2010.11.28更新

音楽・女性・ジェンダー
―─クラシック音楽界は超男性世界!?
小林 緑
目次 プロフィール
第22回
「吉田隆子生誕100年記念コンサート」 のご案内

  ★はじめに
  作曲家の記念年が多く、話題にこと欠かぬこの2010年も残りわずかとなった。実は日本のフェミスト音楽研究者として、 私がどうしても本連載でご紹介しておきたい女性作曲家がもうひとりいる。1910年の生まれ、つまり今年が生誕100年にあたる吉田隆子である。

  彼女は与謝野晶子の 『君死にたもうことなかれ』 を歌曲にしたことが真っ先に語られるように、反戦や労働者運動にかかわって投獄されたのも災いし、 46歳で若死にしたほどの、社会的意識の強い作曲家だった。この吉田をはじめ、日本の洋楽受容期に活躍した女性作曲家については、 拙編書 『女性作曲家列伝』 (平凡社、1999)で、辻浩美が 「日本の女性作曲家」 と題する一章を担当、幸田 延、松島つね、外山道子、金井喜久子、 渡 鏡子、計6人の小伝をまとめてくれた。【19】、【20】と二回連続で取り上げたポリーヌ・ヴィアルド没後100年記念コンサートの準備に私が忙殺され、 うっかり足元の日本女性を忘れかけていたところ、年内に間に合うタイミングで、 上記の辻が吉田の生誕100年記念コンサートの開催を提案してくれたのであった。 と、かくして私もメンバーの一員である 「女性と音楽研究フォーラム」 の主催により、12月5日(日) 14時30分開催と決まったそのコンサート概要を、 まずはチラシ両面からご覧頂きたい。


  今回はバロック歌唱の透明な発声を生かし日本語歌曲にも見事な実績を挙げている波多野睦美とのコラボレーションが大きな呼び物となり、 波多野ファンが多くご来場いただけそうな気配。加えていまや若手ヴァイオリニストのなかでも一番の注目株、 長尾春花が難曲のヴォイオリン・ソナタに挑んでくれる…これも新鮮な楽しみだ。 会場は本連載11回目にちらりとご紹介したユニークな木造の求道会館。会場と演奏者と企画の目新しさと…3拍子揃ったコンサート、 残券はすでに数少なく、日にちも目前迫ってしまった今、敢えてご案内するのは、日本の年末に響くのは 『第九』 ばかりではない、 ということを少しでも多くの方にお伝えしたいから…いつもながらのしつこさと図々しさ、どうぞお許しください。

  ところで、吉田の生涯や作品、時代背景などについては、辻のほかに、すでに小宮多美江の周辺からいくつか先行研究が出ており、 全くの専門外である私がここに繰り返すことは控えたい。吉田自身が発表済みの歌曲とは別に、オペラ化を企図しながら病苦に斃れ、 未完で残された 『君死にたもうことなかれ』 の台本と彼女自身のエッセイ、さらにこのプロジェクトに関わっていた人々の記録文章も合わせた貴重な一書も、 小宮の行き届いた編集作業を得て、出版されている(新宿書房、2005)。また吉田が作曲のみならず、評論でも見事な先見性を発揮したことは、 その単著 『音楽の探求』 (真善美社、1948)からも明らかだ。 没後ほどない1956年、理論社から出たその再版には、公私にわたるパートナーであった劇作家の久保栄があとがきを寄せており、 「…(『君死にたもうことなかれ』 の)制作なかばに倒れたことは、当人にとっては何よりの心残りであったに違いない。 配偶者として、また仕事仲間として、私はいうべき言葉をしらないのである」 と結んでいる。

  私はこの久保の追悼の言葉に深く胸を衝かれたが、それだけに、どうしても看過できない吉田にからむ “事件” を記さずにいられない。 2005年春、日本の新劇史に凛然と輝く久保の代表作 『火山灰地』 が初演から67年、 前回上演からも44年ぶりに劇団民藝の創立55周年を記念して完全上演された。 初演時の舞台音楽を吉田が担当したというその一点に惹かれ、私も池袋の芸術劇場に足を運んだところ…その音楽はなんと、 林光作品のテープによる演奏に替えられていたのだ。 吉田の音楽を再現することが難しい物理的な理由もあったのだろうし、また初演時からすっかりスタッフもメンバーも入れ替わっている以上、 音楽担当も交替して当然という前提だったかもしれない。 林光というビッグ・ネームの威力も集客につながろう…こうしたさまざまな思惑を、私も理解できぬわけではない。 けれども、「配偶者として、また仕事仲間として」 と久保自身が明言した女性との協働作業の痕跡を、記念すべき上演に際して消し去ってしまってよいのか? 何しろ、当日販売されていたパンフレットにも、「吉田隆子」 の名前はどこにも見当たらないのだ…本連載12回で取り上げた柳兼子同様、 夫 〔配偶者〕 の陰に隠され、その実績が正当に評価されない女性の事例がここにも見出される。 かくなるうえは、長尾春花の熱演が期待される 『ヴァイオリン・ソナタ』 が、実はこの 『火山灰地』 の音楽を下敷きにしている事実をしかとかみ締めて、 ご来場の皆様にもお聴きいただきたいと願うばかりである。

  ★同じく生誕100年にあたるエルザ・バレーヌの場合
  「女に生まれるのではなく、女になるのだ」 … 『第二の性』 でこの至言を残したシモーヌ・ド・ボーヴォヮールは1908年の生まれ。 したがって2年前の2008年は、この20世紀フェミニズムの偶像とも目されるフランス人女性の話題で、 日仏関係者や女性学研究者の間では大いに盛り上がったものだった。私も日仏女性学会の一員として、その機関紙 『女性空間』 第25巻、 ボーヴォヮールの特集号で同時代の女性作曲家を紹介する短文を書かせて頂いた。 そのなかに、まさしく吉田と同年生まれ、したがってこの2010年が生誕100年に当たる女性エルザ・バレーヌも含まれる。 そこで以下に、その拙稿をほとんどそのままの形で転載させていただくことにしたい。 没後100年のポリーヌ・ヴィアルドと並んで今年、本国フランスでも、 女性音楽機関によって彼女バレーヌを回顧する展示やコンサートがいくつか行なわれたという情報も得たからである。

  ボーヴォヮールと同時代の女性作曲家として、クロード・アリュウ Claude Arrieu (1903-90)、イヴォンヌ・デポルト Yvonne Desportes (1907-93)、 ポール・モーリス Paule Maurice (1910-67)といった名前が思い浮かぶ。 いずれも “前衛” に走らず音楽本来の楽しさ、美しさを特徴とする作風を持つが、 一押しはなんと言ってもボーヴォワールより2歳年下のエルザ・バレーヌ Elsa Barraine (1910-99) であろう。



  父がチェロ奏者、母が歌手という音楽家系の生まれ。パリ音楽院で学び、19歳で作曲の最高権威と目されるローマ大賞を受賞。 時代の変動に絶えず強い関心を寄せ、それをエリュアール詩への付曲、レジスタンスへの同調、 ユダヤ人虐殺を告発した交響詩(“Pogromes”,1933)などに反映させている。 世界の民俗音楽や知られざる作品の初録音を軸にしたレコード会社 「シャン・デュ・モンド Chant du Monde」 の製作責任者、録音技師としても活躍、 1953年からはパリ音楽院アナリーゼ教授も勤めた。オペラ 「せむしの王様」 (1935)、バレエ 「学校に行くクロディーヌ」 (原作コレット、1950)、 映画音楽 「ロワールの木靴つくり」 (ジャック・デミ監督、1956)、交響曲3つ、各種室内楽やピアノ曲、歌曲、 さらにチベットの仏典に想を得た音列技法による音楽など、大規模で先端をいく本格的な作曲家として認知される諸条件を十分満たしているにもかかわらず、 彼女が現在日本はおろか母国フランスでも一般的には無視されているのは何故か…それは 「作曲家」 ではなく、「女性作曲家」 だからにほかなるまい。

  残念ながらバレーヌ作品の音源を私が実際に聴いたのは木管楽器による五重奏曲(1937年作曲)一つのみ。 しかしここには彼女のフェミニストとしての資質が遺憾なく発揮されている。 女性の作品を評する際の決まり文句を皮肉めかして踏まえた総タイトル 「女の作り物 Ouvrages de femmes」 のもと、 聖女や歴史・伝説の女性名を冠した7つの小品とフィナーレから構成。 第1曲アンジェリク Angélique、第2曲ベルト Berthe 〔硬い響きで〕、第3曲イレーヌ Irène 〔曲がりくねって〕、 第4曲バルバラ Barbe 〔こっけいなフーガ〕、第5曲サラ Sarah、 第6曲イザボー・ド・バヴィエール Isabeau de Bavière 〔円錐形の帽子とゆったりしたヴェールで〕、 第7曲レオカディア Léocadie 〔昔の感傷に浸るオールド・ミス〕 と続く(曲名のあとの 〔 〕 内はバレーヌ自身のコメント)。 締めくくりの才気溢れるフィナーレも含め各曲が2分以内に収まり、フルート、オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットの5つの楽器がときに荘重、 ときにコミカルで洒脱な響きを織り成す。この曲の完成が 『第二の性』 に12年も先立つことを特記したい。   ちなみに CD “Musique française au féminine” (2005年、TRI 331136)の Ensemble Latitudes は女性のみの木管五人組。 菅楽器は女性に不向きとするジェンダー観をあざ笑うかのように、眞に颯爽とした胸のすくような吹きっぷりである。



  ★ポリーヌ・ヴィアルドの社会参画とその音楽
  前回から2ヶ月以上も経っての更新は、 5月の記念コンサート後もポリーヌ・ヴィアルドをめぐる新たな展開や思いがけない交流の広がりのおかげで時間がとられ放しだったからである。 彼女の歌を是非歌いたいと思い至り、そして実際に歌ってくれた日本の歌い手たちとの出会い、 そしてヴァイオリン曲をリサイタルの本番に取り入れようと試みる演奏者とのやりとりなど…加えて、私自身、夏休みを利用して短期間滞在したパリで、 ポリーヌのこれまで不問にしてきた側面―─吉田やバレーヌとも共通する社会参画の意識を反映した作品の楽譜を確保できた。 その簡単な報告を最後に付け加えておこう。

  ポリーヌは19世紀の激動する社会の現実とどのように向き合ったのだろうか。 1862年にサン・シモン派の一員であるエルザ・ルモニエが創設した 「女子職業協会」 の趣旨に賛同、 寄付を行なったという事実はポリーヌの伝記や音楽書ではまったく言及されていない。 金額などは不明ながら、この貴重な情報を教えてくれたのは、 ジョルジュ・サンドの自伝 『わが生涯の記』 完訳という偉業を果された加藤節子の著 『1848年の女性群像』 (1995, 法政大学出版)である。 本書はまた、その問題の1848年にポリーヌが作曲したカンタータ 『新しい共和国』 の上演にまつわる事柄も教えてくれた。

  それによると、1848年4月6日、共和国劇場(現コメディ・フランセーズ)での上演は予め市庁舎でくじ引きされた無料チケットのおかげで超満員。 労働者詩人ピエール・デュポンの歌詞に付けた独唱はテノールのギュスタヴ・ロジェが、 合唱部分は三色旗のサッシュで飾られた白いモスリンのドレスをまとったパリ音楽院の女生徒およそ50人が受け持ったという。 フランス国立図書館蔵の楽譜はピアノ伴奏版だが、当時はオーケストラ版も出版されていたようだ。 合唱は譜面で見る限り混声のはず、しかし詩人テオフィル・ゴチエが記した当日のレポートでは上記のように女声合唱として扱われていたらしい。

  作品は変ロ長調、行進曲のリズムに乗った序奏に導かれて歌いだすソロと合唱が入れ替わる全59小節の簡潔な造り。 付点リズムと三連付を活用した勇壮果敢な音調が効を奏したものか、加藤によると 「傑作」 と評されるほどの成功を収めた。 体調が思わしくなかったポリーヌ自身は演奏に参画しなかったが、この記念すべき革命のための作曲を強く促したのはジョルジュ・サンドその人。 ショパンと離別、娘ソランジュの不幸な結婚も重なり、かなり落ち込んでいたこの年、 サンドにとっては二月革命による 「新しい共和国」 の誕生はまさにカンフル剤ともおぼしき出来事だったにちがいない。 1843年に 「独立評論」 を共に興した長年の同志ルイ・ヴィアルドをポリーヌの夫として白羽の矢をたてたサンドの戦略は、 ここにも実利ある成果をもたらしたといえよう。それにしても現行の音楽史がこの作品に一切言及していないのが、いかにも惜しまれる。

  ★追記
  吉田隆子のコンサート当日12月5日が、日本軍戦時性暴力=従軍慰安婦責任問題を裁く 「女性国際法廷」 10周年記念行事とバッチリぶつかってしまっていることに、気付かれた方も多いのでは…かく言う私にとっても、何はさておき駆けつけなければならぬ、 極めつけの重要なイヴェントなのだ。けれども冒頭に記したように、なんとしても今年中に吉田の記念コンサートを…という予定を最優先にことを進めた後に、 このVAWWNET 〔戦争と女性への暴力日本ネットワーク〕 主催の10周年開催日と重なっていることを知り、地団太を踏んだという次第である。 いつもなら女性作曲家を扱う私のコンサートには、必ずVAWNETTやWAM 〔ウィメンズ・アクティヴ・ミュージアム〕、 AJWRC 〔アジア女性資料センター〕 などの頼もしい友人たちをお誘いしてきたのだが、 今回ばかりはそれも諦めねばばならない…実をいえば、この 「法廷」 10周年にあわせ、 VAWWNET周辺からも女性作曲家のコンサートが開催できれば、という声は上がっていた。 私もそれを念頭に、本連載でも取り上げたスマイスの 『女性達の行進』、グレンダールの 『新しい年の夜明け』、 そしてここでご紹介した吉田の 『君死にたもうことなかれ』 やヴィアルドの 『新しい共和国』 などを集めれば、 主催団体のポリシーに沿ったおもしろいプログラミングになるから、と、提案してはみたのだが…残念ながらあまりに障害が多く、受け入れられなかった。 何より、しかるべき合唱団を見つけることが難しい…ともかく、次なるチャンスが訪れるのを願うばかりである。皆様も、息長く、どうぞよろしくお力添えください!