このN児同窓会事務局から 「歌う会」 の実施と、何でも歌いたい曲があればどうぞ、 との案内が届いたのを渡りに船とばかり、普段はほとんどご無沙汰に打ちすぎているのも恥じず、ダメモトの覚悟で例の楽譜を送ったところ、 そのコピーが当日歌う予定の楽譜の束にきちんと納まっていたのである。
  そして子連れ、家族連れも交え50人以上も集ったろうか、実際に会が始まると、綴じられた楽譜はすべて順番通り歌われ、 問題の 「女性達の行進」 も初見で見事、3部合唱としてバッチリ歌い了えたのだ! 英語の歌詞だけはさすがにかなり怪しかったけれど、そんなことは問題外! ともかく期日を大幅に遅れてエントリーしたにもかかわらずきちんと対応し、楽譜コピーもしてくださった理事の三矢幸子さん、 全曲のピアノ伴奏をものの見事にこなされた秋野淳子さん、そしてなにより指揮の古橋富士雄先生に、心より感謝の意を表したい。 冒頭に触れた通り、3月8日の 「国際女性デー」 では実演は見送られることになっただけに、50年以上も昔に在籍したご縁が生きて、 念願のこの曲を自分でも声張り上げて歌うことが出来たのは、なんともいえない感激と喜びだった。

  それにしても本当に歌うってすばらしい! 退団後ほとんど合唱とは距離を置いてきた私にとって、3時間ほども歌い続けられたことは、 この上ない心身の栄養と癒しとなったにちがいない。何より、参加者のなかで一期生は私ひとり、回りはほとんどが10年以上も若い同窓生ながら、 いざ歌う段になれば年齢差など全く無関係、ごく自然な仲間意識で結ばれていく…いずれこの 「女性達の行進」 も、そしてアガーテの 「新しい年の夜明け」 も、 きちんと日本語の訳を作り、練習も十分積んで、公開の場で披露できるようにしなければ、と改めて肝に銘じた次第である。

  「社会参画と女性作曲家」 と題した以上、上記二人のような参政権運動のみならず、反戦、革命、疫病禍などに触発された女性たちの作品もご紹介したかったが、 すでに大分長くなってしまった。3月末に韓国併合100年に合わせた済州島へのスタディ・ツァーに参加を予定しているので、 次回にその感想も含め、今回の積み残しをまとめられれば、と思っている。